想いは伝えてこそ アカデミーの中間テストも終わり、開放感で校内全体が活気づく時期のある朝。着信を知らせるスマホロトムの呼び出し音で、ハルトはいつもより早めに目を覚ました。
画面には、ブルーベリー学園にいるゼイユの名前が表示されている。タップして通話を開始すると、開口一番、なにやら焦っているらしいゼイユの声が耳に飛び込んできた。
「ハルト、あんた今週末ヒマでしょ? ヒマよね?」
はいという返事以外を許さない圧力を感じる。幸い今週末の予定は空いているので、ハルトは「うん、ヒマだよ」と頷いて返事をした。ゼイユは明らかにホッとした様子だ。
「最近スグがそわそわしててさ。見てるこっちも落ち着かないから、たまには顔見せに来なさいよ。気の利くあたしが飛行機のチケット送っておいてあげたわよ」
そう言うゼイユこそ、なんだかそわそわしてて様子が変だけど……? とハルトが指摘する前に、「いい? 絶対来なさいよ!」と念を押されて、通話は切れてしまった。
何かあったのかな。首を傾げつつ、ハルトはロトムをねぎらってベッドから降りる。先週届いたスグリの手紙には、こっちはみんな変わりなく元気です、と書いてあったはずだ。
手紙の返事は昨日投函したばかり。でも、ハルトとしても、スグリやブルーベリー学園のみんなにまた会いに行きたい。今週末なら、残り日数もそう多くはない。ハルトはとりあえず顔を洗って、今のうちに荷造りを始めておくことにした。
◇
数日後、ゼイユが言っていた通り、一通の封筒がブルーベリー学園からハルトのもとへ無事届けられた。中に一枚だけ入っていたチケットは、日時まで予約された指定席だ。一応ハルトがブルーベリー学園へ電話を入れてみたところ、ゼイユがあらかじめブライア先生経由で話を通してくれていたらしく、入校の許可もあっさりと下りた。
そして、約束の週末。ハルトはそらとぶタクシーに乗って、すっかり通い慣れたパルデアの空港へ再び降り立つこととなった。予約された席に乗り込んで、一路、イッシュ地方へ飛ぶ。
もう肩書きは元留学生なので、学園の最寄り駅付近のホテルに一泊二日で部屋をとった。ハルトも手持ちのポケモンたちも、弾丸旅行には慣れっこだ。必要以上に大きな手荷物は持たず身軽な格好で、今度は海底を走る電車に乗り込んで、海の中に浮かぶ学園にようやく到着する。
時刻は、まだ昼前。週末のイッシュ本土へ羽を伸ばしに行っている生徒も多いのか、海上のエントランスにいる生徒たちの姿はまばらだ。太陽の下、どこまでも続く青い空と海の景色はハルトの記憶の中のものと寸分変わらず、波間を渡る潮風が、キャモメたちの無邪気な声を乗せて気持ちよく吹き抜けていく。
留学生だった頃から顔見知りの受付スタッフに通行証をもらい、ゲートをくぐって学園内へ入ったハルトは、ひとまずゼイユに電話をかけてみた。……が、一向に繋がらない。メッセージを送ってみても、既読すらつかなかった。
「取り込み中なのかな……?」
事前に手紙で今日の予定を訊くことができなかったから、スグリが今どこにいるのかも分からない。うーん、と暫し悩んで、ハルトはリーグ部の部室へ向かってみることにした。部室まで行けば知っている顔に会えるかもしれないと考えたのだが、その期待は、運良く道中で叶えられることとなった。
「タロちゃん! 久しぶり!」
「えっ……、ハルトさん!?」
ハルトが声をかけて駆け寄っていくと、廊下の自販機横のベンチに座ってスマホで何か見ていたタロは弾かれるように顔を上げて、かなりびっくりしている。その声で、彼女の足元で寝ていたグランブルが目を覚まし、寝起きの両目を不思議そうにパチパチとさせた。この驚きようを見るに、ゼイユはハルトを招待することを周囲に話してはいなかったらしい。
「どうしてここに? いつ着いたんです?」
