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    岡田.

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    岡田.

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    カキスグ
    前編より前の話。オメガバース。

    インティマシィ・ディジー「ねぇ、スグ、約束して」
     ねーちゃんと正座で向かい合い、真剣な顔でそう言われる。
    「学校に入学しても、この男には近付かないで」
     そう言って、スマホの画面を見せられた。大人数の集合写真。その中から拡大して表示されている、みんなの真ん中にいる白っぽい髪の男の人。
    「誰……?」
    「カキツバタって言うんだけど、うちの学校の、リーグ部の、チャンピオン」
     ねーちゃんは「ちゃんと顔覚えときなさいよ」と、写真の表示されたスマホをおれに持たせる。みんなに囲まれ、楽しそうに笑っているその人は、別に悪い人には見えない。
    「……チャンピオンなんてすごい人なら、そもそもおれと関わる事とかないと思っけど」
    「それでも、近付かないようにちゃんと、意識して行動して」
     お願いだから、と抱きしめられる。
    「……うん、わかった」
    「……ありがと」
     ねーちゃんはその後も集合写真を見ながら「この人はあたしの信頼してる友達だからあたしが居ない時に何かあったらこの人を頼りなさい」とか「カキツバタに何か言われたらこの人も助けてくれるからこの人の所に逃げなさい」だとか、色々説明してくれていた。
     何だか分からないけれど、ねーちゃんがあまりに真剣だから。だから、カキツバタって人はきっと悪い人なのだろうけど、頭の片隅で、そうやってずっと悪いって教えられてきた鬼さまの事を考えていた。




    「アンタが噂のゼイユの弟かい」
     入学して一週間とすこし。突然その人に声をかけられた。声だけでは誰か分からなかったけれど、振り向けば、ねーちゃんに何度も見せられた写真の男の人が、そこにいた。
    「えっ、あっ、はい……」
     バッグに詰め込んでいたお菓子をばらまいて、拾っているところだったから咄嗟には逃げられなかった。急いで拾って離れなきゃと思っても、パンパンに詰めていたお菓子は量が多く、もう一度バッグに詰めるのにも時間がかかる。テンパりながら拾っていれば、気付けばその人も拾うのを手伝ってくれていた。
    「それにしても随分多いねぃ。それも甘いのばっかり」
     必死にバッグにお菓子を詰めるおれを見ながら、目を細めて笑っている。ねーちゃんに言ったら怒られそうだけど、その顔は何だかとてつもなく優しく見えた。
    「……あの、手伝ってくれてありがとうございました」
    「いいっていいって。あとこれ、やるよ」
     その人はポケットに手を突っ込んで、そこから小さな個包装のお菓子を差し出す。
    「お菓子好きなんだろ? これ、オイラオススメのチョコレート菓子。よかったら食ってくれぃ」
     購買に売ってるやつだけどなぁと笑顔のその人。ねーちゃんに言われたことを守らなきゃ、と思うのに、無意識的にそれを受け取っていた。
    「あの、カキツバタ先輩も、よかったらこれどうぞ……」
     お菓子を拾ってくれたから。お菓子を分けてくれたから。だから、そのお礼をするだけ。ねーちゃんにはこの人には近付いちゃ駄目って言われてるけど、ばーちゃんには優しくしてくれた人にはちゃんとお礼をしなきゃいけないって言われてるから、だから、これは、お礼をしてるだけだから。
     キタカミから持ってきた、スナックにチョコが染み込んだお菓子を差し出せば、先輩は何故か少し照れたように笑って、そしてそれを受け取ってくれた。
    「オイラの名前、知っててくれてんの、嬉しいねぃ……」
     やっぱり優しい笑顔。ねーちゃんは、どうしてこの人に近付いちゃいけないなんて言うのだろう。
