たのしいたのしい月曜日嗚呼、今日も残業!明日も残業!明後日も残業!ずっとずっと残業なのに、下手に役職なんてついてるせいで俺に残業代なんてつかない。そもそも仕事の受注量と人員のバランスがおかしいのだ。だからといって相手は親会社。逆らうなんてこと、出来るわけない。
取引先に頭を下げて、もうすっかり暗くなった自分の会社に戻る道。周りはどんどんと会社から出てくるのに俺だけ逆流。このまま家に帰りたい。でもそうしたら次の日は始発。
あーあ。こういうのブラック企業って言うんだろう。わかっちゃいるけど、君にしかできない仕事だ!と言われりゃあ簡単には投げ出せない。
とぼとぼと脱いだスーツを片手に歩く。
あ〜腹減ったなぁ。
夜遅く街頭が輝く公園に、ポツンと甘い匂いの移動販売車があった。
『チュロス』
チュロスって、あの某テーマパークでしか売ってないやつだろ。ここはテーマパークじゃねえだろ。こんなオフィス街の真ん中の公園がテーマパークの訳がないぞ。昼間は疲れたサラリーマンがそこのベンチでパン食ってるだろ。
それでもどんどん甘い香りに吸い寄せられる。
ふーん…こりゃまたえらい可愛いな。
ハート型のチュロスにチョコレートにハートの飾りか…こっちはホワイトチョコにパラパラしたやつね…こりゃあ、かわいい女の子が売ってるんだろうなぁ。疲れたアラフォーのおっさんはこれから残業だし、ちょっと拝んで癒されますかね。
「おきまりですかぁ〜」
ひょこっと販売車から顔を出した、パステルカラーの制服で、とってもキュートなサンバイザーをつけた…
「お、おとこぉ」
「…なんすか」
不機嫌そうに無表情になる。
「これで何人目ですかねぇ〜、べつにチュロスを売るのはかわいい女の子じゃなきゃいけねえっていう法律ねえし」
「…ご、ごめんなー」
あははは、と乾いた笑いをして誤魔化す。
「お、おいしそうだな〜ってつられてしまって。ハート型でチョコもかかって、男なのにこういうの好きなんだけど、ほら、これあのテーマパークでしか売ってないって思っていたから、めちゃくちゃ嬉しくってさ」
とにかく話す。営業スキルフル活用だ。
「…そ、っすか?」
「いやぁ、おっさん今から残業だよ。最悪でしょ、月曜日から残業だよ?ほんっとに最悪なんだけど、これ食べたら頑張れる気がするな〜って思ったんだよね」
なんでこんな若者に気を使ってんだ。
どうせ相手はマスクしててわかんないけど、大学生かフリーターだろう。
「…たしかに、おにいさん一人逆流してたっすよね」
ああ…思い出してきた。そうだよ、俺はこれからいつ帰れるかわからない残業だよ…
「…これ…」
一つ、ハートのチュロスを袋に入れて差し出された。
「あ、ありがとう。えっと、いくら?QR使える?」
「…いいっすよ」
「え?」
「あげます」
「え、いや」
「もう時間なんで…残りのコレ、廃棄かオレのおやつの予定だったんで」
ちょっと照れたような顔で差し出される。
「…コレ…練習でさっきオレが初めて作ったんで…誰かに食べて欲しかったんです。残業、頑張ってください」
ニコっとその男の子ははにかんだ。
トスンっと胸になにか撃たれる。
なんだなんだなんだ。
気がつけばその子はもう店じまいして帰宅して、俺はそのチュロス片手に立ち尽くしていた。
それから、俺は毎日そのチュロス屋を見た。
毎日違う子が交代しているようだ。
そして次の月曜日に、また俺はその子を見つけ、近づいた。
「あ!こんばんは」
ニコっと爽やかな笑顔で迎えられる。
「今日も残業すか?」
俺はこの前のお礼を告げた。おいしかったよと伝えたらへへっと嬉しそうに笑った。今日はそのお詫びじゃないけど、他にも残業している部下にも差し入れてあげたいから5、6個包んで欲しいと言うと、丁度今日は結構残って困っていたからありがてえっす、と言われた。
「コーヒー飲みます?」
「え?!」
「こんなにたくさん買ってもらったんで、サービスです」
あったかい珈琲を一杯置いてくれた。
じゃあここで飲んでいってもいい?と聞くと、いいっすよぉ、と笑った。
