黒服デビュー 緑色の軍服も黒色の軍服も、渡してくれたのはイザークだった。
緑の時はやや乱暴に押し付けるように渡されて、さっさと着替えてボルテールとルソーの艦長に挨拶してこいとロッカーに追い立てられたけど、黒の軍服を渡してきたさっきの彼は何か言いたげな目で見てきていた。もしかして着ているところを一番最初に見たいのかもとピンと来て、「目の前で着替える?」と訊いてみたら怒鳴られて執務室から追い出された。気を利かせたつもりでいたけど、改めて考えると大分とんでもない発言……だった、かも知れない。
「まあ、別にこういうのの順序とか気にしないタチなんだけどさぁ」
ボヤきつつイザークの執務室に戻る道中で立場の上下混在でもう五人くらいと擦れ違って、五人ともによく似合いますねとお褒めの言葉を頂戴しまった。嬉しいのは本心だけど、愛想笑いしか出てこないのは許してほしい。
心なし速くなる歩調のリズムは浮かれというか焦りに近くて、ジュール隊が情報省所属となってからイザークに新しく与えられた執務室の前に立った時には変に呼吸も乱れていた。
「イザ……ジュール隊長。ディアッカ・エルスマン、只今戻りました」
入室許可の応答もなく、声を掛けただけで開く扉に面食らう。まさか自分の音声認識だけで開くようにしているのか。戦艦では一々許可を取らないと入れてもらえなかったのに?
スライド式のドアの向こう、ボルテールの士官室とは比べ物にならないほど広々とした部屋の奥。アプリリウス市の人工空の青を透かす巨大なガラスを背負うデスクから、イザークがゆっくりと立ち上がる。
見慣れないけど、だけど不思議と様になる光景を思わず立ち止まって見ていると、突っ立ってないでこっちに来いと呼ばれてしまった。いつもより声のトーンが優しい気がするのは、気のせいか? 歩み寄っても眉間のシワが見えないのは錯覚か何かか?
「ふん、それなりにサマにはなっているじゃないか。危うく緑の方に見慣れるところだったが、そうなる前に渡せてよかった」
「そりゃ、めちゃくちゃ頑張った努力が実ったんでしょーよ」
俺じゃなくて、お前の。
口に出して言ってみると、イザークは喉に何か詰まったような、そしてそれがそこそこ苦いやつだったみたいな、絶妙に渋い表情をして視線を斜め下に逸らしてしまった。ハレの日なのに何て顔をするんだか。
「流石にさぁ、ここまでなったらわかるって。どんだけ真面目にやってたって、普通にしてて俺が黒服になれるワケないんだから。根回しとか色々、全部ずっとお前がやってくれてたんだろ。むちゃくちゃ忙しい中でさ」
そう。まさか一度ザフトを離反した自分が、黒の軍服を与えられる日が来るとは微塵も思っていなかったのだ。お前が副官に昇格することに正式に決まったとイザークの口から告げられた時だって、軍服の色は変わらず緑のままだと思っていたのだ。砂漠の虎の隊のところがそうだったように、緑服の副官だって当然居る。
この黒はどこかの隊や司令部の副官、補佐役としての任務だけでなく、艦長クラス、政府要人の護衛にも同様に与えられるもの。ザフトを意図的に離反し、あまつさえ元友軍機に何度も銃口を向けている人間に、戦艦や軍隊を動かし、政治の中心たる人物にすら近付ける色の軍服を預けるわけが無いのだ――本来ならば。
イザークは悪戯がバレた子供のようなちょっと拗ねた顔をして、目線だけでなく今度は顔も下を向いてしまった。
「……一般兵のままだと、配属替えの可能性があるだろうが。今まではオレがお前の目付け役ということでジュール隊の所属に出来ていたが、それなりに戦績も上げて特に素行に問題もなしとなったら遅かれ早かれ話が来るのは目に見えてるだろ。それは――」
「困る?」
一瞬詰まったので言葉を引き取ると、勢い良く顔を上げて睨んできた。お陰でこちらのめちゃくちゃにゆるんだ目元口許を見られてしまって、イザークの表情の硬さも拍子抜けしたようにほどけていく。呆れたように、でもどこか安堵したようにちょっとだけ笑ってイザークが近づいてきて、黒い軍服の肩に触れる。
「――ああ、困る。だからどうにかお前を副官に出来ないかとアマルフィ氏に協力を頼んでみたんだが、本当に大変だったんだぞ。軍法会議にかけられた記録があって、刑が決まるかどうかの頃に恩赦を受けて除隊。そしてすぐに再入隊、なんてした奴はお前しかいないんだ。その上更に黒服の補佐官権限まで、となったら前例もなにもあったもんじゃない。六十人議会のうち三割超の賛同と署名を集めた後に国防委員会にそれを提出して全会一致承認を得る必要アリ。しかもタイミングが悪いことに途中で開戦なんてことになったから、本当にどうなるかと――」
「ま、待て待て待てストップ! ……お前、いつから俺のこと黒の副官に推薦してくれてたワケ? ジュール隊の規模だと、副官は居なくても問題ないはずだろ?」
現にディアッカが来るまではそれで回していたはずなのだが、今の説明だと開戦前――つまりかなり早い段階から、イザークはディアッカを黒の権限を持つ補佐官級に推薦していたように聞こえてしまう。
だが制止の声を掛けたディアッカに、イザークは片眉を上げてはァ? と変な声を出す。
「ディアッカ貴様……自分が『何』になったのか、まさか理解していないのか?」
「え……なにって、ジュール隊の副官……」
「違うッッ!」
久々に聞く食い気味の否定。懐かしくてちょっと感動してしまった。
「お前は、ジュール隊でなくオレの副官になったんだ!」
「え? ……はァ?!」
「ほんとにわかってなかったのか!? 馬鹿もの! まさかそれを着てジュール隊の所属艦でも動かすつもりだったのか貴様!」
「いや、違うってそうじゃなくって!」
このまま胸倉でも掴んできそうな勢いのイザークの手を、襟元に掛かる前に捕まえてしまう。
「つまり俺はどっか違う所属に飛ばされる心配無く、イザークの傍で仕事できるって正式に認められたってこと……だよな?」
「……そうだ」
「それって、ずっと?」
「……ッ、ずっと、だ! もう受け取ったし着たんだからな? 返品は受け付けないからな!」
「はは、なにそれ? ちょっと勝手すぎじゃないですかー隊長ー?」
眉間のシワがどんどん深まるのに比例して赤くなっていくイザークの顔が、おかしくて愛おしくてしょうがない。堪らなくて抱き締めてみたら離れろと腕を突っ張ってきたのに、五秒と持たずに力を抜いたからまた笑えてきた。
「……なあ、さっきの質問。答えもう一個大事なの忘れてたから今答えていい?」
「クソ……なんだよさっきの質問って」
「俺が『何』になったのかってやつ」
ん? と、よく分かってなさそうな上官に、抱き締めたままの位置から耳打ちしてみた。
なれたんだろ?
お前の「恋人」にも、さ。
ENDLESS