空転「流石ツバっさん! 本当にありがとうございます!」
「そんな礼言われる程の事じゃねぇって」
「いやいや、本当に助かりました。やっぱスグリとは違うなぁ」
最近ずっとこんな調子だった。スグリがチャンピオンになり部の活動が異常なほど厳しくなり、みんなとにかくスグリへ不満を抱いていた。もちろんオイラもその中の一人で、あんなやり方は気に入らない。あいつの振る舞い方も、あいつの自分を追い詰めているところも、全部。
「あーあ、スグリなんかじゃなくツバっさんがまたチャンピオンになってくれればいいのに」
なんの悪気もなくそんな事を言ってくる。まったく笑顔で酷なこと言うねぃ。
オイラだって、勝てるならあいつに勝ちてえよ。
「またスグリが一人退部させたって」
「うーわ、俺もこのままじゃ退部させられそうだわ」
今日もみんな集まってあいつの悪口大会が始まっていた。
「カキツバタさんがチャンピオンの時は良かったよなぁ」
「チャンピオンの器、みたいな?」
最近はその中でやたらとオイラの事を褒めてくるやつが多い。
「俺ら部員の事考えてこそのチャンピオンで部長だよなぁ」
実際オイラが部長の時にそんな事考えた事もなかったであろうやつらが、スグリを悪くいう為にオイラを褒めている。
「やっぱスグリなんかチャンピオンで居るべきやつじゃねぇな」
一番強いからチャンピオンというシンプルなシステムで、オイラもお前らも誰もあいつに勝ててないだけだろうが。
スグリが何かしたら何もしていないオイラの株が上がって、逆にオイラが何かちょっとでも良い事をすればスグリの悪口に繋がるのが、ただただ気持ち悪いなと思う。
こいつらも、オイラも、何もできないだけのくせに。
それからも、スグリに不満があるやつらがオイラのところに集まるようになっていた。別に集めていないのに、勝手に集まってスグリに対する愚痴を好き勝手話して、まるでそうすればオイラが喜ぶみたいに。
「ね、ツバっさんもそう思うでしょ?」
「んー……どうだろうねぃ」
やめてくれ。持ち上げたって、オイラはスグリにまた負けたし、あいつはあいつでどんどん追い詰まってまた強くなっている。オイラは、どうすりゃいいのか分からなくてもどかしいのに、何もしなくても『スグリに比べて』と言って持ち上げられて。とにかく部の雰囲気が全体的に何だかおかしくて、嫌な空気だと思う。
なんでこんな事になっちまったんだ、とあいつらのスグリの悪口を聞き流していた、その時だった。
「カキツバタ」
声がして、振り向けばそこにはスグリが居た。
「これ、記入して今日中に提出して」
「お、おう……」
書類が二枚差し出され、思わず受け取る。来ていた事に多分ここに居る誰も気付いていなかった。だから、今の今まであいつらはスグリの悪口を言っていて、その中心にはオイラが居て……。
「スグリ、あー……」
「べつに、どうでもいい」
ぴしゃりと遮られる。目の下のくまがひどい感情のない顔。記憶にある訛りが一切ない感情のない声。本当に興味がなさそうな返事。
さっきまで悪口を言っていた全員が、気まずそうにただ黙っている。
「それちゃんと提出してくれればいいから」
書類を指さしてそう言えば、もう用はないと背を向けて歩き出す。オイラが部長時代、誰かに任せてばっかりだった部長の仕事。それをこいつはちゃんとやっている。けど、ここにいるやつらは、スグリは部長に相応しくなくて、オイラの方がいいと言う。
ここにいる全員が、スグリの背中を見ている。さっきとはまた違った嫌な空気が、息苦しい。
「無視かよ」
誰かがぽつりと呟いた。無視もなにも悪口言ってた側が何言ってんだと思うが、ただ黙ってスグリが去るのを待つのは負けたような気がするから、何か言ってやりたかっただけなんだろう。
