過去のいざこざと真っ赤なバンダナ 【中編】 拙僧にとって一郎は特別な男だった。「だった」っつーのは語弊があるが、一時は袂を分かっていたから強ち間違いじゃねぇ。
因縁生起。
結ばれては解け、解けては結ばれ。あの時拙僧が洗脳されようが、いずれ一郎との縁は一時的に離れてしまったのかもしれねぇけど。まっ、「たられば」も「過去」も考えたところで仕方ねぇから、目一杯拙僧なりの修行に励んだ。比較すんのもおかしいが、当然、ブクロに比べて寺は修行に適している。煩悩を払い、精神力を鍛え、体力だってつけた。拙僧はあの頃よりもずっと強くなった。
暫くするとナゴヤの街でも一郎を見かけるようになった。そう、TDDだ。殺気すら隠さねぇで気を張った険しい顔を浮かべるアイツは相変わらずの学ラン姿に赤いバンダナ。折角アイツが開いた扉はもう閉じちまったんだろうか。あれじゃあ拙僧出逢った当初の一郎じゃねぇかよ。
おいそこのセンスがねぇテメェら。報道陣もキャーキャー行ってる女子どもも全員だ。お前ら知ってっか? 本当の一郎はあんな怖ぇ顔を浮かべる奴じゃねぇってことを。自分の好きな趣味は馬鹿みてぇにヘラヘラ笑って長時間話すわ、弟の話をする時はダラしねぇ顔だってするわ。事務所の机の角に肘をぶつけりゃあ「いってぇ!」っつって目尻に涙を浮かべりゃあ、屁かまして「……悪い、俺だわ」と馬鹿正直に照れもする。
確かによぉ、山田一郎って男は滅法強い。加えてカリスマ性もある。だが、そうは言ったってコイツは人の子で、笑いもすれば泣きもする。飯を食えばウンコだってする。だからこそ、あんな過酷な環境下にも関わらず、自然体でいられる拙僧の隣を心地好く感じてくれてたんだろうよ。
あ? マウントだぁ? ンだそれ、知んねぇな。マウンテンなら知ってっけどよ。はぁ、頭痛ぇ。
「チッ」
誰彼構わずこの世を睨みつけるアイツの顔を見るのは苦しく、思わず舌打ちする。唯一の救いは隣に左馬刻がいた事だろうか。だが、その左馬刻の隣にいた筈の簓の姿がなく漠然と不安な気持ちになった。アッチもアッチでなんかあったのか。左馬刻や簓に連絡を取れる事は出来たが、まぁ、野暮だよな……なんて。
得体の知れない頭痛と一郎への嫌悪、それから薄気味悪いモヤのかかる記憶の奥底で、こんなにも憎いはずの一郎の現状を案じているのは不思議なもんだ。
更に時は流れ、拙僧の元にも1st.バトルのニュースが舞い込んできた。TDDの時とはがらりと変わり、弟らと並んで笑うアイツを見てホッとしたのと同時に、拙僧をより一層不安な気持ちにさせた。その頃には一郎への明確な敵意はなく「あの時どうしてあんな事を言ったのか」っつー疑問の方が大きかったからだ。
それと、拙僧がよく知る学ランを脱いだ一郎の身体には赤いバンダナの面影がなかった。その癖チーム名に未練たらしく「Buster」なんざつけやがって。考えただけでズキンと胸が痛む。本当に過去の事にされちまったのか。拙僧はこのまま一郎との縁が解けたまま、会う事もケリをつける事も許されねぇのか、と。拙僧ばかりがアイツを想い、無関心ではいられず、いくら厳しい修行に明け暮れたとしても振り払えねぇ煩悩がつき纏い。アイツは……一郎はもう拙僧の事を恨んですらいねぇのかもしれない。何も、何もないのかもしれねぇ、と。
拙僧にとって、それを乗り越えるのはあまりにも厳しく、辛い修行だった。いや。こんな身勝手を修行だと言っている時点で拙僧は未熟だって話だわな。
なーんて、ウダウダ振り返っちまったけど。つまるところ、拙僧はそれくらい一郎の事が好きだった。アイツは拙僧にとって、一筋の……。いや、馬鹿みてぇに熱くてデッカい太陽だったから。
「……くうこう?」
「なんだ、起きちまったのか」
「ん~」
寝袋からモゾモゾ腕を出して目を擦る。寝顔だけ見りゃあ年相応で、偶にかく鼾は中年オヤジのそれだ。ってのを昔言ったのを気にしてんのか、今回の旅でもちょいちょい「鼾煩くねぇ?」と聞かれた。いちいちンな事気にすんじゃねぇよ、面倒臭ぇな。まぁ、そういう所も人間らしくて拙僧は嫌いじゃねぇ。そんな些細な一言(一郎からしてみりゃ些細じゃねぇらしい)も覚えてくれているのが嬉しくて、「テメェの鼾と腹の音と怒声はクマ公よけにゃもってこいだわ」っつったら「デリカシーがねぇ」つって頭を叩かれた。カァ〜〜〜! ったく、ゆーもあってのがねぇな、コイツは本当に。
「眠れねぇなら起きて来いよ」
「お前は……眠れねぇの?」
