Vivid カタンカタンカタンと小さな音を立てて、扇風機の羽が回っている。随分と古めかしいそれは家と同じく祖父母より譲り受けたものらしい。元は白色だったのだろうボディはすっかり黄ばみ、軸がずれているのかネジが緩んでいるのか静音性に欠けている。
新しくしないのか、という何気ないスミスの問いに「知り合いがメカに詳しくて、定期的にメンテナンスに出している」と予想外の答えが返ってきたときは驚いた。買い替えた方が楽じゃないかと思ったのが顔に出てしまっていたのだろう、花を束ねる時と同じ優しい手つきでスイッチを入れる彼――イサミに苦笑された。
「壊れてないのに買い替えるのも、あれだろ」
あれ、とは、どれだろう。スミスにはわからなかったが、イサミの中では何かがあるらしい。ガードリングをするりとひと撫でする指先に見惚れながら、イサミに大事にされている扇風機を羨ましく思った。
ボリュームを限りなく絞ったテレビの中では花火大会が中継されている。車を出せばいけなくもない距離だったが、イサミは騒がしい場所が得意でないし、娘のルルもまだ小さい。人混みで疲れるよりはと思い「花火大会を見ながら一緒に夕飯を食べないか?」と誘えばイサミは承諾してくれたうえ、場所まで提供してくれた。たまにはスミスの家にイサミを招くつもりでいたのだが、場所はうちでいいか? というイサミにスミスは一も二もなく頷いていた。イサミの生活空間に招いてもらえる機会は逃したくなかったからだ。
こうしてイサミの家にお呼ばれするのもそろそろ両手で足りない回数になってきた。ざらりとした畳の感触も、深い飴色の座卓の高さも、いまひとつ効きのよくないエアコンも、補助として回されている扇風機の音も、いまや慣れ親しんで居心地がいい。玄関扉を開いた際の、ふわりと香る〝他人の家の匂い〟も、今はもう感じない。
イサミが作った煮物とスミスがデパ地下で買ってきた惣菜、デザートに冷やしたスイカまで食べ終えて、満腹感で薄っすら眠い。ドン、ドン、とささやかな音と共にテレビ画面の中では大輪の花がいくつも咲いているのにスミスの頭には少しも入ってこず、それよりも、手持ち無沙汰にうちわを仰ぐイサミにばかり目が行ってしまう。
綺麗な横顔だ。決して派手な見た目ではないが、パーツパーツがあるべきところに収まっている。精悍な顔立ちだというのにふとした時に見せる笑顔は子供っぽくて可愛い。
小さな口が、薄っすらと開いていた。油断しているからだろうか。……油断してくれているのだろうか。気を許してくれているのなら嬉しいのだが。思わず溜息を吐いてしまい、慌てて口を閉じた。幸いにもカタカタと音を立てる扇風機に紛れて、甘苦しい吐息はイサミに聞こえなかったようだ。ほっとする。
「できた!」
不意に声をあげたのはルルだった。花火が打ちあがり始めて五分とたたず、お絵描きに夢中になっていた――お絵描きセットはイサミがわざわざルルの為にと用意してくれていたものだ――ルルが意気揚々と画用紙を掲げる。そこには鮮やかな色で描かれた大輪の花火と、笑顔の三人。
「Wow! 素晴らしい絵だ! ルルはお絵描きの天才だな!」
「よく描けてるな。……これ、俺……だよな?」
スミスとイサミの二人がかりで褒めちぎりながら、イサミが恐る恐る絵を指で差す。やけに自信なさげなのは、いかにも〝仲良し家族〟の絵だからだろう。スミスとルルは当然描かれるものとして、そこに自分まで混ざっていいのかと、そんな遠慮心が透けて見える。何ともイサミらしい奥ゆかしさだ。
「そう! これがルルでー、こっちがしゅみしゅでー、これがいしゃみ!」
小さな桜貝のような爪がついた指先で、ルルが指す絵をイサミが覗き込む。眼差しは優しく、三人目が自分だと確定したことで嬉しそうに頬を緩めている。
「本当に上手だ、ルルは凄いな」
イサミに頭を撫でられ、得意げなルルも嬉しそうで。相互関係の微笑ましさにスミスはうっとりと目を細めた。すっかり放り出された花火大会には申し訳ないが、こちらの方が何倍も見る価値があるというものだ。許されることなら何時間だって眺めていたい。
「いしゃみにあげるー!」
褒められて気を良くしたルルに絵を差し出され、イサミがぱちくりと目を瞬かせた。やはり、不意に見せるイサミの表情は年齢よりもずっと幼い。
「いいのか?」
イサミがちらりとスミスを窺い見たのは、いくら絵とは言っても親の承諾なしに貰ってもいいのかと思ったからだろう。どこまでも律儀なんだな、と思いながら、スミスは頷く。貰ってくれた方がルルも喜ぶと表情で伝えれば、安堵した様子のイサミは大事に絵を抱えた。
「ありがとう、大事にする」
「うん!」
柔らかに顔を綻ばせたイサミが「画鋲あったかな」と呟く。どうやら大事にするだけでなく、飾ってもくれるらしい。きっと、居間に飾られたルルの絵は、色褪せてもずっと飾られることだろう。