きみとぼくのミライ 朝の日課のランニングを終えた彰人は、クールダウンも兼ねてゆったりと歩きながら目的の公園にたどり着いた。早朝の公園は、日中のような賑やかさはなく時折、犬の散歩や自分と同じようにランニングをしている人とすれ違う程度であった。
さりげなく犬を避けながら目的の場所に着いた彰人は歩みを止めると今度はストレッチを行う。小学生の頃から習慣になっていた一連の行動はサッカーを辞めて音楽をやるようになっても変わらず続けていた。
ストレッチを終えて、持ってきたペットボトルの水を取り出したところで待ち人が現れた。――約束の時間のきっちり30分前。相変わらず真面目な奴だなどと自分を棚に上げて思った。
「はよ」
「おはよう、彰人。相変わらず早いな」
手を挙げながら声をかけると冬弥は感心したようにひとつ頷いた。
「まあ、オレはランニングしながら来てるからな。そういうお前こそ十分早いだろ」
「そう、だろうか……? いや、彰人が言うならそうなのだろう」
いつもの無表情を少しだけ見開いて小首を傾げる姿に思わず苦笑してしまう。出会った当初は常に無表情で何を考えているのかまったくわからなかったが、ここ数ヶ月でじっくり観察すればなんとなくわかるレベルまで冬弥のことが理解できるようになってきた、と思う。きっとこの顔は本気で困惑しているのだろう。
「なんだそりゃ。……まあいいか。声出し始めようぜ」
「ああ」
音楽の知識に対する造詣は深いのに一般的な感覚に疎いこの男は、たびたび突拍子もないことを言ったりもする。
そんなところも面白くて気に入ってはいるのだが。
とはいえ、今回の場合は冬弥自身の生い立ちを聞くに、彼も幼い頃からの習慣によるものなのだろうと彰人は思った。
◇◇◇
「冬弥、用事があるのって夕方からだったよな?」
15時を少し過ぎた頃、公園の時計に目をやりながら彰人が尋ねると、冬弥はこくりと頷いた。
今日は夕方から用事があるから早く帰らなければならないと事前に聞いていたため、練習をいつもより早めに切り上げることになっていた。
そもそも明日は二人で朝からイベントに出る予定であったため、声合わせとセットリストの最終確認が終わったら遅くなりすぎないうちに解散するつもりであったのだが。
がむしゃらに練習するのもいいが本番でのパフォーマンスを落としてしまっては意味がないし、たまにはこんな日があってもいいだろう。
「練習を中断させてしまってすまない。だが、やはり彰人と歌うのは楽しいな……時が経つのがとても早く感じる」
「そりゃよかった。俺はまだやってくが、ちょうどいいし休憩がてら駅まで送ってやるから行こうぜ」
「しかし……」
「いいんだよ。ほら、行くぞ」
自分のせいで合わせ練習の時間が短くなってしまったのに更に彰人の練習時間を削ってしまうのは申し訳ないと思っているのかへにゃりと眉を下げている相棒を安心させるように肩をポンと叩いてやって促すとふたり並んで駅に向かって歩き出した。
「……にしても家の用事なんで珍しいな。大丈夫なのか?」
人の家庭事情に首突っ込むのも良くないとは思いつつも、父親とあまりうまくいっていない冬弥が心配になり駅までの道すがら思い切って直球で聞いてしまう。
一方、冬弥は考え込むように少し俯くとぽつりと喋り出した。
「そう……だな、正直に言ってしまうと父さんと顔を合わせるのは気が重いが……大丈夫だ。心配をかけてすまない。――それに誕生日は毎年家族で食事をすることになっているからな」
現在の音楽活動について父親との衝突が絶えない冬弥はその時のことを思い出しているのか、少し青い顔をしながらかぶりを振った。
「へぇ、誕生日って親父さんのか?」
「いや、俺の誕生日だが……」
「……はぁ!?」
彰人の頭の中に何度か見かけたことのある気難しそうな顔をした冬弥の父親の姿が浮かんだ途端、告げられた言葉に彰人は面食らってしまい、思わず大きな声を出して立ち止まる。一方、冬弥は彰人が驚いている理由がわからないのか感情の読めない目を少し大きく見開いてぱちりとひとつ瞬きをした。
