その10「海老カツサンド。おまちどうさま」
「いただきます!」
海老カツが挟まったサンドイッチをカウンター越しに受け取ったイチヤは、早速齧り付いた。
「うま~~!」
しっとりとしたパン、サクッとした衣とプリッとした海老。甘さと塩味の利いたタルタルソースが両者を引き立てている。
「はい。ミックスサンド」
「ありがとうございます」
隣の席に座るイッカンも、卵と野菜、ハムが挟まったサンドイッチを貰った。
場所は前回と同じく、ジャズ喫茶兼バーである〈show you〉だ。
午前6時半を過ぎた頃、大通り沿いへと辿り着いた2人は、さっそく朝食を食べるために店を探そうとした。
朝はパンが食べたい。甘いパンは嫌だ。トーストと玉子では物足りない。ありきたりなモーニングメニューは食べたくない。久しぶりにクリームソーダ飲みたい。そんな風に朝から要求がどんどん増えるイチヤに対して、苛立ったイッカンがここへ連れて来たのだ。
「満足したか?」
「大満足!」
クリームソーダに海老カツサンド、モーニングのサービスで少量のサラダもついて来ている。朝からがっつりとしたメニューだ。
自分も食べる方だが、朝からクリームソーダは無いな。そんな事を思いながら、イッカンはブラックコーヒーを飲んだ。
「そういえば、話があるって、どんな?」
「バンドの話だ。メンバーを集めるか、話し合う必要があるだろ」
イチヤの目がきらり輝き、姿勢が前のめりになる。
「何人からやるの? やっぱ3人?」
「基本はな。2人でやる奴もいるし、音楽のジャンルによっては6人でやるバンドもある」
バンドの基本とされるのは、ベース、ギター、ドラムのギター・トリオと呼ばれる編成だ。そのギター・トリオにボーカルが加わる4人編成や、さらにキーボードが加わる5人編成など組み合わせは様々だ。6人、7人編成も存在はするが、ロックバンドではあまり見かけない。
「えっ、2人で出来んの」
「あぁ、できる。自由度が格段に高いし、バンドの特色も出やすい。色々と良い面もあるが、演奏以外にもやる事は多いぞ。音の層が薄い分、他の楽器の音源使ったり……」
説明をしようとしたイッカンだが、〈わからない〉とイチヤの顔に書いてあるので止めた。
普段のイチヤは意識が散漫しがちだが、音楽の事となれば一点に集中する。アンプの一件から、説明よりも実際に見て聞かせか、やらせた方が覚えるのが早いとわかった。
それは利点であるが、欠点だ。作詞、作曲、バンド演奏に練習とどれを取っても音楽の知識は必要不可欠だ。しかし下手に教えて変な癖がついてしまったら、イチヤの良さを潰しかねない。
経験豊富な指導者であればイチヤを導く方法を幾らでも思いつきそうだが、一匹で泳ぎ回っていたイッカンは全く考えつかなかった。
「おまえがギター兼ボーカルで、俺がベース。曲次第では、コーラスも出来る。俺としては、ドラムがいた方が良いと思う。あとはどんな路線で行くかで、他の楽器を入れこむかだな」
「イッカンも歌えるんだ?」
気を取り直す様に言ったイッカンに対して、イチヤは意外そうに訊いた。
「なんだよ。意外か?」
「全然! どんな曲歌うのか気になっただけ!」
裏表なく純粋に言ったのが見て取れるイチヤに、イッカンは苦笑する。
「俺が歌うのはヘビメタとか、ロック系統だよ」
おー、と感心の声を漏らしているイチヤだが、ヘビーメタルに関してピンときていない様子だ。予想通りの反応なので、イッカンは怒る気も起きなかった。
「それで、イチヤは何人でバンドやる予定なんだ?」
「俺とイッカン、ドラムとシンセサイザーの4人が良いと思う」
「シンセサイザー? なんで無知のおまえが知ってんだよ」
ちゃんと考えていた事に驚きながらも、ただ名前が格好良いから選んでいる気がして、イッカンはイチヤに疑いの目を向ける。
「無知ってなんだよ! 中学の同級生が、すっごい熱心に教えて来たから、覚えてたんだ!」
「へー。それなら、どんな楽器か言ってみろよ」
「見た目はキーボードに近い感じ。電子回路を使った楽器で、色んな音を合成して演奏ができるって聞いた。エレキギターを買った店で聴かせてもらって、バンド組むなら必要だと思ったんだ」
「ちゃんと考えていたんだな。感心感心」
茶化すように言うイッカンに、イチヤは不機嫌そうに顔をしかめる。
「なんか俺の評価低くない?」
「どこまで頭が回ってんのか、こっちは分からないんだよ」
イチヤはイッカンとの口約束を信じて、音楽の知識がないまま音楽バンドを組むためにバンカラからハイカラへとやって来たのだ。常に動き続けるマグロも真っ青の猪突猛進さで無計画と思われても仕方がない。
「へぇー、結局2人はバンドを結成するんだね」
他の客へ料理を運び終え、内容の一部を聞いていたマスターは微笑ましそうに言った。
「はい! 俺は自分の音楽がやりたくて、その為にハイカラシティまで来たんです!」
「夢を追いかけて1人で来たんだね。凄いじゃないか」
ハイカラシティには、様々な地方の若者が集う。マスターはどこから来たのか訊かずに、あるがままにイチヤを褒めた。
「うちのナミダちゃんも音楽活動を始めようとしている最中でね」
「え?」
目を瞬かせるイチヤは、マスターにつられる様に隣のカウンター席を見る。
「何事も経験だ。どうだい? この子達と試しにバンドを組んでみたら?」
そこには静かに紅茶を飲むインクリングの女の子が座っていた。