どうか私を愛と呼んで ──いける。これはいけるぞ。
城で一人、アヒルちゃん人形の山の前で思案していたルシファーは、確かな手応えを感じていた。
アラスターとの初デートから数ヶ月。公務やホテルの手伝いで忙しくしつつも、合間を縫って何度もアラスターとデートを重ねた。そして確信した。
──アラスターも、ルシファーを好いてくれている。
自惚れではない。これは確信だ。
例えば、ルシファーを見つめる眼差し。触れてくる指先の余韻。隣に座った時に触れる膝の温もり。耳元で聞こえる潜めた笑い声。肩を抱いた時に身を委ねる仕種。
あれがルシファーへの好意でないのなら何だというのか。アラスターはサキュバスの親戚か何かか。ビッチではあるだろうが。
これまでのアラスターとの日々を反芻したルシファーは、長い長い熟考の果てに決断した。
──告白しよう。
はっきりさせなければいけない。アラスターと、ルシファーの関係を。
***
夜。ルシファーいつものようにアラスターを酒に誘った。仕事の付き合いで貴族からウィスキーを貰ったのだ。ルシファーはこういった、価値があるのに自分は飲めない酒をよく貰った。最近はアラスターが消費してくれるので助かっている。
飲みの場は、ルシファーの部屋かアラスターの部屋のどちらかがほとんどだ。バーカウンターで飲むこともあるのだが、人目があるとアラスターは一定の距離を保とうとするので、ルシファーはできる限り二人きりで過ごすことを好んでいた。
今日はアラスターの部屋の番だ。ルシファーが持ってきた酒瓶と、アラスターが作ったツマミの数々がテーブルに並ぶ。
ルシファーがシードルを好んでいるからと、最近はチーズを使った物がよく出てきた。これがまたシードルに合うのだ。何でこんなに素敵な味覚をしていながら腐肉や人肉を好むのか、ルシファーにはよく分からなかった。
アラスターの部屋には、デートの度にルシファーが贈った花が生けられている。大切に手入れされているそれを見るとルシファーの胸は高鳴った。
酒は口を軽くする。アラスターは酒がなくても饒舌だが、酒が入ると余計に口が滑らかになった。どれだけ飲んでも決して呂律が怪しくならないのだから、彼のお喋りに対するプライドの高さは一級品だ。
程よく酔いが回っているアラスターと異なり、ルシファーは何杯飲んでも酔えなかった。こんなに緊張するのはいつぶりだろうか。チャーリーに頼まれて天国に会議を持ちかけた時も心臓が暴れ回っていたが、それ以上かもしれない。
「……アル」
ルシファーはにわかにシャンパングラスを置いて、居住まいを正す。いつになく固い声音に、アラスターは目を丸くした。真剣にこちらを見つめてくるルシファー。応じるようにアラスターもロックグラスを置いて、隣に座る男に向かい合う。
「君に、伝えたいことがある。とても真面目で、大事な話だ」
ルシファーは大きく深呼吸をする。声が震えないよう努めて意識しながら、やおら口を開いた。
「私は、君が好きだ。愛してる。だから君に──私の恋人になってほしい」
言下、隠していた薔薇を一輪差し出す。初めてのデートで贈った物と同じ、真っ赤な薔薇だ。
花と同じ赤い目が大きく見開かれる。アラスターは珍しく何の音を発することもなく、差し出された薔薇とルシファーに何度も目線を動かした。
沈黙が場を支配する。ルシファーはやたら大きく聞こえる己の心臓の音と、火がついたように熱を持つ顔面を持て余しながらも、アラスターの動きを待った。
どれほどの時間が経ったか。
ようやく動き出した赤い指先が薔薇に向かって持ち上がり──躊躇いがちに下ろされた。
ルシファーは愕然としてアラスターを見上げる。受け入れてもらえないとは思っていなかったのだ。
