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    2/29で止まってる 息を吐けば、水蒸気で目の前が白く濁る。むき出しの頬を纏う空気は氷のように冷たくて、薄いピンク色のチークを塗った頬が、ヒリヒリとリンゴのように真っ赤に染め上がる。むき出しの指先はひどく冷え切っていて、悴んでうまく動かすことができなかった。手袋をつけなさいとよく言われるけれど、手を覆われている感覚がどうにも苦手だったのだ。
     駅から歩き続けて十分ほど。ダウンコートは着ているものの、寒がりの私はあまりの寒さに耐えきれなくなっていた私は、ようやっと見えてきたアルバイト先の看板にホッと胸を撫で下ろした。寒い寒いと小声で呟きながら店の扉を開ければ、狭い箱の中で詰まっていた暖気が一気に私の元に吹き込んで包み込んでいく。ああ、極楽だ。ひとつ深呼吸をすれば、体の中から温まっていく。
     中に入って扉を閉じれば、カウンターでパソコンと向き合っていた店長が顔を上げて、その脇で店長と何やら話し込んでいた、私と同い年の物部さんも遅れてこちらに目を向けた。
    「おはようございます。店長、物部さん」
    「ん〜!おはようございます!杉山さん!杉山さん来たってことはもう終わりかー!」
     物部さんが伸びをしながらそう言って、ひとつあくびを漏らした。その目元にはうっすらとクマが浮かんでいた。彼も確か冷え性だと言っていた。だけれども実家から出て一人暮らしをしている苦学生だから、家では暖房を我慢しているとのことで、家にいる時はブランケットにくるまって過ごしていて、寝る時は毛布を4枚ほど重ねて床についているのだと言っていた。部屋の寒さと毛布の重さでなかなかうまく寝付けていないのだろう。生理的な涙で滲んだ目尻を見ながら、なんとなく同情の念が湧き上がってくる。
     対して店長は社員で給料もちゃんともらっているから家でも快適に過ごしているようで、今日もいつも通りファンデーションののりもよく、白い肌に赤いルージュが冴えていた。その鮮烈な赤が、うっすらと笑みを讃える。
    「おはよう、杉山ちゃん。相変わらず寒そうだね」
    「めちゃくちゃ寒いです…。店あったか…溶けるかも…」
    「えっ…。そんなに寒い…?俺ちゃんと家まで帰れるかな…。行き倒れちゃうかも…」
     私の言葉を聞いた物部さんが、己を抱きしめるようにしながらそう言う。交通費全額支給のアルバイト先は数あるけれど、その通勤時間すら勿体無いからと徒歩数分のところにあるこの店でアルバイトをしている人間がよく言うものだ。
     そう思ったのは店長も同じだったようで、アイシャドウで彩られた目を細めて、じっとりとした顔で物部さんを見上げた。
    「物部くん徒歩5分でしょ。私のカイロあげるから我慢しな。あと杉山ちゃんは溶ける前にコート脱いで荷物置いといで」
    「はぁい」
     マフラーを外してコートを脱いで、店の中を突っ切って奥のバックヤードに入っていくと、その後ろから「あったけー!」と物部さんの叫び声が聞こえてくる。羨ましい。私も欲しい。私はいつもポケットの中にカイロを忍ばせているから、おそらく今日も持っているものだと思われているのだろう。残念ながら忘れてしまっているのだけれど。非常に残念なことである。
     ロッカールームにつくと、まずはハンガーを取ってラックにコートをかけていく。かけた時にに物部さんのコートが視界に入っていたけれど、相変わらず使い古されたショートのダウンジャケットを使っているようで、なんとも言えない気持ちになる。まあ、大学の放課後と土日祝で入ったとしても、最低賃金では食費や光熱費に消えてしまうだろう。確か大食らいであったし。大変だなぁと思いながら、彼のダウンジャケットについていた埃を軽く払った。
     ロッカーの扉を開けてトートバッグを押し込もうとしたその時、ふと網棚に手紙が置かれているのを見つけた。手に取ってみると紙以外の何か薄いものが入っているようで少々重みがある。開いてみれば『カイロありがとう。とっても助かりました。』と書かれたメッセージカードと、貼らないカイロが一緒に詰められていた。そう言えば前に先輩が生理痛で顔を真っ青にしていた時にこれで温めてくださいってあげたような気がする。律儀な人だなぁと思いながら、メッセージカードを封筒に戻して、トートバッグの中にしまう。それからロッカーの中にトートバッグを詰め込んで、カイロの封を開けた。今使わずしていつ使うのか。私はこれで凍りついた指先を溶かすのだ。
