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    mumumumumu49

    @mumumumumu49

    4スレは信仰

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    mumumumumu49

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    4スレ魔女パロその1。書き足しました。タイトルは「嵐の森の魔女と夜ふかし」の予定です。

    4スレ魔女パロその1 ゴロゴロと、黒い雲から恐ろしい音が鳴り響く。悪戯好きで騒がしい森の妖精たちも今だけはしんと静かに様子を見守っていて、耳を澄ませば怯えるような囁き声が聞こえるだけ。それもほとんど、ザワザワとさんざめく黒い木の葉たちの声にかき消されてしまっている。
     もうすぐ嵐がやってくるのだ。それもすべてをなぎ倒し壊していく、強い嵐が。
     今にも大粒の涙を零し出しそうな空を見上げて、スレッタは丸い眉をへにゃりと下げた。
    「どうしよう……」
     目の前にはポッキリと折れた箒。枝で割いた肘やふくらはぎはじくじくと痛む。特に、右足首は火がついたようだ。誰も足を踏み入れない神秘の森の奥、魔獣すら通らない崖の下で、新米魔女は動けなくなっていた。
     嵐が来る前に必要な薬草を詰んでしまおうと慌てて飛び出したのがまずかった。雷の音に驚き、いつもだったら楽にいなせる突風に煽られて木にぶつかりエアリアルの助けも虚しく転げ落ちて箒を折った。
     魔女は箒が無ければ飛ぶことができない。正しくは、専用の魔法薬があれば飛ぶこともできる。けれどやっぱり用意もなしに飛ぶことはできない。
     このままでは嵐が来てしまうが、足首に力を入れると激痛が走り、立つことすら敵わない。骨が折れているのかもしれない、という可能性はスレッタをひどく怯えさせるものだった。取るものも取り合えず慌てて飛び立ったものだから、いつも持ち歩いているはずの魔法の膏薬も持ち合わせていない。一応魔女なのに。
     スレッタの周囲で心配しているエアリアルにぎこちない笑顔を浮かべて「大丈夫」と強がって見せるが、額にじわりと脂汗が浮かぶ。家族であり相棒である彼に心配はかけたくなかった。
     どうしよう。心の中でもう一度呟く。
     都から離れて一年、ひとりで頑張ってきたつもりだったけれど。ここには、母も友人も老人たちさえいないのだ。孤独の心細さに折れそうだった。
    「お母さん……」
    「何か、困ってる?」
     ぽつり、とひとの声が降ってきた。
     顔を上げ、探すと、周囲で最も高い木の梢に濡れたように真っ黒な一羽のカラスが留まっていた。暗雲の下、理知的な鮮緑の目だけが柔らかく輝いている。それがひどく、綺麗に映った。
    「あ、の。えっと……」
     スレッタが言い淀む間にカラスは宙でくるりと翼を返し、一人の少年の姿で目の前に着地した。背はスレッタよりも頭一つぶん高く、歳の頃はスレッタと同じくらい。羽と同じ色の艶やかな黒いローブの下に貴族のような上等な白いシャツを着ている。目の前で起こった不思議な出来事に、スレッタは紅い睫毛をぱちりと瞬いた。人の姿に変化できる使い魔は高位の魔女しか契約できない。
    「も、もも、もしかして、魔女が……!」
    「近くに他の魔女は居ないよ」
     カラスの少年はスレッタの淡い期待を一蹴し、ローブが汚れることも気にせずしゃがみこむ。
    「怪我? 痛む? 立てる?」
    「そ、だ、大丈夫、です。家に帰れば薬があるので……」
     畳み掛けるような状況確認に人見知って強がってしまったが何も大丈夫ではない。その家に帰るのが難しいのだから。
