来るもの拒まず去るもの許さず「そういえば、君妖刀普通に持って運んでたよね」
激務による徹夜がとうとう限界に達し、最早峠も超えたハイテンションも終わりが見える部下たちを仮眠室に詰め込む直前、同じく徹夜で土気色になりつつある顔色の上司の言葉を、五十鈴はよく覚えている。
当時なんて返したかは一切覚えていないが、結論から言えばそれがきっかけで五十鈴は刀遣いになった。適性があっても本人の性格が向いてるとは限らねェだろ、とは思いながらも、今まで近づくことすらできなかった妖刀に触れる方に天秤が傾いたのだ。
殆ど鍛えていなかったが、それでもなんとか訓練期間を終え、所属したのは当然峰柄衆。今まで細々としていた修理待ちの機材に大物が混じったり、妖刀の研磨依頼が舞い込んだりと、そこは五十鈴にとって最高の職場だった。
開発や実験も一切せず、現場に出ることもなく、ただひたすらに機材や刀剣の修繕作業だけ請け負うのは少人数だ。その分何時依頼してもすぐ仕事に取り掛かってくれると重宝されるようになった。
いち刀遣い、峰塚衆の下っ端も下っ端の立場でのらりくらりと過ごす内、修繕担当として立場を確立し始めた数年後。作業部屋に一人の男がやってきた。いかにも治療中に抜け出してきましたと言わんばかりの病衣を着て、右顔面を覆う痛々しい包帯は傷が開いたのか赤い血が滲んでいる。
「助けてくれ」
周囲が傷の心配をするよりも先に、男は一本の妖刀を差し出した。
それはボロボロの大脇差。余程強い衝撃を受けたか、顕現体が致命傷を負ったのだろう。刃こぼれが酷く、刀身全体には亀裂が走り、鋒(きっさき)に至っては欠けていた。
「頼む。助けてくれ。謝らなくちゃいけないんだ」
男は必死に訴えるが、誰もその手を取れない。瞬きをした時には完全な死を迎えてもおかしくないような状態で、それでもまだ宿る刀神が死んでいないのは、男が今も尚生気を妖刀に注いでいるからだ。傍目から見れば、男が無理に繋ぎ止めているだけのようにしか見えない。
どう足掻いても修復は不可能だ。仮に、もしもまた顕現できるまで回復したとして、この妖刀は一度振るうだけで今度こそ砕け散ってしまうだろう。それは本当に刀神が望んでいることなのか。
いっそ、介錯してやる方が刀神の為なのでは──
「あーあーあー!ゴチャゴチャ屁理屈重ねてうっせェなァ!」
最初こそただ傍観していた五十鈴が同業者たちを押し除け、前に躍り出る。
人混みに隠れて見えなかった妖刀の状態は、なるほど確かに修復は不可能だろう。入ってきた男の状態を見ても、余程の激戦だったのだろうと察することができる。
呼吸が荒く顔色も最悪、妖刀を抱える手は震え、焦点もブレているように見える。恐らくはベッドから降りることも許されないレベルの重体で、それでもなりふり構わずここに来た。
「なんでこうなった?」
「俺を庇って致命傷を負った。本体も多分、その時欠けた」
「顕現が解けたのはその時か」
「違う、俺が最初に起きた時は、普通だった。三十分も経ってないはず」
「なんて言ってた?」
「……なにも、聞いてない。怪我したとも、最期の言葉も」
聞き逃しただけかもしれないけど──
小さく悔いる声が五十鈴の耳にだけ届く。
「出来るだけはやる」
「!」
「ただ復活する可能性は限りなくゼロだ。どンだけ掛かるかも分かんねェ。また振るえるようになるとも思うな」
「わかってる」
男は妖刀から手を離し、五十鈴に託す。すると、途端にその場に崩れ落ちた。
慌てて周囲が凪鞘班を呼びに駆け出す中で、一人自分の作業場に向かっていた五十鈴が忘れていたと足を止める。
「おい、こいつの名前は?」
「……号は、鳰。霊刀鬼魄」
「ン。取り敢えず、後は任せろ」
倒れたのは手離す直前、残った生気を全て妖刀に込めた所為だ。作業場に辿り着くまで消耗し続けた筈なのに、それを感じさせない大量の生気を込められた妖刀は、いつもより重く感じる。
男は謝りたいと言っていた。その内容までは分からないし、知りたいだなんて無粋なことも言うつもりはない。けれどこの刀神は、きっと恐らくその謝罪を聞くつもりなのだろう。意識なんてとっくに無くとも、生きたいのだろう。
あまりにもズタボロな刀身を改めて目の当たりにすると、あの場にいた奴らの判断は当然のものだがバカだと悪態をつく。無理だと思うのなら素直にそう言って断ればいい。それを勝手に人の気持ちを想像して介錯してやろうだなんて考えは、あまりにも傲慢だ。
「格好良く死のうとしてたらしい割に、生き汚なくて上等じゃねェか!」
正直なことを言えば、五十鈴自身、この妖刀を修繕出来る自信は微塵もない。
けれど、やるべきだと思った。だから引き受けた。
(出来もしないことに挑戦するのが偽善なら、俺ァ偽善者でいい)
憶えているのはアンティークの時計。ボロボロに錆びて部品も足らないそれを、父親はそれはもう楽しそうに修理していた。
ピカピカに磨かれ、正確な時を刻むようになった時計は、母親が経営している店に置かれて数ヶ月後に買われていった。「新しいものも良いけど、古いものも趣があっていい」と言う両親が、少年時代の五十鈴にはそれはそれは輝かしく映ったのだ。
修繕作業は三日三晩続いた。刃毀れのある部分を研ぎ、疵(きず)を可能な限り埋めて、時折消えそうになる刀神の気配を生気を与え声を掛けて繋ぎ止め続けた。
結果、一通りの処置を終え、刀神はまだ生きている。
実戦刀には出来ない程刀身が薄く脆く、美術品とするにはあまりにも不恰好になっても、まだ生きてはいる。
「最善は尽くした。これが限界だ」
「そうか」
金髪の男──篠宮蒼葉は、作業を終えた更に三日後、絶対安静が明けた直後に訪ねてきた。隻眼になったことを気にも留めていない様子で妖刀を入れた保護ケースに手を触れようとして、一瞬手が空を切ったのが見えた。
「お前、ソレでもこの仕事続けンのか?」
「ああ」
「こいつはどうすンだよ。その遠近感もわからない視界でやってけんのか?」
「幸い不調には慣れてる。マイナスがマイナスになっただけだ。問題ない」
「お前はそうでも、こっちが目覚める保証はねェぞ」
「わかってる。…アンタには世話をかけることになるが」
「そこまで織り込んで引き受けたからな。座れ。今後の説明すっから」
五十鈴は篠宮に、刀神の回復の為定期的に生気を与える必要があること、非常にデリケートな状態の為不用意に動かせないこと、回復にいつまでかかるかわからない、数十年じゃ足りないかも知れないと説明した。
それでも篠宮の答えは変わらない。
「俺は俺に出来る償いをするだけだ」
「そーかよ。良いぜ、俺も死ぬまでは付き合ってやる」
今はお前にできる事はないから帰れと告げた後、山となった灰皿へ吸い殻を押し付け、新たな煙草に火をつける。元より逃すつもりはないと言わんばかりに濁った翠眼からの視線を思い出して、ため息を吐いた。
「無機物の修繕以外は専門外なんだがなァ」
紫煙と共に吐かれた呟きが、狭い部屋に木霊した。