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    2022年5月発行のアキ姫アキアンソロジー「真夜中に手解き」参加作品です。
    寄稿できて光栄でした。関係者のみなさま、どうもありがとうございました。

    #アキ姫
    princessAki

    行間 もしもねがいがかなうとしたら。
     わたしは、何を祈るだろう。
     なにか、たったひとつだけ。絶対に叶う願いを受け入れてくれる神だか何だか、いたとしたら。
     アキくん。
     あなたがこれ以上、痛い思いをしないよう。
     あなたが、大切なものを失わぬよう。
     あなたが本来送るべきであった、穏やかな人生を過ごせるよう。
     祈る、だろうか。
     祈る、のだろう。
     そうして本来、あなたと出会えず終わるはずの私は、
     それでもきっと、あなたをみつけてみせるのだ。

    「先輩」
     そう、きっときっときみを見つけて、
    「先輩ヨダレすごい」
     もう、うるさいなあ。今いいとこなのに──
    「────…………は?」
    「はい」
    「……あき、くん」
    「はい」
    「なんで私の家にいるの?」
    「なんでと言われても」
     私は自分のベッドの上。彼はその下のフローリングの上。カーテンの隙間に午前のすがすがしい陽光を感じて、私は体に掛けられていた毛布をそろりとめくる。
    「…………着てる」
    「人聞きの悪いことを……」
     俺を何だと思ってんですか。力なく呟く横顔の、その頬の上にさす白く細い光を いとしい そう思った。彼は今日も生きている。生きて、いる。まだわたしも。
    「おはよう、アキ君」
     ぐじゃぐじゃのワイシャツ姿のまま、私は大きく伸びをして笑う。
    「朝ごはん、パンでいい?」
    「有り難いです」



     そもそもどうして私と彼が家にいるのかを思い出すまで、しばらくかかったことにした。「ことにした」というのは別に、本当は最初から覚えていたとかそういう話ではなくて。むしろ顛末を聞いたところでひとつもピンとこなくて何も思い出せないままだった、という方が正しい。
     昨日対峙した悪魔は「記憶の悪魔」という名前で、私とアキ君は確かにそいつをぶっ倒すべく昨晩遅くに東京本部を出動し、実際ぶっ倒すことに成功した。そこまでは覚えている。問題はそこからだ。アキ君の話によれば、私はその後なぜか唐突に昏倒し、ひととき意識を混濁させていたという。
    「こんだく、ってのは……?」
    「それが何言ってるのかよくわからなくて。ただ、自分のことも悪魔のこともなんもわかってない様子でした」
     時間にしてみればほんの数分の「混濁」だったらしくて、その後私は再び倒れたとのことだった。本部に戻るより私の家の方が近かったから、アキ君は私をここまで運んでくれたそうだ。一度本部に顔を出して報告を済ませ、自分と私の鞄を持ち帰り、あとは夜を明かすついでに今まで付き添ってくれたらしい。なんて仕事のできる後輩。ありがたやありがたや。おそわれなかったことがかなしいだなんて断じて思うものか。
    「恐らく、記憶の悪魔の影響の余波によるものでしょう。アレは人間の記憶の時系列を分解する力を持ってましたから。悪魔の肉体が完全に崩壊したあとで姫野先輩も落ち着きましたし」
    「えーなんかごめん、ジワジワ思い出してる感あるけど。なさけなー」
    「……思い出したんですか?」
    「んー、うっすら? びみょーに? ほんのわずかに?」
     あまり心配をかけたくなくてごまかそうとした私に、アキ君は気づいているのかもしれない。それでもいい。とりあえずもう大丈夫だと伝われば。
    「……まあ、元気ならいいんですけど」
     アキ君は呟いて、私が作ったトマトサンドに綺麗にかぶついた。この部屋のベランダで食事をとるのが私はもうずっと気に入っていて、その気に入りの場所で今、気に入りの男が、私の作った食事をとっている。たいへんに胸のざわめく光景だった。快晴と呼ぶには雲の多い空でさえ不思議と心地よく感じられる。
    「え、今日日曜じゃん。休みじゃん」
    「そうですよ」
    「やべ、洗濯物! まわさなきゃ!」
     平日は仕事で忙しい私は、目の前の彼のように、どれだけ多忙を極めていても日々の家事を怠らずにいることができない。自然と洗濯物は一週間分を休日にまとめて片すようになる。
    「先輩、これソース何使ってるんです?」
    「ふっふっふっ、よくぞきいてくれました! なんと隠し味に味噌が入っているのだ!」
    「味噌マヨですか」
     マネしよ。呟きながらもうひと口かぶつく薄い唇。好き。大好き。もっと食べて。

