カタストロフィの終焉「お前は怖くねぇの」
「なにが?」
「……死ぬのが」
唐突だなと思った。だって俺たちはまだ二十代だし、そりゃ事件とか事故で死ぬ可能性はあるけど、病気とかのこともまだ考えないような年齢だろ。
なのに三途くんは、まるで後ろに死神でも立っているように怯えるのだ。
「タナトフォビアってやつだな」
俺の働くレンタルビデオショップに遊びに来た山岸が、得意気にそう口にした。随分と難しそうな横文字だ。
「タナ……フォ……?」
「タナトフォビアな」
「なにそれ」
「俺も詳しく知ってるわけじゃねぇけど、なーんか死ぬのを異常に怖がる人のコトらしい。寝る前に、このまま死んだらどうしようとか考えて眠れなくなるみたいな」
……あー。
適当に返事をしながら、まさにそれだと思った。
三途くんは夜になるとたまに脆くなる。スキンシップはそんなにとらない方なのに、縋るみたいに抱きしめてくることもあった。
「まぁでもさ、三途くんの場合はなんか分かるわ」
「え、分かる?」
「だってよー、あの人、武道のことすげぇ好きじゃん。今が幸せすぎるんだろ」
幸せだから死ぬのが怖い。
何となく分かるけど、俺たちは二十代で、死ぬだとかそういうのを考えるのにはやっぱりまだ早すぎると思う。俺なんてこれから七十年は生きるつもりでいるのに。
「……二十六歳になったらオマエは死ぬんだ」
「え、なにそれ。こえーんだけど」
ベッドの上、隣に寝転ぶ三途くんは顔を腕で覆って、預言者じみたことを呟いた。あのタナト何ちゃらとかいうやつが出てきたんだろうか。
「飛び降りたマイキーを助けようとして、廃ビルから一緒に落ちるんだよ」
「また随分リアルだなぁ」
マンションの屋上とかじゃないのがいやに現実的だ。廃ビルなんて探せばいくらでもあるし、窓が破られているような場所もそれなりにある。そういうところはきっと管理も甘いだろうから、普通のビルやマンションよりもずっと入りやすいだろうな。
「それで、俺ら助かんねーの?」
「……ぐしゃぐしゃ」
「うわぁ」
どうせなら二人して助かるハッピーエンドにしてくれたらいいのに。死んじゃった俺らも最悪だし、見た人だってトラウマだろ。血だけじゃなくてなんか色々飛び散りそうじゃん。
「三途くんは俺らが落ちるのを見てんの?」
こくり。頷きが返ってくる。
「えー、じゃあほら、おかしいじゃん。三途くんがただ黙って見てるわけないだろ」
いつだって俺にべったりな三途くんが、俺とマイキーくんをそんなおかしな場所で二人きりにするわけがない。
浮気か!?なんて馬鹿げたことを言いながら、鬼の形相で追いかけてくるに決まってる。それで俺もマイキーくんも顔を見合わせて、まーた変なこと言ってるよって呆れたように笑うんだ。
「……見てるだけだった」
少しだけ、三途くんの声が震えたようだった。
何だかなぁ。何にそんなに怯えているんだろう。
……そんなのはただの悪い夢だ。一生起こることなんてない夢。
手を伸ばしてピンク色の髪に指を通すと、腕の下から三途くんがこっちを見た。いつ見たって彫刻みたいに綺麗な顔だ。実は天界の住人だったりしないだろうかなんて、出会って以来ずっと考えてる。
オマエのことを看取りにきた天使ですって言われても、やっぱりなぁって納得する。だから看取られるならこの人に看取ってほしい。間違っても他の誰かと心中まがいのことをしようだなんて思わない。
「……今度さ、」
三途くんの長いまつ毛が小さく震えている。
「ん?」
「今度死ぬときは俺も連れてけよ」
小さく呟かれた言葉は随分と重々しかった。
俺はてっきり、三途くんは自分が死ぬことを怖がっているんだとばかり思っていた。だけど、違ったんだ。この人は、俺が死ぬことを何よりも恐れているんだ。
別れる心配はこれっぽっちもしてないくせに、変なの。
「三途くん」
「……ンだよ」
相変わらず声は小さい。普段他人を威嚇したり煽ったりする時の声は馬鹿デカいのに。
「俺、三途くんには長生きしてほしいよ」
途端に、目の前の顔が歪んだ。綺麗な顔をくしゃっと歪めて、捨てられたって顔してこっちを見てくる。
「あ、え、待って待って、なんか誤解してる気がする」
もし仮に、マイキーくんが廃ビルから飛び降りるようなことがあったとして、そこに俺が居合わせたんなら、まぁ、俺はマイキーくんの手を掴むと思う。三途くんとのこれからのこととか全部頭から吹っ飛んで、咄嗟に助けようとすると思う。だって大事な友達だし。