「拙僧はいい。野宿してっと心身が修行モードになってあんま眠くなんねぇの」
「へぇ」
興味ねぇのか寝ぼけてんのか、一郎が曖昧な返事を寄越す。拙僧にゃ適当に返事すんなとか言う癖に、コイツは自分の事を棚に上げて段ボールに綺麗に整理して封までしやがるから質が悪い。まっ。最近それを自覚したみてぇだけど。つっても当分治りゃしねぇだろうし、なんなら一生このままかもしんねぇな。人ってのはそう簡単に変わるんじゃねぇから。でもまぁ……。コイツがこんなんだから人を引っ張って来られたんだろうし、拙僧は全部が全部悪いなんざ思ってねぇから安心しな。
「何笑ってんだよ」
「んぁ? 一郎さんのでらでけぇチンコ勃ってんぜ」
「エッ!? ……って勃ってねぇじゃねぇかよ!」
「ケケッ、騙されてやんの」
「ったく」
とは言え気になったのか、何となくポジションを直してるのがウケる。一郎はさも何事もなかったかのように一つ伸びをすると拙僧の隣に座った。
「焚き火あったけぇ〜」
「まだこの時期は冷えっからな」
「つーかお前どこでも生きていけんな」
「まぁな」
炎に向かって拾い集めてきた小枝を一本投げる。ほんの少し大きくなる炎の揺れとパチっと弾ける音が心地好い。無心になるにも、考え事するにもうってつけだ。拙僧が炎を見つめる傍らで一郎が荷物から取り出した水を飲む気配がする。相変わらず一口がデケェ。水分補給は良いが「あんま飲むと小便したくなるぞ」と言えば「それもそうだな」と返される。拙僧はテメェの母ちゃんじゃねぇんだけどな。
「あー。俺の旅もあと一週間か。早ぇな」
「またやりゃあ良いじゃねぇかよ」
「次はいつ休めるか分かんねぇよ」
「そうは言ったってテメェも自由業だろうが。休みくらい何とでもなんだろ」
「なんねぇよ。困ってる奴らだっているし、二郎と三郎の養育費だってかかる。こればかりはまだまだ俺の責任だ」
「ほぉん。ご立派なこって」
そう言ってまた小枝を放る。
「困ってる奴ら助けんのにテメェ自身が困ってたら意味ねぇだろ」
「俺は別に困ってねぇよ」
「偶には今回みてぇにテメェの事だけ考えて好き勝手ガス抜きしろつってんだよ。そん為にキッチリ休む事も必要だろうが。ンで、また心機一転ってなぁ。修行にも励めるだろうよ」
「俺のは修行じゃねぇけど……まぁそれもそうだな」
「だろ?」
拙僧の言いてぇ事はちゃんと伝わったようで、一郎がヘラっと笑った。まだこうやって自分の為だけに動く事に慣れてねぇ所為か、どうしても民衆向けの山田一郎になりがちだ。今回の旅で少しでも有意義だと思えたのなら多少なりとも意識は変わりそうではあるが……。って、拙僧掻っ攫っておいて有意義じゃなかったとかぬかしたらブン殴っけど。
「つーか、一郎さんよぉ。折角の旅で泊まるのがこんな所で良かったのかぁ?」
「ん? ああ、良いんだ。寧ろラッキーっつーか」
「ラッキーだあ?」
一郎に掻っ攫われて早一週間。一郎が「聖地巡礼もしてみてぇ」っつーから、ヒッチハイクやら電車やらで好き勝手移動しつつも泊まる場所だけはしっかり確保していた。まぁ当然計画性なんざねぇから巡った数ってのは少ねえけど、それでも一郎は楽しそうで何よりだ。
……で、だ。
今日丁度降り立った地をブラブラ歩いてると、一郎が妙にソワソワしながらこう言った。
『こういう所って野宿出来ねぇのかな?』
そりゃやろうと思えばブクロの公園だってそこらの道端だってどこでも出来るだろうよ。田舎舐めすぎだ、たぁけ。
呆れ気味にそう返せば「だったらやりてぇな」と言われたもんだから、そうきたか、と。衣食住がそこそこ安定してからは質を求めるようになったこの男がねぇ。修行用にといつも使ってる道具なんかを詰め込んどいて良かったわ。
「どういう風の吹き回しだよ」
「あー……いや、それがな。『ぽよキャン』ってのがあってよぉ」
ああ、そうかい。そっち方面の興味本位だったか。
ニヤケ面を堪えながらよくぞ聞いてくれましたとでも言わん馬鹿りの満足顔で拙僧を見る。来るぞ、面倒臭ぇのが。
「手違いでキャンプ場につけなくて野宿するシーンがあんだよ。丁度こんな、何もねぇ場所で。今日車から降りて歩いてた時に妙にそのシーンが蘇ってきちまって」
「それで野宿かよ」
「良いだろ別に。お前とならやれっかなって思ったんだよ」
「そうかよ」
そう言われちまうと悪い気はしねぇ。まっ、夜明けまで長ぇし聞いてやろうじゃねぇか。気を良くした拙僧は続けろよと言わんばかりにそこらにあった小枝の中で一番太いのを放り投げた。
