オカルティック・ナンバー ブルーベリー学園を卒業して、全部から逃げるみたいに姿を消した。別に前々からそうしようなんてしっかり計画を立てていた訳じゃなかったけど、気付いたら学校の誰にも所在が分からないように逃げ出していた。そしてこうして遠くの土地で修行だのなんだの理由をつけて家からも逃げ、適当にひとりで暮らして、自分なりに楽しく過ごしているつもりだった。
「おはよう、カキツバタ」
目を覚ますと、スグリが笑って、そこに居た。
よく知った学園の服。リーグ部の服。ヘアバンドで縛られた髪。だけど見た事がないくらい柔らかい笑顔。
「……は?」
昨日、確かにスグリの事を思い出していた。この生活になってそろそろ一年が経つから、スグリとアカマツも卒業する頃かと色々思い出に浸り、妙な気持ちにはなっていた。伝えないまま卒業したし、これからも一生伝える気なんかないが、オイラはスグリの事が好きだったし、それは多分今も変わらずに、ずっと引きずっている。そんな事をぐるぐると考えながら眠り、目を覚ましたらスグリが居た。
「げ、幻覚……?」
「カキツバタ」
スグリは目を細めて笑う。心底嬉しそうに。
「久しぶり」
「……おう」
何だか分からないけど、本物ではない、とこの時しっかりと理解した。
「ほら、顔洗ってシャキッとしろ」
「まだ眠ぃって〜」
「朝ごはんはこないだ買ったパン駄目になる前に食べた方がいいべ」
「あー……忘れてた、食うわ」
あれから、スグリのようなものはずっとオイラの家にいた。飯も食わねぇし、ただ居て、オイラと話をしてるだけ。だらしないオイラに文句言って、甲斐甲斐しく世話を焼く。そんなかわいいスグリ。
「ん、いってらっしゃい。カキツバタ」
にへらと笑うスグリ。まるでオイラの事を好きみたいな顔で、オイラの為に存在してるみたいな。そんな、都合のいいスグリが、帰れば家に居る。
多分、あれはオイラが生み出した幻覚なんだと思う。
「オイラなんかやべぇのかな〜〜」
「なにが?」
ベッドに入れば平然とスグリも隣に寝転んでくっついてくる。初めて現れた日から暫く経ったが、当然のようにオイラの事が大好きでべったりなスグリに自分の精神状態が心配になる。自分が生み出した幻覚だったとして、こんなにオイラの事大好き設定にしてんのヤバすぎるだろ。悲しくなるわ。
「……スグリ、オイラの事好きかぃ」
「うん」
当然みたいに頷いて、オイラの肩辺りに頭を乗せる。近い。重さはない。眠そうでかわいい。文句も言うし呆れられてばっかりだけど、それでもオイラの事が大好きで一緒に居たがる。それをオイラが深層心理で望んでるって事なんだろうなぁ。
「おやすみ、スグリ」
「うん。おやすみ。カキツバタ」
「いってらっしゃい、カキツバタ」
スグリと暮らし始めてそれなりに経ったけど、スグリはこの家から出られない。出ようとしないから、多分ここでしか存在できないんだと思う。これはつまりオイラが無意識的に閉じ込めたいと思ってんのかもな〜なんて気もする。
「明日にゃ帰ってくるから、いい子で待っててくれぃ」
頭を撫でてやれば、目を閉じてじっとそれを受け入れる。
「気ぃつけてな」
「おう」
本当は行きたくない。でも、これからもう暫く好きに逃げる為に、どうしても顔を出しといた方がいい家関係の集まりには行っといた方がいい。ちゃんとしてますよって顔をしとくのは大事。それは分かってる。それにしても行きたくねぇなぁ。でもなあ〜〜。
「カキツバタなら大丈夫だべ。けっぱれ」
かわいい顔してそんな事を言われてしまえば頑張るしかない。何か美味いお菓子とかいっぱいお土産に買って帰ろう。幻覚だから食べられなくても、多分、喜んでくれるだろう。
