おべんとう一口分「相変わらず見てて気持ちのいい食いっぷりだな」
円城寺さんに声をかけられて、ソイツはやっと顔を上げた。ちょうど弁当箱がカラになったタイミングだ。
元々食い意地の張ってるヤツだが、それにしても今日はよっぽど腹が減ってたのかひたすら無言で弁当にがっついていた。円城寺さんが話しかけてもまともに返事もしねえって有様だ。
それが食い終わってやっと落ち着いたかと思ったら、どうやらまだ満足してないらしい。
「こんなんじゃ足りねェ」
なんて獣みてーに唸ってる。
「そうか? 今日の弁当も超大盛りだったぞ」
「オレ様はまだ腹が減ってんだ! もっとよこせ!」
「しょうがないな、それじゃ自分の分を食うか?」
「円成寺さんはコイツのこと甘やかしすぎだ」
「あっはっは。弁当を作った側としては、たくさん食べてくれるのは嬉しいんだ。ほら漣、これでいいか? あーん」
「ア……? !?」
ソイツは円城寺さんに乗せられて、一瞬言われた通りに口を開きかけた。というかしっかり開いた。その間抜け顔のまま事態に気付いて動きを止める。もちろん口も開けっ放しだ。
「ハ、ハァ!? 誰がンなことするか!」
「しっかりやってるクセに今更凄んでどうする」
俺に言われてハッと気づき、開けっ放しの口をようやく閉じる。そうやってまた円城寺さんを睨みつけるが、コイツのそういうのが円城寺さんに効いた試しはない。
「たくさん食べるのはいいが、流石に慌て過ぎだ。午後からのレッスンでお腹痛くなっても知らないぞ。せめて一口ずつゆっくり食え」
と、円城寺さんはソイツの食い過ぎで膨らんだ腹を箸を持ってない方の拳で軽く突きながら言った。
まあ、円城寺さんの言うことは理にかなっている……のか? ゆっくり食うべきなのは間違いないし、その方法ならコイツだって一口ずつ食べざるを得ない。でも正直、面白がってるだけのような。
とはいえソイツにはたしかに効いた。グッと息を呑んで、レッスンルームを見回す。トレーナーや他の参加者は飯を食いに外に出ていった。弁当持ってきてたのは俺たちだけだ。どっか店に入ってるならしばらく戻って来ないだろう。――というのを、コイツはない頭で一生懸命考えたはずだ。
「……早くしろ、らーめん屋ァ」
恥より飯を取るのか。それとも……ま、どっちにしろソイツはギリギリと歯を食いしばり低く掠れた声を絞り出して言った。
「漣、口開けないと食えないぞ」
円城寺さんは至って真面目な素振りでやってるけど、絶対楽しんでると思う。
円城寺さんが端に摘んでソイツに差し出したのは一口サイズのハンバーグだ。ケチャップがたっぷりかかっていて冷めても旨い。旨かった。飯にも合う。そんなのを鼻先に突きつけられて、コイツが我慢できるわけがない。
「ん」
小さく唸って口を開ける。よこせと要求してるっつーよりは、恥ずかしさに力んで出た声らしかった。そしてなぜか同時に目を瞑っている。
なんか違うこと期待してんじゃないか、コイツ……。
何も見えてねーから手探りで円城寺さんの膝を掴んでグイグイ顔を近づけていくせいで、円城寺さんが引いてる。
「漣、危ないからそこでストップだ。ほら、口に入れるぞ」
「」
かわいくねぇ声で返事をしたその口に、円城寺さんがハンバーグをそっと押し込む。即座に口を閉じたソイツが箸ごと食っちまう前に箸を引き抜く。……それ円城寺さんの箸……間接……いや、今更そのぐらい、別に。つーか俺には関係ないし。
「タケルは? おかわりするか?」
「え? あるのか?」
「どれにする?」
円城寺さんが手元の弁当を俺に向けた。円城寺さんはコイツと違ってゆっくり食ってたから、まだ弁当箱の中身は少し残ってる。つっても、これは円城寺さんの分だ。
「円成寺さんのをもらうわけにはいかない」
「いいんだ、実はな」
目を閉じたまま一口ハンバーグを咀嚼してるソイツをチラッと見てから、円城寺さんはそっと俺に耳打ちした。