「ほら。お前さぁ昔、簓さんと修行つって樹海に行ってたろ」
「おー! あったあった」
「当時は何やってんだよなんて思ってたけどな」
「おい」
「今考えてみりゃそれも良い経験だなって。まぁ俺は修行僧でもなんでもねぇからそうやって楽観的に思えんのかもしんねぇけど」
そう言って一郎は天を仰いだ。ブクロと違って街頭の一つもねぇ代わりにたくさんの星。ナゴヤでも星はそこそこ見られるが、流石に比べ物にならねぇくらい散っている。手を伸ばしたら届きそうで、つい体が動く。で、それを見た一郎が「流石に取れねぇだろ」なんて真顔で言うもんだから、やってみなきゃ分かんねぇだろって見栄を張った。もしかしたら今ここに流れ星が降ってきてホームランボールよろしくキャッチ出来っかもしれねぇし。
「まっ、修行がしてぇならいつでも付き合ってやるぜ?」
「そりゃ嬉しいけど勘弁だな」
「何でだよ、また弟かぁ?」
「違ぇって。あの後簓さん三日間くらいゼリーと素うどんしか食ってなかっただろ? 俺、いつだって食いてぇし。肉も魚も」
「ヒャハハハ! 色気より食い気ってなぁ! まぁまぁ分かるぜ、一郎ぉ! 拙僧も唐揚げは鱈腹食いてぇからな!」
「だろー? あれ見ちまうとなぁ……」
一郎が苦笑しながら視線を炎に移した。懐かしんでいるのか、表情が切なげで拙僧の胸がギュッと痛む。一郎からバンダナが取れ、拙僧とのチーム名の一部が切り取られ上書きされたあの日から、もう拙僧との事はなかった出来事にされたのだと思っていた。だから一郎にとって、拙僧らがいたブクロ時代の思い出ってのは決して良いモンじゃねぇんだろうって。拙僧もいくら修行を積んだとて、あの頃を振り返れば胸が締め付けられる。一郎達との大事な思い出に靄がかかって話題にするのも憚られちまう。だから極力話さねぇようにしてたってのに……。
「でも楽しかったよなぁ、あの頃」
「…………ッ」
誰に聞かせるでもねぇ、独り言のように一郎が溢した。
楽しかった、と。
「俺、あの頃が一番楽しかったかもしんねぇ。勿論今も楽しいんだけどよ、そういうんじゃなくて……何て言ったら良いか分かんねぇけど、間違いなく隣にお前がいたからだと思う」
「……ハッ、馬鹿言ってんじゃねぇって」
きっと当時の拙僧なら「当然だ」と何も疑わずに言えたんだろう。生憎今の拙僧にゃ、そんな言葉は言える筈もねぇ。
「馬鹿じゃねぇよ、本当だって。だからあん時の事は今でも辛ぇし」
「それは……」
悪かったけどよ。って言葉が出そうになって慌てて飲み込んだ。謝罪ですら上手く出来やしねぇ。
「けどまぁ、もう良いんだ。お前とNaughty Busters組めて、左馬刻や簓さんと色んな事やって、弟達とも一緒に住み始められて。ラップもめちゃくちゃ楽しいし、そういうのが全部すげぇ嬉しくて楽しくて。空却と出逢って久々に生きてて良かったって思えたんだよなぁ。だからあん時のショックもデカかったんだって思ったら、それ引っくるめて悪い気がしねぇよ」
「………………」
ちょっとヤベェかも。いや大分ヤベェ。
なんだよ、悪い気がしねぇって。拙僧が未熟だった所為でテメェにどんだけ酷ぇ事したと思ってんだよ。一郎が辛かった日々を誰よりも身近な場所で見てきたのはこの拙僧なんだぞ。それなのに、拙僧はお前に……。
「だからもう、俺にとってあの過去は封じたいモンでもねぇし、いざこざでも何でもねぇよ」
「………………ッ」
おいおいおいおいヤベェ、マジでふざけんなよ。下手に喋ったら声が震えちまいそうじゃねぇか。何とか気合いで持ち直して一郎を見つめたものの、言いたい事を言い終えたからかその表情はどこか満足気で……そして一等優しかった。
ああ、やっぱ好きだわ。
そんな感情が揺れる炎に釣られて噴き出てきて吐き気すらする。なのに安堵。そう、柄にもなくホッとしちまって。あの時洗脳された拙僧の未熟さも、命を預けた男にぶつけた空っぽな言葉も、そんな無意味な言葉で一郎を深く傷つけ逃げ帰っちまった事も。いくら修行を重ねたところで、過ちの痛みとして背負おうとしてるってのに。そんな事を当の本人から言われちまったら背負う事すら出来ねぇだろうが。
一郎は決して拙僧に情けをかけてる訳じゃねぇ。自分の中であの時の拙僧らと向き合って、そうして「いざこざなんかじゃねぇ」と結論づけたってだけで。だから拙僧が安堵するのはおかしい話だってのは分かってる。分かってっけどよぉ……あまりにも拙僧にとって都合が良すぎやしねぇか?