    「お菓子もありがたく貰ってくわ」
     分からない、けど、あの時のねーちゃんの顔はいじわるをしたいんじゃなくて、真剣だったから。だからぺこりと頭を下げて、すぐに走ってカキツバタ先輩から逃げた。後ろからは「転けないようにな〜」と聞こえてきたけど、振り向きはしなかった。


    「それ、美味かった?」
     購買で、お菓子の箱を握っていると、後ろから声をかけられた。振り向けば、カキツバタ先輩がニコニコ笑っておれの方を見ていた。
    「えっ、あっ、これは……っ」
     おれの手元には、カキツバタ先輩がくれたのと同じお菓子。貰ったのをねーちゃんに見つかる前にと食べてみれば、凄く美味かったから。だから購買に買いに来たら、先輩に見つかってしまった。
     思わず顔が赤くなる。だって、すごく好きな味だったから。すぐにもっと食べたくなっちまったからしょうがないべ。頭の中でぐるぐると言い訳を繰り返す。
    「気に入ってくれたならオイラも嬉しいから一箱プレゼントしてやるよ」
    「えっ」
     おれが持っていたお菓子の箱をひょいと取り上げて、あっという間に会計まで済ませてしまう。
    「ほら」
    「で、でも……!」
    「入学したてなんかいくらBPあっても足んねぇだろ。先輩ぶりたかっただけだから、遠慮なく受け取ってくれい」
     まだクラスにも友達ができなくて、この学校に来てこんなにおれに優しくしてくれる人なんて居なかった。でも、ねーちゃんは、この人とおれが一緒に居るのは良くないって言ってた。けど、やっぱり、入学して不安な時におれを見てくれる人が居るのは嬉しくて、思わず受け取ったお菓子の箱をぎゅっと抱きしめた。
    「……ありがとうございます、カキツバタ先輩」
    「スグリが喜んでくれるならオイラも嬉しいねぃ」
     あ、この人、おれの名前、知ってんだ。
     先輩はおれを見る時に目を細めて、とても優しく笑う。そしてその顔で名前を呼ばれると、何故だかむずむずするというか、今まで感じたことの無い変な感じがする。
     ねーちゃんは、どうしてこの人に近付いちゃダメって言うんだろう。優しいのに。怖い事だってしないのに。なのに、あの時のねーちゃんの真剣な顔を思い出すと、どうしても駄目だと躊躇ってしまう。
     「お願いだから」と抱きしめられた時、ねーちゃんが、泣きそうな顔をしていたから。だから、カキツバタ先輩にはできるだけ近付かないようにしないといけない。


    「カキツバタとゼイユ? 確かに凄い仲良いイメージもないし、ゼイユがカキツバタに怒ってるのとかは見かけるけど、逆に特別仲悪いとかの印象もないなぁ」
    「そう、ですか……」
     それとなく、リーグ部の先輩にうちの姉とカキツバタ先輩って仲悪いんですか? と聞いてみたが、べつにそういう事ではないらしい。だから、ねーちゃんがカキツバタ先輩に何かされたからおれにも気を付けろって言ってる訳ではおそらくない。じゃあ、なんで?
    「弟くんはカキツバタが三年留年してるのは聞いた?」
    「えっ、そう、なんですか……」
    「そう。授業ちゃんと出ないでサボってばっかで、部長の仕事もぜんぜん人任せ。あと部室もあの辺とかゴミそのままでぐっちゃぐちゃなのはカキツバタの席。んで、そういうのに主に怒ってんのはタロだけど、ゼイユも結構怒ってんの見かけるな」
     ただ優しい人だと思っていたが、実際はあんまりちゃんとしていない人なのかも知れない。おれが仲良くないから知らないだけで、不良とか、そういう怖いところも本当はあるのかも。それで、ねーちゃんはそれを知って心配してるとか? でもそれだけであんな顔をするだろうか。
    「あ、でも普段のゴミ捨てろとか仕事しろみたいな怒り方じゃなくて、真剣に説得というか、凄い焦った顔してゼイユがカキツバタに何か言ってるの見かけた事あるわ」
    「え?」
    「前年度終わって休み入るちょっと前に、ゼイユが「来年あたしの弟が入学してくるの!」って弟くんの写真とかみんなに見せて回ってたんだよ」
