春の終わりと新たな一歩 日が落ち、街灯が辺りを照らし始める黄昏時。夏と錯覚しそうなほどジリジリ肌を焼く昼の暑さから一転、びゅうと吹く風は肌寒さを感じさせる。
もうすぐ見頃を終える桜の木の下で、ひと足先にレジャーシートを敷いて人を待つ水無瀬は持ってきていたブランケットを広げた。
「君も使う?」
「…いらない」
ぶっきらぼうな返答だったが、小さく膝を抱える天青浄の横に一応一枚置き、少しの間敢えて体ごと視線を逸らす。
控えめな衣擦れの音が聞こえても、風に紛れて聞こえないふりを続けて数分後。陽の光が水平線の下に完全に隠れた頃、見覚えのある高身長の人影が二つ近づいてくるのが見えた。
「ええと、この辺りの筈だけど…」
「ふむ…おお!ミサちゃん殿、見つけたぞ!向こうの一番大きな木の近くだ!」
「あっ見えたわ!よかったぁ合流できて」
不安げな表情が薄暗い街頭に照らされていると思ったら、目が合った途端新しく照明でも当てられたかのように明るくなった様子に、思わず笑みが溢れる。だが、いるはずのもう二人の姿が見えない。
「こっちこっち〜って、榊たちは?」
「買い出しは自分たちでやるからと、先に合流するよう篠宮殿に言われてな」
「さっきこっちに向かってるって連絡あったから、多分もうすぐ着くわ」
明るい青尾とミサが加わったことにより、場の空気が和らいだ。
しかし、ほとんど面識がないからか、天青浄が居心地悪そうに更に隅に縮こまってしまう。それに気づいたミサが、これまた気まずそうに黙り込んだ。
初対面での印象が互いにあまり良くなかったせいだろう。あの時は水無瀬が「時期的に丁度いいし花見でもしようか!」と半ば強引に話を切り上げて場を収めたが、今はそれも出来ない。
人と関わってこなかった刀と、人と関わったことで振り回された刀。両者の気持ちを理解できる青尾もどう言えばいいか分からず、あわあわと慌てることしか出来ずにいた。
「篠宮さん待って、は、話まだ終わってません」
「え、榊」
お通夜のような空気になりかけた場に、榊のただならぬ声が響く。滅多に聞くことのない大声に何事だと青尾が立ち上がるが、声の先に居たのは山程の買い物袋を両腕に引っ提げて足早くこちらに向かう篠宮と、片腕にこれまた大きな袋を抱えてそれを追いかける榊が居るだけ。
「あっ!あーちゃん買いすぎよアタシを先に向かわせたのはこの為ね」
なるほど。篠宮は意外に大食いで、ミサちゃんはそれを止めているのか。
そう考えた水無瀬だったが、直後に「ほぼ初対面の人がいる所でそんなに食べさせないでよ」と怒った声が聞こえて、そっちか!と苦笑を漏らした。
「どうした榊らしくない大声なぞ出して」
「だって篠宮さんが、支払いを一括で済ませた挙句代金は要らないって言うから」
「はっその量で?太っ腹か篠宮くん」
「9割ウチの分なんで支払うと言われても困ります」
篠宮は割り勘を嫌う。自分が食べていない分の支払いまでしたくないからだ。だからこそ逆の立場にもなりたくないし、そもそもミサとバディを組んでからはエンゲル係数は爆上がりしているので、他四人分がプラスされても誤差でしかない。
食費に関しては財布の紐が全開の篠宮を総出で嗜めたが、ハナから聞く耳を持たない者には何を言っても馬の耳に念仏だった。
「それより、食べないんですか?」
持ち上げたレジ袋をガサリと鳴らす。とうに興味は食事の方に傾いているようだ。
「君、マイペースって言われない?」
「よく言われます」
ジト目気味になった水無瀬の視線に意を唱えるわけでもなく、ただ同じだけの視線を返す篠宮だった。
◇◆◇◆◇
「わぁ…」
「おぉ…」
「はわ…」
感嘆の声をあげたのは上から榊、青尾、水無瀬の三人。天青浄に至っては声もあげずポカンとしている。
四人の視線の先ではカラになった容器を積み重ね、小休憩としてあったかいお茶を飲むミサが居た。
「うまいか」
「美味しい!企業努力の味!」
「そうか」
あんなにも美味しそうに食べた感想が全く美味しそうじゃない。どうやらミサに食レポの才能は無いようだ。
極端な大口だったわけでも、咀嚼していなかったわけでもないのに、まるで水でも飲むかのように吸い込まれていった食べ物達とついでの酒。しかも今は小休憩で、次は何を食べようかと狙いを定めてすらいる様子には、いっそ天晴れと言いたい程だ。
そんな方々からの視線に次第に気づいたミサは、ハッと自分が食べた量を思い出してみふみる顔色を変えていった。
「あ、アタシ…食べ過ぎた…?」
「そうか?いつもの半分ぐらいだろ」
「半分もう結構食べてなかった」
「やっぱり食べ過ぎたぁほぼ初対面の人が居る席で食べる量じゃない」
思わず出た水無瀬の言葉にワアッと両手で顔を隠して俯く。厚い髪の隙間から見える耳は暗がりでもわかるほどに赤く染まっていた。
「あわわ、すまぬ!悲しませるつもりは無かったのだ!」