君、名前は?ナミって言います。ナミくんか。大学生?いや、一応社会人なんすけど…まあ訳あってちょっと月曜日だけここ手伝ってるんすよ。お客さんくるの?日中は結構くるんすけどね、夕方からはカップルばっかりで。そうっす。あの観覧車に乗った帰りに買っていきますね。え?今日の?あ、そうです、オレがつくったんすよ。はは、こんなかわいいのオレ似合わないっすよねぇ〜、この制服も本当はオレがら着る予定じゃなかったんすけど、予定の人が突然イヤって言い出して。あ…すみません…これからお仕事っすよね。大変っすねぇ…頑張ってください。応援してます。
これだけ、これだけ。
ナミくんと話したのはこれだけだ。
なのに月曜日の憂鬱はなんのその。
俺はルンルンと会社に戻っていった。
次の月曜日もナミくんはいた。
こんなに月曜日が待ち遠しい事もない。
日中はやっぱり少し忙しいみたいで、常にお客さんがいるようだった。夜、俺がちょうど会社へ逆流するあたりは、いつも閑散としていた。
「よっ」
「あ、今日も残業すかぁ」
「はは、そうなんだよ」
「オレも今日このあと仕事なんすよねぇ…だから、もう閉めるんで、ちょうどよかったです」
そうか、仕事なのか…
「おにいさん、どっち食べます?」
白のチュロスと黒のチュロスを前に出される。
「え?!」
「片方、オレの夜食なんで」
「い、いや、悪いよ。ナミくんまだ若いんだし、2つ食べればいいよ…」
「…もう飽きました?」
飽きる訳ないよ!確かにもうひとつで充分な身体ではあるんだけど。
「…し、しろの方を」
ニカっとナミくんが笑う。
ナミくんは結構クールな顔立ちなのに、笑うとめちゃくちゃかわいいんだ。
「本当に甘いの好きなんすねぇ。オレはどっちかというと黒の方が好きですね」
「こ、珈琲くらい…買わせてくれないか」
「え、いいですよぉ」
「いや、一応大人だからさ」
「…そっすかぁ」
「な、ナミくんのも奢るよ」
「へへ、ラッキー。じゃあオレアイスコーヒーで」
「俺もアイスで」
「じゃあ〇〇円です」
アイスコーヒーを飲みながら、また少し話をした。
ナミくんは鍛えるのが好きらしい。時間が空いたらもっぱら筋トレしてるから、ここでも暇な時はスクワットしてるらしい。俺もさすがに最近運動しないとやばいなぁ…ジム行った方がいいっすよ。ジムかぁ…昔、テニス部だったっきり運動してないなぁ。え?テニス部だったんすか!オレも高校の時テニス部でしたよ。でも、遊びみたいなもんだよ。オレもっすよ。あはは、じゃあ一緒にやったらちょうどいいくらいかもしれないね。
ナミくんの電話が鳴る。
「っやべ、もうこんな時間か」
なんとなく、今日はもう解散だなと理解した。
手を振って、会社に戻ろうとしたらナミくんの声が聞こえた。
「オレ!来週で最後なんで!また来てくださいね」
そっか。臨時って言ってたもんな。
行くよ。必ず行く。雨だって雪だって嵐だって行くよ。
俺は大きく手を振りかえした。
俺はナミくんのことを悩みに悩んだ。
今日で最後だというから。
「あっ、ようやく来ましたね」
「ごめ…」
実はナミくんを食事に誘おうと思っている。
こんなおっさんから誘われても嬉しくないだろうけど、友達…うーん…なんというか…先輩、そう、人生の?うーん…これって老害か?とにかく、誘えそうな雰囲気ならテニスでもご飯でもジムでも何でもいいから一緒に行きたいしよければ連絡先を交換してほしい。
「今日も残業すかぁ」
「ナ、ナミくんは?」
「オレすか。オレは…今日はもうこれで終わりですけど」
「そ、そうなのか…」
俺は今日も残業がある。だけど、もし今から少しでもナミくんといれるなら、明日始発に乗ったっていい。
「え!?今日はもう帰るんです?じゃあ、このチュロス残してたんすけど、いらないすかぁ。」
「いや、あの…えーっと」
ごはんごはんごはん。
ご飯でもこのあと行きませんか。
別に女の子を誘う時もあったし、こんなに緊張するもんでもないだろ。
勇気を出せ!
俺はぐっと上を向いた。
「ジュンく〜〜〜ん!」
ジュンくん?
