Nothing seek, nothing find隠れん坊なら得意だ。
その日14になった僕は、朝、大事な話があるので、牧師の父の書斎へ行き報告をした。
「父さん、スティープヒルの洞窟の高等吸血鬼を退治してきました」
父は驚いたように目を見開いた。
「お前一人でか?」
「はい」
「私がお前に譲ったあの古い猟銃だけで?」
「はい」
信じられない様子の父に僕はどうやって倒したのか説明した。
「日が落ちるとコウモリ姿の眷属たちが下の町を目指すから、僕はいつも家の屋根から撃ち落としていたんです」
「夜は私に任せてお前は寝てなさいと言ったのに」
「父さんごめんなさい。でも一年もすると眷属はだんだん減っていきました。すると吸血鬼は町への進路を変えました。だから僕は窓から草原に出て彼らを追いかけて撃ち続けました」
父さんは眼鏡をはずすと、眉間を揉んだ。
「……それで?」
「3日前から一匹も眷属が現れなくなりました。だから僕は昨日の昼間、お祈りを済ませてからスティープヒルの洞窟へ行きました」
「大の大人でも入らない場所で、なんて無謀な真似を…!」
「洞窟には雌牛を引き込んで血を吸っている大きな獣がいたんです。僕は吸血鬼用の弾丸を撃ち込み続けました。すると獣が塵に帰ったので、お祈りをして家に帰りお風呂に入りました。僕はその夜も一晩中、洞窟を見張っていたけど、何も出てこなかったので、昨日高等吸血鬼は死んだんです」
「では本当にスティープヒルの獣をお前が倒したと言うのか」
「多分そうです」
「それはつまり、私たちの一族がずっと倒せなかった高等吸血鬼をたった13のお前が根気強く追いかけて、一人で倒してしまったということなんだぞ」
「うちの一族は大柄で温厚な人ばかりだったけど、日本から来た母さんは夜目がきいて小柄だから。僕は皆の血を引いて、小柄で夜目も効くから、あの洞窟で誰よりも動きやすかったんだと思います。スティープヒルの洞窟はいりくんでいたから、もし今より僕の背が伸びていたら僕にも倒せなかったかもしれません」
立ち上がった父は僕を抱き締めた。
「……よくやった。だが何よりも、お前が生きて帰ってきてくれて私は嬉しいよ」
「大袈裟だな、父さん」
スティープヒルの獣。
大草原の中で細々と畜産を営む貧しい町のそばに住み着いた高等吸血鬼。
彼は五十年前に険しい谷にある洞窟を根城にして、大量の眷属を夜な夜な飛ばし、町の家畜や草原の動物を吸血し続けた。
代々牧師であった僕たち一族が町を離れて、洞窟の近くの草原に小さな家を建てるはめになった吸血鬼。
彼が町にやって来た時、僕のおじいさんは町の牧師だっただけで、特に吸血鬼退治を知っていた訳ではなかった。むしろ銃すら握った事のない、温厚な人だったと言う。それでも祖父は町より洞窟に近い草原に引っ越した。
以来、僕たち一族は、夜はスティープヒルの獣の見張りをして、昼は牧師の仕事をしてきた。
祖父の仕事を受け継いだ父さんも誠実で賢い人柄で町のプロテスタントの人たちからとても慕われていたものの、やはり吸血鬼退治には向いていなかった。僕たち一族は、町の人々や家畜が襲われないようにするのが精一杯で、どうしても獣を追い詰めることは出来なかった。
仕方なく父さんは七つの僕に猟銃を握らせるに至った。
でも僕は猟銃を学び弾丸をもらう以外に特別な訓練を受けた訳じゃない。それよりも父さんは僕を教育するのに熱心だった。家族をいつか町の暮らしに戻してやりたかったのだ。
僕自身は生まれた時から草原で過ごすのが当たり前で、ウサギやプレーリードック、そして山羊の群れの跳び跳ねる緑の地平線が大好きだった。
父さんから猟銃の扱いを教わるのが何より楽しかった。
「いいか、お前は警戒心の強いプレーリードックを狙うコヨーテだ。茂みに隠れて息を潜めて、自分のことは忘れる。するとお前は自然と一体化して向こうもお前のことを忘れる。その時がチャンスだ」