    「わや……」
     ねーちゃんそんな事してたんだ!? 急に恥ずかしくなって、どんな写真を見せられたのか不安になってくる。変な写真とか見せられてたらどうしよう。
    「それで、その後だよ。ゼイユがカキツバタに見た事ない感じで何か言ってたの。内容とかは全然聞こえなかったけど、やっぱ様子はちょっと変だった」
     先輩は顎を指で触りながら、一生懸命何かを思い出そうとしてくれている。
    「でも、弟がどうのって聞こえた気もするし、弟くんの写真見せた後だから……普通に考えると君の事で何か揉めてたんじゃない?」
    「え……」
    「ごめんごめん、冗談だからそんな顔すんなって」
     先輩は笑っているが、多分、それは当たりなんだと思う。
     その日、ねーちゃんはカキツバタ先輩とおれの話をして、なにか揉めた。きっとそれは間違いない。ただ、それが何かが全く分からない。


    「カキツバタさんやっぱかっけーなぁ」
     やべぇバトルしてるみたいだから見に行こうぜ、とクラスメイト達が盛り上がっていたから、何となくおれも見に行ってみれば、どうやらカキツバタ先輩のバトルが行われていたらしい。
     そりゃあチャンピオンがバトルしてりゃこんなけ人が集まんのも納得だべ、とおれもこそこそと観戦席の後ろの端っこの方に座る。
     近付いちゃいけない、けど、バトルをみるくらいなら大丈夫だろうか。これだけ離れた席だったら大丈夫だろうか。だって、チャンピオンのバトルなんて気になるし、ただただカキツバタ先輩のバトルを見てみたいから。
     観戦も途中からだし、こんな席じゃきっとおれが居る事なんて分からない。バトルが終わればすぐに帰ればいい。だから、ちょっとだけ。
     頭の中で色んな言い訳を考えていても、目の前で繰り広げられる戦いを見ていれば、すぐにそれどころではなくなってしまった。
    「勝者、チャンピオンカキツバタ!」
     そのコールが聞こえた瞬間、まわりのみんなが一斉に歓声を上げる。すごいバトルだった。やっぱりチャンピオンって、カキツバタ先輩ってこんなにも強いんだ。わやかっこよかった……。観戦しているだけでびりびりと痺れるような感覚がして、おれもバトルがしたくなる。
     人がごった返す中、さっさとこの場を離れようと観戦席の階段を降りながらチラリと先輩の方を見れば、先輩は色んな人達に囲まれて賞賛を受けているようだった。これならおれにも気付かねぇべと安心して階段を降りていく。しかし、それなのに、カキツバタ先輩は一瞬すんと小さく鼻を鳴らしたかと思えば、会話の途中だっただろうに首をピンポイントでおれの方へと向けた。
    「えっ」
     おれの近くの誰か、ではなく、多分先輩はおれを見ている。ばちりと目線が噛み合っている。なんで、そんな。
     先輩はおれと目を合わせたまま目を細めて優しげに笑う、いつものあの笑顔を向けてくる。まるでこのたくさんの人の中で俺だけが特別みたいに。
     どうして、なんで、おれの事、わかんだろ。


    「お前弱すぎ」
    「え、へへ……」
     バトルをして、そんな事を言われるのはもう入学してから何度目だろう。クラスメイトも、違うクラスの子も、みんなおれよりバトルが強い。多分そうじゃない子だって居るんだろうけど、そういう子は出来るだけバトルに参加しないし、明らかに自分より強い子からのバトルは受けない。だけどおれはバトルに誘われたら全部受けるから、成績欲しいやつらにカモにされてるって、心配してくれる子も居る。でも、おれがやりたいから。
    「お前負けてばっかなのにバトルしてて何が面白いの?」
    「え……おれ、バトルさすんの、好きだから……」
    「勝てもしないのに?」
    「……うん」
     ずっと、そんな事を言われている。おれ、おかしいのかな。勝てなくても楽しいのに。ポケモンっこ達と一緒に戦えるのが、こんなにも嬉しいのに。みんなは勝てなきゃ楽しくないの? でも絶対に勝てるおれとのバトルはそれはそれで楽しくねんだよな?
