抱擁 立香は息を殺してしゃがめばなんとか入れるくらいの天然洞窟に身を隠していた。目の前を通り過ぎるエネミー達を緊張した面持ちで見つめる。
洞窟にはただの岩にしか見えないように偽装した魔術を施してある。しかしそれは高度なものではなく、音を立ててしまえば簡単に見破られてしまう程度のものだ。洞窟は立香の身体がギリギリ入れる程度の広さしかなく、じっと息を殺していることしかできない。
敵の魔術によって味方から引き離され、孤立無援となった立香は味方が駆け付けてくるまで此処で一人身を潜めていることしかできない。おまけに運悪くカルデアと連絡が取れない状態だった。
味方から引き離されて一人になった経験は一度や二度ではないが、かと言って見つかれば殺される状況に慣れる訳ではない。
どうか見つかりませんように、と祈りながら立香は味方が一刻も速く駆け付けてくれることを祈った。
どれくらいの時間が過ぎたのか分からなくなった頃、エネミー達の姿は立香の視界から見えなくなっていた。移動するべきか考え、まだ動かない方がいいと判断する。
何せ今の立香は一人なのだ。敵に見つかれば速攻で殺されてしまう。周りは鬱蒼とした森で視界は悪く、敵に見つかりにくいメリットはあるものの、立香にとっては味方を見つけにくいというデメリットもある。だが正直に言えば一刻も早く移動したかった。
(か、身体が痛い)
しゃがんだ状態で長時間じっとしているのだ。身体のあちこちの関節が痛い。敵に見つかれば、身体の痛みのせいで走ることができずに転んでしまいそうだった。敵から逃げようとして転んで捕まる或いは殺されるという間抜けな状態は避けたかった。人類最後のマスターの最後がそれとか、色んな意味で嫌過ぎる。
立香は耳を澄ませて敵の気配を探る。長い間耳を澄ませても敵の気配も音も聞こえない。一か八かかけて移動しようと身体の体勢を変えて立ち上がったとき、立香がいる場所に近づいてくる音が聞こえてきた。音が聞こえる位置は10mほどしか離れていない。
(見つかった!?)
いつでもサーヴァントを簡易召喚ができるように立香は身構える。音の主は茂みを掻き分けて立香のいる場所まで確実に近づいてきていた。茂みは大人の男が隠れてしまうほど高いために相手の姿を確認することはできない。いよいよ音が目前まで迫ったとき、立香は接近戦の得意なサーヴァントの名前を呼ぼうとした。しかし茂みから現れた人物に立香の緊張感は霧散する。
「藤丸!」
「デイビット!」
それはこの特異点で同行していたデイビットだった。彼ならきっと無事だと確信していたとはいえ、この目で仲間の安否を確認できたことに立香は安堵の息を吐く。
「良かった。無事だったんだ」
デイビット、と言おうとした立香の言葉はデイビットの行動によって遮られてしまう。息を切らしたデイビットは立香の下まで駆け寄ってきて勢いよく抱き締めてきたのだ。
「へっ?! えっ!?」
まさかデイビットからそんなことをされるとは思っていなかった立香の頭は真っ白になり、顔が一気に赤くなった。
(な、何でデイビットに抱き締められてるの私???)
サーヴァントの中には気安く触れてくる者もいるため、異性に抱き締められることは初めてではない。今更抱き締められることに初心な反応をする女子のつもりはなかったのだが、予想外な相手からの抱擁に立香は自分でも意外なほど動揺してしまった。
「君が……」
混乱する立香の頭上から小さな呟きが落とされる。
「君が無事で良かった」
デイビットの声には間違いなく立香が無事だったことを安堵する響きがあった。彼の声を聞いて冷静さを少し取り戻した立香はそこで自分を抱き締めるデイビットの身体が微かに震えていることに気付く。
(ひょっとして、私のことずっと心配してた?)
