苦節十年純米大吟醸1
「言うて先輩、先輩の恋愛が不毛なんは今に始まったことじゃないですやん」
「ウーッ火の玉ストレートが効く!」
「誰が藤川球児や!」
わたしはこの可愛くない後輩の、可愛くないところが好きだ。いくら高校で名を轟かせたバレーボーラーでも関西のヒーローの得意技は知っているところ。わたしの不毛な恋愛にキッチリ突っ込んでくれるところ。
「苦節十年の先輩にはこれやな」
「うちの生酒じゃん」
「酒蔵見学で良うして貰ったからな。恩は返すで。奢りや」
わたしはこの到底可愛いとは言えない後輩の、ある種人生に対して誠実なところを尊敬している。高校二年で将来を決めた上、店をやれているのはその結実だ。誠実な商売でなければ、いくら後輩であっても北くんは米を卸さない。
「にしてもお節介な先輩やな。自分は離婚しておいて」
「でしょ? 恋しなよなんてどの口がと思ったよ」
「……ちなみに飲んだくれても今日は北さん来んで。自治会の飲み会やから」
「ちょうどシーズン終わったとこだもんね」
「シーズンて」
少しばかりの期待をふいにされて、それを隠すのに酒を啜る。一升瓶で四千いくらのそれはキレの良い後味を売りにしている。それをゆっくりと舌で転がすと、頭上から笑い声がした。
「ほんまに先輩は美味そうに飲みよる」
「嫌な仕事をしたあとの酒こそ美味しく飲みたいの」
「違いないわ」
苦節十年と彼は言うけれど、やっていたのはただの片思いだ。中学で同じクラスだった男の子に一目惚れして、付かず離れずの関係を続けてもう十年になる。
「話戻すけど、先輩はうちの大将とどうなりたいん」
「なに、恋バナしたいの」
「……まぁそうやな」
「後輩の恋愛聞かせてくれたら答えるよ。参考までに」
「あったら先輩にこんなことせんわ。勘違いで破局一直線やんか」
「それもそうか」
手際よく握られた塩むすびを一口頂いて、考えてみる。思い返してみれば不毛という言葉が相応しい十年だった。
「わたし後輩に北くんに振られてる話したっけ」
「振られとんの!? なんやそんなおもろいことになっとったんやったら早よ教えてくれたら良かったのに」
「あんまりだなぁ。否定はしないけどさ」
あんまりな反応に苦い笑みが漏れる。これでもきっと手加減されていて、彼の片割れが聞けばもっとズバズバと言われていたに違いない。
好きやけど、大事に出来ん状態のまま付き合いたくない。
そう言って振られたのは一年生の夏、忘れもしない登校日のことだった。その日は茹だるような暑さで、たまたま部活のなかった彼と一緒に帰ろうだなんて画策して、挙句彼が告白されている現場に出くわした。
「部活に専念したいんや。すまんな」
隣の組の女の子がそう切って捨てられたのを見て、わたしは大層焦った。北くんは同じ中学のよしみで良くしてくれる。休み時間に勉強を教えてくれるし、時間が合えば一緒に帰ってくれる。一定以上の好意を貰っている自覚はあった。けれど、このままぬるま湯に浸かっていたら、きっとまともな恋なんて出来なくなると、直感が囁いたのだ。
だから、告白して振られようと思った。同じように切り捨てられて、少し距離のある友人として関係を再構築しようと思ったのだ。それがどれほど傲慢であったのか、今なら痛いほどわかる。
「見とったんか」
「あー、うん、まぁ」
「返事も聞いとって、本気で言うとるんか」
「……うん。そうだよ。振られに来た」
「勝手やな」
本当にその通りだと思う。振られるためにわざわざ時間を奪って、勝手に関係を清算しようとしているのだ。きちんとしている彼が怒るのも無理はない。
「……あの子にはああ言うたけどな、断ったのはそれだけやないねん」
それからしばらく黙り込んだ北くんは手のひらで鍵を弄ぶと、ちらりとこちらを見る。
「俺も好きや。言うつもりもなかってんけどな」
言葉も出ないわたしをどう思ったのか、彼は続ける。
「俺の性格は知っとるやろ。半端なことはしたないし、大事にしたいもんを大事に出来んと分かって手を出すこともせん。つまり――」
「うん」
「好きやけど、大事に出来ん状態のまま付き合いたくない」
こちらに向けられた視線の意味を履き違えるほど、わたしは鈍くも楽天家でもない。わたしが本気で北くんのことを好きで、本気で諦めていると知ってのこれだ。
「……ありがと」
「全てが落ち着くまで待ってくれとも言わんよ。俺がそうやってことだけ。縛りたいわけやないねん」
「うん。十分」
なんて誠実な男なんだと思った。振ろうと思えばもっとシンプルに振れたのに、自分の大切な部分を晒してまできちんと振ってくれた。それだけで報われると思ったのだ。
そこから先のわたしは浮かれていたといっても過言ではない。たとえ振られたとしても、好きな人に好かれていたという自覚はわたしを強くした。好きでいてくれる事に恥じないように自分を磨いたし、勉強にも熱が入った。傲慢にもなった。どうせ付き合えないのだからとそれとなく話しかけ続け、彼もそれに応答した。
――それでも、現実とは上手くいかないもので。
進学先をうっかり県外の農学部にしてしまったわたしは、大学院も含めた六年間を気が気でないまま過ごすことになる。
「だから、北くんとはあれなの。付き合ってないけど別れたの」
「へぇ。北さんが先輩のおらん間に彼女作るとは思わんかったん?」
「思ってたよ。縛るもんじゃないって約束だったし、自分磨きも自己満足だったし。農家さんだからお見合いもあるだろうって思ってたし」
「まぁお見合いの話はあったらしいな。断った言うとったけど」
「やっぱりあるんだなぁ……雄町の吟醸生酒ください」
「どうぞ」
何となく想像していたそれについ酒の追加を頼んでしまう。そうか、やっぱりお見合いを持ち掛けられるんだ。当たり前だ。魅力的な人なのは誰が見てもわかるのだから。
黙ってしまったわたしに何を思ったのか、後輩は少し躊躇う素振りを見せてから言う。
「でも、先輩かて戻ってきてから遊んだりしとったんやろ?」
「まぁ、夏に映画誘われた時はドキッとしたけど、偶然を装ってクリスマスイブしか予定空いてないふりして京都までお蕎麦食べに行ったりしたけど、なんにもなし!」
「先輩、水」
「ありがとう」
駄目だ。酔いが回ってきた。普段はこんなことないのに。それをわかってか差し出されるお冷を有難く飲み干した。