チェンゲ竜馬と早乙女博士【・とー】名も知れぬ湖畔の縁を真夜中に一人で歩いている。
湖上には新月が淡く輝いて湖面を照らしていた。静かな湖畔は竜馬以外誰もおらず、静寂な空気に包まれている。
仲間達には一人で散歩することを事前に告げてから外出しているので心配させることはない。子供でもあるまいに、ただの気晴らしだからすぐに戻ると言っても最後まで隼人だけは難色を示していたが。
『俺も行く』
などと予想通りの言葉を険しい顔で言われ、流石に呆れてしまった。竜馬が首を横に振ると、見るからに沈んだ顔を浮かべてもはや苦笑するしかない。
だが、隼人も多忙な身だ。今日も作戦立案のミーティングだの今後の行動予定などやることが山積みで、とても気楽に散歩できる立場ではない。
『だからまた今度な』とだけ言って隼人の口元に人差し指を当てて揶揄ってやると、目を見開いた隼人に抱きすくめられて呆気に取られた。
その後、慌てて弁慶が引き離してくれたが、そのまま気にせず行ってこいとだけ言われて隼人を引きずって去って行く。
「・・・あいつも相当疲れてンな」
時間さえあれば一緒に散歩ぐらい行ってもいいのに。
そう思いつつも、現実はそう上手くいかない。もう少しこの状況が落ち着いたら隼人と出掛ける隙間時間も見つけられるだろうと、そんな淡い希望を抱きながらタワーを後にした。
◇ ◆ ◇
誰もいないと思い込んでいたが、ふと目の前に立っている一人の男を見つけた竜馬は驚愕した。
忘れようもない全ての元凶であり、世界混乱を招いた男──早乙女博士がなぜかそこに立っていて竜馬を見ていた。
想像もしない不倶戴天の男に思わず頭に血が上りかける。すぐに懐に隠した拳銃を取り出して銃口を向けるが、早乙女は少しも動じない。当たり前だが命乞いもしなかった。
ただ怪しく笑いながらこちらにゆっくりと歩いてくるだけで、何もしようとはしない。
「ほう?こんな夜中に一人で散歩か?」
「・・・テメェ・・・なんでここにいやがる」
「大した理由などないわ。ワシとてたまには散歩したい夜もある」
「自分が置かれている状況を分かってンのかよ!」
「もちろんじゃとも。少なくともワシはお前のように短絡的ではない。・・・まぁここ最近は成長もみられるようだが」
間近に近づいた早乙女の額には銃口があたっている。それでも退くことをせず、どこか余裕のある顔で竜馬に話しかけている所はさすがと言うべきか。
竜馬は迷う。
インベーダーに寄生されているのは分かっている。だからここで始末すれば後の憂いも消え、竜馬自身の復讐も果たせる。
だが、と心のどこかで制止するもう一人の自分が警告していた。
煮えたぎる怒りに身を任せてこの引き金を引いて、それで──全てが終わるのか?
竜馬は表情を動かさないまま早乙女を見つめた。早乙女も何も言うでもなく、むしろ力を抜いた様子で次の行動を待っている様に見えた。
その姿に、ほんの一瞬だけ隼人の姿と重なった。
死をもって贖罪を願う隼人に請われた時、竜馬は撃たなかった。彼の本心を知ってからはもう復讐心など捨ててしまったから。
それならば、もしも早乙女にも隠された真意があるとしたら?