     一人暮らし用の六キロ洗濯機を、結局四回まわした。
     ゆらゆら揺れる年頃の女のワイシャツはまだしも、下着や部屋着にさえアキ君はとりたてて関心がなさそうだった。ちょっとくやしいけど、そういうところも好きだから仕方ない。恋は盲目。私は隻眼。
    「眼帯って、ずっと着けてるんですか?」
     心を看破されたのかと疑うほど見事なタイミングでアキ君に訊かれて、私は一瞬の動揺を隠すのに息を呑んだ。
    「あんまりはずさないよ?」
    「外したくなるとき、ないんですか?」
    「んー、まあ一人のときには外すけどね」
     外していいですよ。ふいに、そんなことを言う。私の部屋のフローリングの上、私の七日分の抜け殻を背景にして。
    「というか、先輩の体調に問題なさそうなんで俺帰ります。あとはごゆっくり」
    「えっ、帰っちゃうの?」
    「俺も昨日の分の洗濯とかあるし……」
    「あとで私がコインランドリー持ってったげるからもうちょいいなよ」
    「その余力はもう少し自分の家事に向けてください」
     立ち上がりながらアキ君が言う。俯いた面差し。伏せたまつ毛の向こう、かすかに見える瞳の色。低くて浅い滲むような声も、ぜんぶ、好き。
    「アキくん」
     私はきっと、彼の前で服を脱ぐのは怖くない。
     いや嘘、少しくらいは緊張するかも。でもまあきっと最終的には怖くなくなる。緊張するのも平気になるのも、アキくんだから。
     でも、さすがに彼を前にして眼帯を外すのは、多少では足らない程度の勇気が要った。人前で外すのは初めてだった。その初めてを失ってでも、私は、帰ってほしくなかった。アキ君にここにいてほしかった。
     かつて私の右目があったそこを見て、アキ君はひととき、息を止めていた。その表情からは驚きも嫌悪もうかがえない。けれど、目をそらすこともしないで、じっと見ている。彼が私の最奥を見つめている。
     甘くはない沈黙が、湿気っぽい小さな部屋に降り積もる。急に立ちはだかってこんなものを見せたのは悪かったけど、でも、なんでもいいから言ってほしい。
    「……ごめん、ヘンなモン見せた」
     耐えかねて軽く俯き、手の中の眼帯を当てようとした私の前で、アキ君が動く気配がした。あ、やだかえっちゃう。ぞわりと足元から寒気が襲う。
     その、私のつま先に。一回り大きいつま先が向き合った。黒い靴下。生真面目で、ヘンなところで几帳面なアキ君らしい、色褪せのない黒い靴下。
     アキ君はためらいもせずに私のおとがいを掬って、私の顔を真っ向から見つめた。思わずごくりと喉が鳴る。この整った顔面とここまで接近したのは初めて。酔うとキス魔になるらしい私は、けれどアキ君にだけはそれをしたことがないらしい。
    『したい顔じゃないからでしょう。キス魔の本能なんて俺は知りませんけど』
     本人はそう言っていたけれど、私は「わたし」の気持ちがよくわかる。わかるよ私。そりゃできねーわ。
     だって本当に、すきなひとだから。きっとそんなこと、冗談でもできない。
    「……先輩」
     二人、突っ立ったまま、部屋の真ん中で見つめ合っていた。その沈黙の帳をそっとひらくみたいに、アキ君が言う。
    「これ、痛くないんですか?」
     私の右目のあった場所を覗き込んで、真顔のままでアキ君が静かに問う。いたくないよ。私はつられて真顔になる。
    「痛そう」
    「痛くないって」
    「そうですか」
     頷いた彼は、私のあごからようやく手を離した。かと思ったらそのてのひらが、私の頭上まで持ち上がる。ぽん、と、てのひらをのせられて。今度こそ私はフリーズした。
    「それならいいんです」
     どこか仕方なさそうにささめいた彼は、すぐに手を下げて部屋の隅に置いていた通勤鞄のデイパックをひょいと持ち上げた。「じゃあまた明日」と言い残して、今度こそそのまま帰っていった。とりのこされた私は一人、六帖の真ん中でぺたんとへたりこむ。
    「………………っあ〜〜〜〜」
     致死量のアキくんを吸った。ふれられたところと胸のどこかがありえないくらい熱い。ていうかなんだあれ、何あの急に来るあの、あれ。
    「語彙がしぬ……」
     神様これは夢ですか。目が覚めたらいつもどおりベッドの上で汚い寝相で寝てるんですか私は。人生に対する夢も希望も潰え果てた今になって、私の心の在処をこんなにもはっきり知らしめる彼は一体何なんですか。思い余って、傍らのチェストの側面に思いきり額を打ってみた。ひとつきりの視界に七色の火花が散った。どうやら夢ではなさそうです。
     チェストに頭をもたせかけたまま、まぶたをとじる。たったひとつの心臓が とくん とくん 脈打っている。しんぞうがにこ、あったらな。ひとつアキくんにあげられたのに。
     膝を抱えて床に転がる。熱い頬。ひるがえる洗濯物の白がまぶしくて、私は再びひとつきりの瞳を閉じる。