     早く熱くなれ早く熱くなれと念じながらカイロを揉み込む。ザリザリとした音が心地良い。心なしかじんわりと熱を持ち始めてきた気がする。まあ、そんなにすぐ熱くなることはないから、ただの気のせいだろうけれど。
     そのまま表に戻ってカウンターの中に入っていけば、店長と物部さんの背中越しにパソコンの画面が見えた。
    「あ」
    「あちゃー」
    「もう!マインスイーパー意味がわからないんだけど!」
     ちょうどマインスイーパーで爆発しているところだった。マスの数を見る限り中級だろうか。最後の最後で爆弾を踏んでしまったらしく、店長は椅子から仰け反って頭を抱えていた。
     私がなぜバスに乗って電車に乗って、わざわざ最低賃金しかでないこのアルバイト先で働いているのかと言われれば、ひとえにこの緩さであった。店長はやるべきことをしていれば別にそれ以外は携帯をいじっていても、ネットサーフィンをしていても特に怒られることはないし、なんなら隣で覗いてくる時もある。
     そんな店長のマイブームは物部さんに教わったマインスイーパーのようで、出勤するたび毎回爆弾処理に勤しんでいるところを見かけていた。まあ、大体が今日と同じように処理に失敗しているのだけれど。
     振り返った店長が私の手元を見て首を傾げた。
    「あれ?手どうしたの?そんなに外キンキンだった?」
    「いや、いつもカイロ持ってきてるんですけど忘れちゃって…。あっためられなくて悴んじゃったんでいま必死に動くように念じてるところです」
    「うわ…。それで駅から歩いてきたって……もしかして勇者…?」
    「物部さんの勇者判定ガバすぎません?この世に生きとし生けるもの全員勇者になりそう」
     そんな軽口を叩きながら、タイムレコーダーにタイムカードを通す。昨今、カードタッチやパソコンのシステムで出退勤を管理している所も多いのだけれど、ここは昔ながらのアナログな方法で管理をしていた。
    「あ、物部くん。あと5分残れる?5分経てばプラスで給料出るから」
    「えっ、いいんですか?もちろん残れます。やった〜!」
    「いいよいいよ。どうせ給料出すの私じゃないし。残りの時間でマインスイーパー教えて」
     そう言って二人がマインスイーパーを始めたので、その隣で私は申し送りのノートに目を通す。ペラリ、ペラリとページをめくるけれど、特筆したようなことは何も書いてなかったので、そのままノートを元の位置に戻して、二人がマインスイーパーをやっているのを覗きにいく。
    「今日誰かきました?」
    「誰も。この寒さでわざわざ出てくるような人もいないみたい。まあ後回しにしてもいいような用事しかないからね、この店」
    「まー、質屋ですしね。ここに売りにくる人って大体ブランド品とかですし、雪が降りそうな天気の日にわざわざこないか」
     視線をパソコンの画面から外して、店内をぐるりと見渡した。ガラスのケースの中にはブランドバッグやら、よく名前を聞くメーカーの時計やらが陳列されていた。
    「まあクリスマス後はすごかったけどね。雪を肩に乗せた人たちがネックレスとか指輪持ってやってきたりとかしてたし」
    「わあ、クリスマスの闇〜」
     ケラケラと笑いながら話していると、また爆発処理に失敗したらしい店長が「どういうこと!?」と叫んで、それを聞いて私たちはさらに笑ってしまった。
    「そういえば物部さんも店長も年末年始フルで出てたんですよね?そこは忙しかったんですか?」
    「んー、まあまあ…でしたよね?店長」
    「そうだねー。年末はやっぱクリスマスプレゼントで貰ったもの売りに来る人がよくきてて、あと年始はお年玉ギリギリもらえた大学生の子達がブランドの財布とかパスケースとか買いにきたくらいかなぁ」
    「ほぉ…そうだったんですねぇ…」
     実は私も、物部さんと同じように県外の大学に進学をしていてこちらで一人暮らしをしているので、クリスマス後から大学が始まるまで実家に帰省していたのだ。こちらに戻ってきてからも一度だけシフトに入ったけれど、この二人と勤務時間が被ることはなかった。その時に一緒にいた先輩も年末年始の期間中仕事をしていたはずだけれども別の話ばかりで盛り上がってしまったのでどんな状態だったのか気になっていたのだ。