     おれ、わかんねぇや。
    「おーす、スグリ。バトルやってんのかい」
    「えっ、チャンピオン……!?」
     声の方を振り向けば、カキツバタ先輩がゆるゆると手を振りながらこちらへと歩いて来ていた。その姿が目に入った瞬間今おれとバトルしていた子は驚いた声を上げて、目を輝かせている。
    「……カキツバタ先輩」
    「なぁに暗い顔してんだ。バトル中あんなに楽しそうだったのに」
    「み、見てたんだべ!? ……です、か!?」
    「へっへっへ、なんだそれ。無理してへんな敬語使うこたぁねえよ」
     カキツバタ先輩は、おれの方へ真っ直ぐ向いて、あからさまにおれだけに話しかけてくる。だから、隣で目を輝かせている子は、どうにか先輩に話しかけようとタイミングを今か今かと伺っている。
    「……負けちまって、おれ、弱くて」
    「でも楽しかったんだろい」
    「えっ……はい」
    「オイラも、お前の楽しそうなバトル見るの好きだぜぃ。だから、そんな顔すんなって」
     目を細めて笑う、カキツバタ先輩のその優しい笑顔。自分でもよく分からないけどずっと言われたかったのかも知れない言葉。それが、今どうしようもなく嬉しくて、泣きそうになってしまう。
    「……おれ、全然強くないけど、バトルはたのしいし、好きです」
    「そんなんお前のバトル見てりゃわかるって」
     先輩はまたうんと優しく笑って、そして隣にいる子に話しかける隙を与えないまま「あ、時間やべぇしそろそろ行くわ。じゃあまたな」と手を振って去って行った。
    「……なっなんで、お前、チャンピオンに気ぃかけられてんだよ!!」
    「え……わ、わかんね……」
    「なんでお前なんか……いや、俺が気付いてないだけで何かあんのか? おい、今度もっかいバトルしろよ」
    「えっ、うん。それはやりたい……」
     次のバトルの予定を話し合い、じゃあまた来週にと別れた直後、焦った声でおれを呼ぶ声がした。
    「スグ!!!!」
     声の方へと視線を向ければ、ねーちゃんが息を切らしながら走って来て、そして抱きしめられた。
    「ね、ねーちゃん!?」
     さすがに、こんな人が多いとこでは恥ずかしいからやめて、と言おうとしたけど、おれを抱きしめる腕が震えていて、何も言えなくなる。
    「あ、あんたがここでカキツバタに絡まれてるって聞いて、気が気じゃなくて……!」
    「なんもなかったべ……」
    「よかっ、たぁ……」
     ねーちゃんは顔を白くして、本当におれの心配をしているのがわかる。ねーちゃんのこんな顔、生まれてから一度だって見た事がない。
    「……ねーちゃん、カキツバタ先輩の、なにがそんなにいけないの」
    「……ちゃんと説明するから、あんたが二年生に上がるまで、もうちょっとだけ待って。お願いだから、それまであいつに近付かないで」
     結局カキツバタ先輩の何が駄目なのかは分からない。だけど、ねーちゃんのこんな顔は見たくないから。
    「……うん。わかった」


    「そういや最近ゼイユも弟も全然部室来ないな」
     リーグ部の部室の前。誰も居なければさっと用事を済ませてしまおうと思って様子を見に来たけど、人の声がしたから引き返そうとした時だった。自分たちの話をしているのが聞こえて、思わず立ち止まって耳をすませてしまう。
    「……なぁんかオイラ、スグリに避けられてる気がするんだよなぁ」
     そのうちの一人が、カキツバタ先輩の声だ、とすぐに気が付く。先輩が、おれの話をしている。
    「いや気のせいでしょ」
    「どうだかなぁ〜」
     先輩の声は明らかにしょんぼりしている。おれがあからさまに避けているのがバレて、それで、それだけでこんなしょんぼりした声になるのだろうか。
    「あいつ、人見知りすぎで全然目合わないし、ろくに会話もできないし、そんもんでしょ。むしろちょっと前のツバっさんがあいつと会話出来すぎ。他にそんな喋れてたやつ姉とその周辺くらいしかいないって」
    「……そんなもんかぃ?」
     今度はちょっと嬉しそうな声になる。顔は見えないのに、そういうのが何となく分かって、面白い人だなと思う。おれなんかと会話出来なくたって困ることなんて何にもないし、こないだおれとバトルしていた子みたいにカキツバタ先輩と話してみたいなんて子は沢山いるのに。それなのに、おれがしばらく避けていれば、こんなにも気にしてくれるなんて。やっぱり何だか少し特別な存在になったような錯覚をしてしまう。だめだ、調子に乗るな。必死に自分に言い聞かせる。
