寒空の下、塚本太郎は考えていた。昨晩の出来事、昨晩の彼の事を。
ふわふわした心地で部屋へ帰った。あの場で起きた(起こした)こと、見たもの、思ったこと、声、手や唇に残る感触。いろんなものが熱をもって渦巻いて、寝台に腰掛けたまま動けず、やっと横になっても寝返りを打つばかりだった。ようやく眠気がやってきたのは、カーテンから淡く朝日が漏れてくる頃だった。
「塚本どうした、腹減ってないんか」
「うーん、まあ」
朝餉もそこそこに重い体で職務にあたる。最初はまずいと思ったが、冷たい風を浴びながら機体点検、部品交換、給油、磨きと手指を動かしていくとなんだか頭が冴えてくるようだった。同時に自分を明け方まで悩ませたあれこれも徐々に整理されてきた。
ここで冒頭に戻る。
昨夜は驚くことばかりだった。
一度は土下座までして拒んでしまったのに彼(尉官!)の部屋(士官用の棟!!)へ向かう度胸が自分にあったことや、彼がそんな自分を受け入れてくれたこともそうだが、塚本がなにより驚いたのは、男の体を前にして自分があんなに昂ぶり悦くなってしまったことだった。
彼を抱くということは、まず自分が男として反応することが大前提で最重要事項で、塚本にとっては最難関事項だと思っていた。居ても立っても居られなくて自分の部屋を飛び出した時でさえ、頭の片隅では使い物にならなかったらどうしようと考えていた。
「(まっっったく要らない心配だった……)」
彼の体を思い出す。普段衣服に包まれた体は、月光だけが頼りの部屋で仄白く光り、艶かしかった。衣服を乱された彼は顔を顰めて馬鹿だな、と言ったが塚本はそれを見た瞬間、大丈夫だと思った。正確には大丈夫どころの話ではなかったのだが。
しなやかな筋肉を包む肌は滑らかで、滲む汗も相まって吸いつくようだった。どこを触れても心地よく、またそれに彼が喘ぐのが嬉しかった。それは女の嬌声とは似ても似つかない、どこまでいっても男の声だったが、彼を絶対に悦くしたいと思っていた塚本にとって本当に嬉しかったのだ。
それから男同士で事に及ぶ時に使うあの部分。どこを使うか知ってはいたがあんなに、あんなにいいとは知らなかった。慣らせば皆ああなのだろうか、それとも彼だけ?思い出していた。塚本を柔らかく包み、締めつけ、うねり、震える、熱い粘膜……、
「……はあ、」
首の後ろから耳へ、頬へ、熱が上がってくる。今、塚本の顔が熱いのは冬の空気のせいではなかった。
「塚本手ぇ止まってんぞ!モタモタすんな!!」
「はひ……!」
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昼餉も済ませ、午後の職務時間まで浅く眠った頭で塚本はこうも考えていた。
「(もうこんなこと二度とないだろう)」
自分にとってはめくるめく夜だったが彼にとってはどうだったか。最後は自分を抱き寄せ、気持ちいい、と言葉にまでしてくれたが、事が終われば彼は尉官で海軍花形の搭乗員様だ。お高くとまっているような人ではないが、いち整備兵に好き勝手にされてなんとも思わないはずがない。泣いても、止めてと言われても止まれなかった。調子に乗って口付けまでしてしまった。
かつて先輩方から受けていたという“かわいがり”と同じくらい、もしかしたらそれ以上に彼の心を傷つけてしまったかもしれないと思った。
「はあ……」
機体を拭く手が止まる。昨日必死に洗った手指は機械油で真っ黒になっていた。
「どうした塚本」
「○○兵長、」
「貴様、具合でも悪いのか」
「いえ、いえ。そんなことは」
「だったら良いがボサっとするな。怪我の元だ。ウエスの在庫、備品庫から取ってこれるか」
「はい……」
もう呼ばれることはない。呼ばれたとしても口外するな忘れろと念を押されるか、よくも整備兵の分際でと今度こそ打擲を受けるかだ。またいつも通りの夜が来て、朝が来て、その繰り返しだ。それでいい。それがいいと思った。
なのに塚本はどうしてか、胸がひどく苦しかった。
備品庫の重い戸を開ける。はめ殺し窓のみのそこは空気が籠っていて、差し込む陽に埃がチラチラと光っていた。
「ウエス……」
他に足りない物はなかったか。仕事、仕事だ。何かに集中して頭の片隅に追いやりたかった。
その時、じり、と土を踏む音が響いた。
「塚本、」
手が止まる。振り向かなくても分かる。声の主は昨晩から塚本を悩ませた“彼”、橋内和その人だった。
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「塚本」
「はい!」
声が震えた。体こそ橋内のほうを向いたが目を合わせることができない。塚本は今になって、朝一番にでも謝罪に伺えばよかったと思った。そうすれば僅かでも彼の心持ちを良くすることができただろうに。自分も傷付かずに済んだろうに。
ここまで考えて塚本はなにか引っ掛かった。
「昨日は部屋へ無事戻れたか」
「は、はい、ええ。何事も、なく……」
「……そうか」
沈黙が流れる。外の喧騒がやたらと大きく聞こえた。塚本は帽子を被ったままだったことに気付きサッと脱帽する。一瞬だけ橋内の顔を盗み見た。窓からの陽が橋内の顔を映している。塚本を見やる目が薄暗い備品庫の中で鋭く光って見えた。
「……」
「……」
謝罪を促されている。緊張で強張った手で帽子をぎゅうと握りしめた。
「……昨日は「きっ、昨日は!!申し訳ありませんでした!!!」
「……は?」
「あのあのあの本当に、ご依頼とはいえ、とんだ無体を!」
「い、いや、待て」
「大事なお体に……!わっ忘れてください!!」
「つかも「もちろん口外しません!打擲だって受けます!顔も見たくないなら他所へ飛ばされたっていいです!ほっ、ほんとうに……申し訳ありまぶへぇ!!!」
「人の話を聴け馬鹿たれ!!!!!」
目の前に火花が散った。昨晩も食らった平手打ちだった。橋内から繰り出されたそれは腕力からくる速さと手のひらの厚みも相まって平手打ちというより打撃に近い。
謝罪中に平手打ちを食らったこととその痛みに塚本は目を白黒させた。打擲だって受けるとは言ったが間髪入れなさすぎじゃないかと思った。
「え……ええ〜〜〜……?」
「俺は」
「俺は謝れって言いに来たわけじゃない」
「え?」
「口止めしに来たわけでも、打擲しに来たわけでも、ない」
「え??」
「……、つぎ」
「え???」
「次はいつ来れるかって、聞きたくて」
つぎ。つぎ。橋内の言ったことを頭の中で繰り返す。音から言葉に変換される。
次!!!!!
大きく息を呑む。橋内の顔をまじまじと見る。彼の目が鋭く光って見えたのは、潤む目で精一杯睨んでいるだけだった。塚本の勘違いでなければ彼の顔が赤いのも怒っているのではなく、
「(えええ〜〜〜〜〜!!!)」
今、塚本の顔が熱くなるのと同じ理由だった。