いざ実家へと戻ってきてみれば、何かパーティみたいなもんに参加させられ、これのせいで帰るの予定延びたりしねぇよなとイラつきつつ適当に愛想笑いと相槌で誤魔化しながら時間が過ぎるのを待っていると、後ろから力強く服を引っ張られた。何だ何だと振り向いてみれば、見ないうちに随分と背も伸び大人っぽくなったタロが、物凄い怒った顔でこちらを睨みつけていた。あー……、やっちまった。
「い、今までどこで何してたの……!?」
「さぁねぇ……」
「みんな、カキツバタがどこに行ったとか知らないし、連絡もつかないし、心配して……!」
どうにかごまかして逃げようかと思ったが、流石にこんなに泣きそうな顔をされちゃそうも行かない。
「悪かったってぇ……」
「こっちで起きた事の話とかも、知らないんじゃないかって、ずっと」
「なぁ、泣くなって」
「スグリくんの話、知ってるの?」
「は?」
オイラのその何も知らないという反応を見て、タロはついに泣き出した。
帰り道。飛行機やら電車やら。その間も、ずっとタロに聞かされた話が頭の中でぐるぐると回って気がおかしくなりそうだった。
結局、逃げてきてしまった。タロからも、家からも。逃げて、それで、逃げた先には、あの、スグリが、オイラを待っている。
『スグリくん、行方不明なの』
そんなまさか。てっきり、あいつの未来は明るくて、オイラが知らないところで成長して、大人になって、沢山の人に囲まれて幸せになっていくんだと勝手に思っていた。
『もう何日かしたら卒業式って日に、居なくなっちゃったって、私の所にも何か知らないかって連絡が来るくらい、大きな騒ぎだった』
もうすぐあいつらも卒業かとオイラが思いを馳せていた頃、そんな事になっていたなんて。
『本当に忽然といなくなって、それで、捜査も全然……手がかりすら見付からなくて、私たちもみんな、ずっと探して……何か知ってるかもって、カキツバタにも連絡取れるよう、探してたのに』
そんな。オイラは、みんなから、あいつから、逃げて、
『スグリくんね、カキツバタがいなくなってから、ずっとカキツバタの事探してたよ。あいつはちゃんと捕まえてやんなきゃいけないって、ずーっと、会いたがってた』
そんな訳ない。そんな訳が。
『スグリくん。カキツバタの事好きだったよ』
嘘だ。そんなの、感じたことなんかない。
『カキツバタも、スグリくんのこと好きだったでしょ? どう見たって、両思いって、みんな思ってた』
どうして。あいつが、オイラを好きなんて。ずっと、オイラの片思いだったはずだろ。
『だから、私たち、ずっとずっと願ってたの。スグリくんは、何か事件に巻き込まれたんじゃなくて、カキツバタを見つけて、ふたりで駆け落ちしたんだって、そうだったら、いいのにって、ずっと……ずっと……!』
なのに、オイラは、スグリが行方不明な事すら知らなくて、それで、タロはついに泣き出した、と。
『なんの手がかりもなくて、ついこないだ、半年なんの進展もないから、捜査打ち切りになったの……それで……スグリくん、捜査結果から、死んだって扱いになって……でも、そんなの……』
そこまで聞いて、耐えられずに走り出していた。それ以上タロの話も、周りの全員の声も聞きたくなくて、うちの親族やらの制止も振り切って、走って、走って、電車に飛び乗って、全部から逃げ出した。
今すぐ帰る。あの家に。スグリがオイラを待っているあの家に。