アラスターは、ルシファーから顔を逸らしていた。口角は相変わらず上がってはいるが引きつっており、伏せられた目は僅かに揺れている。ルシファーは細い肩を縋るように掴んだ。
「アル、アル。どうして? 私のことが嫌いか?」
『いいえ。嫌いなら、こんな風に一緒にいません』
「なら……好き?」
『……嫌いではありません』
「アル……」
『ですが……いいえ。今日はもう帰ってください』
「アル」
『帰れ、ルシファー』
「アル!」
声を低くするアラスター。ルシファーは肩を掴む力を強くして──宙に放り出された。
「アラスター」
アラスターが触手を使ってルシファーの体を引き剥がし、投げ飛ばしたのだとすぐに分かった。咄嗟に翼を出して体勢を整えようとするが、その前に真っ黒な波がルシファーの全身を包んだ。
気付けばルシファーは、自分の部屋で一人ポツンと佇んでいた。アラスターの能力で自室に戻されたようだ。ルシファーは混乱しながらも状況を把握し、地団駄を踏んだ。
「……あの野郎ッ!」
──逃げやがった
告白は失敗した。だが悲しさはない。あるのは憤りだけだ。
フラれたならまだいい。否よくはないが、踏ん切りはつく。
だが彼は、嫌いではないと言いながら、明確に断るでもなく、逃げた。ルシファーから、ルシファーの想いから、逃げたのだ。ふつふつと怒りが湧いてくる。
「私を、誰だと思っている、クソガキめ」
逃がすものか。絶対に、ものにしてやる。
そもそも散々思わせぶりな態度をしておいて何が「嫌いじゃない」だ。そんな言葉で片付けられるような熱じゃない。
もし本当にルシファーを弄んでいただけというのなら、その時はケツにブチ込んで、誰を相手に遊んでいたのかを思い知らせてやる。覚悟していろクソビッチ。
ルシファーは激情のまま林檎の杖を取り出し、床に石突を叩きつけた。黄金の光が迸る。
王の力でアラスターの部屋に空間を繋げ──失敗した。結界を張って抵抗しているらしい。
「小賢しい」
ルシファーは杖を持ち直し、中途半端に繋がった異空に向かって槍投げの要領で投擲する。それだけで悪魔の結界は塵芥のように掻き消え、杖は狙ったようにアラスターの足元に突き刺さった。
毛を逆立てた鹿の悪魔が、黄金の光をまとって現れた地獄の王を睨み付ける。普段は慎ましやかな鹿角が樹木の枝のように伸びていた。
『ルシファー……』
「怯えるな、バンビ。私は話をしにきただけだ」
『誰が、怯えていると?』
「おまえだよ、可愛いバンビ」
ギイ、と金属が擦れるよう音が鳴った。アラスターの額に十字の印が現れ、瞳がラジオメータに変わる。
みるみる体を大きくする悪魔を前に、ルシファーは一つ指を鳴らした。すぐに直せるとはいっても、よりにもよってマネージャーの手で壊されては堪らない。アラスターの部屋を魔法で保護する。
「話をしよう、アラスター。逃げずに」
言い終わる前に、緑の光をまとった触手が、ルシファーに向かって突き刺す勢いで伸ばされた。それを体を捻って避けながら、ゆっくりとアラスターに近付いていく。
「アラスター、話そう。おまえの大好きなお喋りだ」
『話すことなんかありません』
「いいや、あるさ。たくさん、ね」
『私は、ありません』
ルシファーは懲りずに伸びてくる触手を素早く掴んで握り潰す。アラスターの顔が不気味に歪んだ。それでも攻撃の波は止む気配がない。
なかなかしつこいな。ルシファーは顔面に向かってくる巨大な爪を払い除け──反射でそれを踏み潰した。
目線を下げる。自身の足の下で、アラスターの黒い友人が眦を吊り上げてもがいていた。ひっそり影を伸ばしていたらしい。アラスターから激しいノイズが漏れる。
(よくもまぁ、私相手にここまで)
