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    はもん

    @hamon_samon

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    はもん

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    ・「赤の指先」の続き
    ・二人が恋人になる話
    ・未知の感情に翻弄されるよわよわアラスターがいます
    ・軽い暴力表現

    #ルシアラ

    どうか私を愛と呼んで ──いける。これはいけるぞ。
     城で一人、アヒルちゃん人形の山の前で思案していたルシファーは、確かな手応えを感じていた。
     アラスターとの初デートから数ヶ月。公務やホテルの手伝いで忙しくしつつも、合間を縫って何度もアラスターとデートを重ねた。そして確信した。
     ──アラスターも、ルシファーを好いてくれている。
     自惚れではない。これは確信だ。
     例えば、ルシファーを見つめる眼差し。触れてくる指先の余韻。隣に座った時に触れる膝の温もり。耳元で聞こえる潜めた笑い声。肩を抱いた時に身を委ねる仕種。
     あれがルシファーへの好意でないのなら何だというのか。アラスターはサキュバスの親戚か何かか。ビッチではあるだろうが。
     これまでのアラスターとの日々を反芻したルシファーは、長い長い熟考の果てに決断した。
     ──告白しよう。
     はっきりさせなければいけない。アラスターと、ルシファーの関係を。

    ***

     夜。ルシファーいつものようにアラスターを酒に誘った。仕事の付き合いで貴族からウィスキーを貰ったのだ。ルシファーはこういった、価値があるのに自分は飲めない酒をよく貰った。最近はアラスターが消費してくれるので助かっている。
     飲みの場は、ルシファーの部屋かアラスターの部屋のどちらかがほとんどだ。バーカウンターで飲むこともあるのだが、人目があるとアラスターは一定の距離を保とうとするので、ルシファーはできる限り二人きりで過ごすことを好んでいた。
     今日はアラスターの部屋の番だ。ルシファーが持ってきた酒瓶と、アラスターが作ったツマミの数々がテーブルに並ぶ。
     ルシファーがシードルを好んでいるからと、最近はチーズを使った物がよく出てきた。これがまたシードルに合うのだ。何でこんなに素敵な味覚をしていながら腐肉や人肉を好むのか、ルシファーにはよく分からなかった。
     アラスターの部屋には、デートの度にルシファーが贈った花が生けられている。大切に手入れされているそれを見るとルシファーの胸は高鳴った。
     酒は口を軽くする。アラスターは酒がなくても饒舌だが、酒が入ると余計に口が滑らかになった。どれだけ飲んでも決して呂律が怪しくならないのだから、彼のお喋りに対するプライドの高さは一級品だ。
     程よく酔いが回っているアラスターと異なり、ルシファーは何杯飲んでも酔えなかった。こんなに緊張するのはいつぶりだろうか。チャーリーに頼まれて天国に会議を持ちかけた時も心臓が暴れ回っていたが、それ以上かもしれない。

    「……アル」

     ルシファーはにわかにシャンパングラスを置いて、居住まいを正す。いつになく固い声音に、アラスターは目を丸くした。真剣にこちらを見つめてくるルシファー。応じるようにアラスターもロックグラスを置いて、隣に座る男に向かい合う。

    「君に、伝えたいことがある。とても真面目で、大事な話だ」

     ルシファーは大きく深呼吸をする。声が震えないよう努めて意識しながら、やおら口を開いた。

    「私は、君が好きだ。愛してる。だから君に──私の恋人になってほしい」

     言下、隠していた薔薇を一輪差し出す。初めてのデートで贈った物と同じ、真っ赤な薔薇だ。
     花と同じ赤い目が大きく見開かれる。アラスターは珍しく何の音を発することもなく、差し出された薔薇とルシファーに何度も目線を動かした。
     沈黙が場を支配する。ルシファーはやたら大きく聞こえる己の心臓の音と、火がついたように熱を持つ顔面を持て余しながらも、アラスターの動きを待った。
     どれほどの時間が経ったか。
     ようやく動き出した赤い指先が薔薇に向かって持ち上がり──躊躇いがちに下ろされた。
     ルシファーは愕然としてアラスターを見上げる。受け入れてもらえないとは思っていなかったのだ。
     アラスターは、ルシファーから顔を逸らしていた。口角は相変わらず上がってはいるが引きつっており、伏せられた目は僅かに揺れている。ルシファーは細い肩を縋るように掴んだ。

