こたつ寒さが本格化してきたある日のこと、ネフィのおかげで見違えるほど綺麗になった玉座の間に、異質なものが置かれていた。普段赤いカーペットが敷かれているのだが、それとは別に正方形のカーペット──冬用なのか毛足が長くふかふかとしている──が敷かれ、テーブルというには脚が低く脚と天板の間に布団が被せられているものが置かれていた。そしてその上にはなぜかみかんが積まれている。
「ザガンさま…これは?」
朝食のためにザガンを呼びに来てくれたのか、玉座の間に足を踏み入れるや否やネフィは質問をしてきた。初めて見るものなのか目を丸くしている。
「うむ。これはコ・ターツと言うものだ。冬に使うものらしい」
先日キュアノエイデスの街で市場が開かれており、ザガンがそこで見つけた品だった。店員によるとリュカオーンの技術が用いられているものらしい。
「それで、これはどう使うのですか?」
「ああ…これはな、」
そう言いながらザガンは靴を脱いで床に腰を下ろし、コ・ターツの中に足を入れて実演する。
ネフィに同じことをするよう促すと、ブーツを脱いでスカートの裾を気にしながらも目の前にそっと座った。
「布団があるということは、これは…ベッドなのですか?」
まあ、このままではただ机に布団を挟んだだけである。ベッドと大差ないとも言えよう。
「たしかにこのままじゃ変わらないが…」
そう言いながらザガンは、コ・ターツの中から伸びるスイッチに魔力を流し込む。すると中がだんだんと暖かくなってきた。
ネフィは目を大きく見開き、ツンと尖った耳の先を赤く染め嬉しそうにぴくぴくと動かした。
「ザガンさまあったかいです!」
──んんんっ!俺の嫁が可愛すぎる!!
「…う、うむ、そうだな」
あまりの可愛さにザガンは直視できなかった。
分かりやすく喜んでいる姿を見るとこちらまで嬉しくなるというものだ。数ヶ月前の出会ったころよりも表情を動かすようになっていて──もちろん前のネフィも愛らしかったが──愛らしさが倍増したように感じる。
ザガンがぴくぴくと動く耳を目で追いかけていると、ネフィはずっと見られていることに居た堪れなくなったのか、気を取り直すように口を開いた。
「そ…その、なんでみかんがあるのでしょうか?」
「コ・ターツに入りながらみかんを食べるというのが向こうの習わしらしいからな。それを真似てみようと思ったのだ」
実際のところ、どうしてみかんなのかは知らないがそこそこさまになっていると思う。
「そうなんですね…あ、もしかしたら黒花さんならコ・ターツをご存知かもしれません。あとで聞いてみましょうか?」
「そうだな」
弾んだ声からも、思っていたよりもネフィはコ・ターツを気に入ってくれたことが分かった。
「あ、あの…その…」
ネフィが頬を染めながら何やら言い淀み、机の上とザガンの顔を交互に窺っている。
──はっ!これはコ・ターツの上にあるみかんを食べたいけど食べてもいいのかわからないし食べたいなんて言って食いしん坊だと思われたらどうしようでもみかんを食べてみたい気持ちもあるしなんて言い出そうかなあって感じだ俺の嫁がかわいい!!
「あー……コ・ターツで食べるみかんというものを俺も気になっていたのだ。1つ食べてみないか?」
「っ、はい!!」
そう言ってザガンがみかんに手を伸ばすと、同じようにネフィも手を伸ばしていたようで指先がぶつかり、慌てて腕を引っ込めた。
「「っ──!」」
一瞬触れただけの指先がなぜか熱を持っているかのように熱い。
──コ・ターツって思ったより狭いしネフィとの距離が近いんだが!?