真面目な父さんが、その時だけはいつも最後に笑って僕の髪の毛を撫でた。
「草原でお前がじっとしてると綺麗な緑の頭だから、本当にお前を見失いそうだな、サギョウ」
僕はただ満天のほしあかりが輝く夜空を遮る影を、息を潜めて、撃ち続けただけだ。家族と町と草原を守りたかった。それだけで子供の僕の人生は十分満たされていた。
僕の13歳最後の日に洞窟の大きな獣を倒して以来、スティープヒルの獣は姿を現すことはなくなった。
僕たちはいよいよ町に戻れることになった。町では毎日学校に通い、そして僕は撃つものを見失った。
二年過ぎると父さんは僕に神学校への進学を勧めた。僕の一家は祖父の代からの使命から解放され、残されたのは代々受け継いできた牧師の道ばかりだ。けれど僕は穏やかで敬虔で時に雄弁な父のような素晴らしい性格ではないのは、すでに自分でもよく分かっていた。
それに、僕は満天の星空を、町の灯りを、そして狩りを忘れてはいなかった。
昼に茂みに隠れて父に言われた宿題をしていたあの頃。
風に草木がそよぎ毎朝僕に新しい香りを運んでくる。春にプレーリードッグや山羊の赤ん坊が生まれ、鷹やコヨーテが獲物を探す。夏には放牧された牛や羊がやってくる。秋は色とりどりの木の実が実りりすたちが駆け回る。冬になると草原が真っ白に変わる。
そして夜、どんな時もいつも遠くに街の灯がきらきらと見えていた。そんな景色を愛し、黙って眺めているのが僕だった。
だから僕は父からの進学の話を断ることにした。
牧師の道は選ばず、吸血鬼退治の仕事をすると告げた。
すると父は落胆し、僕にもう一度考え直すようにと諭し、僕を連れて7日間ほど旅に出た。僕たちはまいにち、色んな教会を見て回った。
「サギョウ、お前は私たちに課せられた一つの使命を立派に果たした。その源となる本来の勤めに心残りはないか?」
僕は見知らぬ街で人々の行き交う姿を興味深く眺めながら答えた。
「僕は大好きな町に少しだけ役に立てたかもしれないけれど、一人で静かに過ごすのが好きです。大勢の人前に出られるような立派な人間ではありません。それに、この旅で世界は広くてたくさんの町があると分かりました」
「……お前がとても豪胆な子に育ったのは間違いないな」
日本からやってきたお母さんの血かな、と父さんは寂しそうに笑った。
僕たちがスティープヒルの町に帰ると、母と妹が僕の好きな料理を作って待ってくれていた。
夕食で僕と父のやり取りは話題に出ることはなかった。
次の日母は僕に一そろいの白い服を差し出してくれた。
「お前は自ら口で語ることで迷える子羊を導くような人柄ではないかもしれない。それよりも自分の体験を大切にして、忍耐強く、勇敢で、敬虔な子だと思っていたよ」
僕は母のくれた服を広げてみた。すると丈の長い綺麗な灰色のローブだった。一緒に額当てと長い裾のついたキャップがこしらえてあった。
「私とアミでお前に縫ったハンターの服だよ。着てみてくれないかしら」
身に付けてみると僕の寸法にぴったりで、きちんと袖は閉まっていて、ローブの下に黒いズボンがついていて、紐ベルトの代わりに弾丸を納める革のポケットがあった。体がとても動かしやすかった。
鏡に映った自分の姿の印象を口にする。
「牧師は目指さなかったけれどまるで神学校の生徒みたいだ」
「気に入らなかった?」
「そんな訳ない」
「お前にニュースがあるの。世界中でも比類のない力の高等吸血鬼たちが私の故郷、日本の町を狙っているそうなの。何の縁なのか分からないけれど、ハンターの才能のあるお前は偶然、日本語も出来るように育ったわ。お前、日本に手伝いに行ってあげてはどうかしら」
「……母さんは僕が牧師にならなくてもいいの?」
「私だけじゃないわ。父さんもアミもあの日貴方が一人で高等吸血鬼を退治して来た時からずっと貴方を家族一番の誇りに思っているよ」