     少年が静謐な表情を伺うように近づけて問い直す。
    「本当に?」
     感情の読み取れない黄緑色の瞳はけれど凪いだ湖面のようで、どこまでも澄んでいる。どこにも悪意や邪念が見えず真っ直ぐに注がれる視線は不思議とスレッタの心を落ち着かせた。
    「だい、じょうぶ……じゃ、ないです……」
     ほろり。一度涙がこぼれると、気が緩んだのかあとからあとから湧いてくる。幼い頃に戻ってしまった気分だ。だって痛い。本当は、熱くて痛くて仕方がない。暗雲が迫る中、動けないことがこの世の終わりみたいに怖かった。頼もしい精霊のエアリアルは、けれどスレッタ以外の誰のことも呼ぶことはできないのだ。
     スレッタが白状しても少年は嗤うことも戸惑うこともなくただ頷いた。
    「触るね」
    「ふおっ」
     突如感じたのは、ひとの暖かさと浮遊感。なんと、少年がスレッタの身体を横抱きに抱え上げたのだ。思いがけない事態に背を反らしたスレッタは感じる重力にひやりとして、慌てて少年の首筋にしがみつく。ふわりと鼻にハーブのような清やかな香りが届いた。もう一度抱え直してバランスを取った少年の、ガラス玉のような目がすぐ近くでじっとスレッタの顔を覗き込む。
    「……イヤだった?」
     心臓がバクバクと鳴っている。混乱の中どうにか首を横に振って意思を伝えると、ふっと息を吐いた。もしかすると、安堵の息だったのかもしれない。
    「痛みは?」
     これにも首を横に振る。今はそれどころではない。低い異性の声がスレッタの耳のそばで囁いた。
    「きみの家、どこか教えて」
     頭上では嵐の前触れが鳴り響いている。
     けれど爆音を奏でるスレッタの胸の内では、すでに嵐が吹き荒れていた。

     スレッタの住処は嵐の森の奥にある。決して人に見つからないように隠された小道を進むと、畑に囲まれたそれなりに立派な小屋へと辿り着いた。母が用意してくれた小屋にはたくさんの魔法がかけられていて、スレッタの生活を支えてくれる。特に、エアリアルと協力して練られた防護の魔法はどんな嵐にも負けることはない。
     降り出した雨に濡れた少年は、スレッタにローブを被せたまま近くの椅子に座らせた。暗い部屋の中をきょろりと見渡しているのを見て、慌てて魔法で蝋燭に火を灯す。これくらいならスレッタにもできる。
    「薬はどこに?」
    「そ、そっちの棚の一番上の……緑色の瓶です」
     そういえば、この住まいに同世代の男の子を入れるのは初めてだ。掃除はこまめにしているつもりだが、見えないところに埃がたまったりしていないだろうか。いつもは気にならないことがやけに気になった。
     スレッタが背伸びをして届く高さの棚から長い腕がひょいと瓶を取り、スレッタの前に掲げる。棚の前で振り返った拍子に、長い前髪からぱたぱたと雫が落ちた。髪、拭いてもらわないと。風邪を引いてしまう。
    「これ?」
    「は、はい。合ってます」
     蓋を開けて見せられた緑色の軟膏の瓶を受け取ろうと椅子から伸ばした手が空を切る。
    「あ、あの?」
    「脱がすよ」
    「えっ……!」
     瓶をスレッタの届かない机に置いて、床に跪いた少年はスレッタのブーツの紐に手をかけた。声を上げかけた口を慌てて塞ぐ。もちろんスレッタは、医者ならまだしも、同じ年の男の子に足を触られたことなんてない。けれど、これは純然たる医療行為であり、少年の表情にやましい色は毛ほども見えない。邪魔にならないようにスカートをたくし上げながら、下着が見えないよう、はしたなくならないように調節する。患部に響かないようにだろう恭しい手つきがお姫様扱いされているようで照れくさくてくすぐったい。そわそわしながら見守って、解かれたブーツの中から現れた、赤く不格好に腫れた足首を見てようやく、遠くにやっていた鮮烈な痛みを思い出した。