     やはりその辺りの時期で忙しくなるのはお正月の準備に殺到されるスーパーくらいで、質屋はそうでもないのかもしれない。そう思っていたら店長が「そうだ!」と何かを思い出したように手を叩いた。
    「そうそう、聞いてよ。それこそ物部くんとか杉山ちゃんくらいの歳の女の子がさぁ、ロゴ入りの本物のバッグとか持ってくるの。ちゃんと新品で元値何十万もするやつ。私ですら手が出せないようなの持ってこられてさぁ、なーにやってんだろって思ったよね」
     そう言い切ると、店長はやれやれと深いため息を漏らしながら、半身をこちらに向けつつ机に頬杖をついた。いつもは化粧が崩れるからと絶対に顔を触ろうとはしないのに。珍しいこともあるものだと、そんな検討はずれの感想を一瞬抱いた。
     それから思い出したのは、大学でよく一緒に行動している友人のこと。優しい茶色の髪を緩くウェーブに巻いて、いつもナチュラルメイクに見える作り込んだ化粧で笑みを称えている、見た目の清楚さに反して中身はどんな男性よりも男前で、酒豪で毎日酒を浴びるように飲んでいる友人。確か彼女もキャバクラで働いていると言っていたし、クリスマスプレゼントいただきましたという内容のストーリーを上げていた気がする。まあ本心としては気に入らなかったらしく、メッセージであんたのバイト先に売りにいくからと宣言されたのだけれど。どうやら駅前にある質屋よりも、駅から離れたこの店の方が客に露見する可能性が低いらしい。そんなものなのかと、その時はぼんやり読み流していた。
     もしかしたら同じように客に気づかれたくないキャバクラのキャストの人が売りにきたのかもしれないなぁなんて、そんなことを思っていたらそのまま口から漏れてしまった。
    「水商売の方とかですかね」
    「ああ、客にもらったとか?」
     物部さんが名探偵の如く指を鳴らしてキメ顔で言うけれど、それ以外に誰からもらうと言うのだ。
     そう思っていると、店長が何か釈然としない様子で「うーん…」と唸る。
    「なーんかそんな雰囲気じゃなかったんだよねぇ…」
    「じゃあ俗に言うパパ活ですか?」
    「えっ、パパ活でそんな何十万もするバッグ渡す男なんているんすか?」
     そんな物部さんの言葉に、思わず目を見開いて両手で口元を覆う。店長の方に視線を向ければ店長も同じようなポーズをして、同じように視線をこちらに向けていた。こんなに世間知らずな大学三年生がいていいのだろうか。対して物部さんはキョトンとした表情で首を傾げていた。
    「ええ…物部くんテレビとか…、あっそっか…テレビないんだったね…」
    「いやでもSNSとかで流れてきません?PJとかって単語で。えっそれすらも流れない清らかなタイムラインってことですか…?やだ…無理…」
    「俺家にいる時あんまSNS見ないんですよ。大体図書館で借りてきた絵本読んでるんで」
     いつも通り楽しげな笑顔でそう言われてしまった私の顔は引き攣ってはいなかっただろうか。思わず「それはそれできっしょ…」と言ってしまったのは悪くないと思っている。店長に脇腹をどつかれたけれど。
    「ウッ…。店長割といい具合に入りましたよ」
    「えっそんなに?軽めに小突いたつもりだったんだけど…」
    「これが小突いたに入るなら己の強大な力をコントロールする能力を手に入れた方がいいです…」
     店長曰く小突いた脇腹を摩りながら物部さんに視線を向けると、彼はまだ楽しそうに笑顔を浮かべていた。寒さ以外にはあまり動じることがない男なのだ。だから理不尽に怒鳴る客やヒステリックに叫び散らかす客に対してもいつも通りに接客していた。それだけであればとても頼りになる存在なのだが、拳を振り上げられても平然としているからそこが困りものなのだ。周りがヒヤヒヤするから殴られそうになったら避けてくれと何度頼んでも「殴られたら金入るんで…。むしろ威嚇じゃなくて本当に殴ってくれたらいいんですけどね」と言うから実は宇宙人なんじゃあないかと思っていたけれど、もしかしたら本当に宇宙人なのかもしれない。
