観察 この大きな生き物は、やたらめったら動き回っていて落ち着きがない。朝日が登る前に突然出てきたかと思えば何もせずにまた巣に戻っていき、何だ何だと思っている間に巣の別な出口からどこかへ出ていった。気配でわかる。うろうろとほっつき回るのは鳥や魚と変わりゃしないが、妙なのは獲物を取っているわけでもないようだ、ということだ。
食うものも食わずにあっちこっちへ動いている。あの大きな生き物は変な奴だ。それは蜘蛛か人かに似た影の形をしているが、獲物も取らずに動き回っている蜘蛛なんか見たことがないし、人というのは確かに一見なんの意味もなく動き回っていることが多いけど、それでも獲物を取るし、食うものを食っている。だからそれは蜘蛛でも人でもないようだ。
じゃあ生きていないのかというと、死んでいるわけでもなさそうだ。足が生えている。
変な生き物を見つけてしまった。近頃、それを観察するのが楽しみだ。どうしてかというと、おれは珍しいものが好きだからだ。獲物を取るときのほかは、こうして池の淵に座ってそれを見ている。池にはおれにとってちょうどいい具合に水草が植えられていて、その高く伸びた丸い葉の一つに座るのが気に入っている。
あれがなんにも食わないせいか、虫や鳥や小さな獣がここらを棲家にしている。だからおれはおれの獲物に困らない。池の水もきれいだ。そのうえ座りやすい草までおあつらえ向きに生えている。そしてその池や草を、ときどきあの大きな生き物がいじくり回しに来る。何をやっているのかはよくわからない。草をんむしったり余計なことをしているが、それになんの意味があるのかは、蛙のおれにはさっぱりだ。
よくよく観察を続けていれば、そのうちおれにもわかるのではないかと睨んでいる。
今日も昼を過ぎたころに、少し暑い池の淵へ、それは意味もなくやってきた。
「暑いな」
と一人で天に向って喋っている。しかしその割にはそれの人のような顔は生白いし汗の一滴も流していない。それに、そう不便を言うのなら巣でじっとしていた方がいいんじゃないか。相変わらずおれにはわからない道筋で、ものを考えている。
そうして暑い日向にしゃがみ込んで、地面の草をむしり始めた。草を取っても食わねえんだからそれもよくわからない。
おれの座る草を抜こうとする様子は、今のところはまったくないから、おれは高みの見物だ。高みと言っても、それがしゃがみ込んでちょうど顔の高さが、おれと同じぐらいのところに来る。観察しやすくてありがたい。
しかしときどきそれはふっと顔を上げて、おれを見ることもある。
「お主、またおったのか」
今日もしっかり目があった。それは人のようにパチパチとまばたきをする。やっぱり生きているようにも見える。でも、いや、わからない。
「夜も昼もずっとここにおるのか? 本当に生きておるのだろうか。いささか心配になる」
などと言いつつ、それは人差し指をこちらに向けた。近付いてくる。
「逃げぬのか」
危なくもなさそうなのに、逃げる必要もない。と思ったけど、それは本当におれの顔に触るぐらいの近さまで指を伸ばしてきたので、ふと思いついてその指に噛み付いてみた。
「おお」
と驚きの声を上げて、指が逃げる。失敗だ。なんにもないところをがぶり、とやってしまった。
「吾輩が餌に見えるか。小さな身体でなんと豪胆な奴め」
餌には見えないが、食ってみてわかることもあるかもしれないと思いついた。しかし無理か。おれが食うには、その大きな生き物は大きすぎる。おれも大きくならないと。
「しかし生きておって安心したぞ。もしや吾輩の問いかけに答えたのか。まさかな」
はっはっは、と大きな声を上げてそれは笑った。
いや、おれだって言葉ぐらいはわかる。大抵の生き物の喋ることは、全てはっきりとは言わないまでも、ほとんど理解しているつもりだ。とくにこの大きな生き物の言葉は、不思議とはっきり聞き取れる。そんなところも変な奴だ。
「お館様、庭の手入れでしたら我々が……」
遠くから他の何かの声が聞こえた。それがこの大きな生き物に呼びかけているのは朧気ながら聞き取れる。でもやっぱり、この大きな生き物ほどにははっきりしない。
【了】