【近すぎて見えないのも大概にしてほしい】●
「もう諦めな、お前じゃ俺には敵わねぇって事ぐらい、わかんだろうが」
「そ、そんなのはやってみないとわからないだろうっ」
「まぁ、そう思ってられるのも今のうちってな。どう見てもこれがジョーカーだろ」
バルバロスはそう言って、鼻で笑い、シャスティルが手にした三枚の札の中の一枚をピンと指ではじいて、その隣の札を引き抜いた。
「ほらこれで上がり、一個もらいな」
「ななな、なんでわかったんだ!?」
「なんでも何もねぇわ」
揃ったカードをテーブルの上に投げ出した男の指がそのまま皿の上の不格好なマカロンをつまみ、宙に放り投げる。
パクリとそれを口で受け止めて、もごもごと頬を膨らませマカロンを咀嚼する男に、ザガンの目の前に座った赤毛の少女は未だ何も口にできていないその頬をプクリと膨らませた。
「ず、ずるいぞ、あなたばっかり」
「んな事言ってもよ、そーゆールールなんだから仕方ねぇだろ、なぁザガン」
「まぁそうだな」
――いったい俺は、何を見せられているんだ
早朝から多忙を極めるザガンにとって、ネフィと共に過ごす十時のティータイムは、午前の仕事の合間、安らぎのひとときである。
そこに今日はたまたま非番であり遊びに来ていたシャスティルが同席し、テーブルの上にのせられた茶菓子の半分がシャスティル作であったが為に、バルバロスが召喚された。
そもそもキッチンへの立ち入りを全面的に禁じられている筈のポンコツ騎士がなぜ、ザガン城においてキッチンに立ち入る事を許されたのか。
『申し訳ありませんザガン様……』と青ざめた顔をしていたネフィは、まさか既に作り終えているマカロンのガワにクリームを詰めるだけの作業など失敗しようがないと思っていたらしい。
少しでも友人を調理に立ち会わせてやりたいと思った心優しいエルフの少女にはなんの罪もない。
罪深いのはただそれだけの単純作業で、せっかくネフィが作った菓子を未確認非食物体に変質させてしまうシャスティルのその調理の腕前である。
もはや呪われているのではないかとすら思えるが、そういうわけではないのがこの娘の恐ろしさだ。
皿の上に並んだマカロンは、見ただけでネフィ作のものとシャスティル作のものの見分けがつく。
片方は、都会の洋菓子店で綺麗なショーケースに並べられているものにも勝る美しい出来栄えだが、片方はほぼ泥団子である。
とはいえ途中まではネフィが手をかけたその食物を無駄にする事などザガンにできるわけもなく、勝手に床からはい出してきた悪友がテーブルにつく事を魔王は黙認した。
いや、そもそも拒もうがどうしようが、この男はつきたければ席につく。
帰れと言って帰るような男なら、十年前に絶縁できているのである。
かくしてティータイムの話題に
『聖騎士たちの間で暇つぶしのポーカーが流行っているが、まぜてもらった時に全然勝てなかった』という話をシャスティルがはじめ。
『あんだけ顔に出てりゃ勝てるわけがない』とバルバロスがそれを馬鹿にした事から、優雅なティータイムは、マカロンを賭けたババ抜きの会場と化した。
なぜポーカーではなくババ抜きなのかといえば、カードゲームに縁などなく育ってきた魔王夫妻にとって一番理解しやすい初歩のゲームだったからにすぎない。
しかも手早く決着がつくようにとカードを10組にまで減らした簡易的なものである。
バルバロスがそんな初歩のゲームへの参加を渋り、金銭を賭ける事をシャスティルが嫌った結果、一番に勝ち抜けたものがマカロンを口にできるという、謎の特殊ルールが生まれたが、するとどうだろう。
――なにもそんなにムキにならなくても……
魔王が呆れるほどに、件の悪友はひどく真面目に勝利を取りに来た。
今すぐにでも賭場で働けそうなほど器用にカードをさばき、全員に配布する役割をおわされたバルバロスは、今のところ負け知らずだ。