「ついさっきだよ。ゼイユが飛行機のチケットを送ってくれたから、遊びに来ちゃった」
「なるほど……てっきり、またシアノ先生たちに何か無茶振りされちゃったのかと思いました」
先生たち、今でもまだ何かあればハルトさんを頼る気満々なんですよと、タロは困った顔をしている。
パルデアの大空洞の調査や、テラパゴスの件――無茶振りといえばそうなのかもしれないと、言われてみてハルトは今更思い至った。エリアゼロはとても危険な場所なのだと、そういえばいろんな人から再三忠告を受けていたし、あの時はハルトたちもただ夢中で戦っていたけれど、もしあのままテラパゴスの暴走を止められなければ、あの場にいた全員が地割れや落盤に巻き込まれていたかもしれない……なんて、今はうっかり口に出さないほうがよさそうな雰囲気だ。
「ハルトさんも、イヤだと思ったらそう言わないとダメですよ。確かにハルトさんはとっても強いトレーナーですけど……だからって、難しいことをなんでも丸投げは良くないと思います!」
両手でバツ印をつくるお馴染みのポーズも、なんだか懐かしい。学園の先生たちがトレーナーとしてのハルトの腕を信頼してくれることはもちろん嬉しいのだが、その一方でこうして、あまり無茶をするな、とハルトたちの身を案じる人がいてくれることも、また嬉しい事実だ。「心配してくれてありがとう」と、ハルトは素直に感謝の言葉を述べた。
「ところで、タロちゃん。ゼイユとスグリが今、どこにいるか知らない? さっき学園に着いたときにゼイユに電話してみたんだけど、繋がらないんだ」
タロの隣に腰を下ろし、お互いのかわいいポケモンたちを再会させつつ、ハルトは訊きたかったことを訊ねてみる。グランブルとハルトのサーフゴーがぴょんと飛び跳ねて挨拶を交わし合う様子に目元を緩めながら、タロは顎に手を当てて、うーん、と暫し考える仕草をした。
「ゼイユは今日はお休みのはずですけど、今どこにいるかは、わたしにもちょっと……。スグリくんのクラスは、たしか午前中だけ授業があるはずなので、今は教室にいると思いますよ」
そこまで言って、タロはさりげなく、周囲をさっと見回した。近くに誰の姿も見当たらないことを確認すると、両手をメガホンの形にして口元に当て、実は、とひそひそ声を出す。
「……あのふたり、最近またケンカしちゃったみたいで。ケンカというか、揉め事というか……なんだか、いつもとはちょっと違う感じなんです」
「え……その話、詳しく教えてくれる?」
ハルトもつられてひそひそ声で聞き返した。グランブルとサーフゴーも話に混ざりたいのか、聞き耳を立てるような仕草をしながら傍へ近寄ってくる。タロが神妙な顔で頷いて、話し始めた。
「何日か前……今週の初めごろから時々、ゼイユがそわそわして気まずそうな感じで、スグリくんに話しかけてることがあって。スグリくんのほうも、その頃から少し元気がないみたいなんですよね」
何かあったのかと訊ねても、なんでもない、と二人とも教えてくれず、はぐらかされてしまうのだという。
「ハルトさんだから言っちゃいますけど、あのふたり、なんでもないって顔をするのがすっごく下手だと思うんです」
「うん。分かる」
そこがかわいいところでもあるんだけど、とハルトはつい言いたくなったが、ここは堪えて我慢しておく。
「ですよね! ハルトさんは何か、心当たりありませんか?」
タロは、ゼイユがハルトをわざわざ呼び出した理由と今回の件はどうやら関係がある、とにらんでいるらしい。どこか確信めいた言い方だった。
「うーん……まだ分からないことも多いけど、とにかく、ふたりと直接話してみるよ。ありがとう、タロちゃん」
「いえいえ。じゃあこの件は、ハルトさんにお任せしちゃいますね。スグリくんたちと合流したいなら、受付の人にお願いして、校内放送で呼んでもらうのがいいと思いますよ」
