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    muhyumu

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    せるみぼ長編「幸せの泥濘」第八話です。

    「幸せの泥濘」第八話新生活だ。まさか、まさかこんな日が訪れるとは思わなかった。セルは、太陽の日差しの下ぼーっと歩いていた。隣にいる女が何か明るい声で話しているが、よく頭に入ってこない。心捧げていたお父様の野望は潰え、これから僕は。僕は自分の足で自分のために生きていく。隣には女がいて、無邪気に笑っていて。ああ、そこにいる、僕の幸せがそこにいる。
    「セル様?」
    セルははっとする。つい、女の方をぼんやり見つめていたようだ。歩みを進めようとすると、服を引っ張られる。
    「セル様、ここですよ!不動産屋さん」
    そうだった、セルは我に返る。今日は女と、新しい住居を探しに来たのだった。女の姉であるジェーネから紹介された不動産屋に入店する。愛想のよさそうなスタッフが、笑顔で椅子を進めてきた。
    「いらっしゃいませ。セル・ウォー様ですね」
    お待ちしておりました、とお茶を出される。女は礼を述べてからお茶を口にした。
    「ジェーネ・リコム様からお話はお伺いしております。お二人で暮らされる新居をお探しとのことで……」
    不動産屋が何枚か書類を出してくる。もういくつか候補が挙がっているらしい。ジェーネの息がかかっているのか、どれも間取りのわりに家賃が安い、お得な物件ばかりだった。
    「セル様はなにか希望はありますか?」
    「風呂とトイレが別々で、独立洗面台なことか……」
    今まで部屋に頓着などしたことがなかったが、しいて言うならそんなところかとセルは条件をあげる。
    「私はキッチンのコンロが二口以上あるところがいいですねぇ」
    女は間取り図とにらめっこしながら、あれそれと不動産屋と相談している。それをどこか遠くに聞いていると、女に肘で脇腹をつつかれた。
    「もう、ちょっと。セル様もちゃんと考えてくださいよ!二人で暮らす家なんですから」
    二人で暮らす家、これまでだって一年近く二人で住んできたのだが。でもこれからは二人幸せになるために、二人で暮らす家を探すんだ。セルは椅子に腰かけ直すと、女の持つ間取り図を覗き込んだ。
    「ふぅん、いいんじゃないか」
    その部屋は、二人があげた条件にちょうど合致している。広い寝室が一部屋とリビングとダイニング、それから倉庫に使えそうな部屋が一部屋。それでこの家賃なら十分だ。
    「ここ、見学してもいいですか?」
    「ええ、もちろんです」

    ―幸せの泥濘 第八話―
    不動産屋は、セルと女を物件へと連れていく。築年数は古いらしいが、こぎれいな部屋だった。マゴル城で住んでいた部屋よりは手狭になるが、二人で住む分には問題もなさそうだ。女は大きな窓にかかっていたカーテンをあける。日当たりが良い、広くはないが、そこにはベランダがあった。
    「まあ素敵!私、植物とか育てたかったんですよ!」
    「ああ……いいんじゃないか」
    マゴル城にいたころは日当たりも何もなかったからな、とセルは思う。女が、植物を育てたいなどと思っていたのを初めて聞いた。もしかしたら、色々我慢させていたのかもしれない。これからは多少のわがままも聞いてやろうとセルは柄にもなく優しい気持ちになった。
    「ここにするか」
    「ええ、そうしましょうか」
    不動産屋はにこにこと笑顔で話しかけてきた。
    「お二人の幸せな未来がここから始まっていくと思うと、わくわくしますね」
    「……そうだな」
    以前のセルなら、くだらないと一笑に付していただろう。本当に、甘くなったものだ。ふと女の方を見ると、女は少し困ったように笑っていた。そうだな、お前は本当はこんな幸せな未来を夫と描きたかったんだよな。セルは勝手な想像を膨らませ、複雑な思いを抱えたまま、不動産屋と契約を結んだ。

    魔法局の管理下に置かれたマゴル城に、申請をして入城する。城はしっちゃかめっちゃかになっていたが、幸い住居スペースは無事だった。セルは女と過ごしたその部屋に入る。荷物はほとんどそのまま残っていた。セルと女は、持ち込んだ箱に荷物を詰めていく。食器を新聞紙で包んで箱に入れていく女と、服を衣装ケースに詰めていくセル。そんなに荷物の多いわけではない二人は、あっというまに荷物を梱包してしまった。それでも、女は自分の荷物を眺めて、小さく笑った。
    「私もずいぶん荷物が増えましたねぇ」
    初めて出会った時は、大きなカバンに詰め込めるだけの持ち物しか持っていなかった女。それが、何箱か分の荷物を持つようになった。食器、カバン、服、コスメ、アクセサリ、雑貨。女を自分の元に縛り付けるそれら。セルは女に見えないところで口角を吊り上げた。そうやって、どんどん身体が重くなって、どこへも飛んでいけなくなってしまえばいい、と思った。セル自身も、女につられて買ったものが増えているのだが、そのことには気が付かなかった。ソファやクロゼット、ベッドなど、大型の家具も含めて引っ越し業者にあとは任せると、セルと女は買い物にでかけた。