     それなのに。
    「こんなにも可愛がりたくてたまんねぇのに、上手く行かないねぃ」
     カキツバタ先輩の、その一言を聞いて、思わず心臓が跳ねた。ドキドキする。顔が熱くなる。どうしようも無くなって、逃げるようにその場から急いで離れる。
     そんな、そんな、カキツバタ先輩、こんなおれの事を可愛がりたいって思ってんだ。なんでおれなんか。嬉しい。でも、関わっちゃいけないから。ねーちゃんが悲しむから。でも、やっぱ、どうしても嬉しい。
     何で近付かないようにしようって思ってるのに、こんなにも嬉しく思っちまうんだろ。もしかしたら、おれは、カキツバタ先輩の事……好き、なのかも? そんなまさか。でも、なら、こんなに、変な感じになるのもしょうがねぇのかな。何か体さおかしい。くるしい。
     映画で見た事がある、人を好きになるってこういう感じなのかも。映画でもくるしいって言ってたから。多分、そう。どうしよう。頭がふわふわする。だめなのに。どうしよう。
     そんな事をぐるぐる考えながら早足で歩いていると、誰かに腕を掴まれた。驚いて顔を上げれば、ねーちゃんが、おれとはまた違うくるしそうな顔でおれを見つめていた。
    「……大事な話あるから、今すぐあんたの部屋行くわよ」



     部屋に入って、ねーちゃんはベッドの上に膝を抱えるように小さく丸まって座り、おれは少し離れたところの椅子に座るよう言われた。
     様子がおかしい。こんなに弱ってるねーちゃんみた事ない。おれが、カキツバタ先輩のこと好きかもって、バレてるのかも。でも、告白とか何かしようとかそんな気はひとっつもないから、だから、ちゃんとそれを伝えないと……。
    「スグ」
     名前を呼ばれて思わず肩が跳ねる。ねーちゃんは膝を抱えてそこに顔を埋めたままだ。
    「なに、ねーちゃん」
    「あんたに、大事な話があるの」
    「……うん」
    「まだ、確定じゃないけど……あたしは、確実だと思ってる」
     ねーちゃんの声にいつもの自信に満ち溢れた覇気はない。むしろ弱々しい。
    「ねぇ、スグ」
     ねーちゃんが、ゆっくりと顔を上げる。少し目が赤くなっている。
    「あんた、多分、Ωなのよ」
    「え?」
     Ω。オメガ。授業で何となく聞いた事はある。バース性のひとつ。
     年齢的に、二年生に上がった年のはじめに検査をして自分のバース性を知り、そこからしっかりと勉強をするんだと聞いている。だから、おれはまだ検査もしていなければ教わってもいないから、そこまで詳しくは知らない。突然そんな話をされて、驚いてしまう。
    「……ねーちゃん、αだよな」
    「うん。でも……言ってなかったけど、検査した時、αの中でもα性は凄く弱いって言われたのよ」
     二年生になってすぐの検査で自分はαだった、やっぱりあたしはすごいのよと自慢げにしていた姿を思い出す。ただαにも強いや弱いがあるのは今初めて知った。
    「αだから、何となく分かるの……スグが、Ωだって」
    「そう……なんだ」
     何と返事をしていいか分からなくてそんな気の抜けた返事をすれば、ねーちゃんはまた膝に顔を埋めてしまう。
    「でも、あたしよりもっと早くあんたがΩだって気付いたのよ、アイツは」
     声が震えている。
    「写真見ただけで「コイツΩ?」って、言ってきて」
     そこでやっと『アイツ』がカキツバタ先輩の事を言っているのだと気付いた。きっとこの写真というのはリーグ部の先輩が言っていたねーちゃんがおれの写真をみんなに見せて、その後カキツバタ先輩と何か揉めていたという日の話なんだと思う。
    「人の弟に何言ってんのよとか、写真見ただけで分かる訳ないじゃないとか、最初は普通に文句言ってたの……でも、アイツ、凄い真面目に、あたしの文句なんか耳に入らないみたいにあんたの写真見つめて……「会ってもないのにこんなに分かんの、運命の番ってやつかも知れねぇな」なんて言ったのよ」
     多分、それで揉めたのだろう。
    「カキツバタは、あたしなんかよりずっと強いαだから」
    「カキツバタ先輩、αなんだ……?」