     ああ、でも大学の学部によっては絵本を読むのが自然な場合もあるなぁと思い浮かんだ。教育学部だとか、こども学部だとか、文学部だとかそう言うところであれば納得はできる。まあ華の大学三年生がスマートフォンを見ることなくずっと絵本を読んでいるのは、普通に気持ちが悪いけれど。
    「そういえば、物部さん何学部でしたっけ?」
    「工学部です」
     全然違った。工学部だった。じゃあ完全なる趣味か。いや、絵本が好きな人も確かに存在するし、寝食を忘れて趣味に没頭する人間も私の周りにいるから別におかしいことではないだろう。おかしいことではないのはわかっているけれども、どうにも釈然としない気持ちが湧いてくる。
     ちらりと店長の方に目を向けたら、同じように渋い顔をしていた。もしかしたら店長も彼の学部を知らなかったのかもしれない。いや、履歴書には書いてあるはずだから、忘れてしまったのかもしれない。
     どんな表情を作るべきかわからなくなってしまって、とりあえず接客時に浮かべている笑顔を作って貼り付ける。
    「工学部…だったんですね!いや、うん。そう、やぁ、家にいるときに、読んでるの…、絵本…なんですね…」
    「はい!たまに太宰治とかも読みますけど」
    「振り幅えぐ…」
     メトロノームかよ…と思わず呟けば「吹奏楽部だったんですか?」と笑い飛ばされてしまう。違うわ。美術部という名の帰宅部だわ。
    「待ってください今何の話してましたっけ…」
    「パパ活女子の話だよ、杉山ちゃん。物部くんにペース持ってかれないで」
     先ほど意図せず拳が入ってしまったことを気にしてか、人差し指で脇腹を突いてくるけれど、オパールの形に整えられてさらにジェルを塗られて硬化された爪が柔らかい肉にぶっ刺さって痛かった。
    「ああ…そっかそっか、そうだそうだ。パパ活女子、一回会うだけで普通にウン万貰ってますよ」
    「俺もパパ活女子になりたい…」
     遠い目をした物部さんがなんか言い始めた。とりあえず。
    「性別が違うから無理だよ…」
    「諦めな…」
    「ぴえん」
    「古……」
     まあ、毎日の食事も贅沢ができない彼からしてみれば、一回会うだけで何万も貰えるパパ活女子はなかなかに魅力的に見えたのだろう。まあ、そんなに生やさしい世界でないことは、想像に難くないけれど。
     顔も知らない彼女たちに想いを馳せていると、店長が「そういえばさぁ」と切り出した。
    「パパ活女子って、ご飯行ってちょっとお小遣いもらうイメージだったんだけど、今ってプレゼントも渡してたりするの?」
     そう言われて、確かにその言葉が出てきた時は体の関係がなくて、食事に一緒に行ったりおしゃべりをするだけでお金がもらえるような、言葉を選ばずに言えばデリバリー形式の水商売のような、そんな印象のエピソードが多かった気がする。だけれども、まあ。
    「多分その言葉ができた時から現金以外にもプレゼントもらう人もいたんじゃないんですかね。まあ、今みたいに高級ブランドじゃなくて、それこそ二万とか三万とか、学生の彼氏が彼女にクリスマスプレゼントあげるような金額のプレゼントのイメージが強かったですけど…」
    「えっ今そんなたっかいブランドのやつ貰ってたりすんの?」
    「まあ、パパの年収と女の子の手腕によっては貰えると思いますよ。現にほら、それっぽい人が売りにきたって言ってたじゃないですか」
    「ああ〜〜」
    「うわ、確かに」
     バッグを売りにきた女性のことを思い出したのか、店長と物部さんが納得したように頷いた。
    「まあ、昔のパパ活の相場はわかりませんけど、今だともう会うたび何万ともらってるんじゃないんですかねぇ。で、パパも多いからどんどんお金が溜まっていって、下手すれば月三桁いってる人もいるんじゃないんですか?パパ活女子って言って万札で扇子作ってる動画載せてる人たまにいますし…」
     そう言いながら不意に以前タイムラインに流れてきた動画を思い出す。キラキラしたピンク色の可愛いエフェクトの奥で、可愛らしくない厚さの札束が床の上に乱雑に置かれていた。もしかして千円札で見栄を張っているのだろうかと目を凝らしてみたけれど、やはり万札で間違いなかった。
     私の話を聞いた店長が、深くて長いため息をつく。
    「私ですら二桁なのに!」
    「俺一桁ですけど」
