親睦のお茶会「茶葉は…ある、豆も…大丈夫、お茶菓子…ちゃんと買ったし賞味期限も、問題なし」
もう何度目かの確認を済ませ、時計を見る。正確に時を刻む針は、無情にも刻限が迫っていることを告げていた。
蒼葉が天青浄を迎えに行って暫く経つ。もういつ戻ってきてもおかしくないというのに、ミサは気持ちの準備が一切出来ていなかった。
花見で天青浄をお茶会に誘い、日取りを決めたのまではよかった。問題は、天青浄の嗜好が一切分からず、そもそも食欲自体が希薄らしいことだ。
ミサも天照に来てまだ二年。しかし、こと食欲に関しては人並み以上だと自負している。現に朝食は蒼葉の二倍食べた。恐らく今後、食事以上の趣味はないと思える程にはご飯が好きだ。
故に、食に興味のない者の気持ちがよく理解できない。
「あーちゃんは大丈夫だって言ってたけど…」
相変わらずの動かない仏頂面で言われても全く安心できない。いっそ一緒に迎えに行けば楽だったかもしれないが、今回はそういうわけにもいかないのだ。
落ち着かない心臓を落ち着けようと、深呼吸を繰り返すミサの耳に、ピロンと通知音が届く。携帯の画面に映る「あと五分」の簡潔すぎるメッセージ通知に、最早ありがたいよりも、なんでもっと早く教えてくれないのかと怒りが勝りそうになった。
「…もう一回確認しよう」
今更不足を見つけてもどうしようも出来ないが、待つしかない以上、手慰みに何かしていないと、たった五分でも耐えられそうにない。
あと、じっとしていたらオーブンから香ってくる匂いに食欲が負けてしまいそうだ。
◇◆◇◆◇
「ただいま」
「…えっと、お邪魔します…?」
連絡からキッカリ五分後、玄関から聞こえた声に急いでリビングを出た。
「おかえり!それと、いらっしゃい」
一瞬どもりそうになった声を何とか堪え、完全にアウェイな空間に萎縮している天青浄と、それに気づいていながら特に何をするでもない蒼葉をリビングへ招き入れる。
その時さり気なく蒼葉を小突いたが、一切気にも留めず、予め淹れておいたコーヒーを持って行くと、少し離れた本棚近くのソファにさっさと座ってしまった。
「来てくれてありがとう。アタシも迎えに行きたかったのだけれど、準備があって行けなくて。ごめんなさい。あーちゃんはとっつきにくかったでしょ?」
蒼葉は他人を気遣えないわけではない。例えば天照の食堂が混んでいる時、席に座れず立ち往生している知り合いを先に見つけるのはミサではなく蒼葉だ。気づいたとして、実際に声をかけるのは人任せだが。
いや、心の内では周囲に気を配っていても、それを出力しないのなら気遣いが出来るとは言わないのかもしれない。
「それは、いいけど…なにするの?」
「それはもちろん、試飲と試食会よ!今日はお茶菓子を三種類用意したわ」
用意したのは紅茶、コーヒー、緑茶。それに合うお茶菓子としてスコーン、ドーナツ、どら焼きも準備した。
まずは緑茶を出してみる。これは比較的とっつきやすいようで、一緒に出したどら焼きも反応がいい。市販のものだから帰りの際にはメーカーと商品名のメモ書きを渡そう。二回目があれば、淹れる所からやるのもいいかもしれない。
「これは粒あんだけど、どら焼きはつぶあんとこし餡どっちが好み?」
「…わからない」
「あ、どうせなら両方用意すればよかったわね…残ったらアタシが食べればいいもの」
食欲が希薄だからと小さいサイズのものを出したが、別に通常サイズでも切り分ければ良かったはずだ。
前日から何度も確認したというのに、今の今まで気づかなかった己にため息が出そうになる。
いや、今はそんなことを考えても仕方ない。
気持ちを切り替え、次は紅茶を出す。スコーンは作るのも簡単だし手作りしても良かったが、これも市販のものだ。
「紅茶の砂糖とミルクは好きに使って。スコーンに使うジャムやメープルシロップも。アタシのおすすめはハチミツ!」
「それは何か違うの?」
「ええ。メープルとハチミツは代用できるぐらい似ているけど、メープルは甘味があっさりしてて香りが強いわ。ハチミツはトロッとしてて一番甘味が強いわね。ジャムは果物からできているから、種類で当然味は違うし、酸味なんかも楽しめるわ」
選択肢が多すぎても困惑するだろうから、メープルとジャムだけにしようと思っていたが、自分が好きなのでハチミツも選択肢に入れてしまった。
本当は、ミサの紅茶付きが相まって家に置いてあるジャムはイチゴやブルーベリー、ラズベリー他とよりどりみどりだし、紅茶も銘柄は多種揃えている。最近はハチミツも花の種類によって味が変わると知ったから、これも試してみようかと考え中だ。
