嫌よ嫌よも好きのうち🐉🐯「虎於くんのことが好きだ。俺と付き合って下さい」
初めて告白した時の、虎於くんの絶望したような表情が今でも忘れられない。彼は俺の言葉を時間をかけて飲み込んで、それから消え入りそうな声で答えた。
「嫌だ」
あまりにも明確な拒絶の言葉にショックを受けたけれど、そう簡単に諦められるほど俺の想いは軽くない。
「どうして?俺のこと嫌い?」
「そうじゃない。そうじゃないけど」
「じゃあどうして?他に好きな人がいるの?」
「…………いない」
いないんだ。
どさくさに紛れて欲しかった情報を得られて浮き足立っていると、虎於くんは困った顔で「ぅ」と呻いてから言葉を続ける。
「お、俺は、あんたの隣にいることを許されてない」
言葉の意味が分からないはずがない。言いたいことも、考えていることも分かる。
だけど、受け入れるつもりはなかった。だってそれは間違いだから。
「隣にいていいかどうかは俺が決める。虎於くんは俺と一緒にいるのが一番いいんだよ」
「……嫌だ、無理だ」
「無理じゃない。それに、きっと本当は嫌じゃない、よね?」
虎於くんがグッと黙って俯く。顔を見れば分かる。嫌われているわけじゃない。
「…………嫌だ、どうしても」
「なんで?」
「俺が俺のことを許せない」
「俺のこと好き?」
「…………………………………いや、だ」
言いたくない。
泣きそうな顔でそんなふうに言われたら、それはもう、肯定と同じだ。
手を伸ばす。頬に触れると、虎於くんはバッと後退りをした。
それをさらに追いかけてもう一度触れる。虎於くんは何か言いたそうに口を開いて、それから何も言わずに黙って目を伏せた。
「虎於くん」
「…………」
「本当に嫌?」
多分虎於くんも分かってる。俺に全部伝わってしまっていることを。
それでも頑なに頷かない意志の強さは尊敬するし、俺のことをしっかりと考えてくれているのだと分かって嬉しかった。
ただ、それとこれとは別だ。
俺は今、告白が成功するかどうかの分岐点に立っている。簡単に折れるわけにはいかない。ましてや本心は分かっているんだ。優しく甘やかしている場合ではない。
「好きだよ。君の本当の言葉を受け取るまで諦めない」
虎於くんの瞳が潤んで煌めく。綺麗だと思った。この美しいものが俺にだけ向けられているのだと思うと、堪らない気持ちになった。
「…………俺、は」
「うん」
「…………俺は」
「俺のこと、好き?」
大丈夫。俺の言葉に乗っかるだけでいいよ。他には何も必要ない。この手を取ってくれるだけでいい。
「…………好きだ」
観念したように項垂れて、頬を赤くして、聞こえないくらい小さな声で、虎於くんは答えてくれた。
その後も、事あるごとに「嫌だ」と顔を真っ赤にして言われ続ける日々が続いた。付き合っているのに、手を繋ぐのも抱き締めるのもキスをするのも、全て一度「嫌だ」を経由している。
さすがに本心じゃないことは分かり切っているので傷付いたりはしないけれど、やはり恋人としては快く受け入れて欲しいと思ってしまう。
そして今日。仕事終わりに一緒にご飯を食べようと誘い、「いいぜ」と返事をもらった俺は、また一歩前進するためにあることを計画していた。何を隠そう、「この後うちに来ない?」と誘うつもりでいるんだ。
天と楽は一晩家を空ける。「虎於くんを呼ぶかも」とボンヤリと伝えて了承も得ている。
あとは本人が頷いてくれれば、ほんの少しでもまた彼に近付けるような気がしている。
本人が頷いてくれさえすれば……。
「い、……………嫌だ………………」
案の定虎於くんは顔を赤くして俯き、たっぷり時間をかけた後にその一言を吐いた。
うーん、まあ、そうだよな。
「虎於くん、嫌じゃないでしょ」
「嫌だ」
「顔に“嫌じゃない”って書いてあるよ」
「か、書いてない!嫌なものは嫌だ!」
「どうして?」
理由を問うと困った顔で押し黙る。視線をウロウロと不安げに揺らしながら、それでも結局ロクな言い訳は思いつけなかったようだ。
「…………………だ、ダメな気がする、から」
「ダメなの?」
「…………………」
全然ダメじゃない、と、顔に書いてある。
ここまで来ると、もしかしてわざとか?と少しだけ思ってしまう。もちろんわざとじゃないことは分かってる。心の底から困った様子の虎於くんに、庇護欲に似た何かが湧いてきて慌ててかき消した。
