【シュレディンガーの恋】〇
聖騎士たちの手当てを終え、疲れはてた様子のネフテロスを仮眠室まで送り届けたシャスティルは、一人執務室へと舞い戻る。
扉を開けば、無人の室内は墨を流したような闇に沈んでいた。
深夜。
灯した明かりに白々と浮かび上がる床には、一面の血痕も、ソファの残骸も既にない。
すべて元どおり。
襲撃の名残りを感じさせないその様子に、先刻の出来事は、悪い夢だったのではないかと、一瞬馬鹿な錯覚が湧くが、そんな筈もない。
馴染んだ部屋は、今はどこかしらシャスティルによそよそしかった。
理由はわかっている。
まだヒヤリと腹の底にわだかまる、冷えた鉛のような感情の正体は恐怖だ。
侵入者は跡形もなく姿を消し、その後の足取りはつかめていない。
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