         ●

     薄雲のかかるおもてに出ると、風はわずかに冷たさを帯びはじめていた。姫野の部屋から自宅まではそう遠くない。履き慣れたスニーカーの踵で、早川はアパートまでの帰路を辿る。
     日曜の午後。通りかかった公園では、いく人かの子供がそれぞれ鬼ごっこだの遊具遊びだのに興じていた。砂場では子供用のシャベルと小さな黄色のバケツを装備した女の子が、砂山にトンネルを通すべく湿気た土に腕を突っ込んでいる。うまく貫通したようで嬉しそうに立ち上がると、誰かに知らせたかったのか、きょろきょろと周囲を見回した。離れた場所にあるベンチで赤子を抱いている女性を見つけて動きが止まる。恐らく母親なのだろう。
     勢いのまま駆け出して、砂場の縁に足を取られ派手に転ぶまでの一部始終を。早川は見なかったことにして、その場を離れようとした。数拍置いて、歪んだ女児の泣き声が聞こえはじめる。他の子たちの絶え間ない奇声に掻き消えているのか、はたまた腕の中で泣いている赤子に気を取られているのか、母親が気づく気配は一向にない。
     思わず、重いため息が零れた。先輩の介抱が終わったと思ったら今度は見ず知らずのガキが相手か。早川は児童公園に歩を向けた。ひしゃげた体勢のままびゃあびゃあ言っている子供に声をかける。
    「……大丈夫か?」
     黒い短髪の女の子だった。早川を視認するなり泣き声をひそめる。
    「転んだんだろ? 痛いとこは?」
    「……おひざ」
    「見せてみろ」
     弟がいるにもかかわらず、小さな子供への対処は昔から下手くそだった。親の関心を余白なく攫っていってしまう、小さく、健気な、あいすべき弟だった。兄としての早川は決して優しくなどなかった。きっと やさしく できていなかった。
     女児の膝は確かに軽い擦り傷があった。早川は背中の鞄から未開封のミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、その場でざぶざぶと膝を洗ってやる。
    「いたい」
    「我慢しろ。すぐ終わる」
     職業柄、ごく小さな応急処置キットはいつも持ち歩いていた。もっとも、現場での怪我人は間髪入れずに遺体に変わってしまうのが常だから、あまり使ったことはない。
     細い右膝に絆創膏を貼る。女児の小さなつむじが目に入って、ふいに、昨晩のことを思い出した。

     おにいちゃん、だあれ?

     悪魔の血肉が爆ぜた路地裏で。半泣きの姫野はそう言って首を傾げた。
    『……先輩さすがにそのジョークは上級者向けすぎません?』
    『せんぱいって、だあれ?』
     ひどくいとけない声でくり返して、ここどこ? と心細そうな顔をする。彼女のそんなに心細そうな表情を見たのは初めてで、早川は思わず息を呑んだ。
    『おとうさん、どこ?』
    『ええと……』
    『おにいちゃん、おとうさんどこ? ……あれ、なんで? みぎめみえない』
    『……君、名前は?』
     そう訊くと、姫野は下の名前をぽつりと呟いた。普段はどれほど適当であっても仕事に関しては至極真面目なひとだから、流石にジョークではないのだろう。恐らく意識だけが幼少時代に後退している。倒した悪魔の能力の残滓にやられたのだろうか。
    『ねえ、おうちかえりたい』
    『…………』
    『ここどこ? おうちどこ? やだもうかえる』
     くらいの、やだ。現在の姫野の姿のままで、幼いころの彼女がぐずる。その場にへたりこんでしまうので、早川は仕方がなくて、とりあえず向かいにしゃがんで背を屈めた。
    『家は、どこなんだ?』
    『おとうさん』
    『お父さんは、また後で会える。一旦ここから離れるぞ』
    『やだこわい~! みぎめみえないおうちかえる~!』
     まだ酒もタバコも悪魔も知らないころの、小さな彼女の姿があった。早川は姫野の昔日を知らない。死んだ相棒の遺族から八つ当たりを食らっても「これも仕事だ」と澄ました顔をしていた頃からしか、早川は姫野のことを知らない。今はただいたいけな眼差しで駄々をこねる彼女が、現在に至るまでの痛みも苦しみも。ひいては、悲しみも。早川は知らない。
     ──公安に来る暗めの人は全員そうだから。
     先輩は俺の痛みを、話さないうちに掬い上げてくれたのに。
     早川は両腕を姫野に伸ばした。迷わずに頭を抱えて、自分の胸に引き寄せる。真夜中の月が路地裏の汚れたコンクリートをほのかに照らす。肉も血も、まだそこらじゅうに飛び散ったままの、こころの底みたいな場所で。抱き寄せたその耳元に、祈りのように囁きかけた。
    『……大丈夫だ』
     きっと何も、大丈夫じゃない。
    『俺が守るから』
     いつでも互いに目の届く場所にいられるとは、限らない。
    『何も、こわくないから』
     世界はこれから、きみに怖いものをたくさん見せつける。そうしてあなたは多くの同胞を失うことになる。予言ではなく、ただただ事実として。
     ここは、こころの底みたいな場所だけれど、実際には煤けた都会の片隅で。ここから大通りに出れば、さらに汚く激しく腐り切った現実が待っている。あなたはまだ、階段の一段目にさえ立っていない。そうしてその階段はきっと、死んでさえなお踏破しきることはない。
     それでも。
    『今だけは何も、心配しなくていいよ』
     せめて今この瞬間、おさないあなたが、わずかでも安心できるなら。
     胸元のつむじに頬を寄せて、早川は姫野の冷え切った耳元に彼女の下の名前をささめいた。そのやわらかな体が突如音もなく脱力する。咄嗟に受けとめた腕の中、姫野はゆるみきった顔ですうすうと眠っていた。

