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    朝尊の話改め、
    梟は黄昏に飛ぶ です。

    ##梟は黄昏に飛ぶ

    黄昏 僕は朝尊に隠れているように言われた。三階の空間、その非常階段のほど近くで、僕は朝尊が来るのを待っている。君が居ても何もできない、なんて言われたら、僕には何も言い返しようがない。西に日が傾きかけたころ、この廃墟群にエンジン音が響いてきた。隠すつもりもないようだった。写真で見た覚えのある顔、朝尊は実際に同じ顔の別人と話したことがあるんだろう。それと相対するというのは、本当はとてもつらい事なのではないだろうか。
     僕は座って耳を澄ませていた。崖下から吹き上げる風によって、階下の音はかき消される。迎え撃たなくてもいいじゃないか、と言いたかった。どれだけ待ったろうか。どんどん、日の光は赤みを帯びてくる。不意に、ガキン、と重い金属音が響き渡った。風が止まる。なにか、話している声が聞こえてきた。くぐもっていてよく聞こえない。何を言っている。
     朝尊が非常階段の近くに居ろと言ったのは、自分に何かあった時僕だけでも逃がすためだ。それは分かっている。僕だって馬鹿じゃない。朝尊の様子を見に言ったとして、彼は斬りあっているのだ、そこに行ったところで僕に出来る事はない。むしろ、僕が行くことで彼の気を削いでしまう。それは致命的な隙を生むことになってしまうだろう。
     僕が立ち上がって迷っている時、背後から声が聞こえた。
     振り向いても誰もいない。そっと、階下を覗き込む。廃墟の外に黒い帽子の人物がひとり、立っていた。何を言っているかは分からないけれど、この非常階段について連絡をしているようだった。顔を引っ込め、僕は考えた。恐らく、この下で待機されるだろう。なら、僕がここから降りて外に出るなんてこと、夢のまた夢だ。木と植物でおおわれているから見えにくいと思っていたけれど。
     その時だ。わずかに地面が振動し、轟音が聞こえた。下にいる人物も気付いたみたいで、バッと建物の方を見ている。僕は、ゆっくりと降りていく。わずかに二階部分が見える位置まで移動し、立ち止まった。床の一部が崩れている。朝尊が崩したのだろう。
     床にはあちこち赤いしぶきが散っていて、朝尊は今まで見たことがないくらいぼろぼろだった。彼の着物は藍色をしているけれど、それでも、出血しているのがわかるほど布がどす黒く変色している。対して、黒いコートの金髪の男。彼も服のあちこちが斬れているようだったが、深手を負っているようには見えない。だというのに、普段であれば涼しげに見えるであろうその瞳には、僕でもわかるくらいの怒りをにじませて、朝尊を見据えている。
     突然声が聞こえてきた。崩落した床の下からだろう。
    「……肥前は大丈夫だ、一文字則宗!」
    「なるほど、廃墟の強度を懸念して威力を低くしていたが、裏目に出たようだ。さすが政府所属の刀剣男士。しぶといものだね」
     朝尊はわざと言っている。相手を挑発しているのだ。
    「南海太郎朝尊、政府が折れと言っても僕は折るつもりはなかったのだが」
    「おや、そうかね。初めから折る気で来ていると思ったが」
     お互いに刀を構えている。どちらが先に動くか。空気が張り詰めていくのがわかる。朝尊には死んでほしくはない。朝尊は踏み込んできた彼らを生かす気はないようだったけれど、僕は朝尊に彼らを殺してほしくもない。
     ふと、金髪の男が僕の方を見た。目が確かに合った。そのよそ見を朝尊が見逃すわけがなく、一気に踏み込んでその勢いのまま振り抜く。金髪の男は、それを刀で受け止め、流れるように弾いて、斜めに斬り上げた。朝尊はよろめく。そのよろめいた彼の肺を一突きしたのが分かった。血を吐いて、朝尊は崩れ落ちる。決着がついたのだ。
    「自分が、何をしているのか分かっているのか」
     静かに金髪の男は言う。怒りをにじませながらも、冷静さを保とうとしているように見えた。朝尊は息をするのもやっとのようで、げほげほと咳き込んでいた。
    「さっき言っていたな。時の政府はあの少年を利用するだろうと。過去のために個の未来を潰すだろうと。ああそうなるだろうよ、審神者という駒として利用するだろう。では、お前はなんだ?あの少年のためを思って、何をしている?選択肢を狭め、未来を潰しているのはどちらだ」
     そして、金髪の男は僕を再び見た。怖がらせたな、と呼びかけられる。
    「僕は一文字則宗。お前さんを保護するためにここまで来た」
     彼の言葉に何と答えればいいのかわからない。僕はゆっくりと近づいていく。素直について行くきはないけれど、僕は朝尊よりやや後ろで立ち止まり、一文字則宗と名乗る男を見据えた。
    「あなたと一緒には行かないよ」