    「痛っ……!!」
    「……たぶん、折れてるね」
     顎から雨の雫を垂らしながら、カラスの少年は冷静に呟く。少年が瓶の蓋を開けると、部屋にツンとする臭気が漂った。手袋の片方をするりと外し、瓶の中から濃い緑色の軟膏を掬う。白く長い指がスレッタの足にひたりと触れる。
    「ひゃっ……あ、あの……!」
     冷たい指が熱く腫れた患部に軟膏を塗り込んでいく。嵐の森のニガヨモギをよく干して、月光をよく浴びた露とオリーブの精油で溶かした軟膏はズキズキと痛む足首によく沁みて、馴染んでいく。少年の表情は無機質で人形のようでもあったが、患部に触れる手つきは変わらず繊細でひどく優しい。バクバクと大きく響く心臓の音が聞こえてしまわないか心配しながら、少年の真っ直ぐな眼差しや長い前髪、指先の動きをつぶさに目で追いかける。あ、つむじ。
     少年の処置は手早く正確で、スレッタは物の収納してある位置を教えるだけでよかった。添え木と包帯でしっかりと固定してから端正な顔が上がる。
    「いい軟膏だね。これなら骨折も三日で癒える。きみが作ったの?」
    「あ、はい!」
     褒められてうれしくなって答えてから、はたと気が付いた。これでは自分が魔女であるとバラしたようなものだ。
     この国で、魔女は迫害されている。かつて国を傾けたことがあるとされ、特に魔女を毛嫌いする今の国王になってからは魔女狩りも活発になった。ゆえに、誰に対しても己が魔女であると自ずからは明かしてはならないと、母にきつく言われている。他の魔女やその縁のものにも秘密だ。だって魔女は、群れないから。
     けれど、少年はスレッタを呼ぶ。
    「嵐の魔女、スレッタ・マーキュリー」
     緑にも見える灰がかった金色の横髪からポタポタと雫が垂れ落ち、精霊のように澄んだ瞳が真っ直ぐにスレッタを見つめる。
    「僕はエラン。きみに魔法薬の材料調達と加工を依頼したい」
    「えっ」
    「依頼するのは加工難易度が最高の魔法薬が三種。使用用途は明かせないけど、その分報酬は出る」
    「あのっ」
    「イヤなら断ってくれても構わないよ」
    「そ、その前に!」
     少年──エランの言葉を遮って、スレッタは立ち上がろうとして失敗した。鈍い痛みに涙が滲む。それでもこれだけは言わねばならない。
    「髪、乾かしましょう……!」

     暖炉の中で薪が蒼く燃えている。外は本格的な嵐になり始めたのか、雨粒の窓を叩く音が強くなってきた。洗濯物も飛んでいきそうな軽いものも、午前のうちに家の中にしまってあるから大丈夫なはずだ。頭の中で確認しながらちらりと隣に目を向けた。
     ダイニングテーブルにつくスレッタの目の前では、タオルを頭から被ったエランがてきぱきと手を動かしてハーブティーを淹れている。お客様に用意させるのは忍びなかったが、「怪我をしているから」と固辞されれば強行はできなかった。適切な動作で蒸された茶葉がガラス製のポットの中で踊り、湯に色と香りをつけていく。
    「話に聞いた通り、君の扱うエーテルは質が良いんだね。こんなに上質の薪は初めて見た」
    「い、いえ! エアリアルがすごいんです。私はまだまだ半人前で……あっ、依頼は真面目に全力で取り組みますけど!」
     ほかりと湯気の立つ薄緑色の液体が注がれたティーカップが、スレッタの眼前に置かれた。いい香りだ。
    「詳細を話そう。引き受けるかはそのあとでもう一度確認するよ」
     イヤなら断ってくれていいから。そう言葉を継いだエランはテーブルに数枚の羊皮紙を広げる。そこに書かれた文字を見たとき、何故だかどきりと心臓が跳ねた。