    「ほら、もう血、止まったろ」
     絆創膏に滲む赤を見て、早川は立ち上がる。血が止まれば痛みも落ち着くだろう。あとは母親のもとまで戻れば、きっとおまじないか何かでごまかしてくれる。
    「……あんまり急いで転ぶなよ」
     立ち上がりしなに言い添えた言葉は、たぶん別の少女に伝えたかった本音そのものだった。
     仕事に生きる今のあなたの姿を、心から尊敬しているけれど。出来ればあまり、生き急がないでほしい。俺が言えた立場じゃないのは重々承知の上で、それでも、本当は、あなたには。
    「おにいちゃん」
     背を向けた黒髪の女児が、早川を呼び止める。振り返ると、傷ついた脚で立ち上がった子どもは真っ直ぐに早川を見つめていた。
    「ありがとう」
     まだわずかに涙の残る、二つの瞳。
     噓ばかりの約束を守れなかった早川は、何も言わずに陽だまりの公園を歩き去った。そのままでいてほしかった。あなたにはずっとそのままで、いてほしかった。

         ○

     からだが音も立てずに、ほどけてゆく。
     右腕がどこかへ消えた。そうして私ももうすぐに、契約したそれと同じ名を持つなにかに、なるんだろうか。わからない。本当にしぬんだな。走馬灯なんてちっともみえてこないけど。
     ただただ目の前には、この生涯で最期に愛した男がいる。
     目の前で、放心したみたいに血を流しながら、彼は声もなく私を見つめていた。たくさんたくさん、血が流れている。あかいいのちがながれてゆく。途端、目の奥を駆け抜けたいくつもの記憶。出会いの墓地に初めての任務にガムつけてやったに成人した冬に宅飲みの夜にいくつもいくつも爆ぜては霧散してゆく景色。走馬灯ではなく、心が望んで見せたもの。わたしがしんだらこのきおくはどこへいくんだろう。
     ねえ、アキくん。
     わたしに心臓は二個、ないから。
     代わりに全部、私をあげる。全部あげる。だから全部ぜんぶたべて、
     ──嘘。あげられない。わたしのすべてはあくまにささげた。それでそれきり、おわりなの。

    「アキ君」

     ああそれでも、今もし、
     もしもねがいがかなうとしたら。
     わたしは、何を祈るだろう。
     なにか、たったひとつだけ。絶対に叶う願いを受け入れてくれる神だか何だか、いたとしたら。

    「アキくん」

     あなたがこれ以上、痛い思いをしないよう。
     あなたが、大切なものを失わぬよう。
     あなたが本来送るべきであった、穏やかな人生を過ごせるよう。

    「アキくんは死なないでね」

     祈る、だろうか。
     祈る、のだろう。
     そうして本来、あなたと出会えず終わるはずの私は、
     それでもきっと、あなたをみつけてみせるのだ。
     ──ああ、それでも。

    「私が 死んだ時さ 泣いてほしいから、」

     かなしみに さみしさに
     いのちをけずってたちむかう今生のきみのとなりに
     ずっとずっと いちばんちかくに
     あなたのそばにいられたら






    (2022年5月初稿)
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