「虎於くん、ご飯食べ終わった後も俺と一緒にいたいって思わない?」
「…………思う」
思うんだ。
「俺も思ってるよ。それなら何も問題ないだろう?」
「でも、い、嫌だ」
「嫌なの?」
「……………」
俺が問うと答えを失う。俺からの問いかけに対して嘘をつきたくないのかもしれない。よく分からない線引きだ。正直に言うと、必死で空回っていてとても可愛い。
微笑んでしまいそうになるのをグッと堪える。虎於くんは真剣なんだ。いや、俺も真剣だけど。
「虎於くんが嫌がることは絶対にしない。約束する。それならいい?」
「……嫌だ」
「何が嫌?俺と一緒にいること自体が嫌?」
「………………龍之介………」
名前を呼ばれ、視界がスッと澄み渡る感覚がする。虎於くんが俺の名前を呼んでくれた。縋るような目で、真っ直ぐにこちらを見つめて。
俺も真っ直ぐに見つめ返して続きを促す。
「………俺、どうしたらいいんだ」
「え」
「どうしたらいいか分からない……!」
堪えていた何かが爆発したかのように、虎於くんはバッと頭を抱えて俯いた。思いのほかその勢いが良く、俺は思わず怯んで返事をし損ねてしまう。
「お、俺、いつもいつも、頭ごちゃごちゃになって」
「虎於くん、大丈夫だよ、落ち着いて」
「い、嫌なわけないだろ!全部!それなのに龍之介がいちいち聞いてくるから俺、ど、どう返事したらいいか分からなくて」
「お、俺のせい……?」
「そうだ!」
そうなの!?
無理強いしたくなくて、ちゃんと言葉を受け取りたくて、流れに任せるのではなく一つ一つ確認しながら進んできた。それが虎於くんにとっては少なからず苦痛だったらしい。
「時々、龍之介、俺の言葉無視して押し切ってくることあるだろ」
「え、ああ、そうだね、うん、ごめん」
「謝るな。何も悪くない。あんたにされて嫌なことなんか一つもないんだ」
必死に伝えてくれる虎於くんの表情は真剣で、だけど内容があまりにも衝撃的で、俺はとてもじゃないが冷静に受け止められない。
絶対に茶化しちゃいけない。受け取り方を間違えてもダメだ。それでも、どう見積もっても俺に都合の良い解釈にしかならない。
「えっと、つまり」
できる限り言葉を選ぶ。しかしその途中で虎於くんの潤んだ瞳に見惚れて、選んだ言葉を精査し終える前に口から出てしまった。
「つまり、虎於くんの『嫌だ』は『良いよ』ってこと……?」
その瞬間、虎於くんは耳まで真っ赤になって、口をパクパクさせながら身を乗り出した。
「ち、ち、違っ、そ、そうじゃな、」
「違う?」
「……ち、がわ、な」
今度は身を引いて肩を丸めて俯いてしまう。
この後「じゃあね」と素直に帰すなんて、もう絶対に出来ないなと心から思う。
「虎於くん、キスしてもいい?」
「え!?い、嫌だ!」
「そっか、ありがとう」
「違う!ちょっ、い、『いいよ』じゃない!こっち来るな!ばか!」
「あ、ばかって言った。悪口はダメだよ」
「う、わ、悪かった……」
個室を予約しておいてよかった。
申し訳なさそうに頭を下げる虎於くんの目を盗んで彼の隣の席へ移動し、顔を上げたタイミングで唇を奪う。
驚いた虎於くんはパッと離れて「おい!」と咎めるが、全く嫌がっていないのがヒシヒシと伝わってきて可愛いことこの上ない。
なるほど、「嫌だ」は「いいよ」なんだな。
うんうんと頷いていると虎於くんは俺の両頬をガシッと両手で挟み、悔しそうに眉間に皺を寄せた。
「上手く言えないんだよ!恥ずかしくて!だから、その、き、嫌いなわけじゃないし、拒絶したいわけでもないから、わ、分かってくれ…!」
考えてみればこれまで、俺の我儘で何もかも全部言わせようとしていたな、と少しだけ反省した。
虎於くんがここまで言ってくれるんだから、普段の強がりは少しばかり許してあげても良いのかもしれない。
「虎於くん、この後は俺の家で飲み直そうね」
「…………う、」
「観たい映画ある?何か必要なものがあったら買って帰ろう」
「…………い、」
嫌だ。
口がそう動くが、声は出ていない。知らないふりをしたって許されるだろうし、気付いたとしてももう何も心配いらない。
「虎於くん、俺のこと好き?」
「………ああ」
表情と言葉が、久しぶりに一致した。
「好きだ、龍之介」
“守りたい”と“困らせたい”が共存するこの想いは、愛と呼んで良いんだろうか。
ただ、少なくとも今日は、しっかり甘やかしてあげたい。そう思った。