「お前、そういうことは早く言えよ……!」
彰人は頭をガシガシと掻いて、少し考え込む。聞いてしまったからにはこのまま返すのも味気ない。
――何か冬弥にしてやれることはないだろうか。とはいえ、時間も限られている。スマホを取り出して時間を確認した彰人は、訳がわからず戸惑っている様子の冬弥の銀色の瞳を有無を言わせぬような迫力で見つめた。
「お前まだ少し時間あるよな?ちょっと付き合え」
「あ、ああ…30分ぐらいなら問題ないが…」
こくりと頷いた冬弥を見届けると、再び歩き出した彰人に連れられるまま、シブヤ駅の方角へと向かう。そのまま駅前の道を通り過ぎ、程なくして少し入り組んだ路地に入り込む。
通りを抜けて角を曲がると、交差点の斜向かいにあるビルの1階部分にすっぽりと収まったカフェが見えた。
通りに面した大きな窓から店内のカウンターが見え、マスターと思しき男性がミルで豆を挽いているを姿が見える。店内には老若男女様々な客が和やかにカフェタイムを楽しんでいた。シブヤの駅からそう離れてはいないのにアンティーク調の内装や落ち着いた佇まいが現代から切り離された特別な空間かのような錯覚を抱かせる。
軽やかなドアベルの音を聞きながら、店内に入るとコーヒーの香ばしい匂いが漂ってくる。
「いらっしゃいませ」
初老の眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の男性がにこやかに出迎えくれる。彰人は冬弥に待っているように声をかけるとカウンターに併設されたレジへと向かう。
彰人は迷いのない様子で注文の列に並び、順番がまわってくるとメニュー表を確認して注文を読み上げる。
「ブレンドコーヒーのホットを1つ、カフェオレを1つテイクアウトでお願いします。」
「かしこまりました。こちらに並んでお待ちください」
店員に促され、テイクアウトの待機列に並ぶと、程なくして紙袋を受け取った彰人が冬弥の元に戻ってくる。
「思ったより混んでなくてよかったよ。ここ、マスターのこだわりの豆を使ったコーヒーがうまいらしくてさ、そのうちお前を誘うつもりだったんだよな。他にも軽食とかスイーツとかもうまいみたいだし、お前が気に入ったならまた今度ゆっくり食いに来ようぜ」
「だが彰人……お金を……」
財布を取り出そうとして鞄に手をかけた冬弥をやんわりと制すと彰人はににこりと微笑んだ。
「いいんだよ。気にすんな。これはお前への誕生日プレゼントだからさ。逆にこんなことしかしてやれなくて悪いな。今度ちゃんとしたの渡すから」
「そんなことはない。気を使ってくれてありがとう」
「大事な相棒の誕生日なんだから当たり前だろ。ほら、行くぞ」
彰人に軽く背を押されて店外に出ると二人並んで駅までの道のりを歩く。他愛のない話をしながら歩いているとあっという間に駅前に着いてしまった。彰人は紙袋の中から自分の分の飲み物を取り出し、冬弥の分のコーヒーごと持っていた紙袋を冬弥に手渡した。
「誕生日おめでとう。まだ熱いから飲む時はやけどしないように気をつけろよ。……んじゃ、また明日な!」
「ありがとう、彰人。明日もよろしく頼む」
手を挙げて公園の方へ去っていく彰人の背中が小さくなるまで見送ると、冬弥は踵を返して駅へと向かった。ホームで電車を待つ間、彰人から渡された紙袋を開けてコーヒーの入ったカップを取り出すと、フタを開けて口をつける。程よい酸味と苦味のあとに芳醇な香りと深みのある味が優しく口に広がる。
「――あたたかい、な」
幼い頃からクラシック漬けでまともに友人をつくることのできなかった冬弥にとって家族や幼い頃からお世話になっている先輩以外で誕生日を祝ってくれる相手ができたのは彰人が初めてのことであった。
(一般的に親しい友人とはこのように誕生日を祝い合うものなのだな……)
初めての体験に胸の辺りがふわふわするのを感じる。
(そうだ、俺も彰人の誕生日には何かプレゼントを用意しよう……何がいいだろうか?)
