京とイツキ 習慣がある。
夜中にふと目が覚める。元々眠りが浅い方だから仕方ない。得体の知れない不安に駆られている。横を見る。いつの間にか自分より大きくなった弟が眠っている。そっと耳を近づける。安らかな呼吸を聞いて、そこでようやく泣きたくなるような安堵を感じる。
目を閉じる。毛布の中の温もりに泣ことができる。頭に流れる音楽は心臓の鼓動のリズムをしている。多い時には夜明けまでに、それを何度か繰り返す。
何を差し出しても取り戻したいと思い、それが叶えば今度は失うことを恐れている。
人生はこの繰り返しだ。
それを幸福と受け入れるか、悲劇と捉えるか。
京は今夜も目を覚ました。
いつものように弟の呼吸を確かめる。安らかな寝息。落ち着いた鼓動。それらが全て正常なことに感謝して、目を閉じようとし——京は小さく喉を鳴らした。冬の乾いた空気に喉がざらつく。音を立てないようにベッドを降りてキッチンに向かう。
水を汲んで一口飲む。冷ややかな感触が喉を伝って腹に落ち、身震いをする。今年は暖冬だというが、やはり真夜中は冷え込む。
静かだ——暗く沈んだリビングに目を向け。煩いほどの静寂。まるで世界に独りきりになったような。あの音も、温度も、全て夢だったのだろうか。
「眠れないのか」
「イツキ」
呼ばれて現実に戻ってくる。起こしてしまったのだろう。ドアから顔を覗かせたもう一人の家族は、無表情ながらも労わるような視線をこちらに向けている。
京は笑みを作った。
「喉が渇いただけだよ」
「大丈夫か。今日はただでさえ就寝時間が遅かった」
「うん。やけにロクタのテンションが高かった」
「それはそうだ。明日はお前の誕生日だからな」
京は表情を消し、数度瞬きをした。イツキの目をまっすぐに見て、頭の中のカレンダーを確認する。
「そういえばそうだった」
イツキの眉間に僅かに皺が寄った。呆れたようなため息をひとつ。
「今までどうやって過ごしてたんだ?」
「みんなからお祝いしてもらうことが多かったかな……仕事の関係でね」
京は自嘲めいた笑み浮かべた。薄情だと自分でも思うが、問われてようやく思い返した。
「有難いし嬉しかったけど、少し疲れてしまうから……そうしたら、一人で海を見に行くんだ。冬の海は静謐で、心を清らかにしてくれる。でも悲しい旋律になってしまうから、誰かに聞かせることはあまりなかったな」
「明日は騒がしい曲が出来るさ」
京は顔を上げてイツキを見た。勿論、彼が悪戯っぽく微笑んでいるなんてことはなかったけれど。
「ロクタが張り切っているからな」
「……それは楽しみだ」
京はコップに残っていた水を飲み切った。
不思議と、もう不安はなかった。
「だからもう寝よう。寝れないなら、手を握ってやる」
柄にもないイツキの言葉に、肩から力が抜ける。
「やっぱり、君の方がお兄さんみたいだ」
「やめてくれ。さすがに弟二人は面倒を見切れる気がしない」
「そうだね」
ベッドでは幸福のかたまりが夢の世界に遊んでいる。
僕たちの弟。音楽は途絶えない。