ラジオVSテレビ 1私たちの関係を秘密にする? 何故です?』
心底理解できないといった表情でルシファーを見下ろすアラスター。対してルシファーは予想外の反応に驚く。
「公にしたって良いことはないだろう? 絶対ある事ない事言われるに決まってる。それなら隠した方が静かでいい」
『ははぁ。万年生きていながら、未だ人心を理解していないようですね。人は隠されると暴きたくなるものなんですよ。下衆なことにね。もし秘密にしたいというのなら、完璧に秘匿しなければなりません。ですが、それは不可能です。完璧なんてこの世にはありませんから』
「……それを私に言うのか」
アラスターはニッコリと笑った。完璧な存在によって創られた男に向かって、一点の曇りもない綺麗な笑顔で。ルシファーは頬を引き攣らせた。
『そもそも秘密になんてできませんよ。チャーリーにもホテルの皆さんにも知られてるんですから』
「それ以外には言ってないだろう」
『いいえ。エンジェルが知ってる時点で不可能です』
「ん? ……何故彼だけ?」
『ハスクとニフティと一緒ですよ。彼にはご主人様がいますから。命令されればそれで終わりです』
「それは……知らなかった」
ルシファーとホテルメンバーとの仲は、良くもなければ悪くもない。一緒に住んでいて気まずくならない程度の距離感だ。
しかもホテルに引っ越してからのルシファーはアラスターに夢中だった為、ろくに交流をしていない。彼らの個人的な事情を知らなくて当然だった。
『つまり、最初から土台無理な話なんですよ、あなたの提案は』
ルシファーはむっすりと黙り込んだ。こうも尽く否定されては不満も出る。なにより、正論とは怒りを誘発するものだ。
「……君の為を思ってのことだったんだが」
『それは有難い。感謝はしますよ。とんだ的外れですがね』
ああ言えばこう言う。お喋りな悪魔の舌は今日も絶好調だった。ルシファーの顔面にどんどん皺が増えていく。
アラスターは子どもに言い聞かせるような口調で続けた。
『ルーシィ、いいですか? 秘密とは弱点です。弱みなんですよ。秘密を作るということは、他者に付け入る隙を与えるということです。私は、あなたの弱点になるつもりはありませんよ』
「弱点って……アルをそんな風に思ったことはない」
『あなたがどんなつもりであれ、周りはそう判断するということです』
ルシファーは頭を抱えた。己の立場を厭うことは多々あれど、こういったことにまで波及するのは本当に勘弁してほしい。
『それに……いいんですか? 私、モテますよ? あなたと付き合っていることを隠していたら、これまで通り何度もアプローチを受けるでしょうね。それをあなたは見過ごせるんですか?』
挑発的な笑みのアラスター。ルシファーは深い溜め息と共に肩を落とした。
「……報道もされるぞ?」
『それ、誰に向かって言ってるんですか?』
マイクステッキの石突きを床に叩き付け、ラジオデーモンは不敵に笑ってみせた。マイクから拍手喝采が流れる。
『盛大に見せ付けてやりましょう。地獄中に、私たちの仲を』
──誰も口を挟めないように。
悪魔らしく、悪辣に笑う可愛い恋人。
ルシファーはとうとう両手を挙げた。
「釈迦に説法だったな」
『ええ。まったく』
「……記者会見でも開くか」
『私、テレビは見ませんが』
「やっぱり新聞かぁ」
スマホを取り出し操作するルシファーの手を、やんわり下ろさせるアラスター。
『今すぐ発表する必要はありません。考えがあります』
「考え? どんな?」
『その内分かりますよ。メディア関係の対応は任せてください。とりあえずは、そうですねぇ』
──デートしましょう。
アラスターは無邪気に笑ってそう言った。
***
部屋の一面に敷き詰めるように置かれたモニターには、様々な映像が映し出されていた。
現在放送されているテレビの映像。視聴率のリアルタイム推移。タワー内の監視カメラの映像。街中の監視カメラの映像。等々。
その中の一つ。自社の株価チャートを眺め、ヴォックスは数ヶ月ぶりに肩の力を抜いた。腹の底から吐き出すような溜め息が執務室に満ちる。
ここ数ヶ月間、『VoxTek Enterprises』の業績は下降を続けていた。きっかけは、例の駆除だ。
突如早まった駆除は、チャーリー主導の迎撃戦にルシファーが参戦したことにより、天使軍を撃退した形で終息した。それらは一部始終をヴォックスのテレビ局で生放送され、番組は史上最高の視聴率を叩き出した。しかもアラスターの敗戦という、ヴォックス個人にとって勃起もののシーンも撮れたのだ。
ホテルも倒壊し、目の上のたんこぶだったアラスターも失墜し、これからは我らVEESの時代だと三人で盛り上がっていた。
──あのラジオが放送されるまで。
『みなさま、それではラジオの時間です!』