    「必要なのは『眠りの棘』、『星光糖』、『氷の水銀』の三種類」
     その並びを、スレッタはどこかで見たような気がする。どこだったか、深く考える前にエランが再び口を開く。
    「どれも都では原料調達が難しく、加工難度も最高とされている。期限はひと月ほど。依頼主は魔女だ。ぼくはその使い魔」
    「……確かに全部、原料は嵐の森で手に入るものですけど。最終的にどんな魔法薬を作るんですか? それによって微妙に調整が変わってきます」
    「さっきも言ったけど、明かせない。そこは君の好きに作ってもらって差し支えないよ」
    「ええ……?」
     ずいぶん、おかしな依頼だった。スレッタも魔女であるからには、母の伝手からもらう魔法薬の依頼で生計を立てているし、それ以前にも母の手伝いは幼いころからそれなりの数をこなしてきたつもりだ。それでも、他の魔女からの依頼というものはなかった。魔女という存在は年に一度の集会を除いて、群れることをひどく嫌う。他の魔女に自分の秘術を盗まれたくないからだ。それに、嵐の森は人が足を踏み入れない代わりに魔法薬の原料が豊富に採れる、魔女の仕事場だ。探せばスレッタよりも腕の良い魔女はいくらでもいる。
    「依頼先、お母さんと間違えてませんか? 本当に、わたしに?」
    「きみへの依頼だ。きみが、スレッタ・マーキュリーで間違いないのなら」
     そのことには一切疑問を挟みようがない。スレッタは間違いなく、プロスペラ・マーキュリーの一人娘、スレッタ・マーキュリーだ。
     もしかしたら。スレッタの知らないところで仕事が評価されたのかもしれないと、スレッタは前向きに考えることにした。きっとそうだ。独り立ちして一年、しっかり真面目にやってきたから。
     明るい気持ちでお茶を口に運ぶ。ハーブの香りがすっきりとして美味しい。温かさがエーテルとともに冷えた体の中を巡っていく。
    「断っても大したデメリットはない。技術を盗まれる可能性もある」
    「で、でも。自分たちでは作れなくて、困ってるんです、よね?」
    「……まあ、そうかもね」
     エランは、スレッタによくしてくれた。彼の力になれたらうれしい。それに、母はいつも言っている。
    「困ってる人は助けたい、です。そのための魔法ですから」
     一瞬、エランの鮮やかな瞳に翳りが映る。静謐な湖面に立ち上がる澱に似たその翳りは瞼の裏に隠れ、再びまみえたときには水底に沈んでいた。
    「そう。では誓約を」
     魔女との誓約は一般の誓約とは異なる。陽の当たらない湿地に植えたオークの樹に寄生したヤドリギのペンを使い、良質のエーテル水にパーメットを混ぜ込んだ魔法のインクで書かれた誓約書。自身の血を溶かしたインクで魔女の名と存在にかけて、決して違えはしないと誓うのだ。もしもこの約束を違えれば、相手に許されるまで呪われてしまう。
     スレッタがサインした羊皮紙を丸めて懐に入れたエランは、椅子から立ち上がるとスレッタに向き直った。
    「また連絡は改めて。それじゃあ」
    「えっ、えっ!?」
     ドアに向かって歩く少年に、声と上半身の動きで待ったをかける。
    「泊まっていかないんですか……?」
    「え?」
     エランは虚を突かれた顔をして首を傾げた。その間も外ではビュウビュウと強い雨風が吹き抜ける音が響いている。ゴロゴロピシャリ、雷も鳴った。
    「どうして?」
    「この嵐は今夜のうちは止みませんよ!」
    「でも」
    「嵐の森は魔獣がうじゃうじゃ居ますし! うちはお母さんの魔法とエアリアルのお陰で安全なんです。それに部屋は空いてますし、夕食の準備手伝ってもらえたら怪我の治りも早くなるから依頼にも早く取り掛かれますし、今新鮮な甘味卵があるので、明日の朝は美味しいパン・ペルデュなんです……!」
