出られない世界円卓が住まう城――キャメロット。
その最奥に、呪われた絵画が飾られている。
そんな噂を聞いたパーシヴァルは、(何故そんなものをいつまでも飾っているのか)と疑問に思った。害あるものなら、排除すべきだ。
思い立ったら行動である。
光射し込む神秘性を帯びた中庭の横、人気のない静かな回廊、その最奥の暗がり。質素な白亜の扉の前でパーシヴァルは佇んでいた。
***
「あそこにいるのはローレライだと聞く」
「海の妖精のことです。声は漁師を誘惑し、破滅へと導くだとか、あるいは歌声に船が座礁してしまうといった伝説がありますね」
「人を惹き付け惑わす生き物。いずれこの国すら滅ぼすとも言われているが」
「パーシヴァル卿、会いに行くならば決して甘言に乗ってはいけませんよ」
「アレの手の届く距離に近付くんじゃねぇぞ。近寄れば、海の底に引きずり込まれるぜ」
円卓の騎士たちからキツく言い渡された忠告の数々が脳内をよぎる。右手のロンギヌスを固く握り締めた。
扉に手を掛ける。
鍵がかけられていなかった両扉は簡単にパーシヴァルを受け入れた。
部屋に入った途端、生臭さが鼻を突いた。海の香りだ。
外の暖かい陽気は打ち消され、足元からじわりと冷気が這い上がり身体を震わせる。先に進めば靴の先が水溜まりを踏んで服を汚した。床は水浸しだった。
その真っ白な部屋、目の前の壁。一枚の絵画が飾られている。
背景はどこかの室内だろか。暖かみのある木材で作られた一室の左側には本棚にぎっしり本が詰まっており、中央の作業机には書類が高く積まれ、地球儀やコンパスのようなものが見える。
その机の手前に、一人の男がいた。豪奢な椅子に腰掛けた、妙に目を引く誰か。
絵画に描かれたその男と目が合う。
男が目尻を下げて、穏やかに笑った。
「ごきげんよう。気分は如何かな」
成る程、ローレライとは言い得て妙だと感心した。妖艶で、蠱惑的。そして美しい声をしている。パーシヴァルの心は一目で強く惹かれた。
ロンギヌスを前に構える。
「ごきげんよう。貴殿が噂のローレライか」
「ローレライ?」
男は困惑したように聞き返す。「まさか私が?」
パーシヴァルは頷いた。
「ここにいるのは、国を破滅に導く美しき妖精だと聞いている」
ローレライ……。男は再度ポツリと溢す。じわじわと顔が赤く染まっていくのを見て取れた。
「きみ、私のこと、そんな風に思ってたのか……?」
右手で口元を隠して、半目でこちらを睨み付けるその男を、何故だか無性に抱き締めたくて堪らなくなった。
思わず踏み出しかけた足を、仲間の警告が止めてくれる。
「……国を滅ぼすと噂があるが、それは本当だろうか?――もし、そうなら」
「私を、殺すかい?」
照れた顔を瞬時に引っ込めた男は、鋭い眼差しでパーシヴァルを射貫く。
「本当ならば」怯むことなくパーシヴァルは答えた。
しかし、胸中ではその可能性を否定していた。この人はそんなことをしないとわかっていた。同時に、初めて会ったばかりの怪異に抱く感想ではないと、戸惑いが生まれる。
なぜ私はこの男に対して、こんなにも好意的なのだろうか。
男は意地悪く笑う。
「私はね、君の世界を滅ぼすためにここにいるから、噂は何も間違っていない」
パーシヴァルは驚いて眉を潜めた。
「……なぜ。どうやって」
しかし男はその問いに答えない。
「君はこの国を、愛おしいと思うかい?」
そう、扉の外を指差す。
「当たり前だ。ここは我が王、アーサーが納める平安の地。争いもなく、飢える民も存在しない、理想郷。誰もが平穏に暮らせる国だ。不満に思うはずがない」
「理想郷ね、――君の願いはそれだったか」
ふと、パーシヴァルは視線を下ろす。水浸しだった床、足元の踝まで水嵩が上がっている。バタンと音がして、振り返ると扉が閉ざされていた。
(しまった)
やはり、男は妖魔の類いだったのか。
舌を打つ音がした。行儀悪く舌打ちをしたのは絵画の男の方だった。
「タイムリミット付きか」
イライラと椅子の手すりを人差し指でコツコツ叩く。
「さて、もたもたしていると溺死するぞ。さっさとコトを済ませるとしよう」
「コト?なんの話だ」
「こちらにおいで、パーシヴァル」
絵画から男がこちらに手を伸ばす。「早く、溺れたくなければ私の手を掴むんだ」
――ローレライに近付いたら、本当に海の底に連れていかれるのだろうか。
その手を取ってみたい、逆に此方に引き込んでやりたい。そんな誘惑に駆られる。
自分らしくないことだ。
距離をとったまま、じっと手を見つめるだけのパーシヴァルをどう思ったのか、男はふむと考えて、「誰かに忠告をされたのかな」と投げ掛けてくるので、素直に頷いて肯定する。
「まぁそうだ。警戒するか。――それならもうこれしかない」
男が懐に収まっていたピストルを手に取る。戦う気かと聖槍を突き付けると、予想外にその銃口は彼自身の首もとへ向けられて――
「やめろ!!!!」
「カルデアに必要な戦力は君の方だ。――あとは頼む」
手を伸ばすが間に合わない。
轟音がして、視界に赤が飛び散る。額縁を飛び越えて、パーシヴァルの頬にも嫌な感触、液体が張り付いた。
「バーソロミュー!!!!」
絵画の向こうで崩れ落ちる身体に駆け寄る。こちらの世界と絵画の間にある境界線など無かったかのように、額縁を飛び越えて、勢いで絵画の世界に転がり込んだ。