一際大きい火の粉が舞い、まるで今まで燻ってた拙僧の心のようで。依然穏やかな表情で語る一郎から目が離せなくなる。赤と緑の宝玉のような瞳には揺らぐ炎が投影され、穏やかな表情とは裏腹に心の中の熱い部分を見せつけられている気さえする。この結論に至るまでにどれだけ心を擦り減らし、炎が消えかけたんだろうか。それでも瞳に映る炎みてぇに心の片隅で小さくともパチパチと燃え続けてたってのかよ。必死に消そうとしてた拙僧が馬鹿みてぇじゃねえか。
「………………」
悔しくて情けなくてだけど嬉しくて。ぐちゃぐちゃになった感情に流されて思わず歯に力が入る。そんな拙僧の歪んだ口元を見て一郎は小さく笑った。その声でさえいちいち優しくて腹が立つ。
「ただ単に俺の中で思い出に変わったってだけだ」
「……はっ、そういう甘っちょろいところは相変わらずだな」
「思い出は綺麗なモンだけじゃねぇだろ?」
「そりゃまぁそうだろうが……だからつって拙僧は思い出になんざする気はねぇからな」
そう吐き捨てると一郎はもう一度小さく笑った。眉が下がり、困ったようにも呆れてるようにも……嬉しそうにも見える。
「ンなの、お前はお前なんだから当たり前だろうが。俺がとやかく言う事じゃねぇよ」
一郎の言葉にただの一言も返せずにぼんやりと炎を見つめた。木々が燃えて弾ける音がやけに響く。
思い出は綺麗なもんだけじゃねぇ、か。
なるほどな。言われてみりゃあそうだよな。
「………………」
「………………」
無駄のない静かさの中で拙僧の雑念が響き渡る。だが今この空間も拙僧と一郎の二人だけの不可侵領域で、何人たりとも近づけねぇ。そりゃあ確かにあの頃みてぇにクソ野郎共を捩じ伏せるような闘争心も勢いもねぇけど、居心地の好さは健在で胸が締め付けられるような懐かしさが一気に溢れ出す。腐った世界を目の当たりにしても一郎とならそこには確実に希望が在った。胸糞悪ぃ奴らを殴ってもその後に一郎とコーラを飲めば美味いと笑う。どんなに汚ねぇリリックを浴びせられても一郎と肩を並べられりゃあ楽しいと感じた。確かに……一郎と歩んだブクロでの生活は楽しい事ばかりだった。
「なぁ、空却。お前は俺と過ごした時間……楽しかったか?」
拙僧の心をそっと覗くように静かに問う。唯一無二である親友の声は微かに震えていた。本当に一瞬。きっと拙僧じゃなかったら分かんねぇくらいの些細な振動だ。それにすら感極まっちまってまた胸が痛くなる。一郎が一人でずっと抱えこんでいた痛みに直に触れた気がしちまって。ああ早く答えてやらねぇとまた不安にさせちまうかもしんねぇのに。もう二度と裏切りたくなんかねぇのに。頭では分かってても拙僧も釣られちまって唇が震える。それでも気合いで口を開いて、
「ったりめぇだ」
って、掠れた声で答えれば「そっか」と短い言葉を返された。やっぱり困ってるようにも喜んでるようにも見える。昔はもっと少ない表情の変化だけでも一郎の心が分かった筈なのに。だからどんな感情だよ、その顔。衝動的に昔みてぇに抱きつきたくなって、だけど今やったら何か違ぇ気がして寸でのところで思い留まる。すげぇもどかしい。一郎に近づけねぇのが嫌で、その鬱憤を炎めがけて小枝を投げる事で発散する。我ながら餓鬼かよ。
「良かった」
「あ?」
「お前の中に少しでも楽しかったって気持ちが残ってるのが分かって。それだけで十分だわ」
拙僧から視線を外すその仕草と言葉に心がかつてない程震えた。少しでもってなんだよ。少しな訳あるもんか。あんだけ一緒にいたのに何でそんなにテメェは自信なさげなんだっての。いや、そりゃ拙僧が悪ぃよな。あ? 一郎に近づけねぇのが嫌だ? クソが。ンなもん関係ねぇだろうが。込み上げてくるこの感情は拙僧にだって止められやしねぇってのに。
「だあああああああッ、いちろぉッ! お前って奴はほんっっっとぉにッ」
懐かしさも安堵も愛情も、一気に全部溢れかえって爆発する。一郎に関わらなきゃもっとちゃんとやれんのに、一郎だからこそ心が掻き乱される。煩悩に塗れちまう。だがそれでも良いとすら思っちまう拙僧はまだまだ未熟で、そしてどこまでも人のままだ。
「馬鹿みてぇに真面目な奴だな!」
そう笑って飛びつけば、一郎がバランスを崩して砂利の上に転がった。当然拙僧も一郎に重なるようにして倒れる。
「ってぇな! いきなり飛びつくなっていつも言ってんだろ! ……ん? あ、違ぇわ。つい癖で。いつもっていつの話だって感じだよな。悪ぃ。いや何でだよ、俺は悪くねぇっ!」
「ヒャッハハ! てめっ、マジで……ふはっ、最高だぜ、一郎さんよぉ!」
「うるっせぇよ!」
拙僧もついいつもの癖で一郎の胸に頭を擦り付けた。焚き火の香ばしい匂いと昔とは違う洗濯洗剤の匂いが鼻を掠める。初めて嗅ぐ一郎の匂いなのに妙に懐かしくてじんわり涙が滲んだ。ダセェ。二人して砂利の上に倒れ込んで、なのにどっちも起き上がろうとせずに離れようとすらせずに。ちょっとばかし速ぇ心音と木々の燃える音だけが静かに響く。