普段は甘いものに等さして興味も示さないくせに、どうやらシャスティル作の泥団子を他者に食べさせる気がないらしい。
心配しなくても誰も食わないとは思ったが、ザガンとてネフィ作のマカロンをこの悪友にくれてやるつもりはない。
「貴様、イカサマを働いてるんじゃないだろうな?」
「なんで息をするように濡れ衣きせてくんの!?」
白々しく嘆いてみせるこの男は、しかし目的の為なら手段を選ばない手合いである。
「お前ならそれぐらい息をするように簡単にやってのけるだろう」
それをよく知っているからこそ、ザガンは友に猜疑の視線を向ける。しかし一瞬で涙目になってみせた悪友は、どうやら今は本当に不正な手段を使ってはいないらしい。
いや、使うまでもないのだろう。
「んな真似しなくても、誰が見てもわかんだろうが」
そう言って顎をしゃくるバルバロスの右側にはシャスティル。
その隣にネフィ、その隣にザガン、そしてバルバロスの順で丸いテーブルを囲んでいる。
自然、ザガンの手元からネフィがカードを引き、ネフィからシャスティルが、シャスティルからバルバロスが、バルバロスからザガンがカードを引く流れとなったが、このポンコツ騎士は、面白い程カードゲームに向いていない。
何しろ、手元にジョーカーが来ると泣きそうに顔をゆがめ、相手がジョーカーに手をかけるたび、パッっと顔色を明るくするのだ。
どうして聖騎士たちに勝てないかではない。
こんなに顔に出やすければ子供にすら勝てはしないだろう。
ましてや四六時中シャスティルを見ているバルバロスにわからない筈がない。
すぐに飽きはしたものの、一時期この悪友が興味本位で賭場に入り浸り、荒稼ぎして回っていた事をザガンは知っている。
さすがというべきか、カードの向こうにあるバルバロスの顔色は、ザガンにすら読めなかった。
ただただ、いつもどおりに血色が悪い。
「疑うならお前がカードきれば良くねぇ?」
「断る」
「なんでだよ!?」
バルバロスほど器用にカードを操れない以上、ネフィの前でモタモタした様子など見せたくはない。
「まぁいいや、じゃあポンコツ……はバラ撒くから無しだな、ザガンの嫁」
黙秘を貫くザガンに何かを察したのだろう、呆れたようにため息をついて、束ねたカードをシャスティルに差し出しかけたバルバロスは、その手の進行方向をネフィへと変える。
「バラ撒くってなんだ!! 私だってカードぐらい繰れるもん」
「ええと、それでは私が配らせてもらいますね」
途端に涙目になるシャスティルに苦笑しながら、しかしカードを渡す事はせず、ネフィは丁寧な手つきでカードを混ぜて配り始める。
ネフィが配ってくれたというだけで、幸運が廻ってくるようで、ザガンにはカードの一枚一枚が輝いて見えた。
先ほどのバルバロスが配ったイカサマめいたカードとは雲泥の差である。
ザガンが悦に浸っている間にも、ゲームは何週かしたらしく、またバルバロスがピンとシャスティルのカードをはじく。
「これがジョーカーな」
揶揄うだけ揶揄って、その隣のカードを引くバルバロスはどうみても悔しがるシャスティルの反応を愉しんでいるようだ。
見てわかるなら何も言わずにジョーカーを引いてやればよさそうなものだ、とザガンは思うのだが、あるいはシャスティルはそういった情けを好まないのか。
悔しそうにしてはいるが、気分を害している様子はない少女が、この容赦のない悪友と奇妙にかみ合っているのは、存外その辺の兼ね合いもあるのかもしれない。
揃ったエースをテーブルに放り出し、バルバロスは最後の泥団子を宙に放り投げる。
「もう飽きた。俺イチヌケ。これ以上疑われちゃかなわねぇからな」
顔色も変えずに毒物にも等しい菓子を平らげて、疲れたというように伸びをする悪友に、ザガンは鷹揚に頷いた。
「まぁシャスティルの泥……いや、マカロンもなくなったことだしな」
これ以上、初心者の集団で退屈なゲームを続ける理由が、奴には無いという事だろう。