「ふぅん…じゃあ、はちみつがいい」
「わかったわ」
自分の好みに合わせてくれたのかと喜びそうになったのを堪え、ハチミツの小瓶を差し出す。
普段は業務用の大容量容器から直接使っているが、流石にそこの見栄は張らせて欲しい。ボロが出るとすれば蒼葉の口からだが、幸い本に集中しているようで、表情も前髪に隠れて見えないから大丈夫だろう。
二つに割ったスコーンにたっぷりとハチミツをかける。
すると、余程浮かれていたのが表に出ていたのか、天青浄が声をかけた。
「これ、好きなの?」
「ええ!とっても!」
反射で答えた直後、ただ好きなだけで詳しいわけじゃない、本格的にやっている訳じゃなくて、と言い訳を重ねるが、天青浄はだからなんだと小首をかしげる。
落ち着いて考えれば、食文化に疎い天青浄が根掘り葉掘り聞いてくる訳もない。
ただ恥の上塗りをしただけと思うと、ハチミツをたっぷり吸ったスコーンに、何処か苦々しさを感じる気がする。
天青浄とはと言えば、紅茶も特別な反応はない。ただ、スコーンは多少気に入ったようだ。それがスコーン単体なのかハチミツありきなのかはわからないが、とりあえず甘い物は好きなのかもしれない。
「じゃあ、最後はコーヒーね。そのままだととても苦いから、ミルクと砂糖を多めにしましょうか。あーちゃんはおかわりする?」
「ああ」
ずっと本を読んでいた蒼葉に声をかけると、耳だけはこちらに傾けていたらしくすぐに返事があった。
コーヒーは蒼葉が好きで、家には豆から挽ける全自動のコーヒーメーカーが置いてある。
天青浄にはミルクと砂糖を二杯ずつ、蒼葉はどちらも入れずそのままで手渡す。自分はミルクと砂糖を一杯ずつだ。
「…人間は?」
「あーちゃんは普段からあんな感じだから気にしないで。生活音があるところの方が集中しやすいみたい」
「ふぅん…」
さっきから時折様子を伺うように蒼葉の方へ視線を向けていたのは気づいていたが、もしかして人の気配があると落ち着かないのだろうか。
「邪魔なら出て行くが」
「…そうは言ってない」
「そうか」
口数が少なく物静かな二人のやりとりにヤキモキしそうになるのは自分だけじゃないと思いたい。
いや、二人のコミュニケーションがそれで成り立っているのなら構わないのだが、ミサでさえ頑張ってやり取りを続けて、ようやく意図を汲み取れるようになってきたのに、これでは齟齬が生まれそうだと心配になる。
その時は最悪自分や他の人に頼って何とかしよう。と、考える時点で、自分も蒼葉のその辺りに関する成長を止めている一端になっているのかもしれない。
「…なんか、焦げた匂いがする」
「コーヒー豆を炒ってるから、その香りだと思うわ。気になるならミルクと砂糖もう少し足す?」
それは要らないと首を横に振り、恐る恐るといった感じで口に含んだが…
「…にがっ」
ダメだったらしい。
マグカップから手を離して口元を抑える天青浄に、慌てて牛乳とドーナツを渡す。
どうやらコーヒーは苦手のようだ。
「これは、嫌」
「ええ、この場で嫌いなものが一つわかって良かったわ」
ミサの言葉に、天青浄はキョトンとする。
元々は好きなものを一つでも見つけたいと思ったから誘ったお茶会だが、嫌いなものを見つけることも目的の内だ。
これで、彼も『苦手なものを避ける』事が出来るだろう。
「…いいの?嫌いでも」
「勿論。アタシだって嫌いなものの一つや二つあるもの」
「あるの?」
心底意外だと言わんばかりの表情に苦笑を漏らす。
花見の時、並んでいたご飯を片端から平らげたのが余程印象に残っているらしい。
「絶対食べられないものは今のところないけど、生魚はそんなに得意じゃないわ。コーヒーだって、あーちゃんみたいにブラックでは飲めないもの。
でも、別に無理に飲む必要なんてないのよ。牛乳でカフェオレにしたり、コーヒーゼリーにしたりすればいいし、それでもダメなら避ければいいだけの話だから」
固まったままの天青浄からコーヒーを受け取って、口直しに緑茶を渡した。
好き嫌いは人によって違うし、嫌いなものは少ない方がいいとは思う。でも、嫌いなものはあったっていい。これは矛盾しないし、当たり前のものだ。
「これから先長いんだから、好きも嫌いもゆっくり見つけていけばいいのよ」
さらりと口から出た言葉は、きっと自分がよく耳にしていたからなのだろう。
決して悪い言葉じゃない。なのに、どうしても好きになれない。
