悪夢私は人の営みを見守る立場にいる。
生きることによって人間が得るものは、ひとつだけではない。
人生で得られるものは一人一人違う。
朝から晩まで仕事漬けでいる人生。
子育てに明け暮れる人生。
貧困に喘ぎながらも愛ある人生。
他人から見て理解できないものもあるのだ。
自分の価値観を、押し売りしてはならない。
ならば私自身はどうなのだろう。
私の得たもの、あるいは得たいものは?答えは出たためしがない。
だからこうして目を閉じてずっと考えている。
「クレオ、さん」
名前を呼ばれ、目を開けた。
若者然としたアクセサリーの似合う青年が立っている。
愕然とした顔で私を凝視している。
そして次に私の足下に転がった『モノ』達を見る。
「よく吐き気を催さないものだな」
少々ズレた発言をしただろうか。別に反省はしないが。
「やはり慣れているのかね?こういったものを見るのは」
「それ、まさか」
それとは、どれを指しているのか。
肉片がこびりついた鮮やかな髪束?
蛇のような金色の眼球?
血濡れの可憐な服?
幼い顔立ちの生首?
「なんで」
「理由かね?仕事だからだよ」
私の仕事は人の営みを見守り、時として潰すこと。
最近ではこの少年とその仲間たちを見ていた。
そしてつい今しがた、見守り『終わった』
それを目の前の少年に、懇切丁寧に説明してやった。
「なんで」
また何で、ときた。
私は年甲斐もなく首を傾げた。
「どこが不明点なのか図りかねるが」
「僕達の何を見たんですか。 別に普通だったでしょ」
「ああ、そうだな。 普通に幸せそうだった」
床に転がったモノたちに視線を落とした。
鮮やかな髪の持ち主は、妹に憎まれていた。
一度は裏切られ、殺されかけた。
だがそれでも妹を愛し続け、守ることをやめなかった。
思い出に残る妹の笑顔を守っていた。
眼球の持ち主は、他人の心を読めた。
それは必ずしもいいことばかりではなく、彼は常に孤独だった。
だが理解者と出会えた。
泣かしもしたが、それは間違いなく愛だった。
可憐な服を纏った女は、恋人を裏切った。
そしてそれを長年秘匿し続け、怯えていた。
恋に恋した馬鹿な女だが、関係を解消されるだけで許された。それほど元 恋人が愛情深かったのだ。
生首。彼女は実に不幸な生い立ちながら、決して死を選ばなかった。
亡き友人のためである。
友人への感情が何なのかも分からないながら、友人を想うだけの人生をよしとした。
「お前達は私にはない幸福を持っていた。見ていて実に楽しかったよ」
「クレオさんは、あんたは、嘘つきだ」
「私は嘘つきではないよ。 何も嘘ではない」
飽くまで諭すように私は言葉をかける。
「嘘だ」
「何が?」
「全部」
「……君は混乱すると要領を得ないな。発言するならもう少し言語に情報を増やしてくれ」
「だって」
彼が駄々をこねるように叫んだ。
悲しみからか怒りかは不明だが、声が震えていた。
「何が幸せそうだった、だ!僕があんたを幸せにしてやるって、言ったのに!何でその前に僕の全てを壊した!」
「私の幸せが君にわかるのか?私がいつ私の幸せを語って聞かせた?」
「じゃああんたの幸せって何だよ!言ってみろ!」
私の幸せはなにか?そんなもの、決まっているじゃないか。
わからない。
わからないよ、 幸せなんて。 子供の時からずっとそうだ。
他人の幸福を眺め続けていたが、まるでわからない。
だからどこかで聞いたことのある理論に逃げた。
幸福は人それぞれ違うのだと。 そうすることで自分を誤魔化した。
そうしたら余計わからなくなった。
「君にはわからないこと」
端的にそう答えた。
さぁ、仕事を再開しよう。
得物を握る力を込め、彼の懐に飛び込む。
少年は逃げることも躱すこともしない。
仲間を鏖殺されて気力が萎えたか。そう不思議ではないと判断し、彼の胸を貫いた。
感じるたしかな手応え。
ごぼ、と汚い音を立てて、鮮血を吐き出す。
「くれ、 お……さ……」
「すまないな少年」
彼はじきに事切れるだろう。
曲がりにも好意を向けられていた人間として、見守ることくらいはしてやろうか。
……と。
「……ッ!」
柄にもなく驚いた。
少年が、自らの胸に深く刺さった刃を握りしめたのだ。
引き抜くべく力を込める。しかしよほど強く握っているのか、刀が引き抜けない。
それどころか彼は刃を握る手を引き寄せる。
胸に刺さった刀を、より深く体内に飲み込ませる。
曲芸を見ているように、目が釘付けになった。
「おい、何を」
「がはっ……ぐ、」
「何をしてる。離しなさい。 苦しいだろう」
少年は無視する。 実は本当に聞こえてないのかもしれないが。
やがて刀は柄まで埋まってしまった。
私の灰色のコートが赤黒く染まっていく。
「クレ……さ、ん」
蚊の鳴くような声で名を呼ばれた。
はっとして、彼の顔を見る。
深い海のようなその目は、まっすぐ私を見つめていた。
[……あ」
彼の腕が背中に回された。
緩慢な動作で、そのまま包み込んでくる。
温かい。
辛うじてながら生きている人間は、こうも温かなものなのか。
いや、温かいのは抱擁されているからだけではない。
胸の奥にも温もりを感じる。
少し話は変わるが、私には奇妙な友人が居る。
生者か死者かもわからない友人だ。
その友人に、こんな言葉をかけられたことがある。
『アンタはこれから、世界の全てを見るでしょう。 世界っていうのは綺麗な所だけじゃない。 汚い部分の方が遥かに多いの。でもね、それでも。世界には光があるはずなの。だから、その光が見えたなら、絶対に見失わないようにしなさい』
『そこにきっと、アンタの幸せがあるから』
幸せが何かはわからない。だがそれを教えてくれる人はいた。
キース少年がくれたもの。
質量がないながら温かみのある感情。愛情の延長線上にあるもの。
ついぞ私の胸を満たしてくれはしなかったが、あの時。
そして今も感じているものは。これはもしかしたら。
謎が解けそうだったが、足下にもうひとつ屍が転がったので諦めてしまうことにした。