黒龍の愛し子ある村に、絶対に人間が立ち入ってはならない場所があった。
――神域。神が住む場所。
一度入れば、二度と出ることはできない。
「お母さん! お父さん!」
その日も、いつもの山菜採りで山へ入った。
ふたりに手をつながれ、胸が温かくなる。
しかし、次の瞬間──武器を持った、見知らぬ大人たちに囲まれた。
彼らの言葉は分からない。
だが、ここから逃げなければならないことだけは直感した。
父と母が、俺を庇うように抱きかかえ、走り出す。
飛んできた武器が、二人に迫る。
目の前が、一瞬で血の海になった。
「やだ……やだ、起きてよ! お母さん、お父さん!」
「なんだこのガキ、変な髪色しやがって……近くの村に捨てていこうぜ」
俺だけが殺されなかったのは、この見た目のせいだ。
黒髪の両親から生まれたはずなのに、俺の髪は金色で、瞳は青い。
こんな姿でも──武道は「かわいいよ。神様が可愛くしてくれたんだね」と褒めてくれた。
抵抗のすべもなく、両親との別れは、あまりにも突然だった。
村に連れてこられて、どのくらい経っただろう。
見た目のせいで子どもからはいじめられ、大人からは家畜と同じ扱いをされていた。
「髪の毛、変な色。お前なんか遊びに混ぜてやんない」
「ひとつのこと終わらせるのに、どれだけ時間をかけてるんだ。今日の飯は抜きだ!!」
機嫌が悪いとご飯を抜かれるなんて、しょっちゅうだ。
空腹は川の水でごまかしていた。
「……もう、俺もお父さんたちのところに行きたいよ」
心は、限界だった。
ある日のこと。山菜を取りに山の中へ入ると、村の子どもたちがやってきて羽交い締めにされた。
「こいつ、まだ元気だよな」
「ここから禁域近かったよな。入れてみようぜ」
抵抗するが、力の入らないこの身体では何もできない。
ドサッ。
集めたカゴごと、暗い洞穴の前に落とされる。
縛られた手足では、どうすることもできなかった。
帰りが遅いと、またご飯を抜かれ、打たれてしまう。
……それだったら、このまま――。
そう思っていた、その時だった。
「大丈夫か?」
村の中では見たことのない、綺麗な着物を着た黒い瞳の男の人が立っていた。
心配されるなんて、両親以来だ。
緩んだ涙腺が崩壊し、目から涙が溢れだす。
「う……うわぁぁぁん!」
その人は頭を優しく撫で、自分の服が汚れるのも構わず抱き上げてくれた。
「腹もへったろ。うち、近くだから寄っていきな」
真っ暗な洞穴を進むと、そこは別世界のように綺麗な景色が広がっていた。
豊かな作物、咲き誇る木々や花。
うちの村では作物は枯れ果て、山菜ですら山奥に行かないと取れないのに……。
奥へ進むと、立派なお屋敷が建っていた。
男の人は扉を開け、誰かの名前を呼んだ。
「臣ー? 若ー? ベンケー?」
「はいはーい。真ちゃんって、どこの子さらってきた?!」
「若……さらってはねぇけど、ボロボロで泣いてたから拾ってきた」
「あ、あの……おれ……」
ぐぅぅぅ……。
何日も食べていなかったせいで、腹が大きな音を立てた。
白くてふわふわな髪のお兄さんが、優しく頭を撫でてくれた。
「メシの準備しておくから、風呂入ってきな」
「よし、行くぞ! あ、そういえばお前の名前って何? 俺は真一郎」
「……武道」
「武道、いい名前だ! ここにはお前をいじめるやつも、ぶつやつもいない。少し休んでいけ」
それから、暖かいお風呂に入れてもらい、綺麗な着物を着せてもらった。
怪我には薬を塗ってくれて、また抱っこされながら別の部屋へ行くと――そこにはたくさんのご馳走が並んでいた。
「好き嫌いわかんなかったから、一通り作ってみたけど……食える?」
「うん!」
「ほら武道、いっぱい食えよ」
「い、いただきます!」
久しぶりのちゃんとしたご飯は美味しくて、また涙が出てしまった。
「おいし、い……」
「うまいか! いいぞ、もっと食え!」
「まだいっぱいあるから、ゆっくり食いな」
美味しくて、頬いっぱいに頬張っていると、玄関の方から声が聞こえた。
「魚釣れたぞー!」
「必要なもん買ってきたけど……そのチビどうした? 攫ってきたのか?!」
「おけーりー! 攫ってねぇって! なんでみんな俺が攫ってくると思ってんの?!」
「人たらしだから」
「確かにたらしだな」
「同意しかねぇや」
「あ、あの……」
真一郎くんが誤解されていそうなので、ご飯を飲み込んだ俺は帰ってきた二人に向かって話しかけた。
「俺が……一人で泣いてたから、真一郎くんは助けてくれたんです。だから……怒らないでください」
俺がそう言うと、二人はびっくりして目を見開いた。
「あー大丈夫だ。真一郎はこういうやつだから。俺はベンケイと呼ばれてる」
「ベンケーくん?」
「俺は臣」
「真ちゃんから呼ばれてたけど、ちゃんと言ってなかったな。俺は若。よろしくな、武道」