     言っているうちにわけがわからなくなってきた。でも、お客さんを暴風雨の中に放り出すなんて、そんなことをスレッタができるはずもない。
    「とにかく、ダメ、です!」
     むむむ、とスレッタが眉を寄せて睨みをきかせると、エランはしばし目を伏せて、じゃあ、と頷いたのだった。

     大きな雨粒が家の壁を横殴りに叩いている。雷がピシャリと地面を割く音に、そっと肩を震わせる。雷は、少しこわい。昔は怖くなかった。さんざめく光も、鋭い音も。強い嵐の中スレッタを導いてくれる応援や、夜を彩る子守歌のようにさえ思っていた。けれど、今は。
     首を振り、ふかふかのベッドの上、毛布にくるまって近くにいるエアリアルに話しかける。
    「エランさん。やさしい、ひとだよね」
     怪我をしたスレッタを家まで運んでくれたし、手当もしてくれた。お茶も淹れてくれた。何より寂しさが滲んだ黄緑の眼差しは、とても優しかった。
    「……仲良くなれるといいな」
     スレッタが呟くと、エアリアルは頬をくすぐった。男友達はスレッタにもいるが、エランの纏う雰囲気は彼らとずいぶん違う気がした。露に濡れ、しんと冷たい朝の森のようなひと。声や表情はひどく静かで涼やかなのに、スレッタを見つめる眼差しが焦がすように熱いのだ。話していると落ち着くのに、別のところがそわそわとして仕方がない。まるで、箒でゆっくりと飛んでいるときみたい。魔法なんて使ってもいないのに不思議だった。もっとお話しできれば、彼のことを知れば。この気持ちがなんなのか分かるだろうか。
     ふわふわ、どきどき。雷のせいか、客人を迎えているからか。眼が冴えてしまって落ち着かない。ミルクを温めて飲もう。そう決めて燭台に赤い火を灯し、骨に響かないようにそっと足を下ろすと、エアリアルが少しだけ負荷を軽くしてくれた。やさしい友人に礼を言って、そろりとドアを開けて廊下に出る。
     ホールからダイニングに顔を出すと、ひそやかに声がかかった。
    「眠れないの?」
    「ひょわっ」
     暗闇の中、窓際に佇むカラスがじっとこちらを見つめていた。つやつやと輝く黒の羽毛に嵌め込まれた静かな黄緑スフェーンの目がスレッタの心を落ち着かせる。
    「足は?」
    「だ、大丈夫です! 痛みも随分引きましたし、エアリアルも助けてくれますし……」
    「……本当に良く効く薬なんだね」
     そう言いながら、エランはくるりと人に変化してスレッタの肩に手を添えて支えてくれた。
    「あの、わたし、眠れなくて。ホットミルクを飲もうと思ったんです。はちみつとジンジャーをたっぷり入れた」
    「そうなんだ」
     胸に置いた手をぎゅっと握りしめて気合をいれる。進めば二つ。お母さんの教えてくれた魔法の呪文はこんなささいなことにも勇気をくれる。
    「えっエランさん、も! 一緒に、飲みませんかっ!?」
     ぱちり、長い睫毛が蝶のように羽ばたいてから、エランはすんなりと頷いた。
     ふたりでキッチンに並び、小鍋に入れたミルクを青い火にかける。エアリアルに火加減を調整してもらい、とろりと滑らかな白い水面を木べらでゆっくりかき混ぜながら、戸棚から取り出したレモンポピーの蜂蜜には少しのシナモンを入れていく。光沢のある蜜は爽やかなその横で、エランには使う分だけジンジャーを擦ってもらった。ふつと沸きだしたら火を止めて、二つのカップに均等に分ける。
     こぼさないようそっとダイニングに移動して、エランを伴いながらお気に入りの椅子に座る。ほかほかと湯気を立てるカップに手を添えて、小皿からジンジャーをひとさじと、蜂蜜をたっぷり。ガラスのスプーンでくるくるとかき混ぜて、一口飲む。
     あ。
    「んふ」