一郎の体温は相変わらず高くて暑苦しいのに、今はそれがひどく心地好い。
あー……好きだわ。
上がる体温とは裏腹にどこか冷静な頭の片隅でそんな言葉が零れ落ちた。
***
一郎は拙僧にとっての太陽だ。
真面目も真面目、大袈裟でも何でもねぇ。一郎は紛れもなく拙僧の、拙僧にとっての沈まぬ太陽だ。なんせアイツは地べたを見ねぇ。それがどんなにクソみてぇな世界だとしても地に足をつけ、毒の沼だろうが地獄の池だろうが、針の山だろうが自分の手足を武器に道を切り開き、何度大人共に裏切られたってたった一人で弟を背負いながら歩んでいく。
単純にすげぇと思った。
そんな奴中々いねぇだろ、普通。
まぁ確かに、クソみてぇな仕事はしてたし目つきもヤベェし、傍から見たらそんな男のどこが太陽だよって言われっかもしれねぇ。鬼か? 悪魔か? はたまた悪の帝王か? ……なんてな。
けどよ。拙僧からしてみりゃぁ、鬼でも悪魔でもなんでもなかった。
よくよく話を聞けば、一郎が一人で戦ってる時、拙僧は自分のケツを拭けずに獄に尻拭いをさせていた。それに、噂話や暴言を撒き散らしながら騒ぐ周囲に頭を下げてたのはいつだってクソ親父だった。その事実から目を背け、見て見ぬ振りをしていた訳じゃねぇが、それでもあの時の一郎の生き様にはハッとさせられちまった。
拙僧と同い年で誕生日だって一カ月も離れてねぇのに、生き方がまるで違う。そんな男を拙僧の手で掴み取りてぇと思った。コイツといれば、きっと拙僧も成長できる。まっ、そんな次第だ。
「……そろそろ退けよ」
「やなこった」
「重てぇ」
強めの風が吹き、焚き火の熱が拙僧らの足元を包んだ。胸の高鳴りを抑えられずに一郎に抱き着いてから数分。アイツがあまりにも素直に感情をさらけ出すもんだから拙僧もつい引っ張られちまう。拙僧が未熟だった所為で招いたあのいざこざを「思い出」として昇華した一郎に少しでも追いつきてぇと思っちまったからか。一郎といると楽しい反面、心が乱れやすいから困る。鼻先にある一郎のシャツからはやっぱり嗅ぎなれない匂いを纏い、拙僧を少しだけ冷静にさせた。
「……お前全然寝心地良くねぇのな」
なんか無性に腹立ったから憎まれ口とやらを一つ溢し、一郎布団から体を起こすと脇に転がったリュックに視線を向ける。拙僧が長年抑え込んできた恋心ってやつは上手く誤魔化せただろうか。
「腹減っちまったな。一郎ぉ! お前さっき土産屋で燻製玉子買ってたろ。食おうぜ」
その誤魔化しがいまいち足りねぇ気がして、だけど柄にもなく雰囲気ブチ壊したくなくて咄嗟に吐いた嘘。嘘なんて親父相手にしか吐かねぇからコレも上手く出来たかなんざ分かんねぇけど。一郎が呆れたように溜息吐いたもんだからきっと上手くいったんだろう。
「はぁ? あれは二郎と三郎に……ってまぁまた別の買えば良いか。確かに小腹減っちまったしな」
「へへっ、話が分かるじゃねぇか。んじゃ拙僧は……っと。クソ親父に買った羊羹でも開けるか」
「くん玉と羊羹か……なんだかすげぇ組合せだな」
苦笑した一郎を肘でどつき、羊羹を箱ごと放り投げる。
「って、これ切り分けなきゃいけねぇやつじゃねぇか。開けたら全部食わねぇとダメになんだろ?」
「ああ? 食やぁ良いじゃねぇか」
「甘ったるくて食いきれねぇっつーの」
「なんでだよ。一郎の好きなコーラと似てんだろ、色が」
「色だけじゃねぇか! お前の理論どうなってんだよマジで」
羊羹を箱から取り出して銀の袋の上側から開封する。一口齧ってから渡そうと思ったが、それはそれでまた煩そだし止めた。「ほらよ」と差し出すと、一郎が呆れながらも羊羹に齧りつく。相変わらずデケェ一口。
「ん。うめぇな」
「だろ?」
三分の一はなくなった羊羹を見て「テメェも大概滅茶苦茶だわ」とぶつければ一郎が恥ずかしそうに笑った。そういう所はちょっと狡いよな。図体ばっかデケェ野郎がンなぶりっ子してんじゃねぇよ。って。
「いちろぉ、あ!」
「いや自分で食えよ」
そう言いながらも差し出してくれた羊羹に勢いよく齧りついた。味が濃くて舌触りも良い。ここに緑茶があればどれだけ良かったことか。親父が好みそうな羊羹そのもので、帰宅後に開けて三人で食えば良かったかもしれねぇ、なんてちょっとばかり後悔した事は内緒だ。
「テメェは拙僧に会って久々に生きていて良かったなんて言ってやがるが、そりゃあ拙僧も似たようなもんだ」
「空却が? 想像つかねえな」
「どーいう意味だよ」
「いやほら、あん時のお前って無茶苦茶だったけどよ、特別『生きてて良かった』みてぇな雰囲気なかっただろ?」
そう言って一郎が首を傾げる。
「そういやぁ、お前は俺の何に共感してチームに入ったんだ?」