     まあ、私も一桁だけれど。とはいえアルバイトなんてそんなものだろうし、社会人だって月に三桁いく人の方が珍しいだろう。
     店長も役職についているからそれなりにもらっているであろうと思われるのだけれど。どうなんだろうか。どれくらい貰っているのかだとか、そういうのは何となくタブーな気がして聞いたことがなかったし、多分聞いても答えてくれないだろうからそのまま流しておく。
    「まあ、ぱっと見はキラキラな世界に見えるんでしょうし、それに憧れる若い子もいるんでしょうけど…そういうのってどんどん男側の性欲に引っ張られるのが世の常ですからね。最近はご飯だけじゃなくて性的な関係を持つ人もいるらしいですよ」
    「それ普通に援交じゃないすか」
     物部さんが目を見開いて、信じられないようなものを見る目で私を見てくる。パパ活は知らないのに援助交際は知っていたのかと思いつつ、まあ少し前までよく聞いた言葉だったから、きっと実家にいるときにニュースなんかで見たのだろうと納得した。
    「そうですよ。やっぱり若くて可愛い女の子とヤリたいんですよ。パパは」
    「はわわ」
    「はわわって何。はわわって」
     今度は物部さんの脇腹が突かれているけれど、案外と鍛えているのか、照明に反射する爪が深く沈むことはなく、浅いところで反発させていた。当人も特に痛がっている様子もなくて、別に気にしてはいないけれど、決して気にしてはいないけれど腹筋を始めようと決意した。
    「とんでもない人たちですね、パパ」
    「いやまあ、そういう人ばっかじゃないと思いますけどね」
     へらりと笑ってそう言うけれど、物部さんの表情は未だ険しいままだった。
     きっと言葉がで始めた頃のようにご飯やおしゃべりを共にして、その対価にお金を払っている人もいるに入ると思うのだけれど。まあ、結局どちらもいると言うことだ。
     別に認識を訊さなくても問題ない内容ではあると思うけれど、この世間知らずの男子大学生に間違った認識を植え付けるのは少々罪悪感が湧いてくる。店長も特に口を出してくる様子もないので、仕方なしに再度口を開いた。
    「割と最近のパパ活女子ってホスト通いの子たちが多い印象あるんで、やっぱりお金が欲しいからパパに「ヤラせてくれたらお金いっぱいあげる」って言われたら受け入れちゃうんじゃないんですかね、多分」
    「あー、ホスト。最近よく聞く」
     ホストは聞くんかい。どこで聞いているんだよという感想はどうにか飲み込んで、話を続けた。
    「そうそう。売掛とか、同担との争いとか、そう言うのでお金が必要になってくと思うんですよ。だからお金がほしくて、ずるい大人の口車に乗せられて、そういうのが増えていって、いつの間にか援助交際とパパ活の境界線が曖昧になって、言葉に含まれている内容が変わってって…って感じになっていったんだと思いますよ」
    「ほうほう…」
    「まあ、そうとはいえそう言う人間ばっかりでもないと思いますし、うーん…。まあ、十人十色ですよ。乱暴に言っちゃえば。お金に困る女の子を食い物にしようとする悪い大人もいれば、若い女の子の時間をちゃんと買おうとする……、うーん、悪いのか悪くないのかよくわかんない大人もいるってことです」
     そもそも未成年を金で買収するのはいいのだろうか。中には高校生や、下手をすれば中学生もいるだろうし、それは児童ポルノに引っかからないだろうかと少々疑問に思えた。
     対して私の話を真剣な顔をして聞いていた物部さんは、なんだか腑に落ちたような、感心したような顔で私を見返していた。
    「なんか大体わかった気はするんですけど」
    「けど」
    「それより杉山さん詳しくないですか?」
    「確かに」
     店長が頷きながら同意する。もしかして店長もそこまで知らなかったのだろうか。
    「いや、ネットやってたら嫌でも目に入ってきますし…」
    「えっ…、そう…?」
    「俺ネットはウィキペディアのおまかせ表示しかやらないんでわかんないです」
    「ピンポイントでそこ…?」