彰人の好きそうな物を考えていると甘いものを頬張っている時の幸せそうな笑顔が浮かんだ。甘党の相棒の満面の笑顔を思い浮かべると自分まで嬉しくなる。
(大切な相棒……)
あの日、ビビッドストリートで独りで歌っていた冬弥に一緒に歌おうと声をかけてくれたのは彰人だった。それからはふたりで、あの伝説の夜を越えるために日々努力をしている。
だが、自分は本当に彰人の隣にいていいのかと、時々不安になる。彰人の隣に相応しいのはクラシックから逃げてしまった中途半端な自分ではなく、彰人と同じ熱をもって夢を追うことのできる人物なのではないか、とそんなことを考えてしまう。彰人の未来を想えばいつかは彰人の側を離れなければいけない。それなのに――
(それなのに、彰人といればいるほど離れがたく思ってしまうのは何故なのだろうか)
(いつかは離れなくてはいけなくても……それでも、もうしばらくだけはあの熱を側で感じていたい……)
『間も無く電車が到着いたします。白線の内側にお下がりください』
電車の到着アナウンスにハッ我に返り、持っていたカップをこぼさないようにと元の紙袋に入れ直す。
ホームに滑り込むように停止した電車を認めると、心の中に浮かんでしまった、選ぶべき未来のことを想像して沈んだ気持ちを振り払うように、冬弥は電車に乗り込んだ。
◇◇◇
あれから数年経ち、もう何度お互いの誕生日を祝っただろうか。
高校2年生の冬、Vivid BAD SQUADは念願のRAD WEEKENDを越えるという目標を果たした。一度はRAD WEEKENDの真実と大河に打ちのめされてチームがバラバラになってしまったが、Vivid BAD SQUADの4人と彰人たちの歌を聴いて戻ってきた三田たちと共に間違いなくあの夜を越えたのだと誰もが胸を張って言える熱いイベントを作り上げた。
イベントが終わって会場から外に出ると、冬弥たちが作り上げたイベントに影響された者たちがビビッドストリートのそこかしこでマイクを持ち歌っていた。――まるで彰人から聞いたあの夜の後のように。
そこから数ヶ月経ち、今度は自分たちの夢を次のステージに進めるべく、新たな目標に向けて準備を進めているところであった。
高校卒業後の各々の進路を話し合った結果、世界を目指すにしてもまずは大学には進学したいという冬弥やこはねの希望もあり、まだしばらくは国内で活動をしていくことに決まった。
今日は彰人が大事な話があるというので、放課後、冬弥は彰人が指定したカフェで当の本人が来るのを待っていた。場所は彰人と出会って初めての誕生日に連れてきてもらったあのカフェだ。
あの後も何度か二人でこの店を訪れて一緒に時間を過ごしている。特にここ1年は謙の店であるWEEKEND GARAGEが冬弥たちの特訓の為に臨時休業しているのもあり、自然と練習前の待ち合わせ場所として利用する頻度が増えたように思う。
先生に呼び出されて、遅くなりそうだから先に店に向かってゆっくりしててくれというメッセージを彰人にもらったので、その言葉に甘えてカウンターでコーヒーを注文し、トレイを持って空席を探すと席に座る。
(それにしても彰人の話とはなんだろうか……?)