「だぁから言ったろ? 一郎は拙僧が認めた男だって」
「あん時の俺の何をどう認める要素があんのか未だに分かんねぇんだけど」
ある種の吹っ切れなのか、やけにグイグイくる一郎に少々たじろぎながらも答えてやる事にした。まっ、ついさっきまで丁度その事について考えてた事だしな。とは言えどこから話すべきか……。瞼を落とし深く息を吸う。過去を恥じる訳じゃねぇが余計な事は話したくねぇ。だからつって肝心な箇所を抜く訳にもいかねぇ。
「……うっし、覚悟決めたぜ」
「あ?」
息を全て吐き切るともう一度空気を吸い込みゆっくりとは瞼を持ち上げた。今の一郎になら、いや、今の一郎だからこそ聞いて貰いてぇから。
「特別に話してやんよ。拙僧がブクロに行ったきっかけってやつをなぁ!」
「あ?」
思えばこうして誰かに話すのは初めてだ。今更コイツに引かれる事はねぇだろうが、それでも口は重たい。とは言え、期待の眼差しを寄こす一郎をガッカリさせる訳にもいかねぇし、腹括った以上話すけどよ。
「拙僧はな……自分で決めて自分で行動した事は何があろうとテメェに責任があって、当然ケツも拭ける。そう思ってたんだわ……」
今思えば独り善がりにも程があったとは思う。それが分かっただけでも成長してるって事だから恥じる事はねぇが。
「そんな拙僧が動いたばかりに年少送りになるとこでよ」
「はぁ!? ンだよそれ、初耳だっての!」
そりゃあ本邦初公開だからな。拙僧が笑ったのに対して一郎は呆れたような顔をして溜息を吐いた。「年少送り」なんて一郎でもねぇもんな。
「年少なんて流石に俺でもねぇよ……」
なんて思ってたら思考が被っちまったらしい。拙僧と全く同じ事を言った一郎の背中を叩いてゲラゲラ笑った。
「中坊ン時だ。クソ野郎に虐げられてたダチに力を貸したんだが、逆に訴えられちまってな。そんな拙僧を弁護したのが獄だった。んで、獄を拙僧につけたのが親父で、その親父はいつだって方々に頭を下げてたって訳だ」
「……何か普通に想像つくわ」
一郎がハハっと笑いを溢し、そのどさくさに紛れて「もういらねー」と羊羹を押し付けてきやがった。ふざけんな、全然どさくさに紛れられてねぇわ。
「拙僧は人を導く僧侶になる。けどあの環境にいたら拙僧はきっと親父を超えられねぇ。もっと広い世界であらゆるものを見、聞き、知る必要がある。そう考えたから拙僧はナゴヤを出た。今のテメェみてぇにな」
車から車へ。時には運転手らを導き感謝され、ちぃとばかし喧嘩もしちまったけど。まぁそれでもなんだかんだと東都には辿り着いて──
「そんでブクロに来たのか」
「おうよ」
地元とは違う匂い、音、言葉。戸惑いはない。これは修行の一環だから。だが、辛く苦しい筈の修行とは言え期待はあった。ブクロにいつまでいるかなんざ決めてなかったが、良い縁がありそうだと妙に確信めいたもんがあったから。
一瞬だけ一郎に合わせた視線を直ぐに外し、正面の焚き火に戻す。瞼を閉じれば次から次へとあの頃の拙僧らが動き出しやがる。血塗れになって喧嘩して、眠るのも惜しくて朝までラップし、顰めっ面ばっかだった一郎もこの時馬鹿りは心の底から楽しそうで……。なんだよ、お前も人生楽しめんじゃねぇかって。日に日に憑き物が落ち、本来のコイツらしさを取り戻していく一郎を見るのが好きだった。へぇ、益々良い男じゃねぇかって。
あー、ったくよ。ほんの少し前まで忘れてたってのに、記憶ってのは不思議なもんだ。照れ隠しに笑えば思いの外デケェ声が出た。
「ヒャハ! まっ、あとはご存知の通りって訳だ」
そこまで言い終えると拙僧はもういっぺん地べたに寝転がり星空を見つめた。星も太陽も近いようで遠く、遠いようで近い。手を伸ばせば視界上では掴めてるってのに。拙僧はそれが悔しいから絶対ぇ素手で掴んでやるけど。
「来いよ一郎」
「うぉ!?」
あらかた答えを聞けてすっかり油断しまくりな一郎の腕を引っ張りもう一度地べたに呼び寄せる。喧嘩やバトル中は地面に背をつけるのは御免だが、偶にはこういうのも悪くねぇ。
「地べた見んのが嫌なテメェでも地べたに背を向けりゃあこの景色も悪くねぇだろ?」
「……まぁ、そうだな」
「ヒャハハ、素直じゃねぇな〜」
拙僧が笑えば一郎がムッとした表情を浮かべる。その表情があまりにもあの頃の一郎とリンクしちまって、懐かしさと切なさとでギュッと胸が痛んだ。
「そんなテメェによぉ、素直な拙僧から有難ぇ説法を聞かせてやんよ」
「……んだよ」
あちこちで輝きを放つ星空目掛けて拙僧は腕を伸ばした。
「沈まぬ太陽にも感謝すべしってなぁ」
「なんだそりゃ」
あからさまに表情を崩した一郎に「まぁ聞けや」と胸をどつく。あーあーあー、相変わらず胸板が厚いこって。ちょっと腹が立つ。まぁ今はどうでも良いか。一郎の眉間の皺が益々濃くなったのを見て拙僧は少しだけ真面目なトーンで聞いた。