その胆力は賞賛に値する。が、今は邪魔だ。慎重に力を調節して、影を通して天使の力を勢いよく注ぎ込む。
『ギッ──』
殺し切れなかった呻き声と共に、耳が痛くなるほど甲高いハウリング音が部屋に響いた。アラスターの角が、体が、みるみる縮んでいく。
元の姿に戻ったアラスターは、力なく床に倒れ伏した。その姿を見て、ルシファーの頭が急速に冷えていく。
何故自分はいつもこうなんだ。愛する人のことになるとすぐ頭に血が上ってしまう。だからって、その愛する人を傷付けたら本末転倒だ。
憂鬱に囚われそうになる頭を横に振る。それでも、これでようやっとまともに会話ができるようになったのだ。今はそう無理矢理納得した。
ルシファーは床に刺さったままの杖を引き抜き、一振する。アラスターになぎ倒された家具が一瞬で元の位置に戻った。
アラスターは体が痺れて動けないようだ。細長い体を抱き上げると、四肢をぐったり投げ出しながらも睨んできた。
それを申し訳なく思いながら、数十分前まで座っていたソファにアラスターを座らせる。その背にクッションをいくつか敷き詰めた。苦しくないよう位置を調節して、顔を背けて逃げようとするアラスターと無理矢理向き合う。鹿の悪魔は鋭い牙を剥き出しにしてルシファーを睨みつけた。
「アル」
アラスターは何も言わない。口角を無理矢理引き上げたまま、力の入らない体を守るように背を丸めている。
ルシファーは困惑した。拒絶して、威嚇しておきながら、アラスターがルシファーを見る目はずっと不安定に揺れている。何がそんなに不安なのか理解できず、ルシファーは必死に言葉をかけた。
「まず、君を攻撃してすまない。こうしないと話ができないと思ったんだ。後でいくらでも怒ってくれて構わない。だから今は、アル、聞かせてくれ。何が君を苦しめているんだ? 私の気持ちは、そんなに君を困らせるようなものだったのか?」
『…………』
「アル、目を逸らさないで。私を見て」
『…………』
警戒音のようなノイズが続く。胸の前で拳を握り締めながら、アラスターは下唇を噛んだ。言葉を探すように、目があちこちを彷徨う。
『……分からないんです』
長い長い沈黙の後、アラスターはようやく口を開いた。ルシファーは黙って続きを待つ。
『私は……あなたに向けるこの感情が何なのか、分からないんです』
全く想定していなかった答えに、ルシファーは大きな目を更に大きくする。アラスターは唇を戦慄かせながら続けた。
『あなたの気持ちは嬉しいと思います。それは分かる。でも、私は──私は、私が分からない』
ルシファーが自分に惚れていることが分かってから、ハスクに問い質されてから、アラスターはずっと考え続けていた。自分はルシファーのことをどう思っているのか。彼の好意にどう応えたらいいのか。
だが、いくら考えても答えは出なかった。アラスターの人生の中に、この感情に当てはまる言葉は存在しない。
自己愛の強いアラスターは、自分自身のことで分からないことなど一つもありはしなかった。何もかもを把握し、理解し、その上で自分の好きな自分でいられるよう努めて生きてきた。
だがルシファーの前では、それができない。自分を見失ってしまう。何も分からないまま、ただ未知の感情に翻弄されてしまう。
『私の人生で、あなたは初めての存在なんです。ルシファー』
ルシファーは絶句する。間抜けにあんぐりと口を開いたまま、アラスターの言葉に耳を傾けた。
『だから、花は受け取れません。あなたの気持ちには、応えられません』
否定の言葉は苦しげに吐き出された。初めて見る、アラスターの苦悶の表情。ルシファーはそれを熱心に見つめて記憶しながら、感動に打ち震えていた。