     ささやかな抵抗の意を言葉で示す。僕は朝尊の側にしゃがみ込む。肩に手をおいただけで、血が滲みだしてくるようだ。ひゅうひゅう、と苦しそうに喉が鳴っている。
    「詳細は差し控えるがね、そいつはこの時代に戻る、ただそのためだけにお前さんの家を利用したに過ぎん。狡猾で執念深い、南海太郎朝尊という男士の本来の在り方から大きく逸脱している」
     どういうことか分からず、僕は朝尊から目を離して一文字則宗を見上げる。僕に聞く気があると判断した彼は言葉をつづけた。
    「過去に取り残され、帰る手段を失ったそいつがその時点で出来た事。それは、その時代の人間に自分の本体を預けこの時代まで守らせることだ。自分の本丸の近くに『南海』の姓があったことから、行動に移したのだろうがね。結果的に巻き込まれた。初めから、そうなることが決まっていたともいえるが」
    「鶏が先か、卵が先か、みたいな話ですね」
     僕は言う。朝尊は拳を握って顔を伏せていた。わずかに震えている。誰も悪くはないんじゃないか、と僕は思った。詳しい事情は僕にはわからない。当然のように過去がどうのと話されても。ただ、みんながいるところに帰りたいと思った彼の気持ちは、誰にも否定されるべきものじゃないと思った。
    「南海太郎朝尊、お前は過去に取り残された時点で折れているべきだった。ここまで生きたのが間違いだったな」
     一文字則宗はそういうと手に持っている刀の切っ先を朝尊に向ける。止めを刺す気なのだ。僕を守ってくれた人に。
     彼は何と言っただろう。朝尊に。
    「ここまで生きたのが間違いだったって、それは貴方がそういう神様ってことですか?」
     僕の質問に一文字則宗は「何?」と聞き返してくる。
    「ほら、運命を決めたり、人の寿命を定めたりとか、そういうことが出来る存在なんですか?」
     ひどい屁理屈を言っている自覚はある。相手がわずかにたじろいたのが分かった。言われなくても分っている、彼はそういう存在じゃない。きっと朝尊に近しい存在だ。大きな権能みたいなものなんて持っていない、刀の神様。
    「朝尊が生きていることが間違っているなら、僕が生きていることも間違いですよ」
     過去に遡る、なんてこと出来るのかわからないけれど、彼が言っていることはそういうことだ。
    「僕の先祖は朝尊に刀を譲り受けて姓を『南海』と定めた。朝尊の刀をずっと守り続けていたことが間違いだったというのなら、僕の家はそもそも成り立ちから間違っている」
     そんなつもりで言ったわけじゃないのは僕もわかる。でも、言わなければいけない。これは僕が出来る唯一の賭けだ。その瞬間、ぞわりと肌が粟立った。寒気を感じるけれど怖くはない。朝尊が悲しんでいる。僕が言ったことを受けて怒っているのだ。そのままにしてはいけないと思った。がり、と朝尊が床に爪を立てた。
    「朝尊」
     僕は朝尊に呼びかける。
    「でも、彼が言っていることが正しいかなんてわからないんだよ。だって彼はそういう神様じゃないんだから」
     一文字則宗は眉間にしわを寄せて、僕と朝尊をじっと見つめていた。不可解なものを見るかのような表情だ。朝尊が今どんな姿かなんて僕には関係ない。僕には朝尊に見えている。
    「もし、朝尊が生きていてはいけないなら、共に誤った道を進み続けた南海の家もここで終わりにします。僕が末代ですから」
     でも、と言葉をつづけた。
    「生きていいることが正しいかもしれない。それを、僕は今から確かめて見せるから」
     朝尊、と声を掛けて彼の刀をそっと手から外した。鞘も同じように借り受けて、刀を鞘納める。刃毀れしているぼろぼろの刀身を見た。それを両腕に抱えて、僕は一歩後ずさる。何をするのか一文字則宗も朝尊も思いつきもしないだろう。まだ、今はだめだ。チャンスは一度きり。しくじれば僕は朝尊諸共死ぬ。これは、心中をしようって話じゃない。確実に、少しでも成功に近づけなくては。
    「僕と、南海理と約束してください一文字則宗。ふたりとも生き残っても、片方だけ生き残っても、殺さないで。確かめて生かされたのだから、貴方にその生を間違いと終わらせる権利はない」
     話している間にも、僕は少しずつ遠ざかっていく。夕日を背に受けて、僕の影は朝尊をちょうど覆っていた。朝尊に何か言った。聞こえなかったけれど、それは僕を止める言葉だということが分かった。ふわりと、僕の髪と服が揺れる。一文字則宗は、僕の意図に気付き、駆け出した。
    「やめなさい!」
     僕は朝尊に小さく手を振った。大丈夫、僕も貴方も死にはしない。窓のないその空間へ向かって床を思いっきり蹴る。ふわり、と一瞬の浮遊感。やっぱりこの位置からの夕日は美しい。わずかに背に指先が触れたけれど、掴むには至らない。

     僕は迫りくる黄昏を見つめ、その宙へと飛んだ。
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