    「アル、アル。どうして? 私のことが嫌いか?」
    『いいえ。嫌いなら、こんな風に一緒にいません』
    「なら……好き?」
    『……嫌いではありません』
    「アル……」
    『ですが……いいえ。今日はもう帰ってください』
    「アル」
    『帰れ、ルシファー』
    「アル!」

     声を低くするアラスター。ルシファーは肩を掴む力を強くして──宙に放り出された。

    「アラスター」

     アラスターが触手を使ってルシファーの体を引き剥がし、投げ飛ばしたのだとすぐに分かった。咄嗟に翼を出して体勢を整えようとするが、その前に真っ黒な波がルシファーの全身を包んだ。
     気付けばルシファーは、自分の部屋で一人ポツンと佇んでいた。アラスターの能力で自室に戻されたようだ。ルシファーは混乱しながらも状況を把握し、地団駄を踏んだ。

    「……あの野郎ッ!」

     ──逃げやがった
     告白は失敗した。だが悲しさはない。あるのは憤りだけだ。
     フラれたならまだいい。否よくはないが、踏ん切りはつく。
     だが彼は、嫌いではないと言いながら、明確に断るでもなく、逃げた。ルシファーから、ルシファーの想いから、逃げたのだ。ふつふつと怒りが湧いてくる。

    「私を、誰だと思っている、クソガキめ」

     逃がすものか。絶対に、もの・・にしてやる。
     そもそも散々思わせぶりな態度をしておいて何が「嫌いじゃない」だ。そんな言葉で片付けられるような熱じゃない。
     もし本当にルシファーを弄んでいただけというのなら、その時はケツにブチ込んで・・・・・・・・、誰を相手に遊んでいたのかを思い知らせてやる。覚悟していろクソビッチ。
     ルシファーは激情のまま林檎の杖を取り出し、床に石突を叩きつけた。黄金の光が迸る。
     王の力でアラスターの部屋に空間を繋げ──失敗した。結界を張って抵抗しているらしい。

    「小賢しい」

     ルシファーは杖を持ち直し、中途半端に繋がった異空に向かって槍投げの要領で投擲する。それだけで悪魔の結界は塵芥のように掻き消え、杖は狙ったようにアラスターの足元に突き刺さった。
     毛を逆立てた鹿の悪魔が、黄金の光をまとって現れた地獄の王を睨み付ける。普段は慎ましやかな鹿角が樹木の枝のように伸びていた。

    『ルシファー……』
    「怯えるな、バンビ小鹿ちゃん。私は話をしにきただけだ」
    『誰が、怯えていると?』
    「おまえだよ、可愛いバンビ」

     ギイ、と金属が擦れるよう音が鳴った。アラスターの額に十字の印が現れ、瞳がラジオメータに変わる。
     みるみる体を大きくする悪魔を前に、ルシファーは一つ指を鳴らした。すぐに直せるとはいっても、よりにもよってマネージャーの手で壊されては堪らない。アラスターの部屋を魔法で保護する。

    「話をしよう、アラスター。逃げずに」

     言い終わる前に、緑の光をまとった触手が、ルシファーに向かって突き刺す勢いで伸ばされた。それを体を捻って避けながら、ゆっくりとアラスターに近付いていく。

    「アラスター、話そう。おまえの大好きなお喋りだ」
    『話すことなんかありません』
    「いいや、あるさ。たくさん、ね」
    『私は、ありません』

     ルシファーは懲りずに伸びてくる触手を素早く掴んで握り潰す。アラスターの顔が不気味に歪んだ。それでも攻撃の波は止む気配がない。
     なかなかしつこいな。ルシファーは顔面に向かってくる巨大な爪を払い除け──反射でそれ・・を踏み潰した。
     目線を下げる。自身の足の下で、アラスターの黒い友人が眦を吊り上げてもがいていた。ひっそり影を伸ばしていたらしい。アラスターから激しいノイズが漏れる。