ルシファーに離れる気がないのを察したアラスターが影に消えようとする。まだ余力を隠していたらしい。影に杖を突き立ててそれを阻止し、ルシファーは強ばった土気色の頬にそっと触れた。
「アル。私の質問に答えてくれ」
優しく見つめてくる、自分とは違う赤色の目。そんな目を向けられる理由が分からず、アラスターは狼狽える。
「私のことは好き?」
『……好きか嫌いかで言えば、好きな方です』
「とても嬉しいよ。では、私と一緒の時間を過ごすのは好き?」
『……はい』
「その私に感じる“好き”は、他の誰かに感じる“好き”とは違う?」
『…………はい』
戸惑いがちに頷くアラスター。ルシファーは笑みを深くした。
「私に好きと言われて嬉しい?」
『……はい』
「私に触れられるのは嫌?」
『……いいえ』
「私にこうされるのは嫌?」
滑るようにアラスターに顔を近付ける。お互いの呼気が感じるほど近くに寄っても、アラスターは眉尻を下げるだけだった。
『…………いいえ』
小さな声。ルシファーはうっとりと想い人を見つめる。
「アル。もし、君が未知だというそれを“愛”と呼んでくれるなら……私はとても嬉しい」
震える目尻を指の腹で撫でる。愛を込めて、優しく。
アラスターは迷子のように目を泳がせた。
『……これが、“愛”だと?』
「そう言ってほしい。できるなら」
『……知りません。そんな“愛”は』
アラスターだって、誰かを愛することがある。それは自分であり、母であり、友で、尊ぶべき先達であった。
だが彼の知る“愛”に、こんなものはない。
死後になって新しい“愛”を知るというのか。
『……私は、あなたを愛しているんですか?』
「君の気持ちを勝手に決めるつもりはない。ただ、そうであってほしいと、私は願っている」
アラスターの心はアラスターが決める。そうでなければならない。愛しい人の心を踏みにじるつもりはない。
お互いの心音すら聞こえそうな静寂の中、ルシファーはただ待った。アラスターが答えを見つけるのを、ひたすらに。
『……ルーシィ』
ノイズ混じりの声は震えていた。幼い子どものような、舌のもつれた拙い呼び方。
揺らぎ続けていた目がルシファーを真っ直ぐに見上げる。
『──愛しています』
ルシファーは衝動のまま、アラスターに口付けた。震えるそれと何度も触れ合い、吸い上げる。強いアルコールと血の味がルシファーの口内に広がった。
「アル、アル……」
愛しい名前と共に口内に舌を差し込んだ。只人の舌を蛇の舌で絡め取り、締め上げる。アラスターの喉がキュウッと鳴った。
欲のままキスを繰り返す。ルシファーがようやく満足した頃には、アラスターの舌は痺れて動かなくなっていた。
「……アル?」
浅い呼吸を繰り返しながら睨み付けてくるアラスター。人を殺せそうなほど鋭い目付きも、潤んでいては全く怖くなかった。
『……るーしぃ』
呂律が回っていない。どれだけアルコールが入っても、こうはならなかったのに。
彼の怒りの原因を理解したルシファーは反省した。お喋り人間の舌を潰したのはよろしくない。
「あー……すまない、アル。すぐ治すから。許しておくれ」
再度口付けて、力なく横たわる舌を吸い上げる。今度はすぐに離した。
『んぅ……』
むずがるような声をあげて、アラスターは口をまごつかせる。舌が自由に動くようになったのを確認してから、獣のように低く唸った。
『……私の商売道具を、よくも……』
「すまない。つい嬉しくて……ああ、怒った顔も素敵だ」
はにかむルシファー。流れるようにアラスターの頬にキスを送る。自分を見つめる目があんまりにも甘いものだから、アラスターはすっかり怒気が削がれてしまった。
「アル……受け取ってくれ」