そもそも1枚の布団に2人で入っているだなんてとても破廉恥なことではないだろうか。当時部屋を案内して掃除──部屋の物を全て灰にしただけなので掃除とは言えない──をしたきり、未だネフィの寝室を訪れてすらいないというのに。リュカオーンではこれが普通だというのなら自分はそこでは生きていけないだろう。ドキドキしすぎて心臓が破裂しそうだ。こういう時には魔術師でよかったと思う。
「ネフィよ。そ…その、それではエプロンが汚れてしまうであろう!俺が剥いてやる」
「は、はい…」
ザガンはなんとか平常心を保ち、ネフィに話しかけることに成功した。互いに顔が真っ赤だがそれを指摘するものは"まだ"いなかった。
ザガンは両方の手袋を外し、皮にそっと爪を立てる。みかんを剥くにはコツがいる。柔らかい身まで剥いてしまわないようには手先に集中しなければならないのだ。
じっと手先を見つめてくるネフィの視線になんとか耐えきり、全神経を集中させてようやく剥き終わることができた。
「ネフィ、剥けたぞ!」
「すごいですザガンさま」
最愛の嫁は花の綻ぶような笑顔を見せ、小さく拍手をしてくれた。少し恥ずかしかったが、喜ぶネフィの姿は何事にも代えられぬほど愛しく、必然的に悪い気持ちはしなかった。
「ほ…ほら、食べるがいい」
ザガンはまたもや顔を真っ赤に染め、ぷいとそっぽを向いたまま一粒のみかんをネフィに差し出す。せっかくの2人きりなのだ、少しくらい甘い時間を過ごしてもいいのではないだろうか。
「ふぇっ!?はわわ……」
動揺しながらもネフィはそっと口を開けて近寄り──
──勢い余ってザガンの指ごと咥えた。
「「っっっっっ!?」」
声にならない悲鳴をあげてザガンとネフィが飛び退いたと同時に入り口の方から物音が聞こえ、2人は思わず硬直した。
時間は少し遡る。朝食の支度が整った食堂ではフォルたち一同がザガンたちを待ちわびていた。フォルは椅子に座ったまま地面に程遠い足をパタパタと動かしながら、背後に控えるガタイの良い執事に尋ねる。
「ラーファエル、ザガンはまだ?」
「ふむ…先程ネフィ殿が呼びに行っていたようだがな」
「じゃあ私も見てくる」
ぴょんと椅子から飛び降りると、背後の静止の声も聞かず玉座の間へ駆けて行った。
魔術で気温を調節してあるとは言えど少し肌寒く感じる廊下を駆け抜け、フォルが玉座の間の付近まで行くと何やら入り口の影でコソコソしている人影が見えた。
──あれは…ゴメリ?
鼻から赤いものを垂らしては拭き、ゴメリおばあちゃん──今は美女の姿である──は何やらまた覗きをしているようだ。
(なにしてるの?)
(──っ!?脅かすでないフォル嬢!!今すごく良いところなのじゃ!!)
一瞬驚いて飛び上がるゴメリだが、すぐさま壁に貼り付く。
ゴメリの下から同じように壁に貼り付き部屋の中を覗いてみると、見たこともない物にザガンとネフィが座って2人で入る様子が見えた。よく見ると布団である。布団はベッドにあるもので1人1枚使うものだと思っていたのだが、なぜ2人で入っているのだろうか。
(あれって布団?)
そう尋ねるフォルに返したのはゴメリではなくラーファエルだった。フォルを追っていつのまにか来ていたようだが、壁に張り付くフォルをザガンにバレずに回収するのは難しいと思ったのか、背後に佇んでいる。
(ふむ…コ・ターツのことか?先日我が王が買っていたな)
ラーファエルの声を聞きながら、フォルは真剣に部屋の中を盗み見る。何やら足を布団の中に入れたネフィが喜び、それを見たザガンが相変わらず照れてもだもだしていた。
(ネフィが喜んでる。コ・ターツに入るの楽しい?)
(たしか…魔術で中が暖かくなると言っていたな)
いくら覗きが楽しくともここは廊下である。フォルの身体はとうに冷え切っていた。
──私も入りたいけどまだ我慢する。
最近ザガンが忙しそうにしていたのをフォルだって知っているのだ。たまにはザガンもネフィと一緒に過ごしてほしい。だから割って入るような真似をせず、こうしてそっと見守る。
と、食堂を出て行ったフォルが帰って来ないためか様子を見に3人の少女がやってきた。
「お──むぐぅ」
おーい、と叫ぼうとした蒼い髪の少女の口を、すかさず別の少女が塞いだ。先ほどまで給仕中だったのか、頭に捻れた角を持つ夢魔の少女は露出度の高い服の上にエプロンをつけたままである。