かいみこ キーボードの上を走る手。
細い指だ——煙草を咥えた甲斐田は、ぼんやりとそう思った。
御子柴は険しい顔でパソコンに向かっている。もっとも、彼の朗らかな笑顔なんて見たことない。たまに悪態をつきながら、恐るべき速度でキーを叩く彼の背中を見下ろす。煙を吸って、吐いて。細い腕、肩、首。視線で辿ってゆく。
子供の身体だ。それ以上でもそれ以下でもない。多少背は伸びたにしても、細すぎる。
きっと誰かを殴ったこともない、貧相な身体だ。
甲斐田も人のことは言えない。殴るよりも、殴られることばかりの人生だった。そうしていつか殴られないように、媚びることばかり上手くなった。
——そういう奴が刃物を出すんだよ。
ここに入ってきたばかりの頃。そう笑っていた奴がいた。頭のネジが外れたシャブ中の男だったが、たまに本質を突くようなことを言う。気づけば姿を見なくなっていた。
娑婆に出たのか、移監されたのか、死んだのか。懐かしさの気配を覚えたが、顔も思い出せなかった。
監獄での付き合いなど、そんなものだ。
「おら」
まるで映画みたいに音を立てて、御子柴はエンターキーを押した。
「空いたぞ」
甲斐田は咥えていた煙草を灰皿に押し付け、小さく口笛を吹いた。
「さすがシバケン」
見え透いた世辞に対する返事は、これ見よがしの舌打ちだった。
「悪いね。今夜は誘いが多くて」
御子柴は猫を追い払うように手を振った。
「さっさと行けよ」
「連れないね。気にしてくれてもいいのに」
「なにが」
彼の感情を期待したが、御子柴は軽蔑しきった表情を浮かべただけだった。
「誰でもいいんだろ」
眼球だけがこちらを向く。冷たい表情。子供の潔癖さ。
「聞く価値もねぇんだよ」
言い捨て、彼は再びモニタに向き直った。画面が切り替わる。彼がよくプレイしているFPSのゲームが起動するのが見えた。
彼が朗らかに笑ってるところなど想像できないけれど。
そう物言いをされるのは少し寂しい。
「……べつに、誰でもいいわけじゃないよ」
名残惜しくて手を伸ばしてみる。
「触んな」
けれども、子供の頑なさには敵わない。振り払われた甲斐田は、ため息をついて背を向けた。スマホが通知で震えたが、気づかないふりをした。
「早く帰れよ」
片足だけ部屋の外に出して、甲斐田は思わず振り返った。
「……待っててくれるってこと?」
「るせーな。鍵閉まっててもいいのかよ」
「はは、それは困る」
「紫音——」
そのわずかな間に、顔を見せてくれることを期待したが——
「……なんでもねぇ」
小さく吐き捨て、彼はヘッドセットで耳を塞いでしまった。
玄関の扉が閉まる音が小さく響く。
運良く脳筋どもは目を覚まさなかったようだ。
御子柴はスマホを取り出した。支給されたそれのメッセージアプリに大した会話は入っていない。大体は看守からの事務連絡と、それに対する囚人たちの文句だ。こんなせせこましいところに押し込められて、わざわざこんなものでやり取りなどしない。
御子柴はしばらく逡巡した後、結局それを閉じた。
その代わりに。
『おめ』
たった二文字。広いインターネットの海に投げる。