助言をもらったところで、ちょうど正午を告げる校内放送のチャイムが鳴った。
ハルトはさっそく行動を開始することにした。軽く挨拶をしてタロとグランブルと別れ、サーフゴーをモンスターボールの中へ戻して、エントランスまで引き返す。先ほど通行証を発行してもらった受付スタッフに事情を説明し、ゼイユとスグリを名指しで呼び出す放送を聞きながら、その場で暫し、待った。
ゼイユは現れず、送ったメッセージも未読のままだが、スグリは間もなくやって来た。自分を呼び出した客というのがハルトだと分かると、ぱっと表情を明るくして駆け寄ってきてくれる。元気がないようだとタロからも聞いていたのでハルトは少し心配していたのだが、顔色は良さそうだ。また幾らか背が伸びたようだし、今のところ目の下に不健康なクマができている様子もない。
「わやじゃ、ハルト……! びっくりした! なんで居んの……!?」
会いに行くことを手紙で予告しなかったから驚いているものの、嬉しそうにしてくれている。ただ、ゼイユに呼ばれて来たんだとハルトが事情を説明すると、やはりスグリの表情が少しだけ曇った。
「えっ……ねーちゃんが……?」
「うん。でも、着いたよってスマホで連絡しても反応がなくて……スグリ、お昼ご飯まだなら、食べながらちょっと話そうか?」
「あっ、じゃあ俺の部屋、来る? サン……、ご飯の材料さ、買ってあるんだ」
ハルトの手持ちの食いしん坊を呼び出しかねない単語を、スグリは慌てて言い換えた。来る? と誘う体で話しているが、そわそわと前髪を弄りながらハルトへ向けてくる眼差しは、期待の色と、ほんの僅かな不安の色で満ちている。来てほしいという本音が分かりやすくうかがえる態度だ。
スグリ本人はこう評されることにいまひとつ納得していない様子だけれど、本当に、かわいい。
◇
ハルトは座ってて、と何故か丁重に断られてハルトは調理に関わらせてもらえなかったが、スグリお手製の甘めのサンドウィッチは、恋人の贔屓目を抜きにしても美味しかった。
ごちそうさま、とひと息ついてから、椅子を並べて隣に座るスグリへ、ハルトは話を切り出してみる。
「最近なんだか元気がないって聞いたんだけど。ゼイユと、ケンカでもしたの?」
「いや、ケンカってわけじゃ……いつものことだし」
「でもスグリが落ち込んでること、僕もさっき見てわかったよ。いつもなら、ゼイユと言い合いしたって、あんなにしょんぼりした顔はしてないよね?」
「う、うぅぅ……俺、そんな顔してた……?」
スグリは狼狽えて、決まり悪そうに視線を彷徨わせている。ハルトはスグリの右手をそっと持ち上げて、両手で握り込んだ。
「何があったか、教えてほしいな。スグリの力になりたいんだ」
指を手のひらで包むと、スグリはハルトの顔を窺うようにちらりと見上げてくる。かなり迷う様子を見せてから、躊躇いがちに口を開いてくれた。
「……俺がハルトと付き合ってること、ねーちゃんにバレたって、手紙に書いたよな……?」
ハルトは「うん」と頷いた。実はスグリが言う手紙が届く前に、ゼイユからこっそり事実確認の電話が来て、なんで言わないのよ! 言いなさいよ! と怒られたことも、まだ記憶に新しい。そのときも姉弟間で軽く一悶着あったようだが、普段の気安いやりとりの範疇で丸く収まったと聞いている。もともと、仲の良い姉弟だ。
スグリの話によれば、どうも以前から浮いた話に興味津々だったゼイユは、弟に恋人ができたことを知って以来、時折これをネタにスグリをからかってくるようになったのだという。今回の件も、それが原因だとかで。
今から遡ること数日前――スマホロトムを持っていなくても手紙でハルトと頻繁に連絡を取りあい、その日も購買部でいそいそと便箋の束を買い足してきたスグリを見たゼイユが、いつもの調子で、
「そんなに重いと嫌われるわよー?」