僕はその時、初めて、自分の好きに生きた少年時代を、父の願いを無下にし神の道を歩まなかった自分を恥じた。初めて強情な気持ちを捨てて小声で謝った。
「牧師になれなくて、ごめんなさい」
「牧師だけが敬虔さを示す唯一の道じゃない。誰だってどんな形でも神につかえることは出来る。お前は十分立派に努めているわ」
だからその神学校みたいな服を着て私たちのことを忘れないでね、と母は笑った。
数日後、父さんから、僕は新しいスナイパーライフルを渡された。
お前らしく人助けをするようにと言われて、16の僕はしっかりと頷き、ひとり町を旅立った。
※※※
有名な高等吸血鬼を追いかけるのは容易い。
僕はスティープヒルの吸血鬼を倒した時に州のハンターライセンスを取った。そこで州のライセンス所に問い合わせて日本でのハンター活動について聞いた。
日本の町にもハンターの組合があり、活動をするには登録の義務があると教わり、僕はまずその組合を目指した。
日本の町、新横浜に足を踏み入れたとたん、確かにがらりと風の匂いが変わった。
町中にスティープヒルの洞窟と同じ匂いが立ち込めている。
ギルドを訪ねると、故郷の酒場によく似ていて、僕はこの町に初めて来た気がしなかった。
気付くとギルドの出入口でライフルケースの背負い紐を強く握りしめていた。
カウンターにいるマスターに声をかけて、僕のライセンスと紹介状を見せる。
するとマスターから、君はまだ子供じゃないかと言われたけれど、志願をやめる気はもちろんなかった。どうすれば一人前と認められるのか尋ねると、マスターは舞い込んできた退治に早速行くようにと言い、僕はホッとした。
このギルドのマスターは、スクールの校長先生よりは話がよほど早い。
マスターは現場に行くハンターを呼んだ。
「半田くん、君、スナイパーと組みたいって話してたよね。この子を見習いとして君の退治に連れていってやってよ」
現れた男に僕は少しだけ驚いた。
呼ばれた男は胸にロザリオを下げたカソック姿だったのだ。僕はてっきり、彼のことをまだ若いのに日本のカトリック系の神父様なのだと思った。だとしたらずいぶん厳格に自分の人生を選んだ人だ。
そして向こうも僕を見て驚いた顔をした。
いくら希望していたスナイパーだとしても、新米の子供を連れて歩くのを嫌がられたかなとか、それよりも僕がキリスト教徒の家系なのが伝わったのかなと思って僕は黙って彼を見ていた。
マスターは彼を紹介してくれた。
「この半田くんはねぇ、ダンピールの血が特に濃い優秀なハンターなんだよ。おまけに気前も面倒見も良い。今日の退治は彼に着いていけば問題ない」
何せ俺が直々にスカウトして育てたんだ、とマスターは誇らしげに言う。
彼は感じのよい笑顔で手を差し出してきた。
「太刀使いの半田桃だ。どうぞよろしく。名前は?」
つまり彼は牙の立派なダンピールで、酒場風のギルドマスターに教育され、帯刀しな神父と言う人物だ。僕は面食らった。なんて複雑な立場の人だと戸惑いながら握手の手を握り返す。
「…僕はサギョウです、アメリカから来ました。得意なのは射撃です。よろしくお願いします」
「ここはいつもハンター不足の町だ。君と変わらない年で俺よりももっと強い退治人がいる位だ。遠くから来てくれた君を俺たちは歓迎するぞ」
「ご期待に添えるよう頑張ります」
握手を解いた彼は首を傾げながら僕に言った。
「しかしその姿は…退治人に掟破りの真っ白な服だが良いのか?」
彼が怪訝な顔をした理由が分かる。そして僕のことを単なる白い服だとしか思わなかった彼に、彼を神父職だと決めつけるのは早いなと思った。
「故郷の母が僕に勤めを果たせるように仕立ててくれた服なので」
彼は目を細めて微笑み頷いた。
「そうか。サギョウには良いお母さんがいるんだな」
