暴れまわるシーン書きたいとこだけ 悪夢だ。
ビルは、ただ、ただ、そう思った。
今日は朝から自分は運がいいと思っていた。付き合って数年の彼女は、珍しく朝から食事を作ってくれたし。買ったコーヒーはキャンペーン中で無料になった。
でも、それが人生最後の運を使い果たしただけなら、朝食もいらなかったし、コーヒー代だって気前よく支払った。
我儘な彼女のために稼ぎの良い仕事を探して、薄暗い仕事もマドルが増えるならと言われるがままにやった。日向に居るような人間を選んで、自分と同じ場所に引きづりこんで、金に換え。それで、彼女の欲しいものを買って、なんとか自分の所に引き留めた。
今日はそんな日々の中でも簡単な仕事だった。捕まえた人魚たちを放り込む水槽の見張りだ。ただ出入り口に突っ立って、仲間とカードゲームでもしながら時間を潰すだけでマドルが貰えた。雇い主は、心配性なのか見張りは何十人も居たし、何かあっても多人数で囲い込めばいいだけだ。
鏡合わせの『死』は突然やって来た。真っ黒な服に黒いハットを目深にかぶり、かぱりと開いた大きな口からは、鋭い歯がぎっしり並んでいた。港町では多種多様の人種があふれかえっているが、彼等のような種族は初めて見た。突然現れた不審な男に、さっきまでカードゲームや酒を煽っていた男達は手をとめて、全員が入口を長身で埋めるようにふさぐ二人を睨みつける。
「いち、にぃ、さん、し……アハッ、雑魚がたーっくさん居んじゃん」
端から指をさしながら数えてく、上機嫌に右耳のピアスを揺らしながら口を開く。ガタガタと鉄棒や警棒、ナイフを手に取り仲間たちが不審者を囲む。仲間の怒声を聞き流し、不審者の声は弾む。
「楽しそうで何よりです。お話をしなくてはいけないので、1人は残しておいてくださいね」
「はぁ~い」
機嫌のいい返事の後。視界から長身が一つ消えた。上から叩き下ろされた長い足に一人が地面に転がって、彼が上に飛び上がったのだと分かった。長い腕が数人をまとめて薙ぎ払う。
部屋に溢れる怒号と呻き。暴れまわる一人に手を焼き。それならと、まだ入り口に佇む片割れへ矛先を変える。真っ先に向かった仲間は大きな手にボールのように握られ、そのまま床に引きずり倒された。勢いで止まれない仲間たちは次々に蹴り上げられ、殴り倒されゴロゴロと床に転がされていく。
部屋を縦横無人に暴れまわる男の奥で、鏡合わせのもう一人が唯一の出入口の前から動くことは無い。
ただ、ただに、淡々と向かってくる相手を地面に叩き伏せていく。
圧倒的な暴力だった。
圧倒的な恐怖だった。
ビルは体が動かせない。べたべたと吹き出す汗が体を冷やす。震えが止まらない。明確に『死』が迫っている。
時間はかからなかった。数十人以上いた仲間たちは床に転がっている。血の匂いが鼻がかすめ。今は、うめき声さえ聞こえない。
「あ~ぁ、もう終わちゃった。つまんねーの」
手近な一人を蹴り上げて、ユラユラ体を揺らして近づいてくる。鏡合わせのもう一人も、目深に帽子を被りなおし、コツリコツリと近づいてくる。
「ちゃんと一人残してくれたんですね。ありがとうございます」
「うん。なんかソレは、あんま楽しくなさそう」
鏡合わせの二人から視線が外せない。二人はビルの前で立ち止まり、二つの金の瞳で見下ろした。
「おやおや。そんな本当の事を言っては失礼ですよ。とはいえ、今回の仕事は彼で十分でしょう」
「な、なにを………オレは下っ端なんだ。何にも知らない」
「いいえ。貴方は知っています。なにも、難しい事をお尋ねするわけじゃございません」
暴れまわったニタニタと笑う男の隣で。まるで自分は理性があると言わんばかりに、言い聞かせるように、柔らかい声音で語りかけられる。
「あぁ、怖がらないで。ほんの少し、正直に僕とお話してくれれば十分なのです」
「そうそう。しっかり、おしゃべりしてねぇ」
鏡合わせの二人が『死』を運んでくる。話終われば床に転がる彼らと同じになるのだろう。
震える体に、溢れる涙だけが温かかい。潮の味がした。