「こうなると思って自分の弁当箱にお前さんたちの分のおかわりも詰め込んでおいたんだ。秘密だぞ」
「そ、そうなのか」
言われてみれば円城寺さんの弁当箱だけ種類が違うし、中身もギチギチに詰め込まれてたような気もする。とはいっても限度はあるだろうが。
「オイ! らーめん屋、もっと!」
「わかったわかった、ちょっと待て。タケル、どれがいい?」
どうしようか。食っていいんだったら食いたい。でも円城寺さんだってレッスンで疲れてんだし、たくさん食うべきじゃないのか。
と、一瞬迷ったものの、
「オレ様が先だ!」
コイツの声がうるさすぎてどうでもよくなった。
「じゃあ、卵焼き」
「よしよし」
飯、俺とコイツに取られてんのに、円城寺さんはうれしそうな顔してる。わざわざ弁当作ってくれてんのも、迷惑なんじゃないかって少し思ってたんだが。
「それじゃタケル、あーん」
「やっぱそうなるのか……」
レッスンルームには俺たちしかいない。……さっきのコイツと同じこと考えた。そろそろ誰か戻ってくる頃、でもないか。そうだとしてこのぐらいのこと見られてもそれほど……でも俺のガラじゃねぇし……。
「タケル、口」
「ん」
鼻先に卵焼きの甘い匂いがして、腹くくって口を開けた。すぐ口ん中に卵焼きが押し込まれる。箸に口付けねぇ方がいいよなって思って、卵焼きだけ噛むつもりで慎重に口を閉じたが無理だった。唇に箸が当たった感触がする。
円城寺さんと間接……じゃねえ、これさっきアイツが口付けてた。
「なんで二人とも食べる時目をつむるんだ?」
「あ……いや、目のやり場に困って……」
「生産者の顔見ながらじゃ食いにくいか?」
「そういうことじゃねぇって」
こんな冗談もわかって言ってんだろうと思うものの、円城寺さんが楽しそうだから悪くない感じがする。いや悪くないどころか……この感じは心地いい。口ん中の卵焼きが甘くほどけてくのに似てんのかも。
「卵焼き……」
「漣も卵焼き狙ってたのか? 残念だな、さっきのが最後の一個だ」
「別にィ、オレ様は肉の方が食いてー」
「ああわかった。次はこれだな」
「ン」
今度は、焼き目の付いたタコさんウインナーを差し出されて、何かを言われる前に口を開けて目を閉じる。それも最後の一個。あとはプチトマトとほうれん草しか残ってない。コイツ肉ばっかり食いやがって。
不公平だろ……。や、俺は別にもう一回絶対おかわりしたいってわけじゃないし、円城寺さんが作るそのほうれん草のなんかすっぱいヤツもウマいから、いいんだ。
「タケル、ほうれん草でもこれならよく食ってるよな」
「……円城寺さん、俺はほうれん草は普通に食える。それは確かに好きだけど」
「そうだったか? 好き嫌いしないでえらいな」
……そんで円城寺さん、もう俺に食わせる準備してるし。
「円城寺さん、これやるためにおかわり持ってきたのか?」
突き出された飯を前にして、コイツほど恥を捨てきれなくてちょっと抵抗した。食うけど。
「あはは、バレたか。半分な。あと半分は……ま、自分は食ってもらえるだけで嬉しいんだ」
「そっか」
そんなんで喜んでもらえるのって、なんか胸がムズムズする。ほうれん草のすっぱいヤツは、やっぱりウマい。
「らーめん屋、明日はもっとおかわり持ってこい」
「そうだな。卵焼き、今日の二倍は必要だったな」
「しょっぱいヤツにしろ!」
「甘いやつとからいやつ、半々で詰めておこう。メインのおかずは……」
「肉!」
「どうかな? 明日はもしかしたら魚の気分かもしれない」
「オレ様はずーっと肉の気分だ! 弁当は全部肉だけ詰めとけ!」
「いーや、そういうわけにはいかないぞ」
円城寺さんは明日もこれやるつもりみたいだ。それはいいけど……よくねぇ、明日も昼にこうして三人きりとは限らねぇのに。……違う、そうだったら箸からじゃなくて普通におかわりさせてもらえばいいんだ。
でもアイツは絶対今日と同じことしてもらうつもりだろ。それなら俺も、同じことしてもらうことになる……じゃなくて、してもらいたい。