僕はダンピールに会うのはこれが初めてだった。彼にはみたことのない大きな牙があったけれど、とても綺麗な顔をしていた。
※※※
それから何度か退治に連れていって貰うことで、僕は吸血鬼退治の勘を取り戻していった。そしてやはり半田センパイは、本物の神父ではないことも分かった。新横浜は大草原の中の小さな田舎町とは違い、一晩中賑やかでとても自由奔放な町だったのだ。
僕は次第に近接戦闘員のサポーターの狙撃手として援助に入ることが増えた。仕事に慣れた僕はまたひとり行動に戻った。
借りたアパートで午後に目を覚ます。
窓を開けて太陽の位置を確かめる。
街の風に耳をすませ、行き交う人々の音を聞き、退治に出掛ける。
たくさんの窓に灯る明かりを背にひとり、灰色のコンクリートの間に身を隠し、息を潜めて、まるで草むらのコヨーテのように獲物が油断するのをじっと待つ。
僕の使命を指し示す白い服が僕を守ってくれる限り、僕はいつも落ち着いて、日々の務めを果たせた。
この街は毎晩のように、退治の依頼がやってきて忙しかった。
強大な吸血鬼は姿を現さなかったけれど、僕は彼がいつかやってくるのを疑わなかった。
けれど僕がハンターとして自立しても半田センパイはいつまでも僕のことを気にかけてくれる。
ギルドで会うだけでなく、僕のアパートに寄っては日本のことを教えてくれて、暮らしに不便はないかと言いながら、ご飯を差し入れてくれる。
彼は僕によく言った。
「お前は隠れん坊が上手だからな」
一度見失うといつも見つけ出すのが大変だ、と笑う。
十字架を下げた姿で故郷の父と同じことを言う彼。僕はまず彼の役に立ちたいと思うようになり、彼の呼び出しを優先することが増えた。
僕たちは連れだって歩き、依頼を一緒にこなすようになり、たまに話をするようになった。
自分達が何故ハンターを目指したのかと言う話になり、気になっていたことを尋ねる。
「僕は強大な高等吸血鬼にこの街が狙われていると母さんに教わってきたんです。確かにこの街には僕の故郷の高等吸血鬼が住んでいた洞窟と同じ風が吹いてます。けれど、彼はスティープヒルの獣以上に現れない。本当にここに来るんでしょうか?」
「サギョウはロナルドを知っていたのか。その話は本当だぞ」
彼は目を鋭くした。
「彼は高等吸血鬼の頭目をしていてたくさんの吸血鬼の仲間がいる。そして彼自身は不老不死の肉体を持っている。昔から彼は俺が倒すと決めている」
「……そうですか」
強大な吸血鬼は本当に存在したようだ。
そして立ち向かおうとする半田センパイの眼差しは聖職者ではないのに、やっぱり父に似ていた。
僕は少しだけ気持ちが高揚した。
ずっと戦い続け、真っ暗い洞窟に一人で飛び込んで帰ってきたあの日の誇らしい気持ちが甦ってくる。
それは多分、父が毎日かかさず、教会に行くために準備をし日曜日に勤めを終えて帰ってきたのと同じことなのだ。
※※※
ある日、僕は退治中、別の下等吸血鬼の群れに襲われてしまった。
銃撃で応酬しながらビルを下へ下へと撤退していると、半田先輩が駆けつけて来て、剣であっという間に殲滅してくれた。
彼は僕の外れてしまった帽子を手に取ると僕の頭をしげしげ見つめる。
「隠れん坊が好きなのかと思っていたが、なんだ。とても綺麗な見つけやすい頭をしてるじゃないか」と笑って僕の頭を撫でた。
僕は赤くなった。
僕の帽子は髪の毛を隠す作りになっていたしそれで良かった。
隠していた秘密を知られたような気持ちになった。
帽子を返してくださいと頼んだけれど、彼はなかなか返してくれない。
そしてその日から何故か、白い服を着ていた筈の僕なのに、「セロリ」と呼ばれる事になった。
けれど愛する故郷の風景に溶け込んで見えなくなってしまうと言われたこの頭を初めて、見つけやすいと笑ってくれた彼に、悪い気はしなかった。
そして僕は、彼の行く先だけにずっと着いていくと決めた。