    「……うん」
     ねーちゃんはより一層くるしそうな声で返事をする。
    「あたしも、最初は適当な事言ってるだけだと思ってた。だけど、あんまりにしつこく断言してくるし……それで、新学年前の長期休みでキタカミ帰った時、スグのことΩかもって意識したら、たしかに薄らそんな感じがして……本当に意識して集中してやっとわかるくらいの弱いフェロモンが、出てて……それで、怖くなったの。だから、アイツには近付かないでって、言ったのよ」
     入学前、ねーちゃんと正座して向かい合ったあの日を思い出す。
    「Ωかどうかなんて、フェロモン感じてやっと分かるのに、それを感じようのない写真見て、感覚で当てちゃうなんてはっきり言って異常よ。運命は流石に大袈裟でも、最悪だけど、相性がいいのは……本当だと思う」
    「……そう、なんだ」
    「あんたは、まだ何にも知らない子どもなのよ。検査するよりも一年も早い。検査だって、フェロモンが他人に影響及ぼす程出始めたり、発情期が来るよりもっと前に自分のバース性を知って勉強して備えられるようにってその年齢に定められてるのに。あたしだってまだラットなんてなった事ないし。それなのに相性のいいαや強いαが近くにいたら、そのα性に引っ張られて、無理矢理Ω性が引きずり出されて発情期にさせられる事だってあるの」
     ねーちゃんは、ほとんど泣きそうな震え声で、おれは黙って聞くしかできない。
    「うちの学校の殆どのαとΩが、年齢的に発情期が来るかどうかくらいで卒業していくのに、アイツは三年も留年してんのよ、意味分かるでしょ?」
    「…………」
    「強くて、相性が良くて、既に発情期が来てるαが、あんたのそばに居たら、って思うと、気が気じゃなかった」
     ねーちゃんはついにぼろぼろと涙を零し始めた。
    「なのに、それなのに、あんたから、今、ちゃんと普通にフェロモン感じるのよ」
     ねーちゃんが泣いているのに、何と言っていいか分からない。おれの頭も混乱してる。
    「前は、本当に意識を集中してやっと、 確かにΩかもって思うくらいの極小量のフェロモンだったのに、ちょっと前から量が増えてる気がして……それでさっき廊下で驚いたわよ。もう街中で見かける大人ぐらい、この人Ωなんだなって分かるくらい、はっきり感じるの。α性がそんなに強くなくてまだ発情期も来てないあたしでも分かるのに、アイツなら……!」
    「ねーちゃん……」
     ねーちゃんは自分を落ち着かせるように数回深呼吸して、そして服の袖で涙を拭う。
    「……あんたがね、ちゃんと自分で考えて、自分で選んだ相手なら、嫌だけど、番を作るのはいいと思うの。でも、今あんたはまだ子どもだから。まだそんな苦労わざわざしなくていい歳なのに、無理矢理Ω性引き出して、何にも知らないうちに、間違いが起きたらって思うと怖いのよ。Ωは番を一生に一人しか作れないから、間違いなんかあっちゃいけないの」
     やっと涙が止まったねーちゃんは、立ち上がっておれの方へと歩いてきて、そっと頭を撫でてくれた。
    「スグ、明日は授業休んでいいから、先生に相談して、検査とか、色々手配してもらいなさい」
    「……うん」
    「明日、もう一回ちゃんと話、しよう」
    「……うん」
     明日の約束をして、ねーちゃんは目を腫らしたまま自分の部屋へと帰って行った。
     一人になった部屋でベットに倒れ込んで、天井を見上げる。今聞いた話、なんか、全部嘘みたいだ。
    「おれ、Ωなのかな……」
     カキツバタ先輩に優しい笑顔を向けられて見つめられたら嬉しい。ドキドキする。可愛がりたいって言われたら頭がふわふわして体温が上がる。でもそれって、おれが先輩の事を好きだからなのか、Ωだからなのかが分かんなくなった。Ωだから、αの先輩に惹かれているだけだったらと思うと、今まで嬉しかった事全部が否定されるみたいで嫌だと思う。そもそもαの先輩が、おれに近付いて、可愛がろうとしてくれるのは何でだろう。もし、もしおれが明日にでも検査して本当はΩじゃなかったら、それでもカキツバタ先輩はおれの事可愛がりたいって言ってくれるのだろうか。
     逆に、本当にΩだったら、学校に対策してもらう事になったら、もう二度とカキツバタ先輩と話す事もできなくなるんだろうか。
    「……わかんねぇや」