ザガンとしても、危険物の処理さえ終われば、もはやこの悪党に用などない。
むしろネフィのマカロンに手を出さずに帰ってくれるというのなら、喜んで玄関まで送ってやってもいいレベルで帰ってほしい。
しかし、往生際の悪い男は、ザガンの言葉にムキになって反論してくる。
「はぁーーーーー? 菓子が無くなったとか関係ねぇけど!? だいたいどれがポンコツのとか分かるかよ」
「誰がどう見ても分かると思うが」
ザガンの冷静なつっこみに、バルバロスの執心を感じて赤くなるかと思われたシャスティルは、しかし二人の会話を聞いても尚、至って平然としていた。
むしろ『何を言っているんだ』とでも言いたげな顔である。
――まさかコイツ……本当に自分のつくったものとネフィの作ったものが遜色ないと思っているんじゃないだろうな。
もしもそうなら冒涜が過ぎる。
絶望のあまり闇堕ちしそうになったザガンが持ち直すことができたのは、ひとえに様子のおかしい魔王を気づかい、そっと手をにぎってくれた銀髪の天使のおかげであった。
目の前で、味覚の死に絶えた聖騎士と魔術師が、極めてどうでもいい言い争いをしているが、知った事ではない。
ザガンにとって自らの手を握るネフィの手の柔らかさ以外、すべて些事である。
「勝ち逃げする気か?バルバロス」
「情けをかけてやろうってんだよ、お前が一個もありつけねぇままじゃかわいそうだと思ってな」
「武士に情けは無用だっ、今度こそ正攻法であなたに勝ってみせる!!」
「いやお前、武士じゃなくて聖騎士だろ?」
「いつも野武士呼ばわりするのはあなただろう!?」
「つーか、お前そんなんじゃ何回やっても無駄だぞ。顔に出すぎなんだよ、ポーカーフェイスとかいう概念ねぇの?」
「ば、馬鹿にするな、私だってポーカーフェイスぐらいできる」
「出来てねぇから言ってんだろ、ザガンの嫁だって出来てんのによ」
「た、確かに本気になったネフィの表情は分かりづらいが、わ、私だってあなたの表情なら読めるぞ?」
「は? んなモンお前によめるワケねえだろ?」
どうでもいい。
心底どうでもいい痴話喧嘩には違いない。
しかし実のところ、ゲーム中のバルバロスの顔色など、十年来の付き合いであるザガンにも読めない。
そもそもこの男、シャスティルが絡んでいる時だけは面白い程分かりやすいが、それ以外では腹の底が見えないのだ。
何を考えているのかなど、出会ってこのかた分かった試しがない。
――まあ、なんとなく悪い事を考えているな、とかぐらいは分かるが……
悪い事を考えていない事のほうが珍しいのだから、そんなものは解るうちには入らないだろう。
「では、カードを引く順番を逆回りにしてみましょうか、今度は私のカードを引いてください、ザガン様」
不毛な争いを収めるべく、そう言って、ネフィが四人にカードを配布する。
バルバロスが「俺もうよくねぇ?」と眉をよせ、シャスティルに「もう一回だけ」とせがまれて、しぶしぶといった様子でカードを持ち直しているが、背後のいちゃつくカップルなどより見るべきものは目の前にある。
ほんのりと微笑んでカードを差し出すネフィが愛らしい。
その手から夢うつつで引いた札はジョーカーだったが、それがなんだというのだろう。
ネフィの手から引いたと思えば、たとえジョーカーでも悪友の手には渡したくはない。
そんな思いがにじみ出ていたせいだろうか。
丁寧にまぜて開きなおしたカードの中から、バルバロスは的確にジョーカーを引いていく。
「貴様……いい度胸だ」
「げぇっ!? えっ?お前ババ抜かれてなんでガチ切れしてんの?っていうか今なんで絶対このカード渡したくねぇみたいな顔してたの????」
「ほう……全てわかっていて俺の手からネフィのカードを奪ったという事か、貴様には一度じっくり身の程を分からせてやる必要があるようだな?」
「お前ルール忘れてないっ???」
「二人とも遊んでないで私にも引かせてくれ」