「何言ってるんですか、デリカシーないですよ!」
「ごめんっ」
「…別に騒ぐことじゃないだろ。天照周辺のチャレンジメニュー総なめしておいて」
「あーちゃんの馬鹿ぁ」
更に爆撃が投下され、必死にフォローに回っていた青尾や榊も固まった。体が資本の天照周辺には相撲部屋もかくやと言うほどの大盛りメニューが軒を連ねるが、それを総なめとは。分厚いわけではない体のどこに仕舞われているんだと思考が飛ぶのも無理はない。
「違う、違うの。ご飯もお酒も美味しくて、しかもいくら食べても太ったりしないからつい…!」
「わ、わかるぞ!我も初めは飯の美味さに喜んだぞ!」
「自覚あるから引かれないように気をつけようって思ってたのに、あーちゃんがこんな、うぅ…!」
「引いてない!引いてないぞちょっとびっくりしたけど…」
「食べたいなら食べれば良いだろ」
「たまの贅沢だから良いの!あーちゃんに買い物任せたらいつもこう!アタシのこと甘やかさないで」
「待ってこれボクら何を見せられてるの?」
水無瀬のツッコミに、今度こそ誰も何も言えなかった。
◇◆◇◆◇
ミサが篠宮にどれだけ文句を言っても暖簾に腕押し糠に釘。わかってはいたがやはり腹が立つもので、もう開き直って好きなだけ食べよう、とデザートの桜餅に手をつける。
ふと感じた視線に顔を上げると、天青浄がミサをじぃと見つめて固まっていた。
「えっと…アナタは食べないの?」
あまり、というか殆ど食べていない様子にそう問いかける。
「…吾には、食べるっていうの…よくわからないから…別にいらない」
視線を逸らされ小さく返ってきた返答に、なんて勿体無い!と言いそうになった。
実際問題、刀神に食事は必要ない。だが、嗜好品としてこれ以上のものもないと思っている。
ミサが初めて食事した時の感動といったら、とても言葉で言い表せるものではない。ただその時から篠宮が際限なく食べろ食べろと甘やかしてくるから。そんな甘い誘いについつい乗ってしまって食べ過ぎて…なんてことはどうでもいい。
食べるべき…と言うのは傲慢だけど、殆ど食べず終いなのは流石に勿体無いと思う。かと言って、親しくもない相手にそこまで踏み込まれるのは不快じゃないだろうか。
考え込み視線を彷徨わせた先で、篠宮と目が合った。
その目が、いつものように「好きにしろ」と言っていたから。「やりたいようにやれ」と言うから。
「っ…ねぇ!今度、一緒にお茶会しない?」
緊張で震えても、声が裏返りそうになっても、仲良くなりたいと思った気持ちを前に進ませることが出来るのだ。
◇◆◇◆◇
「君ってバディを甘やかすタイプ?」
「何のことですか」
アレのこと、と水無瀬の指差す先で、ミサが天青浄をお茶会に誘っていた。
緊張からか、それともアルコールが回ったせいか。顔を真っ赤にして誘う姿は健気で、つい応援したくなる。
「甘やかし?…まさか」
「違うの?」
「人見知りに発破かけて人脈作らせてるだけです」
「そうなの?君が喋らない分、ミサちゃんが代わりに話していたのに」
「アレ見ても同じこと言えます?」
突然の誘いに困惑する天青浄に、勢いに任せて、それでも必死に自分の中で選んだ言葉を紡いでいく。
恐らく天青浄は食事に興味がないわけではなく、まだ理解が追いつかないだけだろう、というのが篠宮の見立てだ。好奇心を表に出すだけの心の余裕がないからこそ、今は楽しもうとする努力が出来ていない。
だから、ミサが諦めさえしなければ、そう遠くないうちにお茶会は開催されることになるだろう。
「アイツはただ沈黙が耐えられないだけの人見知りですよ。ついでに喋り下手で聞き下手。基本ワクだから酒にも頼れない」
「それ、君が言う?」
「俺が如何だろうとそれが事実です。それに、勝手にアイツに期待されて勝手に落胆されるのは不本意ですから」
この場にいる者がそうだと言っているわけではない。だが万が一の可能性も潰したい。
それは甘やかしと言うより、過保護と言った方が正しいのだろうが、そこを突いたところで揶揄いにすらならない。
会話を切り上げ水無瀬が離れた後、二人の雰囲気が和らいだ様子を見た篠宮が僅かに表情を緩ませる。
何気に、キッカケもなく自分から声をかけたのは初めてだ。しかも相手は刀神。性格や異能などを考えても、友人にするにはうってつけの存在だ。
「これでやっと…いや、まだ保険程度か」
声に出すつもりのなかった呟きにバッと口元を抑える。あまり意識していなかったが、カラにした缶ビールの数からして少し飲み過ぎたらしい。
「篠宮さん?どうかしました?」
「…いえ」
心配する榊に何でもありませんと返し、水を胃に流し入れる。幸い気の緩みから漏れた言葉は誰の耳に届くこともなく、無事風に紛れていったようだ。
ほぅ、と酒気の混じる息を吐き、夜桜を見上げる。少しの風で簡単に落ちていく花弁は春の終わりを告げ、代わりに芽吹き始めた新緑が夏の始まりを知らせていた。