「一郎はよぉ、夕日に向かって拝むのは何でだと思う?」
「……夕日?」
「おう」
昔はそんなジジババもよくいたもんだが、山も海も見えねぇブクロにゃそんなジジババなんざいねぇか。案の定いまいちピンと来ねえのか、一郎はうーんと唸ったまま黙り込んじまった。そうして漸く何か思いついたのか自信なさげな声で拙僧に問う。
「綺麗だから……つい拝みたくなっちまったとか?」
一郎に視線を向ければ目と目が合い、思わず笑った。笑ったつっても馬鹿にするとかじゃなくて、もっと穏やかなもんで。謂わば餓鬼どもになぞなぞの答えを教えてやる時のような、そんな表情だ。
「ブクロじゃそんな奴見た事ねぇと思うがよ。田舎にゃ結構そんなジジババがいんだわ。沈みゆく太陽に向かって今日を終えた感謝と明日の幸せを願ってんだよな」
「へぇ。まぁ言われてみりゃあ神々しい気もすっけど」
「おう。拙僧はジジババの気持ちよぉく分かるぜ」
「まぁ俺も分かんなくはねぇけど」
そう言うわりにやっぱりピンと来てなさそうではあるが、拙僧は気にせずに続けた。
「太陽ってのは昇りはするが、沈みもする。その当たり前があるから感謝が出来るっつーこった。この世に沈まぬ太陽なんざねぇ。必ず沈み、そしてどんなに辛くたってクソな事があったって必ず昇って来る。その不退転の心はやがて人を照らし、世を照らす」
燃えるような熱と色を纏い、こちらの都合なんざ考えもせず当たり前のように空を照らす。それは思わず目を閉じそうになる程眩しく、神々しく、そして孤独だ。
「あん時のテメェのように」
「……は?」
間の抜けた一郎の声は妙に大きく、鮮明に聞こえてきた。
だからジジババは沈みゆく太陽に向かって拝むんだろうよ。今日という日も太陽が昇ってきてくれた当たり前の事実に。そしてその太陽がほんの少しでも休息の時間を得られるように、と願いを込めて。
「本来沈むモンも沈まねぇように見えちまうってこった」
「はぁ……分かるような分かんねぇような。でもお前が言うならそうなんだろうな」
「ハッ。その顔、てんでわかっちゃねぇな」
拙僧がどんな気持ちでテメェと接し、過ごし、衝撃を受けたか。沈んでも地べたを見ずに絶対に這い上がって来た一郎にどんだけ心を打たれたか。拙僧はいつしかそれが沈まぬ太陽だと錯覚し、そして結果的に裏切っちまったけど。いや、洗脳による一郎への憎悪とはまた別物だが、どちらも拙僧の心の弱さや未熟さによるものには違いねぇ。それと同時に、
『俺があん時どんな気持ちで……』
一郎の口からポツリと零れ落ちた言葉が鳴り響く。
ああ、太陽は沈むのだ、と。あん時に漸く気が付き、だから直ぐに足が動かなかったのもある。あの一郎が沈んだのだと。拙僧はそれほどまでの事をしでかしちまった訳だ。そして拙僧はまだ忘れさられていなかったのだと、絶望の中で希望を抱いてしまった。胸が痛ぇ。やらかした事のデカさを痛感し、アイツの心の中に在り続けていた事に安堵する。相反する感情がグルグルと駆け巡り身体が固まった。これ以上後悔なんざしたくねぇ。拙僧こそ立ち止まってなんざいられねぇのに。あん時に他の奴らがいた事や真正ヒプノシスマイクが出てきたのはもしかしたら不幸中の幸いだったのかもしんねぇ。今度は間違わねぇと、奮い立てたから。
拙僧は小さく溜息を零すと夜空に向かって数度瞬きをした。
「だからよぉ、一郎。拙僧は例え沈まぬように見えてる太陽ってやつにも感謝するようにしてんだわ」
「いや全然分かんねぇよ」
「ヒャッハハ。まっ、つまり拙僧はずっとテメェが好きってこった」
あ。
あ、ヤベェ。
つい勢いで言っちまった。慌てて口を塞ぐが、ンな事したって後の祭り。拙僧の言葉を聞いちまった一郎の視線がじりりと熱く、痛ぇ。どういう意味だ? って聞かれてるみてぇで。
「~~~~ッ!」
こうなっちまった以上もう隠す気にもなれず、「嘘じゃねえ」と付け足した。照れくささも気まずさもあるが、その気持ちに後ろめたさはねぇからな。
「……変な事言っちまって悪かったって。ンな顔してんじゃねぇよ。拙僧が気遣うだろうが」
「お前がやらかしたんだから少しは気遣えよ。って、そうじゃなくて。その、俺もさ、変なことついでに乗っかっちまうんだけどよ」
「おい。拙僧の一世一代の告白を変な事呼ばわりたぁ良い度胸じゃねぇか」
「うるせぇ! お前が先に言ったんだろうが、ってちょっと待て、確かココに……」
そう言うと一郎がバックパックを漁り始めた。随分奥底にあんのか、取り出すのに四苦八苦してやがる。無駄にデケぇケツが妙に面白くて「ケツでけぇな」つったらそこらの小石を投げられた。拙僧の左頬ギリギリを掠めてそのまま焚き火にダイブ。普通に危ねぇ。
「で? ケツ振りながらほじくり返してっけど見つかったのか?」
「あー、っと、あったあった。コレ」
覚えてんだろ?