「いや、ザガンに言え、て、ほら」
まだ殺気をほとばしらせているザガンを警戒しつつ、バルバロスは手元のカードを器用にシャッフルし、シャスティルに向けて広げなおす。
ジョーカーは一番右端。
シャスティル自身は気付いていないようだが、この娘はいつも一番真ん中のカードを引く癖がある。
少し考えた時は一番右の端。他の三枚はまず引かない。
それはこの短時間でザガンもネフィも気付いた事だ、当然シャスティルが勝てないと嘆いていた聖騎士たちも気づくだろう。
――妥当な配置だな
背後からその様子を眺め、納得するザガンの目の前で、シャスティルの指は五枚のカードの上を漂い、あろうことか右から二番目のカードを引いた。
「はぁ!?」
「よしっ!!」
バルバロスが頓狂な声を上げ、同時にガッツポーズを取ったシャスティルが、手元の揃い札を二枚テーブルの上に投げ捨てる。
「なんっ!??? なんでお前???」
「言っただろ、私だってあなたの顔色なら読めると」
「なっ、そん、そんなわけっ」
赤いのか青いのかわからない顔色で絶句するバルバロスをよそに、シャスティルは、「勝負だネフィ!!」と、ネフィの前に繰ってもいない札を突き出し、案の定揃いの札を引かれている。
当然である、左のバルバロスに向けて札を広げている時、シャスティルの右にいるネフィからはその手元が丸見えになるのだ。
普通は見えないように気を付けて広げるか、ネフィに向き直る時に繰りなおすかするものだが、この少女は完全に今それを忘れていた。
というかしばしば忘れる。これではゲームになど勝てるわけもない。
――しかし、妙だな……
ポンコツが超進化を遂げたというわけではないのなら、先程のアタリは何だったのだろうか。
単にジョーカーを引かなかっただけならばマグレという事もあるだろうが、シャスティルはよりによって手元にある札と揃いになるものを引き当てた。
前述の理由から、バルバロスはシャスティルの手持ちのカードを把握していたはずだ。それなのにみすみす揃う札を引かれるような間の抜けた事をするだろうか。
あるいはお目当ての泥……マカロンが既に無くなったから、シャスティルに情けをかけてやったのかとも思ったが、先程の愕然とした様子から察するに、どうにもそういうわけでもないらしい。
「ザガン様どうぞ」
不思議に思っているうちに、再びネフィがこちらにカードを差し出してくれる。
――ババ抜きって楽しい……
もうこれだけで楽しい。
できる事ならネフィと二人だけでやりたい。
何やらふわふわとした気持ちでカードを引けば、残念ながら揃いのカードが出てしまった。
ネフィの手元からやってきたカードを捨てるのは忍びないが、それがルールだというのなら、一時手放すのは已むを得ない。
ザガンがテーブルの上に放流したカードを哀惜と共に見送っていると、隣から不快な視線がつき刺さる。
「なんだ?」
「いや、そんなに?」
この悪友の腹の立つところは、こちらの思考を読んでいてその反応だという事だ。
嫁の手から受け取ったカードとの別れを惜しんで何が悪いというのか。
そもそも左隣には愛すべきネフィがいるというのに、なぜこの男のいる不快な右側を向かなければいけないのか。
「さっさと引くがいい」
「いちいち威圧すんのやめねぇ?」
圧力をかけてやると、威圧ぐらいで大人しくなったことなど生まれてこのかた一度もないような男は、ザガンの手から一枚のカードを引き抜き、一組をテーブルに放り出す。
手持ちのカードは三枚だ。
それをシャッフルしなおす様子もなくシャスティルに向き直ったのは、ブラフだろう。
ザガンのほうに向きなおった時、バルバロスはわざとシャスティルに見えるようにカードを持っていた。
それをそのままシャスティルに差し出すのは、本来ならばただの甘やかし、だが男の手の中のカードは繰った様子もないのに配置をかえている。
――魔術……の気配はないな? 手品の類か?