「……そんな事してる暇あるなら、少しでも強くなれるよう出来ることやれば?」
くるりと振り向いたスグリは、眉間に皺を寄せてそう言って、そのまま今度こそ行ってしまった。
さっきの感情のない返事と違い、イラつきがちゃんとあった。悪口はどうでもいい。オイラ達に嫌われてようが当然みたいに興味もない。でも、時間を無駄にしている事には腹を立てる。
どうでもいい。あの無表情が妙に頭にこびりつく。スグリから見ればオイラはスグリに不満があって悪口言ってるやつらの親玉みたいなもんに見えただろう。それでも、興味ないし、どうでもいいってか。
しばらくして、人のいない廊下の端に蹲るスグリを見かけた。驚いて声をかければ「ちょっとじっとしてたらなおるからいい」と返されてしまう。
「……こんなん、何回もなってんのかぃ」
「……さいきん、たまに」
「寝てねぇだろい、飯は?」
「じかんもったいないから」
見るからに顔色が悪い。何なんだ、オマエ本当に。
「寝て飯食って脳みそに回さなきゃ勉強したって効率も悪ぃだろ」
そう言ってジャージのポケットを漁ってみるが、いつも食べているチョコレートしか入っていなかった。まあ、でも何も無いよりはマシか。
「とりあえずこれ食え」
小袋をあけてから手渡すと、一瞬躊躇った後もそもそと食べ始める。見た感じまだしばらくは動けそうにないから、その間に自販機へと飲み物を買いに行く。
「……ほら、水分もちゃんととれよ」
戻って来てペットボトルを差し出せば、さっきよりも素直に受け取ってもらえ、ちびちびと飲み始める。最近つり上がっているところしか見ていない眉が下がっていて、弱々しく浅く呼吸を繰り返している。
「……あ、手の震え、止まった」
「そりゃ大分限界だったんじゃ……」
ぐっぱとゆっくり手を動かしながらそれを見つめている顔は、何となくいつもよりぼんやりしている気がする。でも最近が異様にピリピリしていただけで、元は穏やかなやつだったから、今このぼんやりが今すぐ医務室で診て貰った方がいいおかしい状態なのか、むしろいい傾向なのか、オイラには判断がつかなかった。
「……このチョコ、すぐ食べれるし、持ち運べるし、手も汚れないし、糖分取れるし、いいな……飲み物も……ありがとうカキツバタ」
「おう……」
ありがとうなんて。物凄く久しぶりにスグリとまともにコミュニケーションが取れた気がする。何だか弱々しいゆるんだ表情。まるで少し前のスグリと話してるみたいで、ぶわりと体が熱くなる。
嬉しい。もしかすると、このまま以前みたいにまた、楽しそうにバトルするスグリに戻って、全てがいい方向に向かうんじゃないか。今までが嘘みたいに、このままあの頃のスグリに戻って、また、笑ってくれるんじゃないのか。
そうなったら、それは本当に本当に嬉しい。どうかそうなりますように。また、一緒に楽しく部活ができますように。そう願いながら、フラフラのスグリを部屋まで送り届けた。
だけど、二日もすれば、あの日のスグリは相当『おかしい状態』だった事を思い知らされた。
「あれ……スグリ、倒れて医務室運ばれたんじゃ?」
「いや目ぇ覚ましてすぐいつも通りのあの感じだってさ」
「なーんだ、あいついないなら今日の部活楽しみって思ってたのに」
部室で、必死に勉強してガリガリとノートに文字を書き込み続けているスグリ。それを見て倒れた心配なんてしない部員達。
スグリはここ最近で一番顔色が悪いし、表情も辛そうで、それでも手を止めない。ノートの横には、あの日オイラがあげたのと同じチョコレート菓子が散乱していて、頭が痛いのか何なのか、眉間に皺を寄せたかと思えば合間にそれを食べていた。