    「お日様ってこんなにまぶしかったんですね」
    これまで、夫殺しの指名手配犯ということで昼間に出かけることなどめったになかった女。日差しをまぶしそうに目を細めた。ようやく太陽の下を歩けるようになったのだ。その感動もひとしおだろう。
    「……世界はこんなに輝いていたって、知りませんでした」
    太陽の光を受けてきらめく街並みを見て、女はセルに微笑みかけた。女の手がセルの手に当たる。そっと手を握られ、振り払うこともできずにその小さな手を握り返した。いつも電気か月明りの下かでしか見なかった女は、太陽の下で見ても美しかった。真っ白な肌が陽光にあたり輝きを放っている。黒い髪が光を受けて艶めく。
    「ふふ、なに見てるんですか」
    からかうように女がセルを覗き込む。セルはそっぽを向いて、なんでもない、と返した。大型のショッピングモール、前も何度かここで買い物をしたことがある。何買いましょうねぇ、なにが足りなかったんでしたっけぇ、とのんびりした女の声を聞きながら、ぷらぷらと歩く。
    「皿が足りないんじゃないか」
    「ああ、そうですね」
    セルが一人暮らしをしていたころから、女と生活をするようになって増えた食器はわずかだ。時々、お皿が足りないです~、と女が嘆いていたのを思い出す。マグカップにスープを入れたり、小皿が足りなくてタッパーを使ったりしていたっけ。食器売り場に行くと、女が食器を物色しだす。キッチンのことはほぼ女にまかせっきりだ。お皿やコップを吟味する女から少し離れたところで特に興味のない調理器具なんかを見ていた。これまで生きてきて、調理器具をまじまじと見ることなんてなかった。りんごを八等分にするためのものや、固い柑橘類の皮を剥く道具、紐を引っ張るだけでみじん切りができる調理器具など、そんなものがこの世にあることすら知らなかった。
    「そういうのって、慣れると結局手でやった方が早いんですよねぇ」
    気がついたら、背後に女が立っていた。手に持つかごには、いくつか食器が入れられている。
    「普通は魔法でやるもんだろ」
    「あはっ、たしかにそうですね!」
    これらは魔法の繊細なコントロールが苦手な人間向けの道具だろう、この女のような。幸いにして女は調理に関しては才能に恵まれたようで、なんでも器用に手でこなすが。
    「皿は決まったのか」
    「はい、スープ皿と、小皿をいくつか」
    それと、と女はかごからマグカップを取り出して見せた。
    「おそろいのマグカップ!」
    「大声だすな、バカ……」
    こんな、おままごとみたいな行為をこれから何度繰り返すのだろう、何度目になったら慣れるのだろう。セルは気恥ずかしそうに女からかごを取り上げると会計を済ませた。
    「あとはこの機会にソファカバーを新調したいです~!あれ、大きいシミがあるじゃないですか」
    「誰のせいだ、誰の……」
    ソファでジュースを飲んでいた女が盛大にコップをひっくり返して、とれなくなったシミ。セルはぶつぶつと文句を言いながら、ファブリックコーナーでソファカバーを眺める。インテリアにこだわったことはないが、カーテンと同系色のものがいいだろう。それから汚れが目立たない色。迷った結果、無難な無地の紺色を選んだ。その他、トイレットペーパーやティッシュなど、日用品を買う。セルの両手と女の片手にぶらさがる荷物はどんどん増えていった。
    「こんなもんですかね」
    「まあ、そうだな」
    一通り買い物を済ませたセルと女は、出口に向かう。ショッピングモールの出口には花屋があった。女が足を止める。
    「あ、ひまわりの種……」
    そういえば、植物を育てたいなんてことを言っていたな、と思い出す。
    「そのくらい買えばいいだろ」
    「えっ、でも植木鉢と土も必要になりますよ……?」
    女はセルの両手を塞ぐ荷物を見る。ほぉ、お前、まさか僕に持たせるつもりか。セルはじとりと女をねめつける。
    「……自分で持てよ?」
    「ええ、こんな重い荷物もったら私のか弱い腕が折れちゃいますぅ……」
    なーにがか弱い腕だ、僕は知ってるんだぞ、お前が僕の見ていないと思っているところでは力仕事なんでも自分でしてること。でも、きゅるんと潤んだ瞳で上目遣いに見つめられると。ああ、その顔に弱いんだ、クソ。セルは塞がった手でなんとか杖を取り出す。持ちきれない荷物は魔法で浮かす、それでいいだろう。女はぱっと顔を輝かせ、店員におすすめの土と植木鉢を買うと、嬉しそうに持ってきた。セルはひとつため息をつくとそれらを浮かし、二人並んで家に帰った。

