霧深い、雨の煙る夜だった。
狭い島内には酒場は然程多くないからか、普段はどこも賑わっており酷い喧噪だったが、この日は天候の影響か客足が遠のいていた。
カブルーは地下の一室を間借りしている酒場に戻り、扉を開けたときの静けさに瞠目した。
店内には十数人しかおらず、その多くは一人客だった。
カブルーは店内をぐるりと見回すと、思わず口元を歪める。
視線の先に、以前より目を付けていた冒険者の一人がいた。
彼は一人カウンターで食事を摂りながら、ちびちびと舐めるように酒を飲んでいる。
「こんばんは」隣席のイスを引きながら、カブルーは人好きのする笑みを浮かべた。「隣に座っても?」
「・・・・・・今日はどの席も選び放題のようだが」
「いいじゃないですか。こんな静かな夜に、一人では寂しいんです。俺を助けると思って」
胡乱な目を向け黙り込む彼を横目に席に着くと、馴染みの店主兼家主に酒を頼む。
「彼と同じものを」
「俺は座っていいとは・・・・・・」
「まあまあ、いいじゃないですか」
ライオス・トーデンと二人で話せるまたとない機会だ。個人主義的に見えて、彼の隣には誰かしらがいることが多い。
「この酒場にはよく来るんですが、こんなに静かなのは初めてですよ」
「酷い霧だから、みんな家に籠っているんだろう」
「あなたは違うんですね?」
「慣れた道なら問題ないさ」
「へえ、俺もちゃんと帰れるかな」
ちょうど届いたジョッキをカウンター越しに受け取ると、カブルーのあまりの白々しさに店主は呆れ顔をしていた。
「この店であなたを見掛けたのは初めてですが、どうしてこちらへ?」
「いつもの店が閉まっていただけだよ」
ライオスは皿に残った僅かな食事をスプーンで掬うと平らげる。皿の上には、残ったソースで多数の軌跡が残されていた。
カブルーは一口酒を含んで、ちらりと彼を見た。ライオスの視線はテーブルの上に注がれたままで、カブルーと交わることはない。
「・・・・・・俺は、ここに来てまだ一年ほどなんですが、あなたは長いんですか」
カブルーは分かりきった問いを投げかける。彼については、いや、彼だけでなく目ぼしい冒険者の情報は頭に入っていた。
頭の中では問いに答える自分の声が響いた。彼ならこう言うだろうという予想もついていた。
“大体二年くらいかな”
「それは俺じゃないといけない話なのか?」
「え?」
当てが外れて、カブルーは咄嗟に言葉が出なかった。
「君の望むような話をしてくれる人なら、この酒場に他にもいるだろう」
ライオスはテーブルの上のジョッキを掴み、残り少ない中身を煽ると、カウンターに硬貨を置いて店を出て行った。
カブルーは振り向いて、ゆっくり閉まっていく扉に視線を遣った。濃い霧で、扉が閉まり切るよりも先に彼の姿は見えなくなる。
ライオスと視線が交わることはとうとう一度もなかった。
「カブルー?珍しいな、もう酔ったのか?」
揶揄うような笑い声に、はっと覚醒する。
「いえ、少しぼんやりしていただけですよ」
「仕事のしすぎじゃないのか。君の覚えがいいからか、ヤアドはどんどん厳しくなってるみたいだ」
「そのくらいが楽しいんですよ」
ライオスは理解しかねるといった様子で顔を顰めると話題を変える。
「それより、随分眠たそうだ。晩酌はこのくらいにして部屋に戻った方がいい」
「いえ、まだもう少し」
カブルーはライオスの目をじっと見つめた。彼も不思議そうにこちらを見返す。
確かに視線が交わることにカブルーは高揚した。
「何か、話をしませんか」
「何の?」
「あなたとでないと出来ない話を」
「なんだ、それ」
ライオスは首を傾げると、可笑しそうにくつくつと笑った。
彼の目が確かにこちらを認識していることにカブルーは笑みを浮かべた。