あの時オイラは間違ったのだ、とすぐに理解した。
そもそもゼイユやまわりのやつらが、あいつを一度ちゃんと病院に連れて行きたいと言っていたのは知っていた。このままじゃ体を壊すから、ちゃんと診て貰いたいのに、本人が嫌がるから病院に行けないと困っているのを知っていた。あいつがそんな時間はない必要ないとそういう心配を全て拒絶しているのも見た事があるし、知っていた。
もしかしたら、あのぼんやりした状態なら、病院に連れていく事が出来たかもしれない。嫌がっても、弱々しくぼんやりしているうちに無理矢理引きずって行く事が出来たかもしれない。そもそも、あれが、あいつが、本当に限界を迎えた瞬間だったのかもしれない。
オイラが間違った。あいつをあのまま何もせず部屋に帰した事も、チョコレートを渡した事も、スグリの様子のおかしさを分かっていて、自分の都合のいいように解釈して喜んでいた事も。
なんで、こんなに、上手く行かないんだ。
それからスグリは、どんどん無茶苦茶になっていく。定期的に倒れる。多分限界まで無理をして気絶するのを睡眠時間だと思っている。飯を食ってる姿なんて暫く誰も見ていない。チョコレート菓子だけを食べ続けている。部員への厳しさも増して、批判が集まる。部員が減る。オイラの所に不満を爆発させたやつらがやってくる。そいつらは「なんで何もしてくれないんですか」なんて言ってくる。
何もしてくれない、かぁ。じゃあ誰か教えてくれよ。オイラが出来る最善の事って何? 正しい行動って何だったんだ?
「スグリまた倒れたって」
「まわりも迷惑だろうね〜」
そんな会話が聞こえてきて、無力感に押しつぶされそうになる。気付けば、スグリの部屋へと向かっていた。
何も考えず来てしまったが、鍵が開いていたから勝手に入る。あんなに恨み買いまくってるのにこの不用心はどうなんだ。
ベッドには死んでいるみたいなスグリが寝かされている。完全に気を失っていて、目が覚める様子はない。今オマエになんかしてやろうって奴らが来ても、抵抗もなんもできないだろうに。
目の下のくまはより一層酷い。仰向けで寝転ぶと輪郭の骨の浮き方もよりわかりやすい。きっと、布団の下の肋なんかの浮き方もひどいのだろう。何でこんな事になってんだよオマエ。
そのうち本当に死んでしまうんじゃないかと思ってしまう。倒れるのだって、場所や打ちどころが悪けりゃそれだけで死ぬ可能性もあるのに。栄養だってちゃんとしなきゃ死ぬし、睡眠もそう。なのに、こいつはどんどんそっちへ突っ走っていく。
いっその事、死ぬ前に潰れちまった方がいいのかも。こんな体調で、メンタルで、ぐっちゃぐちゃになって動けなくなって。そしたら、ちゃんと面倒みてやるのに。こいつが何に追われ何を怖がってこんな事になってるのかは知らないが、このままじゃ学園の殆どが敵になって恨まれたりするかも知れない。いくらバトルに重きを置いている学園とはいえ、チャンピオン一人引きずり下ろすのに、バトル以外の行動に出る奴らだって出てくるかもしれない。そりゃオイラだってオマエには怒ってるし、文句だって言いたいことは沢山ある、けど、何かとんでもない事が起きるくらいなら、いっその事先に潰れてしまえば、オイラがオマエの面倒だって見てやるのに。可愛がってやれるのに。もう、そんな事しか思いつかない。
「そもそも潰れたってねーちゃんとか、もっと他の奴も居るだろうし、オイラんとこなんか来ねぇんだろうけどな」
髪をまとめているヘアバンドをそっと外して、くしゃくしゃの髪を撫で付けて整える。どさくさに紛れて頭も撫でる。起きる気配はない。
「なぁ、スグリ。オイラもう自分に出来ることも正しい事もわかんねぇや」
***
「カキツバタは俺の事嫌いなんだと思ってた」