    (よくもまぁ、私相手にここまで)

     その胆力は賞賛に値する。が、今は邪魔だ。慎重に力を調節して、影を通して天使の力を勢いよく注ぎ込む。

    『ギッ──』

     殺し切れなかった呻き声と共に、耳が痛くなるほど甲高いハウリング音が部屋に響いた。アラスターの角が、体が、みるみる縮んでいく。
     元の姿に戻ったアラスターは、力なく床に倒れ伏した。その姿を見て、ルシファーの頭が急速に冷えていく。
     何故自分はいつもこうなんだ。愛する人のことになるとすぐ頭に血が上ってしまう。だからって、その愛する人を傷付けたら本末転倒だ。
     憂鬱に囚われそうになる頭を横に振る。それでも、これでようやっとまともに会話ができるようになったのだ。今はそう無理矢理納得した。
     ルシファーは床に刺さったままの杖を引き抜き、一振する。アラスターになぎ倒された家具が一瞬で元の位置に戻った。
     アラスターは体が痺れて動けないようだ。細長い体を抱き上げると、四肢をぐったり投げ出しながらも睨んできた。
     それを申し訳なく思いながら、数十分前まで座っていたソファにアラスターを座らせる。その背にクッションをいくつか敷き詰めた。苦しくないよう位置を調節して、顔を背けて逃げようとするアラスターと無理矢理向き合う。鹿の悪魔は鋭い牙を剥き出しにしてルシファーを睨みつけた。

    「アル」

     アラスターは何も言わない。口角を無理矢理引き上げたまま、力の入らない体を守るように背を丸めている。
     ルシファーは困惑した。拒絶して、威嚇しておきながら、アラスターがルシファーを見る目はずっと不安定に揺れている。何がそんなに不安なのか理解できず、ルシファーは必死に言葉をかけた。

    「まず、君を攻撃してすまない。こうしないと話ができないと思ったんだ。後でいくらでも怒ってくれて構わない。だから今は、アル、聞かせてくれ。何が君を苦しめているんだ? 私の気持ちは、そんなに君を困らせるようなものだったのか?」
    『…………』
    「アル、目を逸らさないで。私を見て」
    『…………』

     警戒音のようなノイズが続く。胸の前で拳を握り締めながら、アラスターは下唇を噛んだ。言葉を探すように、目があちこちを彷徨う。

    『……分からないんです』

     長い長い沈黙の後、アラスターはようやく口を開いた。ルシファーは黙って続きを待つ。

    『私は……あなたに向けるこの感情が何なのか、分からないんです』

     全く想定していなかった答えに、ルシファーは大きな目を更に大きくする。アラスターは唇を戦慄かせながら続けた。

    『あなたの気持ちは嬉しいと思います。それは分かる。でも、私は──私は、私が分からない』

     ルシファーが自分に惚れていることが分かってから、ハスクに問い質されてから、アラスターはずっと考え続けていた。自分はルシファーのことをどう思っているのか。彼の好意にどう応えたらいいのか。
     だが、いくら考えても答えは出なかった。アラスターの人生の中に、この感情に当てはまる言葉は存在しない。
     自己愛の強いアラスターは、自分自身のことで分からないことなど一つもありはしなかった。何もかもを把握し、理解し、その上で自分の好きな自分・・・・・・・・でいられるよう努めて生きてきた。
     だがルシファーの前では、それができない。自分を見失ってしまう。何も分からないまま、ただ未知の感情に翻弄されてしまう。

    『私の人生で、あなたは初めての存在なんです。ルシファー』

     ルシファーは絶句する。間抜けにあんぐりと口を開いたまま、アラスターの言葉に耳を傾けた。

    『だから、花は受け取れません。あなたの気持ちには、応えられません』

     否定の言葉は苦しげに吐き出された。初めて見る、アラスターの苦悶の表情。ルシファーはそれを熱心に見つめて記憶しながら、感動に打ち震えていた。
     ルシファーに離れる気がないのを察したアラスターが影に消えようとする。まだ余力を隠していたらしい。影に杖を突き立ててそれを阻止し、ルシファーは強ばった土気色の頬にそっと触れた。

