なぞのさんぶつ水の中にいた。
こぽり、と口から空気が抜け、泡が水面へ浮き上がる。自然と息苦しさは感じられず、ふわふわと水中に浮いている不思議な感覚に、フリードは目を細めた。
キラキラと眩しい太陽の光が、水の中まで浸透してくる。ふと目の前の光が遮られ、フリードは顔を上げた。
ーーめだ、そこにいてはだめだ!!
ドン、ドン、とまるで水の壁を叩いているかのように、ライジングボルテッカーズの仲間のひとりであり澄んだ青い瞳を持った少女、リコに似た男が焦った表情をしながら前に立っていた。彼もまた、彼女と同じ瞳を持っている。
フリードは目を見開き驚いた。
ここはどこだ?自分は一体どうなっている?
行かなくては。仲間達の元へ帰らなくては。
けれどもこの水の中では、体が思うように動かせない。
ごぽり、と口の中から泡が吹き出る。
先程まで感じていなかった息苦しさが一気に襲ってきた。視界が霞んで、ぼやけていく。
ーーーーー!!
リコに似た男が、何かを叫んでいる。
そこでフリードの意識はプツンと途絶えた。
***
「フリード!!」
「は……ッ」
がばりとフリードは勢いよく飛び起きた。
荒い呼吸を繰り返しながら、きょろきょろと辺りを見渡す。見慣れた天井、見慣れた室内。フリードは自分の部屋のベッドの上にいた。
「フリード、大丈夫?」
「……、リ、コ……?」
ふと、声が聞こえた。フリードは視線をそちらへやると、そこにはこの船の仲間であるリコが心配そうにこちらを見つめていた。
「朝ごはんの時間になっても来ないから起こしに来たの。そしたらフリード、魘されてたから…何か嫌な夢でも見た?」
「お〜……ちょっとな」
ごめんなぁと言って、フリードはリコの頭を優しく撫でると、リコは気持ちよさそうに目を細めてふわりと微笑む。そしていつもとは違う違和感に、リコはぱちぱちと瞬きをした。
「ねえフリード。手、なんかいつもより冷たくない?」
「そうか?」
「うん。気の所為かな?」
フリードは一瞬ドキリとした。先程まで眠っている間、水の中にいたのだから。じっと自分の手のひらを見つめる。特に何も目立った異常はないし、きっと大丈夫だろう。
「んー……、寝起きでまだ代謝がよくないのかもしれないな」
ぐっと背伸びをしてくあ、と欠伸をするフリードに、リコはそっかと言って笑う。
「朝ごはん出来てるからね、みんな待ってるよ」
「ん、すぐ行く」
ありがとなと言って手を振るフリードに、リコはどういたしましてと言い頷いて部屋を後にする。それにしてもあの夢は一体なんだろうか。
そう思いながらフリードはゆっくりと立ち上がり、いつものフライトジャケットを羽織って身なりを整えた後、ミーティングルームへと向かうのであった。
***
「あ!フリードやっときた!!」
「遅いぞリーダー」
「遅刻だぞリーダー」
「すまん、遅くなった」
ロイの元気な声が響き渡る。もう既にいつもの定位置についている仲間達に、フリードは素直に誤った。オリオとモリーから早速弄られてしまいフリードは苦笑する。
「それにしても珍しいな、いつも朝早いお前が遅刻なんて」
「ま、そんな日もあるさ」
マードックにそう言われ、フリードは肩を竦めた。そして何事も無かったかのように自分の席へ座る。相棒であるキャプテンピカチュウが、ぴょん、とフリードの肩の上に飛び乗った。
「ピーカチュ」
「おはようキャップ」
「ピーカ」
ぎゅむ、とキャップは短い手でフリードの顔を掴んだ。ひんやりと冷えきっているその体温にキャップは目を細める。
「ピピーカ」
「……キャップ?」
「ピーカチュ」
じっくりと円な黒い瞳に見つめられ、顔色が悪いと言うキャップにフリードは苦笑した。多少ならみんなを騙せることはできるだろうが、相棒にはやはり誤魔化しはきかない。
「ピーカ、ピカ!」
「はいはい、わかってるって」
「チャア?」
「ほんとほんと。な?」
「ピーカチュ」
ちゃんと休めと言う相棒に頷くフリードと、そんなフリードを見て疑いの眼差しを送るキャップのやりとりをメンバーはぽかんとしながら見つめる。
「キャップどうしたの?」
「なんでもない。さ、早く食べようぜ」
「誰のせいで遅れたと思ってんのよ」
「すみませんでした、以後気をつけます」
「うむ、わかってるならよろしい!」
いただきますと手を合わせ、各自食事を進める。リコはじっとフリードを見つめながらも、マードックのご飯を食べ進めるのであった。
***
ちゃぷん、という水の音。
ああ、またこの夢か。
フリードは水面から差し込む陽の光に目を細めた。確かここに来る前は、操舵室の椅子にもたれかかって地図を見ながら進路を確認していた。この不思議な夢のせいで眠れていない日々が続いていたのでうたた寝をしてしまったのかもしれない。
今日もリコに似た彼は来るだろうか。
今はまだ、この空間は苦しくない。
ふよふよと水の中を漂っていると、突然。ふと何かに足を捕まれ引っ張られるような感覚に目を見開き驚いた。
(な……ッ!?)