最初はまたここで冬弥の誕生日のお祝いをしてくれるのかと思ったが、この後はありがたいことに杏とこはねも合流してセカイで誕生日パーティをしてもらえることになっているのでそちらの線は考えづらい。
それ以外に何かあったかと冬弥は考えてみたが、思い当たる節はなく、はてと首を傾げる。
単に話すだけであれば、今日学校で会った時にでもできたわけだが、そうしなかったのは何故なのか。とはいえ、わからないものは考えていも仕方がないので、大人しく持ってきた小説を読みながら彰人の到着を待つことにする。
店内には店主の趣味なのか落ち着いた曲調のジャズが流れており、自分の他に客がいない訳ではないのに、穏やかでゆったりとした時間が流れているように感じる。
しばらくして、そこに乱れたテンポを刻みながらドアベルの音が重なる。扉が開くと見慣れたオレンジ髪の男性が少し慌てた様子で店内に足を踏み入れた。――彰人だ。
彰人がぐるりと店内に視線を走らせていたので片手を挙げて場所を知らせる。冬弥の居場所に気づくとそのまま足早に真っ直ぐこちらへと近づいてくる。
「悪い!待たせたな」
「いや、本を読んでいたから大丈夫だ。彰人も何か買ってくるといい」
おう、と答えながら荷物を下ろすと中から財布だけを取り出して注文に向かった彰人を見送る。やがて飲み物の載ったトレイを持った彰人が戻ってくる。今日はキャラメルラテの気分だったのか、白くてふわふわの生クリームの上にツヤツヤとしたキャラメルソースが飾られている。
彰人が席に着くと冬弥はそういえば、と思い出したように尋ねた。
「先生の用事とはなんだったんだ?」
「ん?あーあれだよ。進路調査表。経営学部行くって書いたら担任に正気かって散々聞かれた……」
高校1年の頃にあわや落第の危機に陥ったことがある彰人は、2年に進級後も赤点こそは取らなくなったもののお世辞にも成績優秀とは言い難い成績だったため、先生も心配だったのだろう。
だが冬弥は彰人がRAD WEEKENDを越えた後、何を考えてこの選択をしたのかを知っている。自分たちVivid BAD SQUADがこの先、活動範囲を増やしていくにあたってある程度は自分たちでセルフプロデュースできた方が活動しやすいと考えたからだ。
まだ未成年のうちはそう言ったことは殆ど謙が面倒を見てくれているが、いつまでも頼ってばかりはいられない。そう言った彰人の真っ直ぐな瞳を覚えている。だから冬弥はそんな彰人のやる気を勉強面でサポートしていくことを決めたのだ。
「なるほど。そうだったのか……だがきっと心配には及ばない。彰人はやると決めたら決して諦めない人間だ。それに要領もいい。このまま勉強を続けていればきっと合格できるだろう」
「世話かけて悪いな。お前も自分の勉強あるだろ?」
「それに関しては問題ない。学校の課題は授業を聞いていればどうということはないし、誰かに教えることは俺にとっても復習になるからな。彰人も以前レンに勉強を教えた時にそう言っていただろう?」
2年への進級をかけたテスト勉強の際に、セカイでレンに乞われて勉強を教えたことが思い返される。楽しそうに彰人の説明を聞いているレンにも分かるように教えているうちに、いつの間にか苦手にしていた問題も覚えられるようになっていた。
「まあ、それはそうなんだが。そっちだけじゃなくてお前は……ピアノもあるだろ?」
彰人が気遣わしげな表情で問いかけてくるので、冬弥は安心させるようにふわりと微笑んだ。彰人が自らの進路を決める少し前、冬弥も自分が進みたい道――音楽大学の作曲科を受験することを決めた。
きっかけはRAD WEEKENDを越えるため、仲間たちの想いを集めて曲を作り上げたことだった。方々に心配をかけてしまったのは申し訳なかったが、苦心の末生み出した曲たちを聞いて背中を押してくれているみたいだと言ってくれた杏やこはね、最高だと言ってくれた彰人の笑顔を見て大事なチームメイトたちのために、更にもっといい曲を作り上げたいという欲が生まれた。その為にはもっとたくさんの曲に触れてたくさんの曲を生み出す必要がある。
