たすけて「水心子はね、すごいやつなんだよ」
そう言って嬉しそうに笑う彼が、どうにも好きになれなかった。
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私は昔から両親にあまり褒められたことがなかった。おそらく私のことを嫌っていたのだろう。妹のことは手放しで褒めるくせに、私が何か成功したら他の人がすごかったんだねと『周りのお陰』だと言って私を褒めてくれることはなかった。
だけれどもそれを悲観したことはなかった。両親と性格や価値観が合わないことはわかっているし、そのせいでよく衝突することがある。気に食わない相手を褒めたくないと思うのは、私も同じだから特段何か思うことはなかった。ただ、たまになんだこいつと思うことはあったけれど、まあ人間虫の居所が悪い日はそれなりにあるから仕方がないだろう。
そんな私はそれなりに鬱屈した気持ちを押さえつけながら成長して、成人してから審神者になった。私をスカウトしにきた時の政府の役人は素晴らしい才があると褒め称えてくれた。だけれどもそれを隣で聞いていた両親は、役人が帰った後に「きっと誰にでもそう言ってるのよ」「やる気を焚きつけるためにね」と言って笑っていた。妹も「あんたにそんな才能があるわけないじゃん」とケラケラと耳に触る高い声で笑って言った。鬱陶しいなぁと思いながら、その声を聞き流していた。
そうして次の日に迎えがきたのでそのまま審神者に就任した。政府の施設に行く道中、役人と審神者についての話をした。どうやらこの時代のスカウトはもう二年ほど前からしているらしい。素晴らしい才がどうたらとか言っていたけれど、そんな人間を二年も泳がせるだろうか。目の前の男は昨日きた役人と同じだった。柔和な笑みによく舌の回る口。あの言葉は社交辞令だったのだと察してしまって、急激に心の中の何かが冷めていくのがわかった。簡単なお世辞に乗せられてしまったじ分がどうにも恥ずかしくて、早く殉職したいなぁと、そう思った。
政府の施設に到着して、そのままエレベーターに乗り込んで地下の部屋に通された。そこが何階の部屋なのかは、役人がカードリーダーをかざすとそのまま動き出してしまったのでわからなかった。だけれども体に感じる重力が地下深くに下がっていることを教えてくれた。
この部屋では私が審神者をするうえでの始まりの一振りを選ぶらしい。机の上には五種類の刀が鞘に収められた状態で並べられていた。なんとなく見た目の神々しさで金色の刀を選ぶと、指先が触れた瞬間に薄紫色の長い髪が美しい、金色の鎧に身を包んだ美丈夫が現れた。その後口上を言ってくれていたようだけれど、私はただその美しさに圧倒されていて、名前以外何も聞き取れていなかった。
彼は蜂須賀虎徹というらしい。おそらく気位の高い神様なのであろう。審神者は刀の付喪神を従える総大将のような存在なのだと言われたけれど、彼が私を主として認めてはくれないような気がして、選ぶのを失敗してしまっただろうかと少しばかり後悔した。
それからすぐに、審神者としての仕事に慣れてもらうために蜂須賀虎徹に単騎で出陣させるよう隈取りをした喋る狐に指示をされた。右も左も分からない状態であるから、その狐の言う通りに従った。
どうやら審神者自身は戦場に行くことはなく、本丸で指示を出すだけだそうだ。そんなんでいいのかと言えば、実際の戦争もそんなものですよと言われてしまって、何も言い返すことができなかった。
金色の神様が戦場に降り立って、禍々しい雰囲気の敵と対峙する。ハラハラと落ち着かない心持ちで彼らの様子をモニターで見守っていると、やはり人の身を受けて時間が経っておらず慣れていないからか、敵から会心の一撃を喰らってしまった。
蜂須賀の腹から漏れ出る赤い血液。それを見て改めて私はこれから戦争に身を投じるのだと理解した。
結果、蜂須賀が勝利した。刀を振るっている時は興奮しているのか不敵な笑みを浮かべていたけれど、鞘に収めた途端高揚していた頬を真っ青に染めて、傷口を手で押さえてよたよたとおぼつかない足取りでゲートに向かっていた。
それから私は狐に言われるがままに蜂須賀の手入れを行った。彼らは人間と違って、手入れを行えばすぐに傷が癒えるらしい。だけれども自然治癒能力はないから、手入れを行わなければ永遠に傷は塞がらないままなのだとも言われた。そして、刀が折れてしまえば彼らの存在も消えてしまうのだと、そう告げられた。