ごぽりと口の中から空気が抜け、息苦しさを感じる。このままだと深いところまで引きづり込まれてしまう。必死に手を動かすが、水面へ上がることはない。
ぼやける視界の中、意を決してフリードは自分の足を見た。そこにあったのは黒く塗りつぶされていたが、紛れもなく人間の手であった。
(……ッ、だれ、か……!)
ぐっと上に手を伸ばす。するとその腕を引っ張られ、勢いよくフリードの体が上昇し始めた。
「そこにいてはだめだと言っただろう!!」
鋭い声が聞こえた。
リコに似た青い瞳を持つ男。彼に助けられ、フリードはそのまま意識を失った。
***
「フリード、大丈夫かな」
ミーティングルームにて。唯一、朝の様子を知っているリコはぼそりとそう呟いた。彼女の相棒のニャローテは、そんな彼女を見てニャウ、と心配そうに鳴く。
「気になるなら様子見に行く?」
多分きっと操舵室にいるんじゃないかなとロイは言う。それにリコは頷いて、ゆっくりと顔を上げる。すると、ミーティングルームに黄色い塊が飛び込んできた。
「ピカ!!」
「キャップ?」
「フリードと一緒に操舵室にいるはずじゃあ…」
「もしかして、フリードに何かあった…?」
リコが発した言葉に、キャップは頷き駆け出した。それを慌ててリコとロイは追いかける。
そんな子供たちを見てただ事ではないと判断したモリーが急いで彼らを追った。
「フリード!!」
バン!と勢いよく操舵室の扉を開ける。そこにはぐったりと椅子にもたれかかって、目を固く閉ざし、苦しそうに息をしているフリードの姿があった。
モリーがそっとフリードの体に触れると、その冷たさに思わず手を引っ込めた。
「冷たい……!ロイ、今すぐ毛布持ってきて」
「わ、わかった!」
「リコはマードック呼んできてくれる?船の中でフリードを運べるのはマードックしかいないから」
「うん!!」
モリーが必死になってフリード!と呼びかけるが、フリードに起きる気配はない。
「モリー、毛布持ってきたよ!」
「マードック呼んできた!」
「フリード!!」
「ロイ、リコ、ありがとう。マードック、フリードを毛布で包んだら救護室のベッドへ」
「わかった!」
モリーの指示を受け、マードックはそっとフリードの体を毛布に包んでそっと抱き抱える。あまりの体温の低さに、マードックは目を見開き驚いた。褐色の肌でわかりにくいが、顔色は悪く、血の気が通っておらずほんのりと青白い。
「これは、いったい……!」
「まずは急いで体を温めないと」
「お、おう!」
マードックとモリーは慌てて救護室へと駆けていく。リコとロイもお互いに顔を見合せた後、船のみんなにスマホロトムで連絡をし、モリー達の後を追うのであった。
***
「お!目が覚めたか。大丈夫か?」
「ここは……?おれ……」
「お前、さっきそこの湖の中で溺れかけてたんだぞ。俺が引っ張り上げなかったらどうなっていたことか……とりあえず無事でよかった。ここは夢の中だ。お前の夢と俺の夢は何故か繋がっている」
「夢……?」
ゆっくりとフリードは起き上がり、目の前にいるリコに似た男を見つめた。
「あんた、は…?」
「俺はルシアス。お前は?」
「フリード……え、ちょっとまて。ルシアス?ルシアスって、あの……!?」
「お?なんだ、俺のこと知ってるのか?」
フリードは目を見開いて目の前にいる人物を見て驚いた。知っているも何も、ルシアスの六英雄を探して旅に出ているのだ。彼の写真も、リコの祖母ダイアナから貰った書記に挟まっている。
「あ、いえ……その……知り合いに似ていて」
「そうか」
ふっと柔らかく微笑むルシアスのその青い瞳はリコやルッカ、ダイアナを連想させる。
彼女達はきっと間違いなく、この男の血縁者であるだろう。詳しく聞いたことはないが、その可能性が高い。