でも俺って、頭と体が別々の人間なんじゃないかってくらいバラバラに動くんだよ。だから、マイキーくんと一緒に死ぬ覚悟があるかって聞かれたら全くない。死にたくねぇもん、やっぱ。ただ、勝手に体は動くんだろうなってだけ。
「一人で生きてって意味じゃなくてさ、そういうことがもしあったら、今度は助けに来てってこと」
俺の言葉に三途くんは目を瞬かせて、それから「あー……」って呟きながら安心したみたいに笑った。
「そう、だよな……」
「そうだろ」
力のない俺が一人でマイキーくんを引き上げるのはきっと難しいけど、二人ならきっと救えるから。
「二十六歳になっても、百歳になっても、俺は三途くんと一緒にいるよ」
俺は昔から泣き虫で、三途くんはそんな俺を見ていつも呆れたように笑いながら慰めてくれていたけど、今日ばかりは立場が逆だ。
ベッドから体を起こして、子供みたいに泣いてる三途くんの上にのっかってギュッて抱きついた。
「おっも、」
「そりゃ同じ体重ですから」
でもほら、こうしたら安心するじゃんって顔を上げて笑うと、つられて三途くんも笑う。
やっぱ俺らはさ、こうやってバカみたいにお互いのことを想いあって、くだらないことで笑ってた方が似合うよ。泣くのは俺の役割じゃん。
「二十六歳になる前に結婚しようよ。海外でもどこでも行って」
「は……?」
俺の言葉に、三途くんは豆鉄砲を食らったハトみたいな顔をした。目をまん丸くさせて、長いまつ毛をぱちぱち上下させてる。
多分こんな顔は、俺がこの人に告白した時以来じゃないかと思う。十年ぶりくらい?
なら、その後の反応もあの時と同じかなって思ってたら、やっぱり三途くんは顔を真っ赤にさせて、金魚みたいに口までぱくぱくさせた。
「なっ、結婚て、」
「神の前で永遠の愛を誓ったら、流石に俺だってすぐ死んだりしないだろ」
だからさ、ね?
なんて言うけど、まぁ本当のところは俺がこの人とずっと一緒にいるために何かしらの形が欲しかったからだ。愛っていう見えないものだけじゃなくて、紙面上でも形式的なものでも、見えているものでの繋がりがほしかった。
俺みたいな平凡な男、この世に何億人もいるけど、三途くんみたいに綺麗な人は本当に一握りだ。三途くんの愛の重さは周りからお墨付きをもらってるし浮気とかはないと思うけど、それでもやっぱり多少の不安はついて回る。長年付き合っていると似てくるのか、それとも元々の気質なのか、やっぱり俺も三途くんに対する愛が重いんだと思う。
三途くんは一度大きく息を吐き出すと、「なんでオマエはいつも先出しなんだよ」なんて少しばかり拗ねた声で言った。
「えぇー、だって三途くんが遅いから」
「そう簡単に踏み切れねぇだろ。オマエの人生がかかってるわけだし」
まーた俺のことばっかだ。俺の人生なんて三途くんが中心なのに。
「じゃあ結婚はナシですか」
「ナシなんて言ってねぇだろ!」
三途くんは体の上から俺を下ろしてベッドの上に正座をすると、こほんと小さく咳をした。
「……俺と、結婚してください」
真っ赤な顔に、目元なんかもっと赤くして、だけど表情だけはキリッとさせてそう言った。
あー可愛いなぁ……。
嬉しいとか、好きとか、格好いいとかそういう気持ちもあるけど、相手に対する愛情が極まると可愛いって感情が溢れ出てくるようだ。心臓の奥がぎゅうって縮こまって、思わず叫びたくなる愛しさ。
そんなこと言えばブチギレられるだろうから、「喜んで」の言葉だけで留めておいた。
「指輪、見に行くぞ」
休日の朝、遅めの朝食を食べていたら三途くんが唐突にそんなことを口にした。
いや、まぁ、今日の予定はどうしようって話していたから唐突でもないのかもしれないけど。
「……なんつーか、三途くんって決めたら早いよね」
「だってオマエが二十六になるまで一年くらいしかねぇだろ」
そりゃそうだけどさ。
張り切っている恋人に、思わず笑いがこぼれた。二日前はあんなに泣いてたのに。
――七月二十一日。
三途くんが結婚しようって言ってくれた日。調べたら、その日は〝神前結婚記念日〟らしい。まぁ何かよく分からないけど、プロポーズをされる日にはピッタリだと思う。
だって、すげぇリベンジじゃん。
前世で人生狂わされてた俺らが、その元凶であるクソッタレな神の前で永遠の愛を誓うなんて。
「俺、三途くんのことぜってぇ幸せにするから」
「……こっちのセリフだバーカ」
三途くんは歯に噛んだように笑った。
この人の笑顔が永遠に続きますように。
悲しいことも辛いことも、二度と思い出さないように。手を振る代わりに中指立てて、今度こそ前世にさよならしてやるんだ。