色々あった後、休学を経て学園に戻ってきたスグリはみんなに謝り歩いていた。もちろん、オイラの所にもやって来た。開口一番謝られ、カキツバタには特にひどい事したと思うしと言われるが、何となくそんな事はないと思う。
とにかくこの姉弟が学園に戻ってきたのが嬉しくて、自分でも分かるくらい舞い上がっていたオイラは、その「カキツバタは俺の事嫌いなんだと思ってた」でちょっとテンションが下がる。まあ、そりゃあそうだろうけど。
「……オイラも割とオマエに色々言ったしやったし」
「カキツバタが悪いやつじゃないのは知ってる。俺の事嫌いなのに俺が死にそうだとわざわざ飲み物買いに行ってくれるんだなってびっくりしたし」
嫌い前提で話すのやめようや。オイラ今凄い複雑な心境なんだわ。オマエが元気に帰って来て、笑ってるだけで嬉しかったのに。何か……そりゃ腹は立ってたけど、嫌いとかではないし……。
「簡単に許して貰えるとは思ってない」
許すとか、そういう事でもない。何だろうな、この複雑な気持ち、これスグリに伝えられる気がしねぇわ。というか勝手にオイラの気持ち決めんのやめてくれ。嫌いじゃないし、許すとかでもねぇんだよ。
嫌いというか、むしろ、なあ。
「……正直言うけど、あの頃、オマエの首絞めながらキスする夢見た事あるんだよなぁ」
「えっ」
スグリは目を泳がせて小さい声で「……何されても、文句言えないような事したって自覚はあるから、首絞められてもしょうがないとは思ってる」だなんて言ってくる。キスの方無視か。というか。
「ちょっとまて、オマエ、まさかそういう暴力とか受けても仕方ないとか、他の奴らにも言ってんじゃねぇよな?」
「…………」
ああ、これは言ってるな。謝りに行った部員に殴られても仕方ないとか言ってるだろオマエ。まさか既に殴られたりしてないだろうな。
「そういうのされてしょうがないって本気で思ってんのか?」
「……だって、俺が、悪いし」
「ふーん……」
むかつく。何か、まだ結局なーんも分かってねぇよオマエは。そりゃなんも分かってないからオイラが自分の事嫌いとか思うんだろ。どうすりゃ分かって貰えんのか。
「……あーあ! 殴られてもしょうがないなんて! スグリがどうにか平和に過ごせるようあんっなに心配してるゼイユが可哀想だな〜〜!」
「えっ、なっ……!」
大声でそんな事を言ってやれば、スグリはめちゃくちゃ傷付いた顔をして、何も言い返せないで口をわなわなさせている。
「ねーちゃんの事言うの、ずるいべ……」
こいつが何て言ったら気が楽になるのかなんて考え続けてもわからなかったし、そもそも何であんなに苦しんでいたのかすら詳しく知らない。スグリが言われたい言葉も、救える言葉も、逆にあそこまで傷付けられる言葉もなんも分からない。けど、今「ゼイユが可哀想」が効くのは何となく分かるから。だからわざわざそれを言う。そういう事をしてきてるから、オイラとは他のやつよりはお互い様みたいなとこあると思ってんだけどねぃ。
「じゃあせっかくだし首絞める代わりにキスでもしとくかい」
「えっ、やだ……てか、謝りに来てんの、真面目に聞け」
不貞腐れるような顔。休学前には見れなかったそんな表情に思わず笑ってしまう。するとスグリは今度は嫌そうに顔を顰めていて、それもまた嬉しい。オマエとこんなちゃんと会話できてんの、本当に嬉しいのよこっちは。
「あ〜……たのし〜」
「……カキツバタ意地悪だべ」
「お? 元チャンピオン様はオイラが意地悪なの知らなかったでやんすか〜?」
「うざい!!!」
必死な顔。何かもう、嬉しすぎて口角が上がりっぱなしで笑っていたら「ニヤニヤすんな!」とキレられ、また笑いが止まらなくなった。