魔術学校の中は複雑に入り組んでいてまるで迷路みたいだ。
誰が何のために使っているのか分からない小部屋がたくさんあって、けれど不思議なことに埃も積もっていなければ、机の上には先ほどまで誰かがここにいた証であるかのように、インキも乾ききらない紙束が置いてあったりする。
マルシルは研究室からも寮からも遠い小部屋に体を滑り込ませた。
何年もこの学校にいるが、この部屋が一番人気がない。
誰が来るわけでもないが、隠れるように机と椅子の陰になる場所に座り込むと膝を抱える。
窓から差し込む夕日が影を落としたことで、マルシルの姿はすっかり隠れてしまった。
制服の真っ黒なワンピースは砂や埃が目立つ。普段なら絶対に嫌なのに、今は汚れることも気にならなかった。
“マルシルさん”
頭の中にさっき聞いた言葉が響く。
“マルシルさんは、こういうものはお好きじゃないでしょう?”
研究室の子たちが週末に街に買い物に出たらしい。
嬉しそうに見せてもらったリボンや小物は、確かにマルシルから見れば少し子供っぽかった。
皆が楽しそうに話す中で、自分はお姉さん扱いばかりされてしまう。
いつも当たり前に受け入れられるのに、何故だか今日は寂しくて仕方がない。
石を飲み込んだように胃が重苦しくて、どうにも笑えなかった。
「……私だって、まだ四十そこそこなのに」
お姉さんとしてじゃなく、皆と一緒に並んで遊びたいなんて今更過ぎた。
肩を揺すられる感覚に、マルシルは薄っすらと目を開ける。
目を開けても視界は真っ暗だった。
「マルシル、起きた?」
「うーん」
マルシルが目を擦りながら、気怠そうに唸るとすぐ隣で笑い声がする。
「マルシルったら、夕飯に来ないからどこに行っちゃったのかと思った。こんなところで寝てるなんて」
「……ファリン」
「早く戻ろう?ここは寒いよ」
どうやら気が付かないうちに眠ってしまったらしい。ファリンが言う通り、日が落ちて部屋の中は肌寒かった。
ファリンは先に立ち上がると、マルシルに手を差し伸べる。
その手を取ると、二人は小部屋を出て寮の方へ歩き出した。
人気のない通路もそこから見える外も真っ暗だ。随分寝入ってしまったらしい。
ファリンが魔法で灯りをつけてくれるのを寝ぼけ眼でぼんやりと見る。
何年か前は拙かったのに、随分上手になったものだ。
マルシルはファリンに手を引かれて通路を歩いた。冷え切った自分の手と違い、ファリンの手は暖かかった。
「あ、そうだ!」
「なに?」
「ピクニックしていこうよ」
「ピクニック?」
ファリンは繋いでいた手を放して渡り廊下から外へ一歩出ると、反対の手で持っていたバスケットを掲げた。
「夕飯食べ損ねちゃったと思って、持ってきてたの」
「……何か持ってるとは思ってたけど」
ファリンは中庭に出て行くと、木製のベンチにまるでスキップするように足取り軽く近寄った。
「消灯時間に間に合うかな?」
「それくらい今更だよ」
「なぁにそれ?」
数々の規則を破ってきたであろう問題児が当たり前に言うのを聞いて、マルシルはおかしくてつい笑ってしまった。
ファリンもマルシルに釣られて笑いだす。
「……よかった。笑ってくれて」
二人は星空の下でピクニックをした後、寮の前で別れた。学生と研究員では棟が違う。
マルシルはファリンが持ってきてくれた温かいお茶ですっかり温まり、夕方の行き場のない気持ちなど忘れかけていた。
部屋に戻るとファリンから預かったバスケットを机の上に置いて、掛けられた布をそっと外した。
夕飯の他に、近くで花を摘んでくれたらしくバスケットに一緒に入れてくれていた。
食事と一緒に入れるのはどうなの、と昔だったら思っただろうが今はそこまでの忌避感はない。
マルシルに似ていたから、と言ってくれた黄色い花は籠の中に数枚の花弁を落としていた。
花びらを手の平に乗せると、潰さないようにそっと両手で包み閉じ込める。
この花もいつか朽ちてしまうのだろうか。
ずっと大好きな瞬間を切り取って飾ることができたらいいのに。
さっきまであんなに楽しかったのに、マルシルは何故だか叫び出してしまいたくなった。
どんな形でも、少しでも長く一緒にいられたなら、どれだけ幸福だろう。
マルシルは次の日、ファリンから貰った花を押し花にした。
あの日の花は栞として未だに魔術書の間に挟まれたままだ。