     全部分からない。Ωってどういう風に生活するのが普通なんだろう。αのカキツバタ先輩に近付いちゃ駄目って事は、これからはねーちゃんともあんまり今まで通りじゃ駄目って言われてしまうのだろうか。だとしたら、おれは、本当にひとりぼっちになってしまう。そんなのいやだ。どうかどうかお願いだから、Ωじゃありませんように。
     全部から逃げるように、ゆっくりと目を閉じた。



    「じゃあ、スグリさんはこのままこの書類を持ってこの廊下の先にある待機室でお待ちください。ゼイユさんはこちらで少しお話を」
     みんなが授業を受けている時間。医務室で検査を受けて、結果が出るのをしばらく待つことになった。ねーちゃんはまだ別の話を聞かなきゃいけないらしくて、不安そうに「すぐ行くから待ってて」とおれを見る。
    「うん、大丈夫だから」
     そう言って医務室を出れば、誰も居ない廊下。そりゃあそうか、今はみんな授業を受けているから。急病人でも無い限り、こんな医務室のある方へは来ないだろう。そう思っていたのに。
    「……スグリ?」
     よく知った声。何でかしらないけど、いつもこの人はおれのうしろから声をかけてくる。振り向けば、やっぱり先輩がいて、何故だか妙に嬉しそうに笑っている。
    「……カキツバタ先輩、なんで……?」
     そう言ってから、そういえば全然授業に出ないから留年していると聞いたなと思い出す。授業時間なら誰にも会わないと思ったのに、よりによって、今一番会っちゃいけない人に会うなんて。
    「なんか、ちゃんと喋んの久しぶりだねぃ」
     目を細めて本当に嬉しそうに笑ってそんな事を言う。まるで、ずっとおれと話したかったみたいに。おれと会えて嬉しいみたいに。
    「というか、スグリもサボリで……って、あっちから来たって事はもしかして医務室か? ……まさか体調悪ぃのかぃ」
     ニコニコ笑っていたのに、すっと真面目な顔になっておれの方へと近付いてくる。だめ、それ以上近付かれたら、だめだから。
    「せんぱい、あの、おれ……!」
    「熱はあんのか?」
     カキツバタ先輩が伸ばした手が、おれの額に触れた。その瞬間、おれの中で、ぱちんと、なにかが弾けた音がした。
     あ、おれ、Ωだ。
    「スグリ!! スグリおい、大丈夫か!?」
     気付けば崩れ落ちるように床にへたりこんでいて、先輩に引きずられるように休める方へと連れていかれる。ねーちゃんが来てくれるはずの待機室の方へと続く廊下からどんどん外れて行ってるな、なんて考えながら。
    「とりあえず、休んで、落ち着け」
     カキツバタ先輩は優しくおれを持ち上げてソファへと座らせる。こんなとこソファあるんだなとぼんやり思っていたら、ここは外部から来た医者とか何かあって駆け付けた保護者の対応に使うところで、寝やすいから先輩はよくここでサボっているという話を聞かせてくれる。
     おれは話を聞いているようで、その殆どはただ先輩の声を聞いていた。優しい声が心地いい。声を聞く度にどんどんおかしくなる。αの声だ、と思う。まだ検査結果も出てないし、教わっていないから詳しくは分からない。でも、知らなくても、本能的に分かってしまった。
     おれはΩで、今目の前にいるのはαだ。
    「……スグリ?」
     からだがあつい。心臓がうるさい。体の中の、おれの知らないところが、どんどんあつくなっている。だめだ。おれ今、Ωになってる。おれの細胞ぜんぶがΩとして、先輩の声とか動きに反応してる。
     怖い。自分じゃないみたい。ねーちゃん助けて。ねーちゃんが怖がってた事、今なら凄くよく分かる。近付いたら、本能に逆らえないから、近付いちゃだめだったんだ。
    「……なあ、スグリ」
     余裕がなくて気が付かなかったけど、やっと見上げた先輩の顔は、何だか赤らんでいて、目がギラギラしてて、呼吸も荒くなってて、ああ先輩もαになってんだなってすぐ分かった。
     Ωになるとかαになるとかの表現が正しいのかは分からない。教わってないから。だけど、おれは今Ωだし、先輩はαで。αとΩって、あんましわかんねぇけど、えっちな事するってのは本能でわかる。番ってやつは、どうやってなるんだっけ。あれ、番? おれ先輩と番になんの? だめ、番は駄目。Ωは一生に一人しか番になれないから、ちゃんと考えなきゃだめってねーちゃん言ってた。でもそもそも先輩がおれなんか選ぶかなぁ……おれは、わかんないけど、選ばれたら嬉しい、かも。