その言葉と同時に差し出された物を見て拙僧は言葉を失った。
「コレ……拙僧の……」
パンツじゃねぇか。
そう突っ込めたらどれだけ良かったか。生憎そんなボケもツッコミも通用しねぇ、茶化す事ができねぇ代物だ。
「あん時お前が投げ捨ててったんだけどよ。流石に捨てらんなくて。つっても渡す機会もなかったからもう一生このままかと思ってたんだけどよ……」
一郎の手によって畳まれたバンダナは皺くちゃで、きっと当時のまま洗濯もせず仕舞われていたんだろう。いつの間にか失くしてしまったソレを懸命に探した事もあった。身一つで帰ってきたのだから探したところである訳なんざねぇのに。それでもふと我に返り、頭痛に悩まされながらも記憶を巡らせ、ついぞ出てこずに縁がなかったのだと諦めたソレが目の前にある。拙僧と一郎のチームが、Naughty Bustersが存在した証が親友の手の中にあって。あまりにもな衝撃に流石に言葉を失った。
「念の為つって持ってきて正解だった……よな?」
眉をハの字に広げ、真っすぐな瞳で拙僧を見つめる。おい、知ってっか一郎。拙僧はこの顔に滅法弱ぇんだよ。ここぞとばかりにンな顔しやがって気に食わねえ。けど、けど。
「別により戻そうとか、あん時の続きをやろうとか言ってんじゃねぇよ。今の俺らにはそれぞれチームがあるからな」
「………………」
そりゃあ拙僧だって分かってる。一郎がンな事言う奴じゃねぇって事くらい。
「ただ、お前の意思と関係なく理不尽に終わっちまったんだ。もっかい着けるくらい良いだろ?」
そう言って一郎は皺くちゃなバンダナを広げ、結びやすいように折りたたんでいく。あの時についたままだった折り目の通り、一つ、一つ丁寧に。
「空却。今度は俺から言わせてくれ」
「ンだよ」
長細く畳まれた真っ赤なバンダナを手にし、一郎が申し訳なさそうにほほ笑む。次は何を言い出すつもりか。心臓は相変わらずバクバクうるせぇ。
「……Naughty Bustersはこれでもう終わらそうぜ」
「は?」
Naughty Bustersを終わらそう。
そりゃそうだ。拙僧らは今はもう別のチームなんだし、つーかとっくの昔に解散だってしてる。だから頭では分かってるし受け入れてるのにわざわざ言葉にすると想像以上の衝撃を受ける。それはもしかしたら、あの時一郎に暴言を投げつけ、そして誤解が解けた今も尚一郎にその言葉を言わせちまった罪悪感が強いのかもしれねぇけど。
「一郎がそうしてぇってんなら拙僧は──」
構わねぇよ、と。そう続ける筈だった。
筈だったってのは、拙僧の考えが誤ったもんだと理解したからだ。憑き物が落ちたみてぇに晴れ晴れとした表情を浮かべた一郎を見たら誰だってそう思うだろう。
「っし! んじゃ手ぇ出せよ。結んでやっから」
「あ……おぅ」
「なぁ、覚えてるか? チーム結成時によぉ、結べねえからつってお前が百均で買ったコレ押し付けてきたろ? 何かあん時はお前に流されっぱなしでダサかったなって思ってよ。だから今度こそ俺から言ってやろう、ってな」
「……はぁ?」
ンだよそれ。だからそんな晴れ晴れした顔してやがんのかよ。真面目に悩んじまった拙僧が馬鹿みてぇじゃねぇか。
「バンダナしてなくても俺らが存在した証はちゃんと残ってっからな。これで漸く終わるけどよ、別にまたやったって良いだろ? 俺とお前は今でもココにいる。謂わば『.Naughty Busters』みてぇな。っし、結べた。後はお前の好きにしろよ。俺はちゃんと返したぜ」
「……はっ、上等。ハゲ親父の頭にでも巻いてやらぁ」
「それは本気でやめてくれ」
「ヒャッハハ」
頭に真っ赤なバンダナを巻いたハゲ親父を想像したら似合わな過ぎて、拙僧の表情筋と腹筋が崩壊した。涙が出たのはきっとその所為で、不可抗力ってやつだ。つーかなんだよ、.Naughty Bustersって。こじつけんのもいい加減にしろや。
「おい、笑いすぎだっての」
「ぎゃははは、ヤベっ、ツボったわ」
「はぁ……ったくよぉ」
ポタポタと零れ落ちてくる涙を乱暴に拭い、改めて自分の心と対峙する。先日一郎と和解したとはいえ、細かな靄はずっとかかったままだった。きっとこのままその靄ごと生きていくんだろうって、そう思ってた。それでも良い、それもテメェの人生だって。けどよ。拙僧が認めた男ってのは頑固で意地っ張りで鈍ちんでケツがデカくてブラコンで布教活動がウゼェオタクで、でも誰よりも上を見て自分の正義を貫ける野郎でな。霞んでる拙僧の心ですら綺麗サッパリ掃除しちまうみてぇだわ。
「おいおいおい、一郎ぉ! やっぱこれってはねむーんじゃねぇか。結婚指輪のバンダナ版だろ? 拙僧と愛を誓うってか?」
「バッ! だ、そ、そんなんじゃねぇっての!」
「おいおい、童貞臭ぇ反応してんじゃねぇ」
「してねぇッ!」
なぁ、一郎。お前はやっぱりどう足掻いたって沈まぬ太陽だ。覚悟して待ってろよ。今度こそ絶対ぇ素手で掴んで見せっからよぉ。
「……有難うな、一郎」
一人慌てふためく一郎を横目に聞こえねえように、そっと。拙僧の沈まぬ太陽に、今日も感謝と休息を。