ルシファーは改めて薔薇の花を差し出す。赤い包装に赤いリボン。愛おしい人と同じく、どこもかしこも真っ赤な贈り物。
今度は拒否されなかった。アラスターは静かにそれを受け取り、ぎこちなく恋人を見下ろして微笑んだ。
「アル!」
ルシファーは破顔してアラスターを抱き締めた。愛おしさと幸福で胸がいっぱいになる。抱擁に応える腕の動きすら脳が溶けるような心地にさせた。
二人は心ゆくまで抱き合い、やがて図ったように見つめ合う。しばしお互いの世界を堪能しあった。
「改めて、君をチャーリーに紹介したい」
夢見心地な様子だったアラスターが正気づいた。訝しむように片眉を跳ね上げる。
『……リリスのことは?』
最もな指摘だ。ルシファーは咄嗟に左手を隠す。無意識の行動だった。アラスターはそれを咎める。
『隠さないでください。ルーシィ、あなたにとって私との関係は、やましいものですか?』
「いいや」
即答する。これも無意識だった。だが、だからこそ偽りはない。
『なら、隠すな。堂々としていなさい』
ルシファーは眉を八の字に垂らす。本当にやましさはないが、申し訳ない気持ちはあった。だってルシファーは──
『そもそもあなた、それを外せるんですか?』
アラスターが金の指輪を見遣る。いつから付けているのか知らないが、傷一つない綺麗な指輪だ。
「……いいや。外せない」
首を横に振るルシファー。『でしょうね』アラスターは淡々と頷いた。
ルシファーとリリス。地獄に落とされた最初の天使と人間。最初の悪魔。どちらも地獄の根幹に深く関わる存在だ。上級悪魔とはいえ、所詮は元人間の悪魔であるアラスターには把握しきれていないこともあるだろう。──今は、まだ。
「実はチャーリーには、もう話してあるんだ。……“恋人になりたい人ができた”と」
ルシファーは数日前のことを思い出す。アラスターへの告白を決心した、あの日のことを。
ルシファーは何をするよりも先に、娘に胸の内を明かすことにした。彼は地獄の王で、リリスの夫だったが、同時にチャーリーの父親だった。
リリスと心違いになり、離別を選んだ時。何よりも苦しかったのは、娘の悲しげな顔だった。今も時折夢に出てくる、ルシファーの後悔の一つ。
だから娘に語った。相手が誰かまでは教えずに、ただ、好きな人ができたと。
チャーリーはとても驚いていた。次いで自分のことのように喜んで──少しだけ複雑そうな顔をした。
幼い頃、ルシファーとリリスのことで心を痛めたことがあっただろう。娘として、父親の新たな出会いに思う所があっただろう。
それでも父親の、ルシファーの幸せを願ってくれた。
「いい子に育ってくれた」
本当に、自分には勿体ないくらいに素敵な娘だ。
『……チャーリーらしいですね』
アラスターは苦笑する。どこまでもお人好しな娘だ。それがチャーリーの良いところであり、悪いところでもある。嫌いではないが。
『あなたとリリスのことは、私が口出しできることではないと思っています。チャーリーのことも。だから……あなたがそれでいいというのなら、チャーリーに紹介してくれますか?』
「もちろんだとも!」
ルシファーは力いっぱい恋人を抱き締めた。力を入れすぎてアラスターの喉から『ぐう』と呻き声が漏れる。慌てて力を緩めて、不機嫌になった恋人を宥める為に何度もキスを贈った。
***
チャーリーは絶句した。間抜けにあんぐりと口を開いたまま、父親とビジネスパートナーを交互に見つめる。父親とまったく同じ反応だ。アラスターが感心するくらい、この父娘はよく似ていた。
「え? じゃあ、バパの好きな人って、新しい恋人って……えっえっ」
「チャーリー、落ち着いて」
忙しなく目や指を動かすチャーリー。隣にいたヴァギーが肩を叩いて落ち着かせる。