    「アル。私の質問に答えてくれ」

     優しく見つめてくる、自分とは違う赤色の目。そんな目を向けられる理由が分からず、アラスターは狼狽える。

    「私のことは好き?」
    『……好きか嫌いかで言えば、好きな方です』
    「とても嬉しいよ。では、私と一緒の時間を過ごすのは好き?」
    『……はい』
    「その私に感じる“好き”は、他の誰かに感じる“好き”とは違う?」
    『…………はい』

     戸惑いがちに頷くアラスター。ルシファーは笑みを深くした。

    「私に好きと言われて嬉しい?」
    『……はい』
    「私に触れられるのは嫌?」
    『……いいえ』
    「私にこうされるのは嫌?」

     滑るようにアラスターに顔を近付ける。お互いの呼気が感じるほど近くに寄っても、アラスターは眉尻を下げるだけだった。

    『…………いいえ』

     小さな声。ルシファーはうっとりと想い人を見つめる。

    「アル。もし、君が未知だというそれを“愛”と呼んでくれるなら……私はとても嬉しい」

     震える目尻を指の腹で撫でる。愛を込めて、優しく。
     アラスターは迷子のように目を泳がせた。

    『……これが、“愛”だと?』
    「そう言ってほしい。できるなら」
    『……知りません。そんな“愛”は』

     アラスターだって、誰かを愛することがある。それは自分であり、母であり、友で、尊ぶべき先達であった。
     だが彼の知る“愛”に、こんなものはない。
     死後になって新しい“愛”を知るというのか。

    『……私は、あなたを愛しているんですか?』
    「君の気持ちを勝手に決めるつもりはない。ただ、そうであってほしいと、私は願っている」

     アラスターの心はアラスターが決める。そうでなければならない。愛しい人の心を踏みにじるつもりはない。
     お互いの心音すら聞こえそうな静寂の中、ルシファーはただ待った。アラスターが答えを見つけるのを、ひたすらに。

    『……ルーシィ』

     ノイズ混じりの声は震えていた。幼い子どものような、舌のもつれた拙い呼び方。
     揺らぎ続けていた目がルシファーを真っ直ぐに見上げる。

    『──愛しています』

     ルシファーは衝動のまま、アラスターに口付けた。震えるそれと何度も触れ合い、吸い上げる。強いアルコールと血の味がルシファーの口内に広がった。

    「アル、アル……」

     愛しい名前と共に口内に舌を差し込んだ。只人の舌を蛇の舌で絡め取り、締め上げる。アラスターの喉がキュウッと鳴った。
     欲のままキスを繰り返す。ルシファーがようやく満足した頃には、アラスターの舌は痺れて動かなくなっていた。

    「……アル?」

     浅い呼吸を繰り返しながら睨み付けてくるアラスター。人を殺せそうなほど鋭い目付きも、潤んでいては全く怖くなかった。

    『……るーしぃ』

     呂律が回っていない。どれだけアルコールが入っても、こうはならなかったのに。
     彼の怒りの原因を理解したルシファーは反省した。お喋り人間の舌を潰したのはよろしくない。

    「あー……すまない、アル。すぐ治すから。許しておくれ」

     再度口付けて、力なく横たわる舌を吸い上げる。今度はすぐに離した。

    『んぅ……』

     むずがるような声をあげて、アラスターは口をまごつかせる。舌が自由に動くようになったのを確認してから、獣のように低く唸った。

    『……私の商売道具を、よくも……』
    「すまない。つい嬉しくて……ああ、怒った顔も素敵だ」

     はにかむルシファー。流れるようにアラスターの頬にキスを送る。自分を見つめる目があんまりにも甘いものだから、アラスターはすっかり怒気が削がれてしまった。

    「アル……受け取ってくれ」

     ルシファーは改めて薔薇の花を差し出す。赤い包装に赤いリボン。愛おしい人アラスターと同じく、どこもかしこも真っ赤な贈り物。
     今度は拒否されなかった。アラスターは静かにそれを受け取り、ぎこちなく恋人・・を見下ろして微笑んだ。