    家に帰ると、ちょうど引っ越し業者が到着したところで、荷運びの指示をだす。作業はスムーズに終わり、「新居」ができあがった。カバーの新しくなったソファに、二人で腰かけくつろぐ。くつろぐ、といっても、どこかぎこちなかった。おそろいのマグカップに入ったココアに口をつける。温かくて甘い。ちらりと女の方を見る。女も少し居心地悪そうに、肩ひじを張っていた。
    「……慣れないな」
    「ええ、そうですね」
    なにに、慣れないのか。新居に?それともこの「幸せ」に?女は、何か言いたそうにセルを見つめている。セルは黙って女が口を開くのを待っていた。たっぷりと躊躇ってから女は唇を動かす。
    「セル様……私の夢は好きな人のお嫁さんになって幸せに暮らすことでした」
    でした、そう、過去形。今やその夢は失われたのだ。セルは女から目を逸らさなかった。まっすぐ、その闇を湛えた瞳を見つめた。
    「夫と結婚して、いつか子供を産んで、ずっと幸せに暮らす、そんなことを夢みていました」
    セルは頷く。そうだろうな、と思った。いつまでたっても、どれだけたっても、女の一番は「夫」なのだ。
    「今となっては潰えた夢です」
    女の表情が泣きそうに歪んだ。
    「私は……セル様を使って夢の続きをみようとしていたのかもしれません」
    女はふいとセルから目を背けた。セルは無理して女の視線を追わなかった。
    「でも、失った夢に追いすがるのはもう終わりです」
    いっぱいに涙をためた女の瞳が、再びこちらを向く。ぽろ、と一粒涙が零れ落ちた。
    「私は、セル様と幸せになりたい」
    ようやくお前は、僕の方を向いたんだな。セルはそう思った。今までどこか遠くを眺めていた女が、初めてセルを見たような、そんな気がした。乱暴にティッシュをとると、女の涙を拭ってやる。ぽろぽろと次から次へとこぼれてくるしずくを受けとめた。女のその身勝手な気持ちと一緒に受けとめたのだ。こんな時に、なにか言葉がでてこればいいのに。セルは何も言わずに女を抱きしめた。涙と鼻水で服が汚れるのも構わず、その顔を胸に抱いた。セルのせいいっぱいの愛情表現だった。女の髪に顔をうずめる、幸せの匂いがした。

    泣き疲れた女は、やがてソファでうとうとしはじめる。もう寝るか、と声をかければ、ほわほわした声で、そうしましょうかと返ってきた。セルは自分のベッドに腰かける。
    「……おやすみ」
    「おやすみなさいませ」
    女はセルの唇におやすみのキスを落とすと、女も自分のベッドに潜り込んでいった。電気を消す。真っ暗闇の中、セルはうすぼんやりとなにか考えていたが、それは翌朝になれば忘れてしまうような些細なことだった。まとまらない思考はどんどんちぐはぐになっていき、やがてすとんと眠りに落ちた。明日も良い一日になるといい、そんなことを最後に思ったような気がした。
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    muhyumu

    DONEせるみぼ長編「幸せの泥濘」第十話です。
    「幸せの泥濘」第十話時はしんしんと降り積もり、やがて三年の月日を重ねた。ベランダには、立派なひまわりが爛々と咲き誇っている。いつのまにかプランターも増えた。大小いくつかのプランターに、それぞれの大きさのひまわりが植わっている。女は飽きもせず丁寧にそれらを育てていた。穏やかな休日、女はパジャマのままひまわりに水をやって、ベランダから部屋にあがってきた。ふとカレンダーを見て、はっとした顔をする。
    「そういえば今日はジェーネお姉さまがいらっしゃる日でしたね」
    「ああ、そうだったか」
    「大変、急いで着替えなくちゃ」
    女は、クロゼットを開ける。女の荷物もずいぶん増えたものだった。昔は、女を縛り付けるために与えていたものも、今は贈りたいから贈るものへと変化していた。奪うことが恋で、与えることが愛だというのなら、これは。この気持ちを人は愛だと、そう名付けるのだろうか。そんなセルの想いをよそに、女はさっさとしたくをする。先の記念日にセルが贈ったばかりの新しいワンピースに袖を通し、急いで化粧をした。丁寧にマスカラを塗り、アイラインを引いている。最近のセルとのデートの時より念入りなんじゃなかろうか。姉も妹に少し大きすぎるのではないかと思われる愛を抱いているが、妹も大概特別な感情を持っているようだった。
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