俺の憧れの人、正確に言うのであれば好きな人——は、おそらくモテる。いや、現在進行形でモテている。区長たちのアシストのために、観光する人々の前に姿を出すこともある。曲者揃いだが端正な顔立ちの区長たちに負けず劣らず、いやそれよりもかもしれないけれど、観光客に黄色い声を上げられている。柔らかな物腰、優しい声音、なにより可愛らしいその顔立ち。彼への人気が出ないはずがないのだ。しかし、本人はまったく気付いていない。近くにいる区長への声援だと思っているようだ。

　以前、ＨＡＭＡハウスで大人たちが飲み会をしていて、珍しく主任——楓さんも参加して飲んでいた。少しだけ足元をふらつかせながら、表情を蕩けさせてご機嫌に笑う彼があまりにも愛らしくて、鼻血を噴き出しそうになったことは記憶に新しい。楓さんの介助をしながら、本当に何気なく質問してみた。
『主任って恋人っていたことあるんですか？』
『こ、いびと……。うん、あるよ』
なんてことのないような口ぶりで、楓さんはさらりと言った。楓さんの恋人というものがどういう人なのか、急激に知りたくなって、質問を重ねた。
『主任から告白したんですか？』
『うー？　ああ……、最近の恋人は、そう、かな……。でも振られちゃった』
楓さんから告白して付き合ったけれど、相手に振られて別れた。衝撃的過ぎて、ついていけなくて、しばらく硬直してしまった。
『なんかね、俺、世界各地飛び回ってツアコンしてたから、相手となかなか会えなかったりするんだよね。そうすると、向こうが怒っちゃうの。だから、振られちゃった』
少しだけ寂しそうに笑う楓さんが切なかった。
『その人のどういうところが好きに？』
『……改めてそういうこと聞かれると照れるなあ。そうだねえ、笑った顔が可愛い人だったんだ』
　部屋まで連れて行って、ベッドに寝かせたらそのまま彼は寝てしまった。すやすやと眠る顔は穏やかで、先ほど見せた少しの寂しさなど、嘘のようだった。正直、そのときの俺は怒っていた。こんなに素敵な人を、なかなか会えないというだけで振るなんてどうかしている。贅沢にも程がある。そんなの、会えたときの喜びを考えれば些細なものだろうに。コンスタントに会えなければ、付き合う意味がないと考える人がいるのも知っている。けれど、恋人という関係はその人の隣にいることを許されるということ、独占してもいいと言ってもらえているのだ。その立場を彼に許されていたのに、そんな理由で簡単に投げだしてしまえるなんて。
（俺じゃ、ダメですか……）
その言葉を口にすることは難しい。それは俺が未成年だからだ。仮に楓さんも俺のことを想ってくれていたとしても、恋人という関係にはなれない。恋人という関係になってしまったら、きっと俺はその先を欲しがる。もっともっとと楓さんを欲しくなる。抱き締めるだけじゃ足らない。キスをして、そして——。それ以上は楓さんに迷惑をかけてしまうから。だから俺は思いを告げることすらできないのに。胸の中で蛇がとぐろを巻くように、どす黒い感情が渦巻いている。
　嫉妬だった。楓さんに想ってもらえて、恋人になれて、きっとキスやセックスもしたのだろう。そういうことが出来ること、それを当たり前のように享受出来ること、全部が今の俺にはないものだった。そんな幸せを簡単に捨ててしまえる楓さんの昔の恋人に嫉妬した。
『ううん……』
楓さんの声に暗いところへ落ちていた意識が浮上する。見ると楓さんが寝返りを打って、ベッドから落ちそうになっていた。慌てて彼を受け止めた。
『主任、大丈夫ですか……』
腕の中で楓さんは相変わらず幼い子供のように邪気のない顔で眠っていた。そっとマットレスの上に横たわらせて、布団をかける。
（あなたの隣にいてもいい権利をもらえるのなら、俺はきっとなんでもするんだろうな……）
楓さんの足元に膝まずいて、その足先にキスをしてもいい。何を手放すことになろうとも、きっと彼を選んでしまう。彼の心が得られるのであれば——。柔らかな髪の毛をそっと撫でた。驚くくらいさらさらで、指通りがよくて、きっとこの感触をずっと忘れられない。