その意味を理解した時、手が震えて止まらなくなった。私の采配一つで彼らの生死を分けてしまう可能性がある。きっと罪に問われることはないのだろう。こんのすけは軽い調子で気をつけてくださいねと、そう言っていた。おそらく政府の考えとしては、刀が折れるのも茶碗が割れるのも、同じレベルの事象なのだと考えているのかもしれない。だけれども人の身を模る物を消滅させるのは、私から見たら殺人行為と同等だ。もしかしたら今回の単騎出陣で折れていたのかもしれないと考えると、何も考えずにただ指示に従っていた私が愚かに思えて、自分への嫌悪が止まらなかった。
手伝い札という術のこもった札を使用したおかげで、蜂須賀はすぐに全快した。もう大丈夫だよという彼に対して、私はただ唇を震わすことでしか応えることができなかった。
蜂須賀は数秒私の目を見つめて、それから膝の上で握りしめた私の拳にその掌を重ねた。私の手が冷たくなっていたのだろう、重ねられた手のひらは温かくて、皮膚から血管まで、じんわりと温度が染みわたっていくような気がした。
「俺は大丈夫だよ」
「あ…」
「俺は虎徹の真作なんだ。あなたの最期の日まで、折れるはずがない」
そう言って笑った顔はなんとも美しくて、まるで海の底で踊る乙姫か、天の羽衣を纏うかぐや姫のように見えた。
「俺を選んでくれてありがとう、主」
ああ、彼は私を主として認めてくれたのだ。新しい持ち主として、私を選んでくれたのだ。私の目からは涙が溢れて、口元には笑みが浮かんだ。目の前の蜂須賀は私のその様子に驚いて、それから困ったように眉を下げていた。そんな蜂須賀に「ありがとう」と言えば、彼はキョトンとして、それからやさしく微笑んだ。
その後は本丸に移動して鍛刀をすることになった。先程私に指示を出した狐はこんのすけという名前らしく、この本丸に所属することになるらしい。わからないことがあったらなんでも聞いてくださいねと可愛らしいドヤ顔で言ってくれたけれど、先程の単騎出陣のことを思い出すとどうにも頼ろうとは思えなかった。
だけれども初めての鍛刀はやはりわからないことばかりなので、指示を受けるがままに資材を用意して小さい妖精たちに手渡した。三十分ほどでできるそうだけれど、これも手伝い札を使って時間を短縮させた。なんとも便利なことである。
現れたのは真っ白な髪に小さな虎を五匹連れた随分と小さな男の子であった。おどおどと視線を彷徨わせて口上を述べる姿は、おおよそ戦場に身を置くことは難しそうだと感じられた。
「五虎退か。俺と主をよろしく頼むよ」
「は…はい!」
隣で蜂須賀と五虎退が握手をしている。私から見てもとても小さく思えるのに、蜂須賀と並ぶと頭何個ぶん離れているのだろうと数えたくなるほどにかけ離れていた。
「あるじさま…!その…、これからよろしくおねがいします…!」
「…………うん、よろしくね」
そう言って返せば、白百合のように可憐な顔を嬉しそうに綻ばせた。彼が何か失敗をしたとしても、この仕草をするだけできっと誰もが許してしまうのだろうと、そう思って、どうにも羨ましくて妬ましく思えた。
けれども幸いその感情は表に出てはいなかったようで、その後も彼らはキャラキャラと楽しそうに今後のことを話し合っていた。私は聞いているふりをしながら、適当に相槌を打っていた。
嗚呼、彼らに捨てられたくないな。
◆
彼らが他人に誇れる主にならなくては。その思いばかりが胸を占めていた。
審神者になってから半年ほどの月日が経過していた。本丸にいる刀たちは徐々に増えていって、修行に行かせた刀はまだいないものの刀帳は徐々に埋まっていっていた。
そんな彼らの元の持ち主たち、つまり前の主たちは歴史に名を残す錚々たる面々ばかりだ。例えば初鍛刀の五虎退の元の持ち主の中には軍神と呼ばれた上杉謙信がいるし、最近この本丸にやってきた宗三左文字はかつて駿河と遠江を長らく納めていた今川義元の刀で、彼が桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られてからは天下人の象徴としてその時代の天下人の手を渡り歩いたのだという。
みんな私を主と呼んでくれるし、分かりやすく好意を示してくれる刀が多い。大倶利伽羅なんかは無口だし馴れ合わないと言っているけれど、困っている時はそっと手を差し出してくれる。私にはそんな彼らの好意と優しさが、どうしても苦しくて仕方がなかった。
無償の愛も優しさも存在しない。あるのは私がやったことに対する評価だけ。だけれども彼らは私が何か成し遂げようと成し遂げずとも、愛を一定に降り注いでくれるし常に優しくいてくれる。
もしかしたらその環境を心地よいと思う人も