「……! は、ハルトはそんなんで俺のこと嫌ったりしない……! ……っ、うう……! バカ! ねーちゃんのバカ!」
……という具合で、うっかり弟の不安を煽ってしまったのが、事の発端だそうだ。
げきりん、というか、ナンジャモがたまに言っている『ライン越え』というやつだろうか。ゼイユもまずいことを言ったと思ったのだろう、フォローしたいけどうまくいかなくて、困って自分を呼んだんだなと、ハルトはすべて合点がいった。ゼイユ風に言うならば、なんとかしなさい、ということだ。
「ハルト……俺、重い……?」
スグリがひどく不安そうな声を出した。ハルトと自室でふたりきりになりたがったのは、この質問をしたかったから、という理由もあったようだ。
「もし嫌だったら、直す。わがまま言わないようにする……だから……」
ゼイユに怒ったときも、こんな風にこの世の終わりみたいな顔をしていたんだろうか。身を乗り出して懸命に言葉を重ねる恋人を見て、これは僕の責任でもあるなと、ハルトは痛感した。スグリも実は気にしていて不安だったから、ゼイユの言葉に強く反発したのだろう。
いま気がつくことができて良かった。自分を学園へ呼び出してくれたゼイユに感謝しつつ、ハルトはスグリの肩にそっと手を置く。これから言葉に乗せる気持ちが正しく伝わるように、正面から目を合わせて、スグリを怖がらせないようゆっくり、一言ずつ喋り始める。
「僕も恋愛するの初めてで、重いかどうかは、よくわからないけど。スグリの恋人になれて、君と手紙をやりとりしてて、嫌だなと思ったことはないよ。だいたい今みたいに、うれしいな、かわいいなぁって思ってることが多いかなぁ。僕、重いの好きなのかも」
スグリの言動を愛しいと――あるいは時々心配に思うことはあるけれど、疎ましく思ったことなど一度もない。寝起きする場所が遠く離れても、好きな人が自分を想ってくれていて、その気持ちを一生懸命伝えてきてくれる幸せを、ハルトはずっと、毎日噛みしめている。
「もしイヤなことがあったらそう言うし、僕は今のままのスグリが好き。スグリが言ったこと、ちゃんと合ってるから大丈夫だよ」
「……うん」
涙の粒を溜めた目尻にキスをして、大好き、と伝えると、ようやくスグリも洟をすすりながら「にへへ」と柔らかく笑ってくれた。
「……ねーちゃんはからかっただけだって、最初から分かってたんだ。ねーちゃんも、あとになって、悪かったって謝ってくれたし……でも、本当にハルトの負担になってたらどうしようって……そう思ったら、怖くなって……。俺、ハルトに手紙送るの、我慢しようとしてた。けど……つらかった」
「スグリの手紙が来ないと僕が寂しいから、我慢するのはやめてほしいな。スグリが伝えたいこと、たくさん手紙に書いて送って。僕もそうするから」
「うん……! ……にへへ。ハルト、ありがとな!」
「えへへ。どういたしまして!」
やっぱり、スグリのこの笑顔が大好きだ。もっと堪能していたいけれど、今は彼の柔らかい頬を指でそっとひと撫でするだけに留めて、我慢した。恋人との逢瀬を楽しむより先に、ハルトにはひとつ、やっておかなければならないことがある。
じゃあ、と立ち上がって、ハルトはスグリに向けて右手を差し出した。
「僕と一緒にゼイユを探して、話をしに行こう」
ゼイユはきっと、スグリが元気を取り戻すまで、どこかに隠れているつもりなのだろう。
僕を学園へ呼んでくれたお礼も言いたいし、スグリもゼイユのこと安心させてあげたいでしょ? ……そんな風に言って誘うと、スグリはちょっとだけ迷ってから頷いて、ハルトが差し出した手を握ってくれる。
そうして、ふたりで手を繋いで、並んで歩き出す。「もう少しふたりっきりでいたかったな」と、隣を歩く恋人が小さく呟いたいじらしい願いは、もちろん後でしっかり叶えることにする。