赤い糸 今思い出してみても、夢見がちな両親だったと牧紳一は述懐する。
「お父さんとお母さんはね、赤い糸で結ばれているの。お母さんにとってお父さんは、運命の人なの」
そう言って幸せそうに笑うオメガの母と、その母を愛してやまないアルファの父に囲まれて、アルファとして生を受けた牧はごく自然と自分にも「運命の人」が現れると信じて育った。
第二の性を理解する前から、第二の性を理解した後はより一層、いつかそういう相手が目の前に現れると根拠もなく信じ込んでいた。牧にとって「運命」とは、おとぎ話や都合のいい迷信ではなく、揺るぎない現実の話だったのだ。
しかしこれまでの人生で、運命など感じたことも無く、運命の相手と繋がっているという赤い糸も見えやしなかった。
そう、「運命の番」など、牧の前には一度も現れなかった。ひたすらバスケットに打ち込んだ少年時代も、全国大会で準優勝した高校時代も、更なる強さを目指した大学時代も、遂にバスケットを引退する時に至っても。
そして今、牧の隣でのんびりと釣り道具を手入れしているアルファの男にも、
「ぜんっぜん運命とか感じねえんだけどな……」
気がつけば誰よりそばにいた、なんて三文小説のような文句だが、それ以外に当て嵌まる言葉が無い。目まぐるしく変わっていく環境で、気がつけば仙道が一番の腐れ縁になり、周りがどんどん片付いていく中、余りもの同士戯れに寝てみたら誂えたように相性が良かっただけのことだ。
依然として赤い糸など見えぬままだが、明日どうなるかもわからない世界で、番でもただの友人でもない曖昧極まりない関係を何十年も続けていられたのは何故か。牧にはもう見当がついている。ポケットに無造作に入っている、揃いの指輪がその証拠だ。
これを渡したら、お互いの全盛期も挫折もみっともない姿もずっと見て来た相手はどんな顔をするだろう。
何の冗談ですか、と不審の眼差しを向けるかもしれない。何で今更、と可愛くない台詞を言うのかもしれない。しかし、最後には目尻にあたたかい皺を刻んで受け取ってくれるに違いない。
その確信を胸の奥に秘めながら、牧は隣に座る男の肩を抱き寄せた。
世界がそれをなんと呼ぶのか、牧紳一だけが分かっていない。