そう考えた冬弥は、音大を目指すことにしたのだがひとつ問題があった。音大の入試はどこの科もピアノの実技が必須であったのだ。
父親とのわだかまりが解け、以前に比べるとピアノに対する罪悪感が減り、触れることもできるようにはなったが、ピアノを辞めて3年近く経ってしまったため、昔の勘を取り戻す為にも短時間で今までの遅れを取り戻す必要があった。
その為に冬弥はもう一度、父親にピアノを師事することに決めたのだ。最初は今更何を言っていると叱られたものだが、教えを乞いたい理由と音大を目指したいという熱意を何日も必死にプレゼンした甲斐あってか、最後には3つの条件付きの元、了承を得ることができた。ひとつは、今度は絶対に根を上げないこと。もうひとつは、絶対に1度で合格すること。そして最後は、決して自分の音楽をおそろかにしないこと。その約束の元、今も昼は歌の練習を、夜はピアノの練習をするという日々を送っている。
「心配かけてすまない、だが大丈夫だ。確かに父さんの指導は昔と変わらず厳しいが、今はあの頃の独りでただひたすらピアノと向き合っていた俺とは違う。今は彰人たちがいてくれるからな」
終わりの見えない練習の日々に孤独に向き合っていた頃とは違い、どんなに苦しくともこの苦しみの先に仲間と歩む未来が待っていると思うと、冬弥はどんな苦しみにも耐えられるような気がしていた。
「お前がそこまで言うなら止めはしねえが……無理だけはすんなよ」
「もちろんだ。――だが、寂しいな。このまま大学生になってしまったらまた彰人と別の学校になってしまうのだな」
中学は別々の学校に通っていたが、高校に入ってからは朝も昼も夜もすぐ側に彰人の姿があったせいか、それがなくなってしまう未来のことを考えるとひどく寂しく感じてしまう。
そう言う冬弥をじっと見つめていた彰人は、おもむろに口を開く。
「冬弥、そのことについてなんだがお前に話したいことがある」
そうだ、今日は彰人が何か話があるからという理由でここに来たのであった。いつになく真剣な表情の彰人に冬弥は居住まいを正すと、自分を真っ直ぐと見つめる柳色の瞳を見つめ返す。だがその前に、と前置いて彰人が話し始める。
「今から伝えるのはあくまでもオレ個人の気持ちだ。それにお前は無理に応える必要はないし、応えないからといって俺たちの関係が今と変わることは絶対にない。そう断言しておく。そのうえで聞いてくれ」
「……わかった」
冬弥がしっかりと頷くのを確認すると、彰人はふぅ、とひとつ息を吐く。そして息を吸い、顔を上げると、緊張した様子の彰人に引っ張られているのか顔がこわばっている冬弥に伝える為に、真っ直ぐに言葉を音に乗せる。
「――好きだ。ずっと前からお前のこと、好きなんだよ」
「えっ」
予想外の言葉が相棒の口から出てきたことにより、思わず冬弥は固まってしまう。
(彰人が、……好き?俺のことを……?)
冬弥にとって恋愛とは物語の中で紡がれる未知のものであって自分と関係のあるものであると考えたことがなかった。ましてやその相手が唯一無二の相棒になるなんてことも。
「この気持ちはオレの独りよがりなものだし、お前に伝えて困らせるのもどうかと思って伝えずにいるつもりだった」
少し前まで友人も殆どいなかった冬弥にこんな気持ちを押し付けても困らせるだけだとわかってはいた。けれど、もしこの先大学で交友関係が広がって、冬弥に恋人ができたら?自分はその時心からそのことを祝福してやれるのだろうか?そう考えてしまったらもうダメだった。
「大学に入って学校が別になっちまったら、きっと今ほどお前の近くにはいられなくなる。お前がオレの相棒であることは一生変えるつもりもないし他の誰かに譲るつもりもない。だが、この先お前が大学に入って今より人間関係が広がって、恋人ができるなんてこと想像したら我慢できなくなっちまった」
苦しげに吐き出すように話す彰人の声に胸が詰まる。彰人の気持ちは本当だ。悩んで打ち明けてくれた彰人に適当な言葉を返すわけにはいかない。
(俺は彰人のことをどう思っているのだろうか……?彰人の想いにどう答えればいい?)
