Summer Blooming Flowers 祖父母から譲り受けたのだという平屋の一軒家には慎ましくも整えられた庭がある。あまりあれこれ植えても見せる人がいないから、と数はさほど多くないものの四季折々の花が大切に育てられており、今も夏らしく向日葵――サンリッチオレンジという種類らしい――が太陽に向かって花弁を開いていた。
その脇に、軽やかなプラスチック製の植木鉢がひとつ。立てられた支柱に蔦が巻き付き、薄水色の朝顔が咲いている。向日葵と違って庭に植えられていないのは持ち主がこの家の主であるイサミ・アオではなく、彼が勤める花屋の常連客であるルイス・スミスの娘であるルルのものだからだ。
青いホースの口を指で引き絞り、花に水をやるイサミの後ろ姿にスミスは目を細める。
初めてイサミと出会った日も彼はホースで水を撒いていた。あの日は最高気温が四十度近い猛暑日で、茹だるような暑さに意識が朦朧とするスミスの目を奪ったのが、青い空を背景に恵みの雨を降らせるイサミの姿だった。
(あの時のイサミはまるで天使だった)
地獄の夏が一転して天国に変わる、それ程までに鮮烈な光景。思わず立ち止まって見惚れるスミスの視線に気が付いたイサミが振り返り、目があった瞬間に走った衝撃たるや。それがトドメとなり直後に熱中症で倒れてイサミに介抱されたのは苦い記憶であるが、あの日から夏はスミスの一番好きな季節となり、スミスの心はイサミのものとなった。
どうにかイサミと知り合いになりたくて、介抱の礼に花を買いに行き、家を花で飾る良さに目覚めたのだと言って頻繁に店に訪れるようになり、幸いにもルルも花に興味を持ってくれたので二人で足繁く店に通うようになって早一年。営業部の若手エースでありそれなりに弁が立つ自負あるというのにイサミを前にするとてんで上手く回らない舌に四苦八苦しながら、それでも真心を籠めてイサミとの距離を詰めたお陰で今では「いしゃみにもらったお花が咲いたから、いしゃみに見せたい!」というルルの要望に、休日だというのに会うどころか家にまで上げてもらえるようになった。
(けど)
まだ足りない、もっと近づきたい。本当は水を撒くイサミの隣に立ってその腰を抱きたいし、暑いのに引っ付くなよと笑われたい。縁側と花壇までのほんの数メートルの距離がこんなにももどかしい。
(君の特別になりたい……)
少なからず信用はされている……と、思うけれど。それはこの手を伸ばして許されるものかがわからずまごついている。自分がこんなにも恋に臆病であったことを、イサミを愛して初めて知った。
「どうかしたか?」
スミスがあまりにも熱心に見つめていたものだから、何か言いたいことでもあるのかとイサミが振り返る。ほんの数分とはいえ帽子もかぶらず炎天下の下にいたものだから、額には汗が滲み、玉となったそれが肌を滑り落ちていく。
「いや……」
どうか、はしている。イサミにどうかしてしまっている。けれどまさかそんな事が言えるわけもなく、スミスは曖昧な笑みを浮かべた。
「そろそろ水やりもいいんじゃないか? あんまり外にいると熱中症になるぞ」
「それもそうだな……じゃあ、お茶でも入れるか。麦茶でいいだろ?」
言いながら水の流れるホースを巻き取ろうとしたイサミが不意に動きを止める。スミスと、その隣で大の字になって昼寝をするルルを見比べたかと思うと優しく笑った。
たちまちスミスの心臓が跳ね上がる。出会った当初はあまり動くことのなかったイサミの表情が、存外豊かであると知ったのはまだまだ最近のことである。常にない柔らかな面差しに今度はスミスの方が「どうかしたか」と緊張交じりに問えば、イサミが小さく首を振った。
「似てるなと思って」
「似てる……?」
何が、何に?
「あれ」
イサミが顎で指し示したのは、つい今しがたまで水をやっていた向日葵と、その脇の朝顔。それが一体何に似ているのかとスミスが目を瞬かせれば、イサミの顔はいっそう優しくなって。
「あんたとルルにそっくりだ」
跳ねた心臓が今度は止まるかと思った。実際、スミスの呼吸は数秒間止まった。
イサミの目が、それを好ましいと言っている。向日葵と朝顔を、スミスとルルを。花に水を注ぐように、慈愛の視線を注がれてスミスは声も出なくなる。
(君に……)
イサミに。
(似ている花が、知りたい)
向日葵と朝顔の隣に植えて、スミスが水を注げたら。
「な、何か言えよ……」
いくら待ってもスミスが何の反応もしないことで照れが生じたイサミが頬をほんのりと赤く染める。
空の青色、向日葵の黄色、朝顔の水色、イサミの色。鮮やかな色彩に網膜を焼かれてやはりスミスは何も言えず、ただこの光景を忘れないようにと脳裏に刻み込んでいた。