オイラの幻覚だと思っていたスグリ。オイラの事が大好きなのは、オイラの都合のいい妄想だと思っていた。でも、スグリはオイラの事が好きだった。らしい。オイラの所に現れたのだって、多分ちょうど行方不明になった時なんだと思う。何らかの理由で死んだスグリの幽霊が、ずっと探していたオイラの所にやってきた? いや、死んでなくたって生き霊ってやつが、オイラの所に来たのかも。それにしてもあのスグリはオイラに都合が良すぎるから、やっぱオイラの妄想が作り出した幻覚だと思う。それか、オイラとスグリの想いみたいなのがぐちゃぐちゃに混ざって出来た、奇跡みたいな現象なのかも。わからない。なんで、あいつは、オイラのところに来て、オイラの帰りを待っているんだろう。
あれは、いったいなんなんだ。
「おかえり、カキツバタ」
玄関を開ければ、嬉しそうに、ずっと待っていたと言わんばかりのスグリが、笑って座っていた。ほんの少し、もしかしたら居なくなっているのではないかと思っていたから、その笑顔を見た瞬間に気が抜けてへろへろと座り込んでしまう。
「カキツバタ!?」
ちいさいスグリは心配そうにぺたぺたとオイラの顔を触る。ちいさい。そういえばタロは一年半であんなに成長していたのに、このスグリはオイラの知っている、あの頃のスグリのまま。やっぱり、オイラの記憶から作られているのかもしれない。
そっとその手を掴んで引き寄せ、そのまま抱きしめる。「わっ」という驚いた声が聞こえたが、それでも大人しくオイラの腕の中に収まっている。かわいいスグリ。
「……オマエ、なんでオイラのとこ来たの?」
変な事を聞いたら、消えてしまうかもしれない。でもどうしても聞きたい。
「ずっと、ずっとカキツバタに会いたかったから」
オイラが何を怖がっているのか何にも分かってなさそうな顔で、腕の中からこちらを上目遣いで見上げて、真っ直ぐ答えるスグリ。
嬉しい、けど、これはオイラが言って欲しいと思っていたから反映されただけの答えなのか、スグリが本当にそう思っていてくれてるのか、何なのかはわからない。
抱き締めたまま、片方の手でスグリの頭を撫でる。そのまま手をずらして頬も撫でる。抱きしめる腕の力を強める。体温は感じない。
「……カキツバタ?」
さわれる。まるでここにいるみたいに。それならこれは幻覚や幽霊なんかじゃなくて、本当に存在しているんじゃないのか。半年以上一緒に居て、ご飯も、あんなにいつも食べていたお菓子も食べずに、睡眠時間も多分本当は必要ないし、トイレだって行かないし、成長だって一切しないけど、でも、ここに居るんじゃないのか。だって、じゃあ、オイラが今抱き締めているのは、なんなんだ。
「スグリ、オマエ、今どこにいるんだよ」
行方不明って何だよ。死んだ扱いって何なんだよ。なあ、オマエは、何でオイラのとこに来たんだ。
「ここに、カキツバタのとこにちゃんといるべ」
そう言って、オイラの首に腕を回し、ぎゅっと頭を抱きしめてくる。
「大丈夫。ちゃんと居る」
さっきオイラがしたみたいに、片手で優しく頭を撫でられる。優しく。本当に優しくて、じわりと涙が出てくる。触れるのに、体温も、重さも感じない不思議な感覚。
「俺カキツバタの事好きだから、一緒に居たい」
分からない。オイラの作り出した幻覚が、全部嘘で、触れるのも全部気のせいで、ただオイラの望んだものを見せてるだけかも知れない。でも、スグリがオイラの事好きだったってのが本当なら、それなら、これはスグリの想いがスグリのかたちをしてオイラのところに現れているのかも知れない。分からない。本物のスグリは今どこにいるんだ。
「オイラも、オマエと一緒に居たいよ」
その言葉を聞いてスグリは少し照れたように嬉しそうに笑う。玄関に座り込んで、スグリであろうなにかと抱きしめあう。分からない。オイラ、このままだと本当におかしくなる。このままだと、いつかこいつに手を出すかも知れない。そのうちこいつが本物のスグリだって、思い込んでしまうかもしれない。
なぁ、スグリ、オマエ今どこにいるんだ。頼むから、教えてくれよ。