イカサマだ、と言ってやりたい気もしたが、これはイカサマの範囲ではない。
シャスティルは目の前のカードと男を厳しい目で吟味するように見比べている。
本来なら『見えていたから繰りなおしたほうがいいぞ』とでも言いだしそうなフェアすぎる精神をもつ彼女がそれを言い出す様子も無いのは、あるいは男の手管に気付いているせいだろうか。
カードではなくじっとバルバロスの瞳を覗き込んだまま、四枚のカードの上に指を走らせ、少女はあやまたずアタリを引き当てる。
「げぇっ!? おまっ? なんでだよっ!???」
「目を見ればわかるさ。あなたは自分で思ってるよりずっとわかりやすいぞ?」
「はぁーーーーーー???? おまっ、何言ってんの? そんなわけねぇだろ!? ねぇよな!???」
「俺に聞くな」
必至で現実を否定するバルバロスに、シャスティルはあっさりと背を向けネフィに向き直る。
絶望したように涙目で振り向く悪友に、ザガンは顔をしかめた。
――そんな事を俺に聞かれても困る
ザガンにとって、バルバロスの目など、ただの濁った深淵のような黒点だが、少女には何か別の物が見えているらしい。
怪奇現象である。
なんとなくうすら寒いような気持ちで腕を撫でているザガンの目の前で、ネフィとシャスティルはキャッキャとカードのやりとりをしている。
良心的なエルフの少女は、今度は意図的に友のカードの中身を見てしまわないようにと、配慮していたのだろう。
シャスティルの手札から引いた一枚は、彼女の手持ちとは合わなかったようだ。
残念そうに小首をかしげ、三枚の札を差し出しネフィは、どこか期待するようにザガンの瞳を覗き込んでくる。
「ザガン様も私の考えている事がわかりますか?」
「うむ、ネフィがジョーカーを持っていない事はわかる」
「それは……ジョーカーは今バルバロス様のところですから、ではハートのエースがおわかりになりますか?」
「当然だ。ここで期待に応えずして何が魔王か」
たとえ当てられなかったとしても怒るような娘ではない事は知っているが、当てなければ男が廃る。
その紺碧の美しい双眸を見ていると、カードの内容を読み取ろうなどという気持ちも失せるが、彼女がザガンの愛情の片鱗を感じたがっているのなら応えねばなるまい。
「イヤそういうゲームじゃねぇだろ」
「そこに魔王は関係あるのか?」
背後から呆れたようなバカップルの声が聞こえてくるがそんな事はどうでもいい。
というかお前らだってさっき散々わけのわからないイチャつき方をしていたくせに文句を言うな。
ザガンの手元には今、エースは無いので、ハートのエースを引く事になんのメリットも無いとかも些事である。
宇宙の神秘すら秘めた嫁の瞳が輝くのを見た瞬間、ザガンはカードを引き抜いた。
「これだ」
ヒラリと翻したカードは過たずハートのエース。
「まぁ、アタリですザガン様」
「すごいなザガン、どうしてわかったんだ?」
「ネフィの事ならわかる。愛とはそういうものだろう」
誇らしく胸を張れば、ネフィは愛らしく顔を赤らめる。
なぜかシャスティルまで顔を赤らめたのは、場の空気につられただけで、自分がやった事もこれと同じだと気づいたから……というわけではなさそうだ。
「お前らやってて恥ずかしくねぇの?」
眉を寄せているバルバロスは、その事実に気づきつつあるようだが、認めたくないのか、何故か苦い顔をしている。
愚かである。
さっさと認めてしまえば幸せになれる可能性も皆無ではないというのに、頑なに己の感情を受け入れようとしない男は、おそらくまだ、聖騎士が魔術師に好かれたって困るだけだろうとかいう、そんなどうでもいいような事を気にしてでもいるのだろう。
シャスティルがそれでいいなら、世の中など覆せばいい。
覆す段階で彼女が傷つくというのなら守ってやればいい。
いや、傷つくのが彼女だけではなく、巻き込まれる全ての他人であり、この娘が他者を犠牲になどできない精神性の持ち主だからこそ、それは難しいのかもしれないが。
だからといって不可能なほど無能でもないだろうに、何を臆病になっているのか。
「馬鹿め」
「それ人にトランプ差し出すときのセリフ?」
嘲りを込めて差し出した4枚のカードの中から、しかしあろうことかこの悪党はハートのエースを攫って行く。
「貴様……表へ出ろ……引導を渡してやる」
地獄の底から響くような魔王の声と共に、城が横に揺れ、驚いたネフィが背に縋りついてくる感触で今度は縦に揺れた。
「お前の情緒、どうなってんの?」