    「アル!」

     ルシファーは破顔してアラスターを抱き締めた。愛おしさと幸福で胸がいっぱいになる。抱擁に応える腕の動きすら脳が溶けるような心地にさせた。
     二人は心ゆくまで抱き合い、やがて図ったように見つめ合う。しばしお互いの世界を堪能しあった。

    「改めて、君をチャーリーに紹介したい」

     夢見心地な様子だったアラスターが正気づいた。訝しむように片眉を跳ね上げる。

    『……リリスのことは?』

     最もな指摘だ。ルシファーは咄嗟に左手を隠す。無意識の行動だった。アラスターはそれを咎める。

    『隠さないでください。ルーシィ、あなたにとって私との関係は、やましいものですか?』
    「いいや」

     即答する。これも無意識だった。だが、だからこそ偽りはない。

    『なら、隠すな。堂々としていなさい』

     ルシファーは眉を八の字に垂らす。本当にやましさはないが、申し訳ない気持ちはあった。だってルシファーは──

    『そもそもあなた、それ・・を外せるんですか?』

     アラスターが金の指輪を見遣る。いつから付けているのか知らないが、傷一つない綺麗な指輪だ。

    「……いいや。外せない」

     首を横に振るルシファー。『でしょうね』アラスターは淡々と頷いた。
     ルシファーとリリス。地獄に落とされた最初の天使と人間。最初の悪魔。どちらも地獄の根幹に深く関わる存在だ。上級悪魔オーバーロードとはいえ、所詮は元人間の悪魔であるアラスターには把握しきれていないこともあるだろう。──今は、まだ。

    「実はチャーリーには、もう話してあるんだ。……“恋人になりたい人ができた”と」

     ルシファーは数日前のことを思い出す。アラスターへの告白を決心した、あの日のことを。
     ルシファーは何をするよりも先に、娘に胸の内を明かすことにした。彼は地獄の王で、リリスの夫だったが、同時にチャーリーの父親だった。
     リリスと心違いになり、離別を選んだ時。何よりも苦しかったのは、娘の悲しげな顔だった。今も時折夢に出てくる、ルシファーの後悔の一つ。
     だから娘に語った。相手が誰かまでは教えずに、ただ、好きな人ができたと。
     チャーリーはとても驚いていた。次いで自分のことのように喜んで──少しだけ複雑そうな顔をした。
     幼い頃、ルシファーとリリスのことで心を痛めたことがあっただろう。娘として、父親の新たな出会いに思う所があっただろう。
     それでも父親の、ルシファーの幸せを願ってくれた。

    「いい子に育ってくれた」

     本当に、自分には勿体ないくらいに素敵な宝物だ。

    『……チャーリーらしいですね』

     アラスターは苦笑する。どこまでもお人好しな娘だ。それがチャーリーの良いところであり、悪いところでもある。嫌いではないが。

    『あなたとリリスのことは、私が口出しできることではないと思っています。チャーリーのことも。だから……あなたがそれでいいというのなら、チャーリーに紹介してくれますか?』
    「もちろんだとも!」

     ルシファーは力いっぱい恋人を抱き締めた。力を入れすぎてアラスターの喉から『ぐう』と呻き声が漏れる。慌てて力を緩めて、不機嫌になった恋人を宥める為に何度もキスを贈った。

    ***

     チャーリーは絶句した。間抜けにあんぐりと口を開いたまま、父親とビジネスパートナーを交互に見つめる。父親とまったく同じ反応だ。アラスターが感心するくらい、この父娘はよく似ていた。