昔は自分の気持ちを見ないふりをすることに慣れてしまって、本当の気持ちを押し殺すことばかりに長けてしまっていた。でも、今は違う。
(彰人たちが……彰人が教えてくれた。自分の気持ちを言葉でしっかりと伝える大切さを。)
「――俺は……俺は正直、恋愛感情というものがよくわからない」
彰人はその言葉を聞いてグッと拳を握り込んだ。無理もないだろう。同性にこんなことを急に言われても困らせるに決まっている。しかし冬弥はそこにだが、と続ける。
「だが、俺も彰人が他の人と恋愛関係を結ぶのは嫌……なのかもしれない。彰人が小説で見たように、他の誰かに好意を伝えるのを想像してしまうと胸がざわざわした」
辿々しく気持ちを伝えてくる冬弥に面食らってしまって思わず目を見開く。そんな彰人に気づいていないのか冬弥は更に続けた。
「俺も彰人の隣を誰かに渡してしまうのは絶対に嫌だと感じた――だから、彰人が教えて欲しい。彰人とずっと一緒に居てこの気持ちの名前を探したい。」
「……は、はは……相変わらずクソ真面目なやつ……なんだよそれ。了承ってことでいいのか……?」
「そう受け取ってもらって構わない」
こくりと頷く冬弥に思わず肩の力が抜ける。断られることも覚悟していたのに予想の斜め上をいく返答に思わず笑いが込み上げてくる。
(めちゃくちゃ悩んでたのが馬鹿みてえだ……ったく……)
当の本人は彰人が何故ぐったりしているのかよくわかっていないのか、きょとんとした顔で首を傾げている。この天然の相棒にはいつも振り回されてばかりだ。――まあ、満更でもないのだけども。
彰人はひとつ咳払いをして気を取り直すと、改めて冬弥に向き合う。
「そうだ、冬弥……手、出してくれ」
「む?……こうか?」
スッと両手を上に向けて差し出す冬弥を横目に、彰人は鞄からちいさな袋を取り出すとその上に載せる。
「誕生日おめでと」
「――!ありがとう。開けてもいいか?」
彰人が頷くので、カサりと小さな包みを開けるとそこにはシルバーの指輪がはまった小箱が入っていた。シンプルな銀の縁取りの内側に蔦が這っているようなデザインは以前にも見た覚えがあった。
「彰人、これは……!」
「高校生が買えるもんだからそんなにいいもんじゃねぇけど、前に杏とこはねがお揃いがどうとか話してる時にやりたそうにしてただろ?そのデザインシンプルでどんな服にも合わせやすいからオレも気に入ってんだよ。だからお前にもってな」
「そんなことはない。とても嬉しい……!大切にする」
冬弥はあまりにも嬉しかったのか、箱から指輪を取り出すとキラキラとした目で眺め始めた。そんな冬弥を微笑ましく思いながら右手を差しだす。
「ほら、冬弥。指輪つけてやるから左手、貸してみ」
差し出された冬弥の滑らかな左手を優しく取ると、右手の指先に指輪をつまみゆっくりと薬指にはめる。
「これからもずっと、オレの隣にいてくれよ。相棒」
「もちろんだ。こちらこそよろしく頼む。それから、次は俺も彰人の指に指輪をはめたいんだが……」
「わかったよ。今度持ってくる」
左の薬指に収まった指輪を優しく撫でて柔らかく微笑む冬弥の笑顔を見ていると自然と彰人の口元もほころんだ。