その可能性を考えて立香の心音は速くなる。デイビットは常に冷静な人だと思っていた。何事にも大きく動じることはなく、何があっても取り乱したりしないと。ましてや孤立無援となった自分を見た瞬間に抱き締めてしまうほど心配してくれていたとは全く考えていなかった。
デイビットが項垂れて立香の肩口に頭を乗せてくる。
「っーー!」
デイビットの髪が首元をくすぐり、立香の心音はますます速くなっていく。顔どころか全身まで熱を持ったように熱くなる。
(このままじゃ不味い)
何が不味いのか自分でもよく分からなかったが、今の体勢のままでいれば今まで意識していなかった感情が芽生えてしまいそうな気がした。
一刻も早く離れてしまうためにデイビットの名前を呼ぼうと口を開きかけた立香は「藤丸」と名前を呼ばれたことで口を閉ざしてしまう。
「少しの間このままでいさせてくれ」
デイビットの声はいつになく弱々しかった。普段は感情の起伏が薄いデイビットの今の姿に立香は抵抗できなくなる。寄り掛かる彼を抱き締めたくなって、広い背中に手を伸ばした。だが立香の手がデイビットの背中に触れる前に、
「ようお嬢、デイビット。無事だったか」
「ヒャあああッ!!?」
第三者の声が聞こえて素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。
「何だ。お取り込み中だったか?」
デイビットに抱き締められている立香を見たテスカトリポカはニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「お、お取り込み中じゃないです! デイビットはただ私を心配してただけだから!」
慌ててデイビットから離れた立香は弁解するためにテスカトリポカに向き合うが、彼は明らかにこちらをからかう気でいる表情だ。神であるテスカトリポカに口では勝てないと判断した立香はデイビットに助けを求めるめに彼に視線を向ける。
しかしデイビットは立香やテスカトリポカから顔を背けるようにそっぽを向いていた。そのため彼の表情はよく見えない。
「デイビット、どうしたの?」
デイビットの行動の意味が分からず、立香はテスカトリポカにからかわれるよりもデイビットの様子の方が気になってしまう。
「何でもない。テスカトリポカと合流できたんだ。他の仲間とも合流できるように一刻も早く移動するぞ」
「あ、待ってデイビット! ていうか、歩くの速っ!」
デイビットはさっさと背を向けて歩き出してしまう。移動する彼は走っていると言えるほど速く、立香は慌てて駆け足で追い掛ける。普段の彼ならこちらを気遣って歩く速度を合わせてくれるのだが、今日はその様子がない。一体どうしたのだろかと立香が首を傾げていると、隣を歩くテスカトリポカの笑い声が聞こえた。
「気にすんなお嬢。デイビットの奴は照れているだけだ」
(照れてる? デイビットが??)
立香はテスカトリポカの言葉が信じられず、思わず怪訝な顔で全能神を見てしまう。デイビットは聞いているこちらが恥ずかしくなるようなことも涼しい顔で言うタイプだし、どれだけ容姿や能力を褒められる機会があっても照れている様子を見せたことは一切なかったのだ。にわかには信じがたい。
「感情のままにお嬢を抱き締めちまった事、それを俺に見られた事、あとは今になって自分の行動に羞恥心を覚えてんだろ」
前を歩くデイビットを面白がるように眺めるテスカトリポカは立香にそう語る。
「お嬢と逸れた時のデイビットの様子は見物だったぜ。お嬢を心配するあまり俺を置いて一人で突っ走り」
「テスカトリポカ!」
離れていた時のデイビットの様子を語るテスカトリポカの言葉を遮るようにデイビットの声が飛ぶ。デイビットの表情に大きな変化はなかったが、心無しか余計なことを言うなとばかりに不機嫌そうだった。
「分かった分かった。これ以上はお前の名誉の為に黙っといてやるよ」
やれやれと肩を竦めるテスカトリポカを暫く睨んでいたデイビットは立香が側まで追い付いてきたときにさっと背を向けてしまう。背中を向ける直前のデイビットの横顔を見た立香は彼の耳が赤くなっていることに気付く。
(あ)
デイビットの奴は照れてるだけだ、という言葉をにわかには信じられなかった立香だが、それが嘘ではなかったことを理解してじわじわと恥ずかしさを覚える。
(いや、あれはデイビットが私を心配してくれただけだから)
深い意味はないと自身に言い聞かせるが、一度持った熱はなかなか引いてはくれない。互いに相手を意識して気恥ずかしい心境でいる現マスターと元マスターの様子を一歩離れたところから眺める全能神は「まだまだ青臭いガキだなお前等」と笑った。
【了】