流し込んだコーヒーの苦さが、嫌に舌の根にこびりついた。
◇◆◇◆◇
キッチンからチン、と音が鳴る。
天青浄を迎えに出る直前の蒼葉に、「保存してある生地、今から焼けば出来立てを出せるんじゃないか?」と言われて、急遽オーブンに入れたアイスボックスクッキーが焼き上がった音だ。
「何の音?」
「クッキーを焼いていたの。出来立ては格段に美味しいんだけど、食べる?勿論、無理にとは言わないから!」
どうせ元々は自分達用のものだ。既に三つのお菓子を食べている以上、要らないと言われるのは覚悟の上だし、後で自分達で食べればいいだけだから問題ないだろう。
だが、折角だからと食べてくれるらしい。
もしかしたら、というかほぼ間違いなく、こちらを気遣ってくれたようだ。
「熱いから、触れる程度まで冷めてからね」
「うん。…ああ、この匂いだったんだ」
何の変哲もない市松模様のココアとプレーン味の四角いクッキーを前に、納得したような声を漏らす天青浄に少し罪悪感を抱く。
別に騙したわけでも隠していたわけでもないが、下手に既製品を出すより最初からこれを出した方が…いや、そもそも既製品を出すことは決めていたのだから、わざわざ手作りのものを出す必要はなかったのでは?出すとして、冷凍するか新しく作るかして次回に回せ良かったのでは?その次回があるのかもわからないが。
ぐるぐると内心反省会をしていると、横から手が伸びてきてクッキーを一つ持って行ったのが目に入る。
「熱っ…」
「あっ、あーちゃん!当たり前でしょ焼きたてなんだから!」
「出来立ては早く食べないと損だろう。…水飲んでくる」
「火傷してるじゃない!早く……って、なんで部屋出るの」
何故か蒼葉はすぐそこにあるキッチンの水道を無視して、部屋の外にある洗面台の方に向かった。
おかしい。今まで蒼葉があんな風に食い意地が張ってたことなんて無かったのに。というか、寧ろ火傷するから出来立てを進んで食べたことだってなかったのに。
とはいえ、珍しいだけで、蒼葉にもそうしたい瞬間が訪れることもあるだろう。
上げた腰を下ろそうとした時、目の前で天青浄が、まだ熱いクッキーを口にするのが見えた。
「っあつ…!」
「! てんせ、っ」
止めようとした手は遅く、名を呼びかけたのを慌てて止める。
真名を呼べば、ミサの意思に関わらず相手を拘束してしまうからだ。
「…まだ熱いのは、あーちゃんを見ればわかったでしょう?」
「だって人間が、出来立ては早く食べないと損って言ったから」
確かに言ったが、それで火傷しては世話ないだろうと、ミサはため息を吐く。
幸いクッキーも冷め始め、そこまでの熱さではなかったようだ。
「…うん。人間が言ってたこと、分かる気がする」
「それはよかった!」
僅かに緩んだ表情を、天青浄はきっと自覚していない。
今まで少しも動いたところを見たことがないその表情に、ミサも笑みを浮かべた。
◇◆◇◆◇
その後、ミサが今まで蒼葉から習った人間社会で暮らす上での諸注意から始まり、天照で起こったことなど、目に見えて盛り上がったわけではないが、ポツポツと会話が弾んだ。
「ねえ、貴方のこと『天ちゃん』って呼んでもいい?」
「天…………ちゃん……?」
酷く困惑した様子の天青浄に、慌てて補足…というか、最早言い訳と化した説明を追加する。
「アタシ、異能の関係で『縛って』しまうから、真名を呼べないの。だから皆のことをあだ名で呼んでて…!」
「そう…。だったら吾のことは自由に呼んで構わない」
「ありがとう!」
変な誤解をされなくて良かった。
ホッと胸を撫で下ろしていると、リビング入り口の扉から蒼葉が顔を覗かせていることに気づいた。
「あーちゃん?」
「盛り上がってるところ悪いが、そろそろ切り上げておけ」
「えっ、もうそんな時間」
蒼葉の言葉に時計を見れば、予定していたギリギリ時間だ。
「もっと早くに教えてよ!」
「話の切れ目が無かったからな。お前も自分で話し込んでいた自覚はあるだろう」
「それは……確かに、あっという間に時間が経ってたけど…」
そういえば、一度出て行ってから蒼葉はリビングに戻って来なかった。だからこそ時間を忘れたのだけれど。
「話し足りないなら次回に回せ。俺はタクシーを呼んでくる」
「…次回」
さも当然のように次回のことを言って、蒼葉は外に向かった。
「あの、次回を誘ったら、また一緒にお茶してくれる?」
「……うん。いいよ」
最初よりも幾分か和らいだ表情で頷いてくれた天青浄に、ミサも破顔した。