    「え? じゃあ、バパの好きな人って、新しい恋人って……えっえっ」
    「チャーリー、落ち着いて」

     忙しなく目や指を動かすチャーリー。隣にいたヴァギーが肩を叩いて落ち着かせる。
     最近やたら仲良くなったとは思っていたが、まさかそんな関係に発展しているとは。ヴァギーも驚きながら、隣合う二人を観察する。
     アラスターはいつもと変わった様子はない。姿勢よく佇みながら、驚きで顔を七変化させるチャーリーを見てニヤニヤ笑っている。相変わらず嫌な男だ。
     だが、その細腰にはルシファーの手が回されていた。自分自身が触るのはいいが、人に触られるのは嫌いという我儘な性分の男が、それを何も言わずに受け入れている。なるほど確かに、好い仲・・・になったようだ。
     ようやく驚きから抜け出したチャーリーが、頬を紅潮させて二人を見上げる。

    「ああ、こんな素敵なことってあるのね。おめでとうパパ。アラスターも、本当におめでとう。パパのこと、どうかよろしくね」
    『もちろん。あなたも、あなたのパパも、私がお世話してさしあげますね』
    「おい」

     ルシファーが思わず口を挟む。が、アラスターは何処吹く風といった様子だ。軽口を叩き合う新しい恋人たちを前に、チャーリーは興奮を隠せないでいた。そわそわと指を擦り合わせ、上目で父を見上げる。

    「じゃあ……パパ。これで、あの契約の件は無しになったのね?」
    「いいや。それとこれとは話が別だ、チャーリー。私は例えアルと恋人になっても、おまえとの契約の件を許すつもりはない」
    「えっ」

     チャーリーは目を点にする。それはそうだろう、ヴァギーは頷いた。ヴァギーだって、忠告を無視して契約したことについては未だに許していないのだ。父親であるルシファーが、そう簡単に絆される訳がない。

    「えーっと、じゃあ……どうするの?」
    「別に変わらないさ。恋人として一緒にいながら、チャーリーに妙なことをしないように見張る。それだけだよ」
    「あー……もし、ないとは思うけど、アラスターが私に変なことをしたら……?」
    「ハハッ。その時は──愛を込めて殺してやるさ」

     ルシファーはアラスターを見上げて、鋭い牙を剥き出しにしながら笑った。地獄の王の名に相応しい、凶悪な笑み。アラスターも同じく悪辣な笑みを浮かべ、恋人を見下ろした。
     二人の気迫に唾を飲んだチャーリーが、おずおずとビジネスパートナーを伺う。

    「……それでいいの、アラスター?」
    『ええ、構いません。私にあなたを傷付けるつもりは全くありませんから。信用されていなくて悲しい限りです』
    「日頃の行いでしょ」
    『おやおや。チャーリー、あなたのパートナーが酷いんですぅ』

     アラスターはわざとらしく傷心の顔を作った。影に溶けて二人の間に入り込み、チャーリーの頬に懐く。ヴァギーが猫のように毛を逆立てた。

    「ちょっと! あんたも恋人ができたんだから、そういう距離感は改めなさいよ!」

     アラスターは目を真ん丸にして首を傾げた。チャーリーと目を見合わせ、二人一緒にルシファーへ顔を向ける。娘と恋人の仲睦まじい様を眺める男の顔は、複雑な感情で彩られていた。

    「……それで? 私はどっちに嫉妬すればいいんだ?」

     アラスターとチャーリーは数秒沈黙し、同時ににんまりと笑い合った。いたずらっ子の笑い方。示し合わせたように手を取り合う。どこからともなく音楽が流れ始め、二人はクルクルと踊り出した。

    「おめでとうアル〜。あなたが家族になってくれて、本当に嬉しいわ〜」
    『いやですね〜。とっくに家族だったではありませんか〜』
    「そうだったわ〜!」

     二人は歌いながら心のままに踊り続ける。全く異なる性格をしているのに、こういうところは気が合うのだ。
     ヴァギーが顔中に文句を貼り付けながら、しかし心の底から楽しそうなパートナーの様子に何も言えずに肩を落とした。その隣でルシファーは両手を挙げて降参を示す。
     幸せで、それでいて憎たらしい。ルシファーの万年続く生の中で、初めて味わう感情だった。




    END
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