かの「水の娘」の公演を皮切りに、フリーナの「人生」はスポットライトを浴びるようになった。監督として舞台を作り上げたり、自分で演じたりすることがこんなにも楽しく充実するものになるとは、過去の自分では考えられなかった。最初は誰にも、どこにも必要とされていないとさえ思っていた自分も、案外捨てたものではない。順調──その言葉がふさわしいような日々である。
ただ一つの黒点を除いては。
ヌヴィレットは相変わらずフリーナが出演する劇となればスケジュールを空けて足を運んでいるようだった。客席で彼を見かけない日はないほど──いや、実際見かけない日はない。
昔のフリーナならば、水龍と良好な関係が築けている証拠だろう、と特に気にも留めなかったし─彼が来ること、それが当然とさえ思っていた。かつてはこの身こそが、フォンテーヌで最も尊きものだったのだから。
だが今はどうだろう。水神の座を降り、市井の人となった自分と彼では、もう住む世界が違うというのに。なぜまだ彼は、歌劇場の最前列にその仏頂面をとどめているのだろう。
考えごとは、歌劇には不要。
演者は与えられた役を全うするだけ。
(──だけど、)
観客の来訪を期待するのは、おかしいことではないだろう。
幕が上がり、袖からひとたび飛び出せば熱い光と視線を一身に浴びる。この高揚感はずっと変わらない。特に意識したわけではないが、中央へと視線が移り──空白を見つけた。
(──あ)
今日は、いないのか。
胸が、少し空いた気がする。いつも仏頂面がいるはずのその席は、無情にもその主を待ち続けている。動揺は、しない。したとしても、見せてはいけない。フリーナは役者で──素人ではないからだ。舞台に上がった役者は、何があろうとフィナーレの幕が下りきるまで演じ続けなければならない。役者としてあるべき「すがた」は今も昔も変わらない。