    「スグリ、お前さんやっぱ、Ωだよなぁ?」
     検査結果はまだだけど、自信を持って頷く。せんぱい、カキツバタせんぱいが、まっすぐにおれをみてる。
    「オイラαなんだわ」
     知ってる。知ってるからまた頷いて返す。
    「こんな状況で言っても信じて貰えねぇかも知んねぇけどよ、」
     先輩が、いつもの嬉しそうな感じじゃなくて、苦しそうに、堪えるみたいに目を細めている。余裕が無い顔。先輩も余裕ないんだ。おれと一緒だ。
    「オイラ、スグリの事好きなんだわ」
     そう言って、おれの頬にそっと手を添える。途端に目の前がチカチカして、嬉しくて、それだけじゃ足りなくて、頭ん中をぐちゃぐちゃに掻き回されたみたいになる。
    「初めて写真見た時からよく分かんねぇけど天啓受けたみたいな衝撃で、番になるならコイツだって、ずっと確信してた」
     じゃあ、初めて声をかけてくれた、お菓子を拾ってくれた時から、先輩は、おれのこと、ずっとそうだったんだ。
    「……なぁ、スグリは、オイラの事好きかぃ」
     触れられている頬があつい。そこからどんどん全身に熱が広がる。ずるい。カキツバタ先輩ずるっこ。おれが、先輩の事、好きじゃなくてもΩだからこんなんされたら絶対好きって言うのを分かっててやってる。ずるい。そんなことしなくても、多分おれは、カキツバタ先輩の事が、ちゃんと好きなのに。
     何度も頷いてみせると、先輩は見た事ないくらい幸せそうに笑っている。
    「じゃあ、オイラの番んなってくれっかい」
     嬉しくて、反射的に頷いてしまいそうになる。でもだめ。番はだめ。ねーちゃんが悲しむから。ねーちゃんが泣いてるところは見たくないから。番になるのだけはだめ。先輩は好きだけど、嬉しいけど、番は、絶対に、だめ。
    「なあスグリ」
     多分おれは今ひどい顔をしている。ぐちゃぐちゃで、はしたなくて、えっちな事したいって、そんなΩの顔。でも、先輩も余裕がなくて、俺の事好きって、欲しいって顔をしてて、それが嬉しくて、どんどんおかしくなってしまう。
    「オイラ、無理矢理お前のこと番にしようなんて考えは全くねぇんだ」
     上手く働かない頭で一生懸命考える。先輩は余裕が無いはずなのに、なんだかニヤニヤと笑っている。
    「スグリがオイラを受け入れてくれんなら、番になりたい」
     だめ、番になるのだけはだめ。首を横に振る。
    「無理矢理噛んだりしねぇよ」
     噛むってなに、知らない話だ。
    「なあ、スグリ」
     カキツバタ先輩は、おれの頬に添えていた手をゆっくりとずらして、親指でふにふにとおれの唇を触る。その瞬間、また自分の中の知らない何かが熱くなって、頭の中がもっとぐちゃぐちゃになる。
    「オイラの事受け入れてくれんなら、オマエからキスしてくれよ」
     先輩はまだおれの唇をさわっている。したい。キスしたい。でも、それって、先輩の番になりますって意味だよな。それは駄目。でも、目の前の、すぐ近くに先輩の顔があって、おれが動けばすぐキスなんかできる距離で、先輩の唇から目が離せない。じっと見つめれば、先輩は小さく舌なめずりをする。それにつられておれもちょっと舌が出てしまってそれが、先輩の指に当たった。
     途端に、先輩の口角が上がって、おれの頭がぐらりと揺れる感じがした。
    「っは……う、」
     くるしい。多分、これが、αのフェロモンってやつなのかも。
    「スグリ」
     だめなのに、したい。キスしたい。キスももっと違うこともしたい。カキツバタ先輩の番になりたい。だめなのに。わかってるのに。どうしても、抑えられない。先輩だって余裕なんかないくせに、おれが動くのをじっと待ってる。おれが、我慢できないって、動くって、確信してんだ。ひどい。先輩はもっと優しい人だと思ってたのに。ひどい。ひどい。
     ねーちゃん。助けて、ねーちゃん。ねーちゃん、ねえ。
    「……やだ、やだっ」
    「ほんとに?」
     カキツバタ先輩は笑ってる。ずるい。ひどい。でも、どうしようもなく欲しい。くるしい。助けてねーちゃん、たすけにきてよ。
     おれは、震える両腕を先輩の首に回して、そのままゆっくりと顔を近づけた。
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