     物部さんは自身が言っていることが変わっている自覚がないのか、それともすでに言われ慣れているのかけろりとした様子で頷いた。一年以上一緒にこの店で仕事をしていたけれど、寒さに弱くてちょっとお金のない、そこらへんにいる大学生と同じような人間だと思っていたから、なんだか今日だけで彼の秘密をいくつも暴いてしまっているような、そんな気持ちになってくる。まあ、彼は秘密にしているつもりはないのだろうけれど。
    「いやでも、当事者じゃないので間違ってる可能性もありますけどね。…まあ、キラキラした面だけ見て憧れていると実際はドブ沼だったってこともあるわけですし…。そのドブ沼の存在もちゃんと知っておくべきですよね」
    「憧れてるからキラキラして見えるってのもあるかもしれないね。どれに関してもそう言うのあるじゃん?」
    「店長またマチアプで知り合った人ハズレでした?」
    「今回はそんなに高望みせずに年収も同じくらい、外見もそこまでイケメンではないけどそれなりに清潔感のあるサラリーマンとデートしたらいきなり老後の介護の話された」
    「とんでもねえ話だ」
    「店長まだ若いのに…。二十七ですよね?まだ」
    「二十七もマッチングアプリだと行き遅れ判定になるのよ…。十代の子もやってんだから」
    「じゃあそろそろ婚活アプリいれたらどうです?」
    「それこそ介護の話されそうで嫌…。パパ活してるおじさんもいそうだし」
    「ど偏見がすぎる」
    「物部くんも若い女の子に貢ぐような男になっちゃダメだからね。あと出会って初っ端で「結婚したら仕事辞めて家に居てもらって、俺の両親の面倒見て欲しいんだけど…。あ、あと孫が欲しいって言ってたから、うーん、三人くらいはほしいなぁ。あ、一人目は絶対男の子ね」って言ってくるやつには絶対なっちゃ駄目よ」
    「思ってた以上にとんでもない男引きましたね」
    「初詣のおみくじの恋愛の欄、思い通り大吉って書いてあったのに…」
    「所詮おみくじですから…」
    「元気出してください…」
    「そういえば全然話変わるし今更なんだけどさぁ」
    「何ですか?」
    「杉山ちゃんネイル変えた?」
    「本当にめちゃくちゃ今更ですし思いっきりドリフトしましたね」
    「ギュルルルルルル」
    「物部さん停車して大丈夫ですよ」
    「そのままガードレール突っ込んじゃいました」
    「廃車になっちゃった」
    「話題ドリフトしたのは謝るから勝手に事故るのやめてくんない?」
    「すみません…。あ、ネイル変えましたよ。かわいくないですか?」
    「え〜かわいいじゃん。今回は紫なんだね」
    「俺は生爪です」
    「それは素爪って言うんですよ。ウワッ…また思いっきり深爪にしましたね」
    「うわ本当だ。生活しづらそう」
    「なんか白いところあると気持ち悪くて…」
    「まじで限度見極めないといずれ爪根本から無くなりますよ?流石に一ミリくらいは残しといた方がいいですって」
    「ええ〜……。伸ばすの気持ち悪いんですもん…。二人ともよくそんな長いので平気ですよね」
    「ネイルしてる時だけは伸ばしてるけど…してない時はそんなに伸ばしてないかな。それでも物部君よりはマシだよ」
    「私は素爪の時もそこまで気にしてなかったんでなんとも…。あっ、そうそう。私の爪!正月なんで松の花の色にしてみましたんですよ。サロンで画像見せたら「キモ…」ってドン引きされました」
    「え、松って花咲くの?画像見たーい」
     そう言われたので、ポケットからスマートフォンを取り出して画像を開くと、店長と物部さんが眉を顰めた。
    「これは確かにキモいわ…」
    「じっと見てたら頭おかしくなりそう」
    「失礼すぎる…」

     そうこう話しているうちに五分経っていたようで、物部さんは嬉しそうに「お疲れ様でーす」と言いながらタイムカードを押していた。
    「お疲れ様。凍えないように帰ってね」
    「お疲れ様でーす。頑張って勇者になってきてください」
     先程彼が言っていたネタを返せば、彼は嬉しそうに笑って親指を立てた。
    「俺…無事家に帰れたら結婚するんだ…」
    「誰とだよ」
    「フラグ立てなくていいんで車に轢かれないようにして帰ってくださいね。最近車の暴走事故よく聞くんで」
     
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