後ろから、背の高いすらっとしたモデルみたいな男が俺たちのところに手を振って歩いてくる。
「っげ。やっぱり来た」
「うわぁ、やっぱりジュンくん似合うね!ぼくの見立て通りだね!」
「これ、もともとあんたの仕事でしょうよ」
「うんうん、何故かぼくにもっとピッタリなお仕事が来ちゃったもんだからね、ジュンくんにバトンタッチしてあげたんだね」
「ぜってー嘘」
「あはは、ほら、笑って笑って。茨にも撮りにいけって言われたんだね」
「おもしろがって…」
「今日最終日って聞いたから、ありがたく迎えにきてあげたね♡」
「ありがた迷惑〜!」
あんぐりと、俺は二人のトークを聞いていた。
礼儀正しいナミくんが、つらつらと今時の若者らしい喋り方になっている。
「あ、すみませんおにいさん。ちょっと、オレまだ仕事中なんで、そこらへんで待っててください」
「あ!ごめんね…えっと、ジュンくんの…ファンの方?」
そのキレイな人が俺をじいっと見た。
「…では、ないみたいだね」
「それで、えーっと…チュロス…食べます?」
「食べるね!」
「いや、おひいさんじゃねぇ…すみません…この人うるさくて…」
むううっと隣の男性が不機嫌になる。
はぁっとナミくんはため息をついて、奥から何か出す。
「…これ、あとで渡す予定だったんすけど…」
おずおずとその男性にナミくんはチュロスを手渡した。
それは白でも黒でもない、ピンクでしかも全部にチョコレートがかかっていた。パラパラしたものとハートのチップが両方かかっている。
これは、特別な、この人の為のチュロスだ。
「ジュ、ジュンくん…」
あはははは!っと夜のオフィス街には大きすぎる笑い声が広がった。
「おひいさん、声!」
「あは、かわい…ジュンく…さいこ…」
さっきまでの不機嫌はなんのその、ご機嫌にそのチュロスを眺めていた。
さすがに俺にはわかる。
それは小さな胸の痛みだった。
パチパチパチと店の電源を切って、ナミくんは手際よく片付けをし始めた。
「ねえ、おにいさん…」
その男性はちらっと俺を見て小声で言った。
「…ごめんね」
少し切なげに笑った。
トントントンっと、ワゴン車からナミくんは降りてきて、俺の前に紙袋を出した。
「おにいさんに、これ、オレの最後に作ったやつなんですけど、あげます。おにいさんのおかげで、この仕事結構楽しかったんで」
ナミくんは、マスクを下にずらして、礼儀正しくありがとうございました、といった。
マスクに帽子をしていたからわからなかったが、ナミくんはめちゃくちゃイケメンだった。俺が腰を抜かしてしまいそうな程に。
「が、がんばってね」
俺はもうそれしか言えなかった。
「おにいさんも、残業がんばってください!」
ナミくんは笑った。
やっぱりその顔はめちゃくちゃかわいかった。
「ほら、帰りますよ」
すっとその男性の小さいカバンをナミくんは奪う。
「これ、今食べないならここに入れといて」
「ひとくち食べたいけど、喉乾きそう」
「って言うだろうなって思ったんで、アイスティーもありますよ」
「アールグレイ?」
「えっと、なんだったかな、これ」
2人は肩を合わせながら、そのチュロスを食べあって、飲み物を分け合って、そしてナミくんはその男性の空いた手を握って自分のポケットの中に押し込んだ。
お家に帰ろう。
途中でコンビニに寄ろう。
ストロング缶の500mlを買おう。
俺は久しぶりに逆流せずに流れに沿って歩いた。
コンビニによって家に帰って、飲むためにテレビをつけた。
いつもより何時間も早く帰宅したので、やってる番組も全然違う。
『ジュンくん!』
え!?
俺はテレビの前で固まる。
『なんすか、おひいさん』
な…ナミくん!?え?
ナ、ナミくんって…
『ほら、カメラこっちだね。新曲のフリはジュンくんでしょ!ほらほら〜みんな待ってるね』
それから、2人は甘い声で歌って踊り始めた。
プシュッ、とチューハイの缶をあける。
そうか、そうなのか…
俺はスマートフォンで検索する。
ナミくんは漣ジュンくんって言うのか。
ごくごくと酒を飲み干す。
テーブルの上にはナミくんがくれたチュロスがあった。それをぱくぱく齧って、ごくごく飲んだ。
そうか、そうか…うんそうだよな。
残業せずに帰るのもたまにはいいな。
朝は始発だけど。
休みの日はたまにはテニスをしてもいいかもしれない。
甘いチュロスを酒で流し込む。
明日は火曜日だ。