     とても甘くて、幸せの味がする。蜂蜜の香りはさっぱりと鼻を抜け、新鮮なミルクは濃く優しい。ジンジャーがぽかぽかと身体を温めてくれて、とろりと視界がゆるむ。
    「甘いのが好き?」
     蜂蜜を控えめに、ジンジャーはたっぷりと。ミルクに加えたエランが対面に腰かけて尋ねた。その表情は真剣でどこまでも静謐だ。騒々しい嵐とは真逆の、凪いだ水面のようなひとだと思う。
    「好きです。お母さんがいつも作ってくれた味なんです」
    「そう」
     何を思ったのかひとつ頷いて、エランもカップを傾ける。その仕草がなんだか上品で、見ていてドキドキしてしまう。ぽかぽかと温まった頬に手を添えて様子をじっと眺めていると、一口飲んだ彼はどこか満足げに目を細めた。気に入ってもらえるのなら、うれしいけれど。
    「ど、どうですか?」
    「美味しいよ」
     エランの答えにほっとしたところに、強い稲光が辺りを覆う。続けて響く低い雷鳴に身を竦ませた。
    「雷?」
    「その、嵐のときは、いつもこうで。怖いんです、風とか、雷とか」
    「そうなんだ」
    「……あっ、もちろん、家はエアリアルが守ってくれてるので! 安全ですよ!」
    「わかるよ。吹き荒れる強風の中でもエーテルの流れに淀みがない。とても丁寧な術式だね」
    「わわ、ありがとうございます……!」
     褒められてしまった。家に魔法をかけたのはお母さんとエアリアルだが、スレッタもメンテナンスはしている。落ち着いた声にふわふわと嬉しくなって目線を落としてカップのふちを指先でなぞる。
    「この森は嵐が多いと聞いているけど」
    「は、はい。気流の関係で風の元素が溜まりやすいんです。だから採れる薬草とかも珍しいものが多くて、魔女の住処としても適してて」
    「怖くない?」
     弾かれたように顔を上げると、エランの真っ直ぐな眼差しにぶつかった。
    「この家に、ひとりきりで」
     心配をしてくれている。スレッタに注がれる涼やかな黄緑の光が、今はひどく熱い。呑み込んだ喉の奥が少しだけ震えた。
    「さみしい、ですけど」
     家に吹き付ける風の音は強烈で、あるものすべてを薙ぎ去っていく。巨木も、魔獣も。時間も。さみしさも。
     けれどその嵐の中を、荒れ狂う風を味方につけて箒に乗ってすいすいと泳ぐ力強い姿がスレッタの目に焼き付いて離れない。
    「お母さんみたいな魔女になりたいから。大丈夫、に、なりたいです」
    「……そう」
     どこか痛そうな声だった。スレッタが疑問に思う前に再びエランはカップを持ち上げる。ミルクから立ち上る湯気が一瞬、少年の顔を隠し、晴れた。
    「なれるといいね」
    「……はい」
     スレッタもミルクをもう一口飲む。甘くて、暖かい。お母さんの作ってくれたものと同じ味がした。
     リィン、ゴーン、ガロラン。居間を飾る時計が鳴る。短い針がくるっと二回りして、十二時になったのだ。
     それでもまだ、目は冴えている。良い子は寝る時間だけれど、あと少し。もう少しだけ。まだ、この夜を終わらせたくない。
    「あ、あのっ! エランさんの羽根、一枚もらっても、いいですかっ!」
    「羽根? いいけど、何をするの」
    「箒を直そうかな、と、思いまして。せっかくだから、素材にさせてもらえませんか……?」
     本当は、嵐の森の大鷲の風切り羽根を拾って使うのだけれど。今はなんだか、そのほうが飛べる気がしたのだ。
     エランはことりと頷いて、床に手を当てる。そのまま自分の影から手のひら大の羽根を一枚取り出してスレッタに渡した。艶のある黒い羽根は夜空のように美しい。
    「い、痛く、なかったですか」