最近やたら仲良くなったとは思っていたが、まさかそんな関係に発展しているとは。ヴァギーも驚きながら、隣合う二人を観察する。
アラスターはいつもと変わった様子はない。姿勢よく佇みながら、驚きで顔を七変化させるチャーリーを見てニヤニヤ笑っている。相変わらず嫌な男だ。
だが、その細腰にはルシファーの手が回されていた。自分自身が触るのはいいが、人に触られるのは嫌いという我儘な性分の男が、それを何も言わずに受け入れている。なるほど確かに、好い仲になったようだ。
ようやく驚きから抜け出したチャーリーが、頬を紅潮させて二人を見上げる。
「ああ、こんな素敵なことってあるのね。おめでとうパパ。アラスターも、本当におめでとう。パパのこと、どうかよろしくね」
『もちろん。あなたも、あなたのパパも、私がお世話してさしあげますね』
「おい」
ルシファーが思わず口を挟む。が、アラスターは何処吹く風といった様子だ。軽口を叩き合う新しい恋人たちを前に、チャーリーは興奮を隠せないでいた。そわそわと指を擦り合わせ、上目で父を見上げる。
「じゃあ……パパ。これで、あの契約の件は無しになったのね?」
「いいや。それとこれとは話が別だ、チャーリー。私は例えアルと恋人になっても、おまえとの契約の件を許すつもりはない」
「えっ」
チャーリーは目を点にする。それはそうだろう、ヴァギーは頷いた。ヴァギーだって、忠告を無視して契約したことについては未だに許していないのだ。父親であるルシファーが、そう簡単に絆される訳がない。
「えーっと、じゃあ……どうするの?」
「別に変わらないさ。恋人として一緒にいながら、チャーリーに妙なことをしないように見張る。それだけだよ」
「あー……もし、ないとは思うけど、アラスターが私に変なことをしたら……?」
「ハハッ。その時は──愛を込めて殺してやるさ」
ルシファーはアラスターを見上げて、鋭い牙を剥き出しにしながら笑った。地獄の王の名に相応しい、凶悪な笑み。アラスターも同じく悪辣な笑みを浮かべ、恋人を見下ろした。
二人の気迫に唾を飲んだチャーリーが、おずおずとビジネスパートナーを伺う。
「……それでいいの、アラスター?」
『ええ、構いません。私にあなたを傷付けるつもりは全くありませんから。信用されていなくて悲しい限りです』
「日頃の行いでしょ」
『おやおや。チャーリー、あなたのパートナーが酷いんですぅ』
アラスターはわざとらしく傷心の顔を作った。影に溶けて二人の間に入り込み、チャーリーの頬に懐く。ヴァギーが猫のように毛を逆立てた。
「ちょっと! あんたも恋人ができたんだから、そういう距離感は改めなさいよ!」
アラスターは目を真ん丸にして首を傾げた。チャーリーと目を見合わせ、二人一緒にルシファーへ顔を向ける。娘と恋人の仲睦まじい様を眺める男の顔は、複雑な感情で彩られていた。
「……それで? 私はどっちに嫉妬すればいいんだ?」
アラスターとチャーリーは数秒沈黙し、同時ににんまりと笑い合った。いたずらっ子の笑い方。示し合わせたように手を取り合う。どこからともなく音楽が流れ始め、二人はクルクルと踊り出した。
「おめでとうアル〜。あなたが家族になってくれて、本当に嬉しいわ〜」
『いやですね〜。とっくに家族だったではありませんか〜』
「そうだったわ〜!」
二人は歌いながら心のままに踊り続ける。全く異なる性格をしているのに、こういうところは気が合うのだ。
ヴァギーが顔中に文句を貼り付けながら、しかし心の底から楽しそうなパートナーの様子に何も言えずに肩を落とした。その隣でルシファーは両手を挙げて降参を示す。
幸せで、それでいて憎たらしい。ルシファーの万年続く生の中で、初めて味わう感情だった。
END