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    サバの水煮

    おいしい

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    サバの水煮

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    翼の生えた猫

    なんてことない水敷の話

     逃げたらダメだ、なんて誰が決めたルールだ?
     なんで逃げたらいけないんだ?
     いいじゃないか、逃亡上等。
     その先で俺は、あなたに会えたのだから。


    「ずっと、後悔していたんです。特攻から逃げたのも、ゴジラを撃たずに整備兵の皆さんを殺してしまったことも」
     敷島浩一は多くを語らない男だった。ただ、水木と二人で酒を飲むときは、酒がよく回るのか気が置けないのか、不意にそんな話を切り出すことがある。
     彼が後悔を口にすることは、今までも数度あった。その時一回、水木が「俺もラバウルで死ねなかったこと、後悔しましたよ」と冗談めかして口にした時、敷島はひどく機嫌を損ねてしまい水木が彼の機嫌を元に戻すのに数日を要したのを覚えている。それから、敷島が後悔を口にすることは無くなった。
     久しぶりに敷島が後悔を口にした。どんな風の吹き回しかと、水木は敷島に顔を向ける。
     敷島はうっすら笑っていた。秋津や野田、水島に言わせればだいぶ敷島の表情は柔らかく、また多くなったと聞いている。海神事件の前、彼は心身ともにかなり疲弊しきっていたらしい。
     笑っているのは、酒の影響だろう。普段は日本酒ばかり付き合いで飲んでいる敷島は、今日は水木に誘われビールやウイスキーを傾けている。酔いがよく回っているのだろう、と予測がつく。
    「ずっと、ずっと後悔していました。後悔しています。今でも夢に見ます」
     過去形から、現在進行形になった。彼の罪の意識は、相当根深いのだろう。
     水木はふと、何かを思い出しかけた。黒髪の少女。どんな少女だったか。顔が、声が。どうしても、思い出せない。思い出そうとするたびに、記憶からその少女は消えていってしまう。ゆえに、水木は思い出すのをやめた。これ以上、消してはいけない気がしていたから。
    「でも、俺。生きて良かったんだって思えたんです」
     へらり、と敷島は笑った。水木の胸にチリリとタバコの焦げが落ちる。
     敷島は許されたのだと言う。それは、かつて共にゴジラに遭遇した橘という男に、生きろと言われたことで許された気持ちになったのだという。
     そうだった。水木は思い出した。あのラバウル云々の話は、敷島が橘の話ばかり口にしたから、つい口からこぼれてしまったのだった。
     つまらないプライドだ。唾棄すべき醜い感情だ。タバコの焦げがジリジリと広がり穴となって、そこから冷たい風が吹き抜けていくような心地がしていた。
     またその話をするのか、この酔っ払いは。と水木がため息をつきながらウイスキーの入ったグラスに口を付ける。
    「水木さんが嫌そうな顔をしてくれた時」
     橘の名前が出るとばかり思っていた水木は、不意に自分の名前が敷島の口から出てきたことに驚き、飲みかけていたウイスキーを噴き出してしまいそうになった。
    「お、俺、ですか?」
     虚を突かれ目を丸くした水木が恐る恐る敷島に問うと、敷島はくっくと喉を鳴らして笑い腕を枕にしてテーブルに顔を伏せた。
    「水木さんは、あんまり俺のこと好きじゃ無いのかなって思ってたんです」
    「えぇ……」
     伝わらないモノなのか、と水木は敷島の言葉に肩を落とす。水木は敷島浩一という男を随分前から好いていた。今も、まだ。
    「俺は一回、橘さんに振られたんです。生きろ、と言われたときに」
     段々回らなくなってきている呂律が、敷島の限界を訴えているように思えた。彼を抱えて帰るのは、別に苦ではない。ただ、その言葉の続きが何よりも気になった。
    「生きろって放り出されて、途方に暮れてたんです。そうしたら、俺のことを、愛してくれる人が現れた」
     腕の隙間から、敷島が水木を見上げる。その目はもう殆ど閉じられている。まもなく、敷島は健やかな眠りにつくだろう。そんなことを予見させるさせるほど、敷島の表情は穏やかだった。
    「水木さん」
     もう殆ど夢の中に足を踏み入れている敷島の譫言だった。
    「水木さんと一緒の家に、帰りたいです」
     甘えるようなその柔らかい声を断ることなど、出来ようか。
     最初から同じ家に帰るのに、何をそのようなことを。
     様々な言葉が水木の頭の中に浮かんだが、消えた。そして次の瞬間、水木は勢いよく立ち上がり。
    「マスター、お勘定!」
     慌てて胸ポケットから財布を取り出していた。
     何も知らない敷島は、一人勝手に、水木を置いて夢の世界へと旅立っていた。
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