枕の役 重たくはない。二人とも羽のように軽い。もっとたっぷり飯を食わせてやりたい。だがそれはそれとして、そこで喧嘩をされるのはさすがに困る。
最初はタケルの方が自分の上に乗ってきた。仰向けに寝転がって本を読んでいた自分の太ももにおもむろに頭を乗せて、眠たそうな目でうとうとし始める。タケルがそんなふうに甘えてくれるのが嬉しくて、愛しくなって、その頬か頭に触れたくなって、「おいで」と呼んだ。すごく眠たそうなところ、悪いけど。
目、開いてるような開いてないような。ほとんど夢の中みたいな顔をして、タケルはもぞもぞと上体を動かして自分の腹の上まで頭を動かした。そうしてそのまま力尽きてうつ伏せに寝てしまったけど、自分は結局欲望に逆らえなくて、そのすやすやと微かな寝息を立て始めたタケルの頭を撫でた。眠気のせいだろう、いつもより暖かくて、ふわふわの髪に指を絡めるとこっちの胸の奥までぽかぽかとした熱が伝わってくるようだった。
しかし、いくら撫でても起きる気配はない。昼寝の邪魔になってないのなら何よりだが、それにしても自分の腹はそれほど枕にちょうどいいんだろうか。なんとなく気にならなくもない――少し太ったかな、とか。でもまあ、タケルが気持ちよさそうに寝てくれてるから、それでいいんだ。
で、いい加減やりすぎないように切り上げて、また読みかけの本に戻ってしばらくすると、今度は漣がやってきた。アパートの階段を登ってくる足音ですぐにわかる。漣のは、油断のない静かな足音だから……でも機嫌は悪くなさそうだ。鍵は渡してあるから勝手に入ってくる。だんだん近付いてくる足音を、顔の上に本を持ち上げたままなんとなく聞いていた。
枕元に足音が止まった。と、思うと手にしていた本を奪い取られた。
「なにやってんだ、らーめん屋」
急に広くなった視界に漣の顔が割り込む。寝転がっている自分の顔を覗き込んで、後ろで縛ったその銀色の髪が肩からするりと垂れ落ちた。綺麗だな。
「昼寝だ。タケルもさっき帰ってきたばっかりなんだが、少し疲れてたみたいだな」
「ふーん」
漣は鼻を鳴らして返事をしつつ、タケルの方へ視線を向ける。自分の本は無造作に閉じられ畳の上に置かれてしまった。
自分への質問だったけど、聞きたかったのはタケルのこと――で間違いなかったようだ。それ以上は何も聞かず、じっと黙り込んだ。そして自分の顔を改めて見る。
「漣も寝るか?」
ニッと笑って、それが答えだった。きっと漣もそうするだろう、と予想した通りに、漣はそのまま自分の胸のあたりに上半身を乗り上げるようにして横になった。
「らーめん屋、動くなよ」
「はいはい」
返事をしつつも、床に置かれた本の続きが気になる。ちょっと遠い。少し上体をひねって腕をぐっと伸ばした。すると自分の上に寝そべっている漣もぐらぐらと揺れる。漣の口がへの字になった。
「はは」
「笑うな。動くな」
「少しぐらいいいだろう」
「よくねえ! らーめん屋はオレ様の枕だろうが!」
すっかり機嫌を悪くしてしまった。でもいつものことだからと意識は本に戻る。
「どこまで読んでたっけな……」
「無視すんな」
開いた本の上からにゅっと漣の指が割り込んできて、また奪い取られそうになる。そうなるとわかっていたから、しっかり本を掴んで対策して……だがこんな調子じゃ、読めそうにもないな。
「寝ないのか?」
「るせぇ」
そろそろ本が悲鳴を上げそうだ。それに自分の上で漣が暴れるから、視界も身体もぐらぐらして……腹の方ではタケルが寝てるんだが。
あまり騒がしくするのもな、と思ってタケルへ視線を向けると、ちょうどぐらぐら、ずるずる、ぐらり、とそのぐっすり眠った頭が自分の腹から滑り落ちていくところだった。
ころん、と。床に滑り落ちた。暴れる漣に押し出されるようにして。床は畳で、頭を打つようなこともなかったけれども。
「あ」
と自分がつぶやいたとき、タケルを見つめる漣の目も珍しくまんまるだった。『しまった』って、顔に書いてある。
「ん……」
寝ぼけ眼を瞬かせて、タケルが自分と漣に視線を向ける。まだ何が起こったかわかっていないようだったが。
「れーん」
「ア゙!? ……ち……チビがチビすぎてンなとこに居るの気付かなかったぜ」
そんなわけないだろうという言い訳が、漣なりの反省を示している。……というのは自分もタケルもよく理解していることではある。それを聞いて寝起きのタケルも状況を理解した。理解した上で。
「は?」
タケルが低い声で返事をした。喧嘩だ。
「オマエ、後から来といて偉そうに……」
「順番なんかカンケーねー。らーめん屋はオレ様専用の枕だ!」
「こらこら」
一応口を挟んでみるものの、二人ともこのくらいで止まりはしない。
漣があえて自分の上によじ登って全身で自分に抱きついた。そうなると自分は手も足も出ない。出してもいいんだが、賃貸で暴れるのは気が引ける。
そのまま成り行きを見守っていると、今度はタケルが漣に体当たりでもするかのように無理やり自分の上に乗っかった。
「チビ、邪魔だ。もっと小さくなれ」
「オマエが邪魔なんだ。オマエはそのバカでかい態度をどうにかしろ」
「人を枕にしたまま喧嘩をしないでくれ……」
そんなわけで……タケルと漣が自分の上でおしくらまんじゅうをしている。勘弁して欲しい。重くはない。二人とも軽いし、それにいつも以上に二人してくっついて顔を寄せ合っているのは正直に言うととてもかわいい。
でもそんなこと言うと怒りの矛先は自分に来そうだ。『キモいこと言うな!』『悪いけど真面目に喧嘩してるんだ』とか、かな。
「つーかそもそもらーめん屋がもっとデカくなりゃ解決だろーが」
「これ以上太くなったら師匠に叱られる」
「オマエ、無茶ばっかり言うなよ」
いつの間にか自分も巻き込まれている。言い合ってる二人の額がぐいぐいこっちに迫ってくる。かわいい。正直なところ、すごくかわいい。贅沢な悩みだとは思う。
でもそろそろ二人とも諦めてくれないか?