「で、その服は?見たことない服だな」
「あの、俺も。あなたのような服を着ているのは見たことがありません」
「おっと、そうきたか」
ルシアスは何やらうーんと考える仕草をしつつ、じっとフリードを見つめる。それにフリードはたじたじになりながら首を傾げた。
「うん、気に入った!なあフリード。俺の仲間にならないか?」
「へっ?」
お前も冒険者なんだろう?と言うルシアスにフリードは苦笑しながらも頷く。けれど仲間が他にいて、船で空の旅をしていると伝えると、ルシアスは更に目を輝かせ楽しそうに笑った。
「空を飛ぶ船だって!?凄いな!!」
「あはは……」
しばらくルシアスと話していると、ふと。ルシアスが顔を上げた。この自分がいた湖以外何も無い空間でいったい何を感じ取ったのだろうか。
「話をもっとたくさん聞きたいところだが、お前はそろそろ起きないとな」
「え?て、うおおお!?」
どん、と強い衝撃がフリードを襲った。ルシアスに突然湖の中へ突き落とされ、フリードは目を見開き驚いた。どんどん沈んでいく体。そして、ルシアスのどこか寂しそうな表情にフリードは目を見開き驚く。
「ねがわくば、もうにどとーーーー」
こちら側へ来ることがないように。
フリードが湖の奥底へ消えていくのを、ルシアスはただじっと見つめ、目を閉じほう、と息を吐くのであった。
***
「「フリード!!」」
「ピピーカ!!」
「………ッ、!?ごほ、ごほ」
フリードがゆるりと目を開けたその瞬間、キャップとリコ、ロイの心配そうな表情がドアップで視界に映りこんできた。
「あれ、おれ……」
「ピーカ!!」
「操舵室でぐったりしてたんだよ」
「どんどんフリードの体温が冷えてって、このまま消えて無くなっちゃうんじゃないかって……私達で必死になってあっためてたの」
どうやら自分は救護室のベッドの上で寝かされていたらしい。目が覚めてよかったというリコとロイに苦笑しながら、フリードはほう、と息を吐く。
「ありがとな、みんな」
「どういたしまして!」
「そういばあっためてた時、フリード魘されてた。どんな夢見てたの?」
リコに言われて思い出そうと試みたが、頭の中でぼんやりと霧が霞んだようにモヤモヤとして上手く思い出せない。
「ん~~、忘れちまった」
「そっか。でも魘されるくらいしんどそうだったから、忘れてよかったのかも!」
「そうだなぁ」
「あ!フリード起きてる!!」
「ほんとだ!!」
「体はもう大丈夫なのか?」
「心配かけちまったみたいで……もう大丈夫だ」
モリーがそっとフリードの額に手を当てると、その体温の低さに目を細めた。
「ってまだ冷たいじゃん!」
「次はうちらがあっためてあげる!」
「覚悟しとけよ~!」
ぎゅう、とマードックの厚い胸板に押しつぶされて、フリードはぐえ、と呻き声をあげた。それにモリーとオリオは顔を見合せて苦笑する。
「それにしても本当に目が覚めて良かった。このままじゃあんた本当に心臓が止まるかと思ったよ」
「………、まじで?」
「うん、マジ」
フリードはモリーから話を聞いてぴしりと固まる。夢の中での記憶はほとんど朧気で覚えてないが、誰かと話していたような気がする。
そしてふと、リコの青い瞳がきらりと輝いて見えた。その澄んだ青い輝きを、自分は他にも誰か知っているような気がした。
「…………、なんだろうなぁ」
「フリード?」
「まあ、生きてるからいいか」
「軽っ!!」
「さっきまで死にかけてたっていうのに」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなる救護室内で、フリードはカラリと笑った。ブレイブアサギ号は今日も元気に空の道を突き進む。この頼もしい仲間達と一緒なら、どんな事でも乗り越えられそうな気がした。