手を繋ぐ 風邪をひいたので来るなと言われた。熱を出して寝込んでいる俺の恋人は、病院帰りに買い込んだし、一人暮らしも長いから慣れてる。それに俺にうつしてしまったらその後の仕事に迷惑になると反論の余地もなく、来てはいけないと締めくくった。仕事のことを言われたら何も言い返せなかった。
事務所のソファでスマホの画面を見ながら恭二は、むぅと唇を尖らせる。わかってはいるけど、もう少し頼りにしてほしいと常々思うが、年の離れた恋人に隙はなかったのだ。
「きょーーじ!」
突然降ってきた声に驚いて顔を上げる。立ったまま少しかがんで恭二の顔を覗き込む咲の姿があった。
「水嶋か」
「浮かない顔してどうしたの?」
咲は手にしていた箱をテーブルに置くと恭二の隣に座って様子を伺っている。恭二は、ため息をついてからみのりが寝込んでいることと見舞いに来るなと言われたことを伝えると大袈裟なくらいに声を上げた。
「ええ?!ダメだよ!お見舞い行くべき!」
「でも、ダメだって言われてるのに押しかけたら迷惑だろ」
「そんなことないよ!きょうじが来てくれたらみのり、絶対よろこぶよ!」
ぐっと両手を握りこんで勢いのある声に恭二は怯んで少し身を縮みこませた。
「風邪が移らなければいいんでしょ?」
「……まぁ、そうだけど」
「それならかおるに聞いてみようよ。さっきすれ違ったから事務所にいるはずだよ」
思い立ったが吉日とばかりに咲は立ち上がると恭二の腕を掴んで引っ張っると「ほらほら、パピっと立って」と急かす。咲のなかなか強い握力に恭二は顔を顰めながらも立ち上がれば薫がいると思われる方へぐいぐい引かれていく。半ば引きずられる勢いだ。
テラスに入ると薫が台本を読んでいるのを見つけ、咲が元気に薫を呼ぶ。
「かおるー!風邪が移らない方法教えて!」
片手で薫に向かって手を振り、もう片方で少々足をもつれさせた恭二を引きながら近づいてくる咲の姿に薫は一瞬顔を強ばらせた。
両手に大荷物を下げて恭二は、みのりの部屋の前にいる。あの後、薫には感染予防のためにマスクを外さないこと、こまめに手洗いうがいをすることを言われた。事務所内に戻るとどこから聞きつけたのか事務所のメンバーたちがあれもこれも渡してくる。涼からマスク、キリオはうがい薬、翼はリンゴ、次郎は栄養ドリンク、雨彦は冷え〇タ、北斗はスポドリ、百々人は桃の缶詰、英雄はひいおばあちゃん直伝の卵酒のレシピなどなど。どっさり重い。
そして、最後に咲が持ってきていた箱の中から壮一郎が作ったゼリーを「ふたりで食べてね」と2つ渡して事務所から恭二を押し出した。
カバンから合鍵を出してそっと開ける。咲は、あー言っていたがやはりいい顔はしないだろうと思う。なによりも恭二のことを心配してみのりが言っているのがわかるからだ。
(でも、きっと、俺も同じこと言うと思う)
相手が大切なのは、恭二も同じなのだ。
部屋の中はしんと静まり返っていて、おそらくみのりは寝ているのだろう。冷蔵庫の中にはゼリー飲料とスポドリが詰まっていて、それを端に寄せて預かってきた食材を物音を立てないようにそっとしまっていく。これだけで凌ごうとしていたのかと考えるとたとえ怒られても来てよかったと思う。
常温で大丈夫なものはリビングに置いて言われた通り、手を洗いうがいをしてからマスクをして寝室へ入っていくとベッドがこんもりと盛りがっていた。覗き込むと顔を赤くしたみのりが寝ていて息をつく。
何をすべきか考えていると、人の気配に気がついたのか、みのりが目を覚まして瞬きをする。
「……あれ?恭二?」
がさついた声は、力がなく恭二を不安にさせた。
「ダメだって言われたけど来ちゃいました。移されないようにするんでみのりさんのそばにいさせてください」
指先でみのりの頬に触れると見た通り熱くて顔を顰めたが、その手をみのりが握るとなんだか安心してほっと息が漏れる。
「恭二の手、冷たくて気持ちいい。そんな顔されたら追い返せないでしょ」
自分がどんな顔をしてるか恭二にはわからなかったが、よほど情けない顔をしているのだろうと恭二は思った。
「事務所のみんなから色々預かってるんで早くよくなってください。俺、みのりさんからしたら頼りないかもだけど、もっと頼ってほしいっす」
「……うん、ありがとう。寝込んでる時に誰かが傍にいてくれるって嬉しいもんだね」
恭二の手を握っている手とは、反対の手を伸ばして頬を撫でると恭二は嬉しそうに目を細めた。
「嬉しくって今すぐ抱きしめてキスがしたいよ」
冗談めかしてみのりが笑うと恭二は、慌てて顔を振り「みのりさんはキスだけじゃ済まないじゃないですか!というか、キスもダメです!」と顔を真っ赤にするものだからつい声を上げて笑ってしまったが、その直後に咳き込んでしまい「そら、見たことか」と恭二に窘められるみのりだった。