天使軍撃退に盛り上がるペンタグラムシティに突然流れたラジオ放送。生死不明とされていた男の変わりない声に、罪人たちは呆気にとられた。ヴォックスを始めVEESも、冷水を浴びせられたような心地で暫し呆然となる。
そんなリスナーのことなど当然知らない、知っていたとしても関係ないと宣うだろう男は、滔々と喋り続けていた。
アラスターはお馴染みの挨拶を終えた後、つい数時間前に終わったばかりの迎撃戦について話し始めた。
事の経緯から始まり、決戦に至るまでの天国とのやり取りや、プリンセス・チャーリーの動向など。ヴォックスでは知りえない情報を次々と放出していく。
流れの説明が終われば、今回の戦闘についての細かな解説が始まった。
最前線で戦いに参加していた者の、しかも生前ラジオスターとまで呼ばれた男の語りだ。テレビで見ていただけでは味わえない臨場感溢れる語り口。
ヴォックスは思わず聞き入ってしまっていた己に怒りを抱くと同時に、強い憧憬と嫉妬心に身を焦がした。
「クソ野郎め……」
吐き捨てた言葉に乗る感情の多層さに気付いているのだろう。ヴァレンティノとヴェルベットは互いの顔を見合わせて肩を竦めた。
ラジオも終盤に差し掛かった頃。アラスターはわざとらしく声音を跳ね上げた。
『そういえば、リスナーのみなさんはご存知でしょうか? 天使との戦争を最初に話題に出したのは誰なのか。……なんと! あのビカビカ輝く鬱陶しいタワーの住人の一人──ヴェルベットなんですよ!』
ヴァレンティノとヴェルベットは訝しげに顔を上げる。アラスターがVEESの話題に触れることなど滅多にない。何故、こんなに注目を浴びている放送で名前を出したのか理解できなかった。──ヴォックスを除いて。
『いやー! 驚きですよね! 戦いとは無縁そうに見えて流石は上級悪魔! 血の気が多い! 彼女は上級悪魔会議でカミラやゼスティアルを相手に舌戦を繰り広げましてね。なかなか見物でしたよ。特に天使の生首をカミラに投げ付けた所なんか、まるで映画のようでした! ……しかし、おかしな話ですねぇ。今回の戦闘、カミラは武器を、ロージーは戦闘員を供給してくれました。ゼスティアルは慎重派の筆頭ですし、他の上級悪魔も乗り気じゃありませんでした。はて……何故、一番やる気に満ちていた彼女たちは、戦闘に参加しなかったんでしょう?』
ヴォックスが怒号と共にスパークする。
「──放送を止めろ!」
「は? 何で?」
「止めるなら自分で止めなよ」
「止められるなら、な」
状況を飲み込めない二人は重い腰を上げようとしない。ヴォックスはタワー内のスタッフに指示を飛ばし、生放送の準備を始める。
「アイツ! あの、くそったれアラスターめ! アイツの目的は──」
放送の準備が整わないまま、アラスターの言葉は続く。
『直前で怖気付いた? いえいえ! あのカミラとゼスティアル相手に啖呵を切るレディですよ? そんな小心な訳がありません。恐らく、ええ、とってもシンプルな理由なんじゃないでしょうか。プリンセスが勝っても負けても自分たちに旨味があると、そう思ったのでは? 勝てば天使軍への対抗手段が確実なものとなり、負ければ上級悪魔の席が空く。そんなところでしょうか?』
物の見事にVEESの考えを当てている。ヴァレンティノはつまらなさそうにスマホに目を落とした。ヴェルベットは既にSNSに夢中だ。ヴォックス一人だけが、この状況に焦っていた。
『どっちに転んでも数字は取れるでしょうしねぇ……いやぁ、本当に──凡人の思考ですね』
ここにきてようやく不穏な気配を感じた二人がスマホから顔を上げた。アラスターの声音に嘲笑が混じり始める。
『相手と直接刃を交えることもせず、謀略を巡らせる訳でもなく、ただ甘い汁が降ってくるのを待っている。なんとも可愛らしいじゃありませんか。まるで母親が夕飯を作って食卓まで運んで来てくれるのを待っている幼子のよう!』
「ハアッ」
子どもと表現されたヴェルベットが立ち上がる。人形の悪魔である彼女は見た目こそ小さく幼く見えるが、中身はとっくに成人した女性である。ヴェルベットは声しか聞こえない男を威嚇するように宙を睨んだ。
『しかし、それも仕方ないことです。彼女たちは所詮、成り上がりですからねぇ』
「ハアッ」
今度はヴァレンティノが立ち上がる。ようやくアラスターが何を言いたいのか理解できたのだ。
彼らVEESには、上級悪魔となってからずっと付き纏っている言葉がある。それが“成り上がり”という言葉だ。
アラスターが地獄に堕ちてすぐ、当時何世紀も幅を利かせていた上級悪魔を殺し回ったのは有名な話である。生き残った者もいるが、アラスターが来る前と後で上級悪魔の面子はほとんど変わってしまった。