    「構わないよ。随分年季の入った箒だけど、新しいものにはしないの?」
    「ずっと、使ってる子だから。直せるなら、直したいです」
    「……そう」
     カップをよけて、机の上に材料を並べる。折れた箒、トネリコの枝、蜜蝋、水銀、狼の骨を砕いた粉末。そして、エランの黒い羽根。
     水銀と蜜蝋を入れた陶器の容器を火で軽く熱し、歌のように呪文を唱えて風の元素を集めながら練っていく。ふわりと風が起こり、部屋の中を駆け巡る。喜んでいるのだ。まだ始めたばかりなのに、楽しそうにはしゃいで、スレッタの周りを跳ね回る。そういうものだ。スレッタが呼びかければ風は、世界は答えてくれる。
     完全に混ざった空色の澄んだ液体を再び火にかけ、沸騰したところにエランの羽根をそっと乗せる。羽根は熱に揉まれ、溶かされ、じわりと染み出して液を夜空の色に染めていく。容器を火から下ろし、それをインクにトネリコの枝に手早くシジルを細かく刻んでいく。
     机の上に骨紛で陣を敷き、その上に折れた箒とトネリコの枝を載せる。そして呪文を唱えれば、エアリアルの指示を受け隠れていた精霊たちが仕事を始める。風が吹き、蝋燭の火もスレッタの前髪も大きく揺らす。エーテルがキラキラと輝いて、闇に溶けていく。多くの反発する要素を選り分け、束ね、膨らみ、揺らぎ、流れ、留まる。風に好かれ風を従う、そんな箒になるように。
     隣でエランが息を呑む音が聞こえた。
     風は勢いを増していく。目を開けていられないような強風の中でそれでも目を見開いて自分の魔法を焼き付ける。これが、魔法だ。
     魔女は普通に生きていれば知ることのない物事、現象、真理。その裏側を見、性質を知り、操り、調和、変質、分離、抽出、統合させる。人に少しだけ有利になるように世界の形を変えていく。困難に喘ぐ誰かを助ける知恵を蓄えた賢人、もしくは人知の及ばぬ世界に人生を捧げる愚者。
     これが魔女、これがスレッタの生業だ。
     穏やかな嵐の中、やがてスレッタの手のひらに降りてきたのは、よく手になじむ一本の箒だった。折れた場所もすっかり修復され、傷一つない。艶やかな黒い柄だけが以前との違いだ。エランの羽根も不思議なほどによく馴染み、スレッタの箒と調和している。これなら前よりもよく飛べそうな気がした。それこそ、空の向こうまで。
    「すごいね」
     スレッタの魔法を見届けたエランの表情は静謐なまま変わらない。けれど、スレッタを見つめるエランの黄緑スフェーンが蝋燭のオレンジ色の光を受けて心なしかキラキラと輝いて見えた。
    「い、いえ。エランさんのおかげです」
     エランが助けてくれたから。エランが羽根を渡してくれたから。この箒はこうしてある。その事実が嬉しくて、にじみ出る喜びが隠しきれずにはにかんだ。エランがいてくれるおかげで嵐だって気にならない。むしろなんだか、久しぶりに楽しくすらある。この出会いに感謝したかった。
     そわそわと箒から顔を上げると想像以上にエランの目が近づいていた。澄んだ緑は木漏れ日に透けた葉の色で、理知の光が浅瀬にゆらゆらと揺れている。その奥はどこまでも深く、ときおり浮かび上がる光が織る複雑な色合いが何よりも興味をそそった。何が潜んでいるのだろう。吸い寄せられるかのようにスレッタもじっと見つめ返す。緑に呑み込まれ、音が遠のいていく。こぽり、泡を吐くような心地になる。
    「あ……」
    「スレッタ・マーキュリー」
     低い声が囁く。その言葉は雷鳴よりも甘く、衝撃的で。
    「きみに興味がある。きみのことを、もっと教えてほしい」
    「は、はい……、はい……っ!?」
     そうして、嵐はスレッタのもとにやってきた。
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