貴様にだけは言われたくない、と思ったが、今はバルバロスなど構っている場合ではない。
ザガンは背後を振り向き、脅かしてしまったネフィを宥める事に努めた。
「仲がいいな貴方たちは」
「迷惑すぎねぇ? この夫婦」
感心したようなシャスティルの声と、げんなりとしたバルバロスの声が聞こえるが気にもならない。
「いいじゃないか、さて、勝負だバルバロス」
「ハッ、ほえ面かかせてやるよ」
手にしたハートとスペード、二枚のエースをテーブルへ放り出し、バルバロスは残り二枚になった手元のカードをシャスティルの前に広げて見せる。
傍らのネフィがその様子を固唾をのんで見守っている。
祈るような仕草が愛おしいとザガンは思った。
愚かな諍いであっても、友を案じるこの少女と共に見守るのであれば、やはり娯楽と成り得るようだ。
先ほど見えたシャスティルのカードはダイヤのジャック。
バルバロスの手にあるのは、ジョーカーとクラブのジャックだ。
シャスティルがクラブをひけば、おそらくそれはこの少女にとって、カードゲームにおける初の勝利となる。
しかし、じっとバルバロスの顔を見上げ、二枚のカードの上に手をすべらせる彼女に、気負った様子はない。
むしろ彼女の視線から逃れるように、気まずげに顔を背けた悪党のほうが落ち着きがない様子。
『目を見ればわかる』などと言われたから、瞳を覗き込まれるのが嫌なのだろう。
往生際悪く目をそらす悪党を咎める事もせず、しばし迷った末にシャスティルは、バルバロスの手にあるジョーカーをピンと指ではじいた。
「こっちがハズレだろう?」
それは先ほどバルバロスがやって見せたのと同じように、不敵な態度で。
「ハ、どうだかな、そう思うなら逆を引いてみろよ、後悔しても知らねえけど?」
内心の動揺を器用に隠した詐欺師が鼻で笑う。
平静を装うバルバロスに動揺する様子もなく、クラブに手をかけた乙女の指の下、そのカードがクラブからジョーカーへとすり替わるのをザガンは目撃した。
僅かな魔術の気配。
今度は本当にイカサマだ。
けれど公正な王がそう口を開くより一瞬早く、シャスティルはムッと顔をしかめる。
「こら、ズルをするな」
言葉と共に、すり替わったカードから指を離した彼女は、一体何をどう察知したというのだろう。
次の瞬間スルリと白い指に引き抜かれたのは、隣に移ったクラブのカード。
「おまっ……」
「あなたが悪事を働くときの気配ぐらいわかる。ここ半年ばかり四六時中一緒にいたんだぞ? 言っただろう? 私だってあなたの事ならわかると」
どこか誇らしげに、曇りなき瞳で類まれなるロクデナシを見つめる聖剣の乙女には、一片の嘘も虚栄もない。
「はぁーーーーーー!? んなモンまぐれだ!まぐれ!! お前に見透かされるほど、俺は落ちぶれてねぇ」
その瞳に貫かれたようにのけぞって、椅子を鳴らし立ち上がった男は、真っ赤に染まった顔で悪態をつき、尻尾を巻くようにローブをひるがえした。
「落ちぶれって、なんっ、失礼だぞ!?」
ぶわりと舞い上がるトランプ。
黒い影が男を飲み込んで、少女の足元へと消える頃には、ヒラヒラと舞うトランプたちは行儀よくテーブルの中央で一束となっていた。
ちゃんと片付けて帰った事は褒めてやってもいいが、好いた女に向ける捨て台詞としては愚かの極み。
「なんだってあんなに怒るんだ?」
案の定、当惑のあまり情けなく眉を下げる赤毛の少女に、ザガンもまた呆れを込めて溜息をつく。
「貴様あれだけ奴の顔色が読めるのに、なぜそこだけが分からんのだ?」
「なにがだ?」
目を瞬くシャスティルは本当にわけがわからないといった様子だが、彼女以外の誰がどう見ても分かりやすい単純な話。
あの男のあれは怒っているのではない。
見ているこちらが恥ずかしくなるほどに……照れているのだ。
教えてやっても良かったが、ネフィはそっと唇に人差し指を押し当てている。
なるほど、こういった事は他人が口を出すのも無粋というもの。
胸糞甘い悪友の恋愛事情を無言で飲み込み、口直しをすべくザガンは愛すべき嫁のマカロンに手を伸ばした。
〇
尚、その翌日、教会の執務室に姿を現した魔術師が「まぁ、マグレでも1勝は1勝だからな」などと言いながら、くだんの乙女に市販のマカロンを押し付けて去ろうとしたところ、呼び止められティータイムを共にした……などという犬も食わない話については、魔王のあずかり知らぬ、また知りたくもない話である。
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2024.02.17