渓のことも、號のことも。・・・そして亡くなったミチルのことも。
まだ聞かなければならないことが山ほどある。ここで撃って終わりにしても何も解決しない。
そう判断して、竜馬はスッと銃口を下げた。無言で銃をしまうと、早乙女が感心したような声を上げた。
「・・・昔ならすぐに撃っていたな。しかし良いのか?ここでワシを殺せば何もかも終わるだろうに」
「もう俺一人の問題じゃ無くなっちまったからな。いいか、別に俺はテメェを許した訳じゃねぇ。ただ戦うのは今じゃないってだけだ。勘違いすんな」
半眼で睨みつければ、早乙女は意外そうな顔で笑った。
「そうか。ここのお前はそう考えるのじゃな・・・」
「ああ?」
言葉の節々に気になることを挟んで一人感心している早乙女を、竜馬は訝しげな顔で見下ろした。
「一人で何を勝手に納得してやがる・・・訳のわかんぇねこと言ってんじゃねぇよ」
「別に意図はない。まぁ今のお前に説明しても理解しきれんだけだ」
「なんだその馬鹿にしたような言い方は・・・それよりジジィ、今は一人なのか?」
「その質問の意味が今いちよく分からんが、散策する時は基本的に一人だが」
少し呆れた顔で早乙女は肩をすくめる。
「・・・あの気色の悪い二人組は」
「ワシがあの二人と常に行動を共にすると思うのか?本気で」
「思わねぇ」
「分かっているなら聞くな」
早乙女はうんざりした顔で嘆息する。それを見た竜馬も同感してこの時だけは同情した。
コーウェンとスティンガーは基本的に二人でつるんでいるらしく、むろん他者に対して協調性など微塵も見られない。
表面上は丁寧に接するが、たかが利害が一致しただけの関係性だ。所詮信用の問題にすぎない。
「だからこうしてたまには一人で行動しておる。お前とてそうだろう」
そう疲れたように言って、ふっと穏やかに笑う早乙女の顔に何も言えなくなる。
久しぶりに垣間見た彼の笑みに、竜馬は胸が揺さぶられた。
かつて慕っていた懐かしい姿がそこにある。
だがすぐにその表情は元に戻って、彼は湖畔に顔を向けたまま何も語ろうとしない。
しばらく静かな沈黙が二人の間を流れる。浜辺に打ち寄せる波の音を聞きながら、竜馬は小さな希望を持ち始めていた。
もしも、今なら・・・彼は明かしてくれるだろうかと少し期待感も持ち始めて、躊躇いがちに口を開く。
「・・・おい」
「何だ?」
「今ならアンタの本当の目的を話してくれるのか?」
「今さらそれを聞いて何になる?ワシは自らの意思でお前たちと袂を分つことを決めたのだ」
何者も拒む冷え切った言葉に、竜馬の顔が歪んだ。
早乙女は一息吐いて、また顔をこちらに向ける。
その目は漆黒のまま何も写そうとしない。狂気に歪んだ男の顔に戻っていた。
思わず身構える竜馬だったが、早乙女は『ではな。次に会うまで生き延びろよ』とだけ言い残すと、背中を向けてその場を立ち去った。
竜馬は呆然としながらも、遠ざかる背中を見送るしかなかった。
その背中は広いのに、どこか寂しい背中だ。
伸ばしかけた手は諦めたようにゆっくりと下がっていく。
また静かな湖畔に波音だけが響き渡る。
不意に、柄にもない寂寥の念が胸に滲み出た竜馬は、目を伏せて視界を闇で覆った。
復讐するべき相手の生き様が、もの悲しいなどと思うな。
竜馬はそう自分に言い聞かせながら歯噛みする。
「・・・俺は。アンタのその背中を見るの・・・結構好きだったんだぜ?・・・・博士」
まるで死に別れた父親のように思っていたことなど彼は知らないだろう。もちろん言うつもりもない。
彼が何を思っているのか。それは早乙女にしか分からないし、分かり合えたからと言って全てが元に戻ることは決してない。あの頃はもう二度と戻らない。
分かっている。それでも前に進んで行かなければならない。
それが人間だから。
「・・・・・」
胸に燻る感情を深く息を吸って、全て吐き出そうとしたが気分はまだ晴れない。
帰るか。
かぶりを振って、迷いを振り切るように元来た道を戻り始める。
「ああ・・・チクショウ」
歩いてる最中に、ふと思い浮かんだのは奴の顔だった。早乙女に会ったことを言えばどんな顔をするのだろう。当然いい顔はしないだろうなと竜馬はため息を吐く。
でも、それでも。
なぜだか無性に隼人の顔を見たくなった。
(終わり)