その中の新顔組──所謂アラスターの虐殺後に上級悪魔となったメンバーは当初、アラスターが空席を作ったから上級悪魔になれたのだと揶揄されることが多々あった。
当然、そんなことを言われて放置するほど優しい者などいない。不届き者にはしっかり格の違いを見せ付け、そう時間も置かずに新しい上級悪魔のメンバーは地獄中に浸透していった。
ただ、表立って口にする者がいなくなっただけで、VEESを成り上がりと思う者はまだ多い。特に古株──アラスターの虐殺対象から外れたメンバーは、未だに顔を合わせる度にそういった態度を見せることがある。
VEESにとって、何十年経っても剥がれることのないそのレッテルは、絶対に口にしてほしくないものだった。
それなのにアラスターは、今回も同じだと言っているのだ。アラスターの作った空席を埋める形で上級悪魔になったように、また誰かが自分たちの立場を上げてくれるのを待っているのだ、と。
『濡れ手に粟? 労せずして儲ける? 上級悪魔ともあろう者が、のし上がるのではなく下駄を履かせてもらうのを期待するなんて……いやはや、どうして雑魚はみんな同じことを考えるんでしょうねぇ』
「ヴォックス! ラジオデーモンを止めろ!」
「殺ってこい!」
「当然!」
ようやく放送の準備が整った。ヴォックスは仲間二人に背を押され、電の身へ転じてスタジオへと走って行った。
そうして始まった、何度目かも分からないテレビVSラジオの戦い。
結果は──テレビの自滅で幕を閉じた。ペンタグラムシティではよく見る、ありふれた結末だった。
ヴォックスの転落が始まったのは、この時からだ。
あの放送以降、『VoxTek Enterprises』の株価が下がり始めた。投資家の幾人かが株を手放した為だ。しかもそのほとんどが、会社を支えていた大口の投資家だった。
地獄における投資家のほとんどは貴族だ。例に漏れずヴォックスの会社も、貴族からの投資で成り立っているといっても過言ではない。
彼らが何故、株を手放したのか。
原因の一つは、アラスターのラジオ放送だ。
あの放送で、貴族からVEESへの心象が一気に悪くなった。特に上位の貴族からの印象は最悪だ。
人間も悪魔も、貴族の性質というのはそう変わらない。プライドが高く、面子が大切。
そんな彼らからすれば、VEESの行動は論外なのだ。
自分たちで天使と事を構える提案をしておきながら、いざ交戦となると裏に引っ込む。まるで口先だけの小物だ。見方を変えれば、戦いから逃げ出した臆病者とも言える。
軍を持つ貴族が、そんな姿勢の悪魔と関わりたがる訳がない。自分たちまで臆病者の仲間とみなされてしまう。故に、さっさと株を手放したのだ。
他の投資家も貴族の動きに合わせて離れていき、更に局のスポンサーも幾つかが追従した。お陰で予定していた一大プロジェクトが凍結に追い込まれた。
ただ、あの放送についてはVEESの行動を賞賛する声も少なくない。漁夫の利を狙うことの何が悪いのかと支持する意見も多々あった。新たに投資する若い貴族もいるし、少額の株を買う個人投資家も増えつつある。
それでも株価が下がるもう一つの理由は、ルシファーが事業を始めたことだ。ホテルの隣にある、以前の駆除で平地になってしまっていた土地に、映画館などの娯楽施設を建てるらしい。
ルシファーは現在、ペンタグラムシティで一番注目を浴びている男である。しかも地獄の王──貴族や大罪の王たち、地獄の全てのトップに立つ男だ。
そんな彼が投資を募れば当然、貴族たちは金を出す。しかも少額ではなく、まとまった金額だ。ペンタグラムシティどころか、地獄中の金の流れがルシファーに集中することになってしまった。
ヴォックスはこの流れをどうにかしようと、ルシファーの事業に投資したり、新しい企画を立ち上げたりと状況の改善を図ったが、効果は芳しくない。業績はじわじわと下降を続けていく一方だった。
お陰でヴァレンティノとヴェルベットの機嫌は悪くなるし、生意気にも反抗してくる社員も出てくるしで、トラブルが絶えない。
ヴォックスは暫くの間、頭と胃の痛みに悩まされることとなった。
それでも努力を続けた甲斐あって、数ヶ月でなんとか業績が回復傾向に向かい始めた。まだ油断ならない状況ではあるが、緩い下り坂のような株の動きを眺め続けていた日々を思うと、肩の力も抜けるというものだ。
「今日は久しぶりに安眠できそうだな……」
濃い隈が刻まれた虚ろな目で、ブラックコーヒーを啜るヴォックス。様々な光景を映すモニターを、何をするでもなくぼうっと眺める。
街中を映すモニター。その中で見慣れた赤い色を見付け、ヴォックスは反射的に身を乗り出した。
「アラスター……!」
大勢の罪人に囲まれている、ヴォックスの多忙の原因である憎らしい赤い男。
その隣には、白い男が立っていた。