倒れている暇など無い。目の前、血の池に沈むは己の愛。飛び付くように彼に覆い被さり、回復スキルを全力でかける。
「あぁ!何故っ、バート!」
致命傷――、喉元の弾丸は生前の致命傷だ。回復スキルが全く効いていないのがわかった。
バーソロミューの手を握りしめ、ただ床に広がる赤を、絶望して眺めるしかなかった。
ピンポーン。
場違いな、軽快な音が室内に鳴り響く。
『Congratulations!お題クリアです。出口はこちら⬇』
ふざけた文章が見上げた空間に現れた。
部屋の中央に、まるで始めから存在したかのような木の扉があった。
「……これは、一体」
「いやー終わった終わった」
「うわっ!」
むくりとバーソロミューが起き上がった。
驚いたパーシヴァルは、飛び上がって後ろにひっくり返ったせいで、背後の机の角に後頭部を強打する。
「痛い!」
「なにしているんだか――おいまじか」
ぶつけた机が悲鳴をたてて真っ二つに割れた。
「石頭すぎだろう!?」
「生きてる!!」
2人の言葉が重なって、パーシヴァルはバーソロミューに飛び付いた。
バーソロミューの口から蛙の潰れたような音がしたので、慌てて首の、ピストルによる傷口を探るが、予想した穴は空いていなかった。
「傷がない」
「ハッタリだからね。これ、ただのペンキ。私が自殺紛いのことをすれば、君ならきっと境界線を飛び越えてきてくれると思ったんだ。血の匂いもしないだろう?」
押し倒されたバーソロミューは、ピストルを目の前でひらひら降る。常に彼が持ち歩いているピストルではない。これは玩具だ。
「きみさ、どこまで覚えている?」
「今、全て思い出しました」
人理継続保障機関ノウム・カルデアにて。人類史存続のため、マスターの藤丸立香に召喚されたサーヴァントであるパーシヴァル・ド・ゲールが現在の自分だ。
とある微小特異点をマスターと共に修復し、聖杯を手に入れたまでは良かった。カルデアに帰還した後に、マシュが盾から聖杯を取り出した瞬間、器に青白い手が乗っているのをバーソロミューは見た。反射的にマシュから聖杯を叩き落とした彼は、その手を撃ち抜く。しかしその手の主、特異点を作り出した元凶たるゴーストは既に何かを願ってしまった。
誰も止める間もなく、管制室は聖なる光に包まれ、パーシヴァルは咄嗟にマスターとマシュを突き飛ばし――
気がついたら、懐かしきキャメロット城に一人、立っていたのだ。
「ここは、取り込まれた人間の願望を映す鏡のような世界でした」
「だろうね。あのゴーストが特異点で作った世界と同じものだろう」
カルデアが特異点解決のために訪れた、ゴーストの作り上げたその世界は、まさに平和そのものだった。
ゴーストには家族がいた。生前、時の権力者に惨たらしく殺された妻が、娘が。悲しみにくれた彼は、その後の人生、何も成し遂げることもなく風邪を拗らせて亡くなった。ただそれだけの、ちっぽけな人生だった。彼がゴーストに成り下がったのは必然だったのかもしれない。弱々しい、そのうち消えてしまうような願いの塊だったそれが偶然、聖杯を手に入れた。――まるで神の慈悲のように。
「復讐も繁栄も望まず、ただただ家族との穏やかな生活を願ったゴーストの世界をぶっ壊したんだ。そりゃあ怒るだろう」
「どうかな。復讐にしては、私の過ごした世界はとても暖かかった。彼は善き人だったんだろうね」
「閉じ込められて水攻めされた君が言うか?」
「それも本当に溺死させる気だったかわからないよ。ただの嫌がらせかもしれないし、あるいは早くお題をクリアさせるための手段だったのかも」
この世界に取り込まれた直後は記憶がハッキリしていた。
目と鼻の先に懐かしきキャメロットがパーシヴァルを迎え、その城の荘厳な扉には『貴方の愛する人を見つけて、共に手を取り合わないと出られない世界』と書かれたプレートが掛かっていた。
広がる世界は正しくパーシヴァルの理想郷であった。国は栄え、飢えも犯罪も悲劇もなく、仲間同士で殺し合うこともない。泣きたくなるほど優しい世界。
パーシヴァルは世界に飲み込まれかけていた。
思い返せば、ゴーストが最初に取り込もうとしたのはマスターだったように見えた。元の日常を取り戻すために戦い続けるマスターにも、願望である平和な日常を一時でも味わってほしかったのかもしれないなと、パーシヴァルはふと思った。
「バーソロミューは、どんな世界にいたのですか?」
「私には生前の願いも後悔もない。だからだろう、世界はこの船の一室のみで何処へも行けず、『貴方の愛する人を見つけて、共に手を取り合わないと出られない世界』なんてお題だけを出された。愛する人と手を取り合う――あのゴーストの願いがお題になったのだろうね」
「……生前の願いや後悔はない?本当に?」
「ないね。長く生きるつもりは元からなかった。好きに生きて好きに死ぬ。蹂躙し、略奪し、人の幸いを踏みつけてきたひとでなし。故に人生に後悔はなく、後悔など抱くべきではない。それが海賊たる私の唯一の誇りだよ」
さぁ、つまらない話はここまでにして、そろそろマスターの元に帰ろう。
そう微笑むバーソロミューは、美しいものに思えた。
出口のドアノブを握った彼の手に、自分の掌を重ねる。
「手を取り合う。お題だったからね」
「もうクリアしているだろう、まったく」
扉を開ける。
境界線を2人で跨ぎ、扉の先――現実の世界へ、共に足を踏み出した。