らうたき春とモラトリアム 稼げるわけではないが、掛け持ちにはちょうどいい。そんな噂を丸呑みに応募した図書館のアルバイトは、最低賃金ギリギリであることを除けばおおよそ"あたり"だった。
貸出は殆ど機械化されている上、夏休みに入ってしまえば参考書持参の高校生ばかり。座っているだけで時給が出るのにどこの棟よりもクーラーが効いているときた。紹介してきた姉貴分にすら似合わないと笑われたこの薄給バイトをセキは存外気に入っていた。
「お疲れ様です」
「おー、」
これでもう少し時給が良ければと罰当たりなことを考えていると、隣の席にリュックサックが置かれた。どこをどう歩いてきたのか、真っ赤な顔を必死に団扇で扇ぐテルにセキは無言でボディシートを差し出す。極寒マイナス二七三度、ぜったいれいどのハッカ臭がした。
「ありがとうございます……死ぬかと……」
「何してきたんだよ」
「ちょっと農場に……シャワー浴びてたら時間ギリギリになっちゃって」
こんなクソ暑い中よくもまあ畑なんぞに行く気になったものだ。浴びてきたと言う割に髪は乾ききっているから、水気は全て炎天下で飛ばされたのだろう。
「そらご苦労なこった。そういえば牛が脱走したとか言ってたな」
「それですそれ。全然関係ないのにユウガオ先生に捕まって……うぅ、これ冷えるとハッカがきついですね」
ぐだぐだと話しながら忙しなく団扇を扇いだテルはそういえば、とこちらへ顔を向けた。
「今日ショウが友達連れてくるんですよ」
「……お前はあいつの父親かなんかか?」
「そんなわけないじゃないですか」
なんてったってこいつは彼女と一緒に帰るためだけに稼げもしないバイトを選ぶくらいにはショウに重い感情を向けている。そんな間に入り込める人間は余程の鈍感か堅物に違いない。興味を示したセキにテルは続ける。
「彼女、カイさんもここを受けるらしくて、じゃあここ使ったらって誘ったんです。夏期講習終わりなのでそろそろですかね」
「へぇ」
「いい人なのでよろしくお願いしますね」
「よろしくつったってなぁ、」
その友人とやらも見知らぬ男に良くされたって気味が悪いだけだろう。目を細めたセキにへらりと笑い返したテルはそのままそっぽを向く。つられるように窓の外に目を向けるとちらりと金髪がひらめくのが見えた。
「噂をすればですね」
入口の方へ手を振るテルを目がけてショウともう一人がこちらへ駆け寄ってくる。どこかで見たような金色に片眉を上げたところで、少女が小さく頭を下げた。細い髪が頬にかかる。
「――こちらがショウと、カイさん」
「それにテル先輩です」
デジャヴを探るセキに割り込むようにテルが二人を順に指す。そっくりの顔で笑う二人は血縁がないのが不思議なぐらいだ。その呑気な顔になんとなしに腹が立って頭に肘を乗せると、うわわと声を上げてテルは腕を振った。
「図書館ではお静かに」
乱れた髪を抑えながらぐるぐる唸るテルを放って、追い出すように二人へ手を振る。満足したらしいショウは頭を下げてからくるりと背を向けた。
「あの人の家、道場してるんですよ。警察一家で厳しくて。……良くしてあげてくださいね」
二人がエレベーターに乗ったのを見送ってちらとテルがこちらを見る。
通りで見たことがあるわけだ。父親の運転手か何かで訪れた家で、親の後ろで所在なく突っ立っていたのを思い出した。セキの顔を見ても反応しなかったのは、覚えていないか話題に出して欲しくないかのどちらかだろう。
「へぇ」
努めて感情を乗せずに頷けば、それ以上話は続かなかった。テルは生真面目にも教科書を開き、セキはスマホを持ち上げる。
――あの家の出なら、放課後の受験勉強一つとっても大変だろうに。
やけに広い家と厳格そうな父親。地を這うように咲くクチナシ。ぼんやりと思い出した光景は友人からの飲みの誘いでたちまち掻き消えた。